第120話 屍を越えて

 私は片膝をつき、頭を垂れ、

「お呼びでしょうか」

 と口を開いた。私の声が空間に響き渡るが、すぐに床や天井、壁へと吸い込まれていき、空間に異様な静けさが訪れた。

 私の前に黒い霧が突如として発生し、それが晴れたかと思えば、

「やあ、ケテル。元気にしていたかい? 体の調子は? 心の調子は? 大丈夫かい? 酷く落ち込んでいるようだけれど」

 と軽い口調で言うレオンが姿を現した。レオンは喉をくつくつと鳴らして笑っている。

「……理由は聞かずとも貴方なら分かるでしょう?」

 私は失礼のない程度にうんざりとした面倒だという感情を混ぜて言った。するとレオンは心中を隠すような笑みを顔面に貼り付けて、

「いいじゃないか、訊ねたって。私は君の上司なのだから」

 と飄々と言った。

 ──数百年も貴方の右腕として生き長らえていたから、そう言うことくらい分かっていましたよ。

 レオンは私に冷酷な眼差しを向け、頬をぽりぽりと掻いた。

「……分かりました、分かりましたよ。ちゃんと自分の口から話しますからこれ以上私の心を読まないでくださいよ」

「そうそう、最初から素直にそう言えばいいのだよ」

 私の困惑した表情を見たレオンは心なしか嬉しそうだった。私としては落ち込んでいる原因を知っている相手に対してわざわざ説明するのはストレスが蓄積するから嫌だったが、上司命令とあっては仕方あるまい。


 私がこうなったのは数日前のことだ。

 砂漠近くにある街で、マルクトがレオンの命令によって女一人と鳥一羽の殺害を試みたあの晩に、私はすべてを失った。

 いくら特異体の修復能力が高かろうと、マルクトならば糸で縛り上げて無力化して罪の館まで引きずってくることもできたはずだ。そうすれば私とレオンで袋叩きにして損傷する速度が修復する能力を上回らせて仕留めることができた。

 ──だがそれができなかった。すべてはあの女のせいだ。検閲された女のせいでマルクトは負けた。あの女さえいなければよかった。

 ──早くあの女を殺さないと。

 久しぶりに私の感情が揺れ動いた。長い間忘れていた人間だった頃に味わった嫌な感情だ。気持ち悪くて、悍ましくて、口に含んだ瞬間に吐き出したくなるような邪悪なものだ。

 ──早くやらないと。

 その感情は日を追うごとに膨張していき、私の体内を満たした。だがその膨張の勢いは止まらず、私の体は裂けて外へと流れ出たようだった。

 ──違う、最初にあの女が街に来たときに殺せばよかっただけのことじゃないか。

 自分の判断力のなさに頭がかち割れるほどの頭痛がした。レオンの私に対して出した命令では、あくまでもマルクトの戦いに手出しをするな、というものだったから、あの女が加わるのが確定する前に殺してしまえば、命令違反にはならないし、間接的にマルクトも助けられたはずだ。

 ──いやそうじゃない。もっと前に……私があの女に初めて会ったときに殺していれば……こんなことにはならなかった。

 数年前、未成年との性行為を撮影したポルノビデオ──いわゆる裏ビデオで私はあの女を見た。自分がするのは嫌だが、未成年の年端もいかない女の子が本来はしないであろう行為をしているのを見るのは、とてつもない高揚感が得られるから、私はそういったものを好んで見ていた。

 いつか私の思い描く理想の女の子が破廉恥な行為に及んでいるものを見つけるべく、片っ端から見ていた。

 そんなある日、あの女がまだ七歳か八歳の頃の映像を見つけた。それは今までに味わったことのないような不思議な幸福感を私に与え、麻薬のように私を虜にしたのだ。

 私はすぐにその女の子を所持している人間及び組織を壊滅させて、女の子を攫ってきた。それから適当に家族を持つ成人男性を選び、家族を殺すと脅して、私の命令を聞かせた。その命令の内容は当然ながら、私の前でその女の子こと性行為をするというものだった。

 最初は男性も嫌がって反抗していたが、男性の子供を攫ってきて目の前でその子の目を両方とも潰して食べてやったら二度と私に反抗することはなかった。

 久しぶりに味わう人間だった頃の幸福感を享受していると、どこから漏れたのかは分からないが、レジスタンスが駆けつけてきて、私のこの幸せな生活は音を立てて崩れ去った。

 レジスタンスを全滅させ、ついでに男性も殺しておいた。女の子に関しては短いながらも私の欲求を満たしてくれたから見逃して、私は姿を消した。

 すべてはこれのせいだ。このときに男性同様に女の子も殺していれば、私は大切なものを失わずに済んだ。

 ──次に会ったとき、あの女を三途の川に沈めよう。それでいい。まずはレオンが欲している現実改変能力を見つけ出して、私はそのおこぼれを頂戴すればいい。

 このように私は半ば死んだような状態でレオンの命令を達成すべく努力することになった。


 私の口から聞いたレオンはとても満足そうに笑って、

「精々、頑張りたまえよ。マルクトを死ななかったように現実を改変するために」

 と言って私を罪の館から解放した。

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