第138話 新しい家族 中編

 無事退院した僕は真っ先にシェリルの執務室へと向かった。もちろん、シェリルの仕事の妨害をしていたナスチャを回収するためだ。

 真新しい装備に身を包み、廊下を疾走する。そしてまもなく目的地に到着した僕は執務室の扉を三度叩いた。

「セシリアです。ナスチャの回収に参りました」

『はーい、どうぞー』

 中から機嫌の良さそうなシェリルの声がした。

「失礼します」

 僕はゆっくりと扉を開けた。すると部屋の中では面談用のソファに腰かけ、膝の上にナスチャを乗せて頭を撫でていた。

「……なにをしてるんですか?」

「見れば分かるでしょう? 動物を愛玩しているのよ」

 僕の質問に対してシェリルはさも当然のように答えた。その間もシェリルはナスチャの頭から背中にかけてを撫でている。

「……それは見れば分かりますよ。僕はあなたがナスチャによって仕事がはかどらないと言ったから回収に来たのであって、そうでないのなら、僕の代わりに愛でるついでに世話してあげてください」

 僕は大きなため息をついて踵を返そうとすると、シェリルの膝の上に乗っていたナスチャが羽を広げてシェリルの手を振りほどき、床へと飛び降りると、ひょこひょこと跳ねて僕のほうへと近づいてきた。

 それから僕の足にすりすりと体を寄せて、本来の鳥らしくピヨピヨと鳴いた。

「……じゃあナスチャは僕が連れて帰りますね。お仕事、頑張ってください」

 僕はナスチャを抱き上げてシェリルのほうを向いて一礼すると、執務室を後にした。

 いつも通りナスチャを頭に乗せて僕は廊下を闊歩する。その僕たちの横を足早に通り過ぎていくレジスタンスの事務員の人たちがいる。両手には今にも落としてしまいそうなほど多くの書類などの荷物を抱えており、仕事に忙殺されているのが容易に想像できた。

 ──今日もいつも通りだな。

 これがレジスタンスという組織の日常だ。性別を問わず、この組織は事務員を必要としている。頭のネジが二、三本抜け落ちていようが、構わず採用しているらしく、週に一回は必ず違法薬物使用による異常者が現れるか、発砲や暴力による騒ぎが起きるのだ。

 ──よくよく考えてみたら、僕が昔住んでいたスラム街よりも治安が悪いんじゃないか? ここは。

 ここの事務員は僕のように前線に出て行く部隊に所属している人や、後始末担当のリストアから弾かれた人たちが放り込まれる掃き溜めのような職場らしいから、騒ぎが頻繁に起きるのだ。前二つは並外れた精神力が必要とされるから、そこから弾かれた人間にはその精神力がないと言える。だから薬物乱用に走ったり、暴力事件を起こしたりするのだ。

 報告書の整理や備品の発注、金策、内部での騒動の鎮圧、上からの圧力をのらりくらりと躱す、と業務内容は多岐に渡り、労働時間もとてつもなく長い。そのくせ給料は僕たちよりも圧倒的に少ないのだから、頭がおかしいやつの一人や二人が生み出されても仕方がない。

 この話を先輩から聞いたときには心底驚いたが、どこも似たような待遇なのをついこの間理解して、気にしなくなった。

「……まったく、どこの組織も真っ黒だなぁ。な? ナスチャ?」

 僕は頭に乗っているナスチャの両頬を引っ張りながらため息混じりに言った。

「そうだねー。でもどうでもいいよ、そんなの。才能がない人間は環境でフォローしないとどうしようもないのに、環境の運もなかったら救いようがないよ」

 ナスチャは僕の頭の上で羽を広げてバタバタと動かして呆れた顔をして答えた。

「……だとしたら僕は相当運が良いんだな。きっと前世はガンジーかマザーテレサの類いだったんだろう」

「たしかにきみの運が良いのは否定しないけれど、前世がガンジーやマザーテレサはないなあ、絶対に」

 ナスチャはねっとりと纏わりつくような悪趣味な笑みを浮かべて僕の顔を覗き込んだ。

「そんなことないだろ。まったく、酷い言い様だな、ナスチャ」

 僕は先ほどよりも強い力でナスチャの両頬を引っ張った。

「やー、離して! 離してってば! ほら、はよ離せって!」

 ナスチャは頭の上でバタバタと荒ぶって逃れようとするが、僕はそれを強引に阻止した。


 騒がしくしながら僕たちは自室に到着した。僕は棚に置いてあった袋に入っているナッツ類を平べったい皿に出して、ナスチャの前に置いた。するとナスチャは嬉しそうにそれをぽりぽりと食べる。

「ナスチャ、良い話をしてあげようか?」

 ナスチャは僕の話を聞かずに一心不乱にナッツを食べている。

「ナスチャ? 聞こえているのか?」

 ぽりぽり、という音が静かな部屋を満たす。

 僕は一度大きなため息をついて、

「話を聞けよ!」

 とまたしてもナスチャの両頬を掴み、力の限り横に引っ張った。

「いやー痛い痛い痛い! 食べているときに邪魔しないでよ!」

 ナスチャは顔を横に振って手を振りほどくと、僕には目もくれずにまたナッツを食べ始めた。

 ──そんなにお腹が空いていたのか……? なんか……ごめんな。

 僕はナスチャが食べ終わるまで近くで静かに待つことにした。

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