第117話 過剰な罰 前編
黄昏時、私は街を巡回していた。真新しいレジスタンスの制服を身にまとい、短剣を佩用して街を闊歩する。
初任務が終わり、次に与えられた任務は街の見回りだった。夜は吸血鬼の独擅場だから、そこから市民を守るのが私の役目だ。
「とはいえ……夜勤は疲れるんですよね……」
私は大きなため息をついた。
「そんなこと言わないでよ。これで悲しむ人が減るならいいことじゃん。アンジェラだってそう思わない?」
私の隣を歩く同期の少女が無邪気に笑った。それを見て私はまたしても大きなため息をついた。
「……どうせなにも起きないですよ。はあ……早く日が昇らないですかね……」
そう言って私は少女よりも意図的にゆっくりと歩いた。それを見た少女はうんざりとした表情をしたが、私には関係のないことだ。
しばらくは何事もなかったが、突然、耳をつんざくような叫び声が聞こえた。
「──何事?」
私が体を強張らせて音の発生源を探っているうちに少女は駆け出していた。
「待ってください!」
「待てない! 吸血鬼が出た!」
少女の言葉に私はまた大きなため息をついた。渋々少女の後を追うと、大きな通りに出た。人で溢れかえったその通りは阿鼻叫喚の光景だった。
道の中央には血溜まりができており、そこにバラバラになった肉が転がっている。それにもかかわらず少女は進んで人混みに突撃した。
──随分と血気盛んですね、彼女も。……まあ仕事ですから、私も行かなければならないのですが。
漂う血の臭いに思わず吐き気を催したが、それを押し込み、私は状況を確認しようと人混みに飛び込んだ。もみくちゃにされながら肉塊があるところへと辿り着くと、
「──キャっ!」
という少女の声と共になにかが弾ける音がした。私は脊髄反射でそちらを見ると、黒髪の長身の男性とバラバラになった同期の少女の肉塊が転がっていた。
「──は?」
──どうして、どうして死んでいるの? それも一瞬で。サーベルも抜かずに。
その先で小さな白い女の子がへたり込んでいる。男性は女の子に黒いうねうねしたものを向け、それは女の子の首に絡みついた。
女の子はもがいているが、首に絡みついたものは解くことができず、逃れられない様子だ。
──どうしよう。助けないと。私が? どうして? 嫌だ。駄目だ。やらないと。嫌だ。やって。嫌だ。早く。嫌だ。私のせいであの子は死ぬ。……いやだ。
私は大きく踏み込んだ。一拍のうちに数メートルを進み、佩用している短剣を抜くと、女の子の首に絡みついている黒い触手を切断して、女の子に体当たりをして男性から距離を置いた。女の子に意識はなく、私の腕の中でぐったりとしている。
──どうしよう。助けないと。でもどうやって? 医学なんて知らない。まず吸血鬼を倒さないと。どうしよう。どうしよう。どうしよう。
「……久しぶりですね、アンジェラ」
私の名を呼んだ。それが男性によるものだと気づくのに、私は少なからず時間を要した。
──なんで? なんで知ってるの? 私はあなたなんて知らない。
私は肺にある空気すべてを吐き出して落ち着かせると、平静を装って、
「──どちら様でしょうか? 私に吸血鬼の知り合いはいないのですが? それに少なくともレオンなんて男に名を名乗った記憶はありません」
と言って短剣を向けた。
「……そうですか。……そうですよね」
男性は自嘲するように笑い、喉をくつくつと鳴らすと、
「今日は君に免じてそちらの白化したお嬢さんは返しますよ。では──私はこれで」
と言って名残惜しそうにこちらを見ると、男性は近くの店の扉を開けて店内へと消えた。
「待ちなさい! どうして私の名前を知っているんですか?」
私はすぐさま男性を追って店の扉を勢いよく開けるが、店内に男性の姿はなかった。
──いない。
「い、今、背の高い黒髪の男性は来ませんでしたか?」
私が叫ぶように訊ねるが、店員は首を横に振った。表情や雰囲気からして匿っているようには見えなかった。
「…………やってしまいましたね。これではシェリルに怒られてしまいます」
私は大きなため息をついた。それから抱えている女の子を一瞥する。
──それにしてもこの子どもはどうしましょうか。とりあえずレジスタンス本部に連れて帰ればいいんですかね。ここに放置して帰っても後々問題になりそうですし。それに黒血に接触しているようですから、色々と聞き出さないといけませんね。
私は本部に戻り、リストアの派遣を要請してからシェリルのところへ向かった。
勢いよくシェリルの執務室の扉を叩く。
「シェリル! 入りますよ!」
『どうぞ〜』
入室の許可がされたから私はそっと扉を開けた。中には無駄に豪奢な執務用の机が置いてあり、シェリルはそこで真夜中だというのにもかかわらず、カロリーの高そうなケーキを食べていた。
