第168話 感情に折り合いを 中編
陽光が路地を照らす。吸血鬼がいたという痕跡は跡形もなく消え去り、残されたのは男女の死体だけだった。
「……お疲れ様……」
天高く昇る煙を見たリストアが二名、死体処理に用いる道具を一式持って私のところに駆けつけた。彼らは慣れた手つきで死体をバラバラに解体しては中身の見えない不透明な黒い袋に詰め、最終的には箱に入れて台車に載せた。それから地面や壁に付着した血痕を洗い流し、お香を焚いた。
「お疲れ様でした。では我々はこれで──」
上背のある朗々とした態度の笑顔が眩しい少年は私に一礼して、台車を押して踵を返そうとした。しかしもう一人の私と然程体格の変わらない、男性にしては小柄で病弱そうな少年は、その場を離れようとしなかった。
上背のある青年が手首を掴み、
「……? おい、行くぞ、まだ仕事は残っている。だから──」
と強引に連れて行こうとする。
「──先輩! 先輩は気づかないんですか!」
病弱そうな少年は子犬が吠えるように
「なにが、だ?」
「この人! この人は人殺しだ!」
次の瞬間、少年が吹っ飛んだ。せっかく掃除して綺麗になった地面に鮮血が散る。心臓が悪魔に握りしめられたような気がした。脈拍が上昇し、冷や汗が背中を伝う。
「レジスタンス──ましてやホロコースト部隊の方になんてものの言い方だ! この方のおかげで被害は最小限にとどめられたんだぞ!」
「いや、この人のせいで被害者の男性は死んでますよ!」
「根拠は? 明確な根拠を提示できないのであれば、もう一発ぶん殴る」
「匂いが──」
鈍い音がした。男性が突き出した拳には血液が付着している。少年は目に涙を浮かべて呻き声を上げた。
「……せん……ぱい……には……分から……ない……でしょう……ねぇ……どん……かん……だから……」
だらだらと血が流れ出す鼻を押さえる白い手に赤色がとてもよく映えた。
男性が少年の後頭部を掴むと、自分共々地面に対して水平になるように頭を下げた。
「後輩がすみません。自分が謝ったところであなたにはなんの価値はないかもしれませんが、どうかこのご無礼を許していただけないでしょうか?」
屈強な体躯とは裏腹に声は酷く震えていた。
「……もういい……許す……だから……さっさと……消えて……私の……前……から……お疲れ様……」
私は頭を下げたままの二人から気まずそうに顔を逸らし、吐き捨てるように言うと、その場を離れようと身を反転させ、歩き始めた。
──察知。
足を止めて片足を引く。小さく息を吐いて、引いた足を軸に体を捻り、もう片方の足で地面を蹴った。タイミングを合わせて軸足の足首を捻り、体の向きを変えて、反作用が加わった足を上段に放つ。
つま先が私に殴りかかっている少年の側頭部を捕らえた。抉るように直撃し、容赦なく意識を刈り取る。
少年は糸が切れた操り人形のように受け身を取ることなく前のめりになって顔面から着地して地面に転がった。
「……やっぱり……許さない……」
──隊内での暴力行為は禁止されている。
理性で抑えていた感情が深層で蠢動する。
──しかし最初に攻撃してきたのは向こうだ。それに……リストアなんかよりもレジスタンス……それもホロコースト部隊に私は所属している。だから本部は代替の利かない私を選ぶに決まっている。処罰の対象になるのはリストアのあいつだ。
理性の糸はプツンと音を立てて切れ、今まで抑えていた負の感情が噴き出した。それを認識したときには、少年の片腕に関節が増えていた。妙な方向に曲がり、制服には血が滲んでいた。
意識を取り戻した少年の絶叫が聞こえるが、どこか遠くの世界で起きていることのように現実味がない。言うなれば幽体離脱をして、自分の体を俯瞰しているようなものだった。だから理性はあるが、感情で動く本体を止められなかった。
──まあ仮に止められたとしても、後々ストレスを抱え込むことになるから、止めないけれどもね。これ以上ストレスを増やしたくはないよ。
私は感情の赴くままに攻撃を加える。それも何度も何度も繰り返し蹴りを入れた。その度に鈍い音を発して少年の痩躯が宙に浮き、私はそれを踏みつける。よろしくないものが潰れる音や折れる音が聞こえるが、今の私を止めるに価するものではない。
少年の声はだんだんと小さくなっていき、やがて聞こえなくなった。
「…………」
地面に転がる少年の体はいたるところから出血しており、四肢の関節は本来の数よりもかなり増えていて、軟体生物のようにうねうねと動かせそうだった。
「…………」
ようやく自分の意思で体を動かせるようになった私は、言葉を失って立ち尽くしている青年に向かって、
「……掃除道具……貸して……掃除……するから……」
と言って手を出した。
「……い、いえ、自分がやりますから、あなたは本部に戻って早く休んでください。夜通し神経を張り詰めて戦い、お疲れでしょうから」
「…………」
「……彼も吸血鬼の被害に遭ったということで処理しますから、大丈夫ですよ。それに……万が一発覚しても、自分が証言して、あなたが被害を受けることはないようにします。だから心配しないでください」
青年はカタカタと歯を鳴らしながら震えた手で先ほどしまった死体処理の道具を出した。
「…………わかった……じゃあ……よろしく……」
私は手をひらひらと動かしてその場を後にした。青年は律儀にも私がこの通りを出るまで頭を下げ続けた。
こうして急遽駆り出された仕事は終わった。
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