第153話 欠乏していた 中編
やはり僕にはできなかった。ヴァイオレットの言う、濃霧の中から引きずり出す、ということの言っている意味は分かる。だが自分の体内で起きている‘見えないもの’に対して、どのように行動をすれば、どのように念ずればいいのかは分からなかった。
同化して、これでヴィオラを助けられると思って小躍りしていた頃が懐かしい。あの頃はホロコースト部隊の人たちと同じように、簡単に能力が使えるようになると思っていた。
だが現実はこれだ。努力をしても、僕個人の死に際に発動する特殊な能力を使っても、まるで上手くいく兆しが見えない。
僕自身、優秀な人間ではないことは重々承知しているが、まさかここまで出来の悪い人間だとは思っていなかった。
「……一体……どうすりゃいいんだよ……」
僕はベッドに寝転がり、天井を心ここに在らずというように眺めた。
今日の特別訓練は休んだ。──否、今日も特別訓練は休んだ。
堕落した生活を享受し始めて今日でもう一週間だ。毎朝内線でヴァイオレットに連絡するが、三日目からは『もう連絡してこなくていい』と言われ、放置されている。どうやら僕は心配するに値しない人間のようだ。
──そうだよな……僕にはもうやる気がないんだから……忙しいホロコースト部隊の人がわざわざ連れ出しになんて来るはずもないよな……。
自室の扉が強く叩かれる。
──僕なんて……。
繰り返し何度も何度も叩かれた。それはいつのまにかリズミカルにビートを刻んでいる。
──いっそのこともう諦めて……。
寝返りを打ち、うつ伏せで顔を枕に埋めると、枕の両端を持って耳を押さえた。
──うるさい……。
扉を叩く音は止まらない。それどころか叩く角度や位置を変えて音を変えて、色々な種類の音を出してきた。
──うるさい……。
「──うるさいんだよ! 一体誰だ? 僕の部屋の扉をドラム代わりにしてんじゃねぇ!」
起き上がってそう叫ぶと、扉を叩く音が止まった。騒音はまるで嘘のように廊下はしんと静まり返り、気配一つ感じられなくなった。
「……ポルターガイストの類かよ、これ」
僕が額を押さえて大きなため息をついていると、蝶番が破損して扉が外れんばかりの勢いで扉が開いた。
「うわっ!」
反射的にベッドから転がり落ちて後ずさり、扉から距離を置く。すると──。
「ほら、買ってきたから一緒に食べよう? な?」
と言ってハツラツに笑っているヴァイオレットが顔を出した。手には白を基調とした上品そうな紙袋が握られていた。
「……ん? なんです、それは? というかなぜヴァイオレットが……? 僕のことなんて見捨てたんじゃ……」
僕が首を傾げると、
「なんでだ? なんでアタシがアンタを見捨てると? シェリルからの指示で見捨てたくともできないし、そもそもアタシはアンタを信じているから、見捨てるなんてことはしないよ」
と真剣な表情で僕の許可なしにズカズカと部屋に入ってきた。そして僕の頭の上に紙袋を乗せた。
「中身はケーキだから、落とさないようにしろよ。──ちょっとキッチン借りるからな」
ヴァイオレットは勝手に僕の部屋にある食品が詰められた棚を漁り、紅茶の茶葉を見つけると、お湯を沸かしてお茶を淹れてくれた。
「ほら、座って待ってろ。今準備するから」
ヴァイオレットに言われるがまま僕は席に座った。
──ここは僕の部屋なんだが……この人に僕はなにもできない人だと思われているのか? それとも……できたとしても効率が悪いと思われているのか?
悶々としながら待っていると、まもなくヴァイオレットが用意を終えて、僕と向かい合うように席についた。
テーブルには先ほどヴァイオレットが持ってきた紙袋の中に入っていたケーキが載せられた安価な皿と、今しがた淹れてもらった熱々の紅茶で満たされたティーカップが二つずつ並べられた。
生クリームたっぷりの苺のショートケーキに僕はフォークを突き刺した。
「……どうしてこれを……?」
僕はテーブルの隅に置かれた紙袋を見て言った。紙袋に描かれたマークは有名な洋菓子店のもので、このケーキはいつも行列ができているほど人気のメニューのものだった。
「なんでって……そりゃあ、アンタを励ますためだよ。落ち込んでいるティーンエイジャーを励ますにはなにがいいか、ってヴィクトリアに訊いたら、ここのケーキをおすすめされたんだ。だから買ってきた」
ヴァイオレットはフォークでケーキを一口サイズに分けると、口に運んだ。
「そ、そんなわざわざ僕のために……」
「……それにしても、これを手に入れるのには随分と苦労したなあ。だってほら、これはとても人気らしいじゃないか。朝から並んでもなかなか手に入らなくてな。だからこんなにも遅くなってしまった」
「……姉御ぉ……一生ついていきます……!」
「な、なんだ、大げさだな、セシリア」
僕は目に大粒の涙を浮かべながら情がたっぷり込められたケーキと紅茶を堪能した。
「どうだ? これで少しはやる気が出たか?」
ヴァイオレットは紅茶を一口含み、口内の甘味を洗い流してから言った。
「……ヴァイオレットの励ましはありがたいですし、わざわざここまでやってもらえたのは嬉しいですが、やはりやる気は出ないです。…………厳密に言えば、やる気は出ていますが、それを受け止める器には大きな穴が空いているようなんですよ。……だからヴァイオレットももう僕に関わらなくていいと思います」
僕の視線はテーブルに刺さっていた。とてもではないが、ヴァイオレットの目を見ることなど、気まずさと罪悪感によってできはしない。
「アンタがそう言うってことは、相当こたえているんだな。分かってやれなくてすまなかった。だがアタシも『はい、そうですか』でやめられないのも分かってほしい」
神妙な面持ちながらも鋭い眼光は僕を貫いた。
「シェリルに圧力をかけられているから……?」
僕が恐る恐る訊ねると、
「正解」
と静かに言った。
「……分かりました、分かりましたよ。また明日からちゃんとやりますって! だから姉御、これからもよろしくお願いします」
勢いよく椅子から立ち上がり、頭を下げた。
「よっしゃ、分かった。任せておけ」
ヴァイオレットも立ち上がり、テーブルごしに僕に手を差し出した。僕はそれを取り、力強く握りしめた。
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