「あんへら? ろうひたの? そんなにあわへへ(アンジェラ? どうしたの? そんなに慌てて)」
ふわふわのケーキを咀嚼しながらシェリルが言った。
「シェリル! この子を拾ったんですが、聴取に回せばいいですか?」
私がこの子どもの扱いを訊ねると、シェリルは咀嚼していたものを嚥下して、
「…………」
と訝しげな表情を浮かべ、無言で子どもを見つめた。次の瞬間、
「──ダメよ」
という声と共に私の腕の中で眠っている子どもが吹っ飛んだ。それだけではない。私の腕も巻き込まれて、肘から下が宙を舞った。
「──えっ?」
突然のことに理解が追いつかない中、シェリルが吹っ飛んで壁に叩きつけられた子どもに致命傷を与えようと拳を振り上げた。
「待って──!」
私は子どもに変な情があった。
腕に残る激痛に絶叫しながら、アドレナリンが過剰に分泌している私はシェリルに体当たりをして、子どもと距離を置かせた。私はシェリルと共にもつれるように床を転がる。
「アンジェラ! なぜ情が湧いたのかは知らないけれど、あの子はもう吸血鬼化しているわ! だから──だから殺さないと!」
血走った目でシェリルは私を睨みつけた。それはまるで獄卒のようで、背筋が凍りついた。
シェリルはすぐさま立ち上がり、再度子どもに攻撃しようとするが、
「──違う!」
と私は叫んでから額を床にこすりつけた。
「あの子は……私が……守るって……だから……」
──違う。もう大切なものは持たない。前に決めたじゃないか。
「だから──殺さないでください。お願いします、シェリル!」
そう言って私は懇願した。
──違う、違う、違う! 二の舞になるだけだ! やめろ! 関わるな!
「……それをするぐらいなら私を殴り飛ばしてでもこの子から引き離すべきじゃないのかしら? 頭を下げて望みが叶うなら誰も苦労しないわよ」
シェリルは一切の感情がこもっていない、恐ろしいほど冷たい声で言った。それ同時に瞳から黒い感情が滲み出た。
「……ではそうさせていただきますね」
私は小さく息を吐いた。目を閉じて脚に感覚を集中させ、全身の動力すべてを脚に向かわせると、一歩を踏み出した。
瞬く間にシェリルとの距離を詰めた私はちぎれた腕でシェリルの顔面を殴打しようとするが、それは届かなかった。私の腹に衝撃が加わる。内臓が押し出されて口から溢れそうになりながら壁へと叩きつけられた。
背中をしたたか打ち、肺の空気が絞り出され、唾液をだらしなく口角から零した。
「……やめ……て……」
歯を食いしばって痛みに耐え、壁を蹴って再度シェリルとの距離を詰めるが、今度は私の前に勢いよく開かれた扉に阻まれた。
勢いを殺しきれずに扉に激突し、蝶番が破損して扉ごと前に倒れていった。
すぐに私は起き上がり、部屋の入り口を見ると、そこにはホロコースト部隊に所属する女性が一人立っていた。白と黒が混じった長髪に真紅の瞳をした引き込まれるような美しい容姿をしている。
「……誰ですか、あなたは」
私が訊ねるが、女性は答えない。それどころか私に一切視線を向けず、ただ一直線にシェリルを見ていた。
女性は諭すように口を開いて、
「シェリル、その子を見逃してあげてください。……幸いにもその子は耐性があるようですから、一縷の望みにかけて薬を投与してみましょうよ」
とシェリルへ説得をした。
「……結局は同じ道を辿ることになるわ。そうなるくらいなら……今ここで殺してしまったほうがこの子のためだと思わない?」
「思いません。助けられる命は助けましょう。それに私だって考えています。その子なら──」
女性はこれ以上言葉を紡がなかった。
三人の視線が子どもに刺さる。子どもが目を開けた瞬間、女性が腰にある得物を引き抜き、剣先を子どもに向けた。
一触即発の凍てつく空気が空間に漂い、今にも空気を吸い込んだ肺が凍りそうだ。
だが誰も動かなかった。それはその子どもが目をこすりながら、
「お前らは誰だ? というかお腹すいたからなにかパンが食べたい」
と言い出したからだ。
「とても……」
「吸血鬼化しているとは……」
「思えない……」
私たちは顔を見合わせると各々が頷き、あたかも事前に打ち合わせをしていたかのように一斉に行動をし始めた。
そんな中、私は食堂に全力疾走で向かい、五つほどパンをくすねて、シェリルの執務室へと戻ってきた。その途中に会った白黒髪の女性──ミルドレッド・ガルシアによって腕は治してもらえて、無事私は復活することができた。
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