第110話 空腹は満たされた

 病室を後にした我々は院内にある面談室に移動していた。

 シェリル曰く、あの日、工場及び寮は吸血鬼に襲撃されたとのことだ。そこに居合わせた‘大人’は例外なく鏖殺されて、甚大な被害を出したのだ。──本当にあの場に居合わせなくて良かったと言わざるを得ない。それから少女に関しては吸血鬼の異能力に曝露して完全に聴力を失っているとのこと。

「……そもそも吸血鬼ってなんなのじゃ?」

 わらわの疑問はまずそこからだった。吸血鬼という存在は、小説で読んだことがあるだけで、空想上の生き物だと思っていたからだ。

「えっと……まあ、一言で言ってしまえば、悪い奴のことよ。人間を食らって生き延びるの。始まりは千年以上前ってね」

 シェリルの瞳にどす黒い悪意が顔を出した。

「は、はぁ……吸血鬼って長生きなのじゃな」

 わらわが困惑しているとシェリルは、

「まあ長生きもなにも、あいつらって特定の手段で殺さないと死なないから」

 と飄々とした態度で言ってのけた。

「えっ……じゃあどうやったら倒せるのじゃ?」

「知りたいの? 知ったところでなになるのかしら?」

 シェリルは冷たい声で言った。それに加えて目を始めとした表情には一切の感情が表れていなかった。

 生唾を飲み込み、腹をくくったわらわは、

「──わ、わらわが倒すのじゃ! あの人の耳を奪った悪い奴を!」

 と叫んだ。一切の不純物が混じっていない憎悪を言葉に乗せて。

「オーケー、その言葉が聞きたかったのよ」

 シェリルは持っていた鞄から一枚の紙を出して、わらわの前に置いた。それから紙の隣に万年筆を転がした。

 その紙が誓約だか契約だか同意書の類いだというのは分かったが、それがなにに対するものなのかが理解できずに困惑していると、シェリルがわらわの顔を覗き込むようにして見てきた。

「これは対吸血鬼組織であるレジスタンスの訓練生になるための紙。一応、同意の元に行なわないといけないでしょう? だから──」

 シェリルが紙の下のほうにある線の部分を指差して、

「──ここに名前を書いちゃって。それで同意したってことになるから」

 とわらわに万年筆を無理やり持たせられたから、わらわはそこに名前を記入した。──[Silvia Allen]と。


 一年の訓練期間を終えて無事に入隊試験に合格したわらわは、ようやくレジスタンスとして任務に従事することができるようになった。訓練生だった頃から毎月少なくないお金が入り、それに加えて食事はおかわり自由のパラダイスだ。わらわはそのような幸せな生活を送ることができて、それはもうとても嬉しかった。

 それで初任務を遂行したある日、わらわは少女のところに足を運んだ。この街は福祉が充実しているようで、聴力を失った彼女には質素な生活であればなんとか生活していくことができる程度のお金が支給されている。

 彼女が住んでいるというアパートメントハウスの一室の玄関チャイムを鳴らす。それからすぐに気がついて、どのように呼び出すかを考えていると、いつのまにか出てきていた。

「音が聞こえるようになったのじゃ?」

 そう言うと、少女は少し困ったように笑ったから、わらわは首を傾げて紙に文字を書いた。

『どうしてチャイムを鳴らしたのが分かったのじゃ?』

 ペンと紙を少女に渡すと、

『チャイムを鳴らすと連動して部屋にあるライトが光るようにしてもらったんだよ』

 とスラスラと書いていた。納得したわらわがコクコクと頷いていると少女が部屋に入るように促した。

 部屋はベッドと小さなテーブルと冷蔵庫があるだけで、非常にシンプルなものだった。ミニマリストがこよなく愛しそうなその部屋を見てわらわは眉間にしわを寄せた。

 ──冷蔵庫が小さいのじゃ。あれでは三日も持たないのじゃ。

 わらわは手土産に持ってきた茶菓子を渡し、椅子に腰を下ろしていると、少女が紅茶を淹れてくれた。それを口に運んでいると、少女が紙にまた文字を書き始めた。

『レジスタンスに入隊できたんだね。おめでとう、シルヴィア。一つ頼みたいことがあるんだけれど、聞いてもらえるかな?』

『わらわにできることならなんでもするから言ってみるのじゃ』

 そう書いた紙を見せると、少女は少し困ったような顔をして、なかなか次の文を書き始めない。

『わらわではダメなのじゃ?』

 するとようやく少女は決心したようで紙に書き始めた。

『あの日、襲撃してきた吸血鬼を倒してほしいの。背が高くて青い髪、碧眼の男性の姿をしてる吸血鬼。……悔しけれどとても綺麗な顔立ちだった。左目の下には[Chesed]って書いてあるから多分間違うことはないはず』

『分かった。わらわに任せておくのじゃ。必ず倒すからのう』

 書き終えると、文を見ていた少女は目から大粒の涙をポロポロと零し、わらわに抱きついてきた。わあわあ声を上げて泣いていたから、わらわはなにも言わずに少女の頭を撫でていた。


 それからわらわは少女の頼みに答えるために奔走した。片っ端から任務を受けて、あちこちを駆け回って吸血鬼を倒していった。いつか件の青い吸血鬼を倒すために。

 するとあっという間に昇格して、わらわがブラボー部隊になった頃、再びシェリルに声をかけられた。

「特異体に興味はないかしら?」

 わらわはその言葉を待っていた。それは喉から手が出るほどだった。するとその反応を見せたわらわに対してシェリルは悪趣味な笑みを浮かべて、わらわにこの特異体[砂嵐]の資料を見せてきた。

 こうして特異体と戦い、運良く同化することができたわらわは、これまでの戦績を加味してホロコースト部隊へと昇格した。

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