第106話 脆弱な肉体 後編
「常に動き続けるのじゃ! 何度言ったらそなたは理解するのじゃ? ほら、そこで止まるでない!」
シルヴィアは片手を僕のほうに向けて、指の関節一つ一つを細かく動かしながら声を荒げた。指の細かな動きで特異体を操り、僕に纏わりつかせる。
僕はシルヴィアの指示通りに動き続けるが、またしても既に体のいたるところに裂傷を負っており、動くことが非常に辛かった。
シルヴィアの同化した特異体──砂嵐──はその名の通り砂嵐を発生させるものなのだが、それはとても細かく、視認するのが大変困難なものだ。だから回避することも難しい。攻撃され、痛みからそれを察知することしかできない僕は対処が後手に回らざるを得ないから非常に不利なのだ。
皮膚が裂け、血液が滲む。その痛みから片膝をつけば、
「早く立て! 立つのじゃ! さもなくばそなたは死ぬぞ! それでもいいか?」
とシルヴィアに捲し立てられる。当然ながらこの間もシルヴィアは攻撃をやめず、容赦がない。
「いつまでも傷を開かせておくんじゃない! 出血していると上手く力が入らんじゃろう! 早く止血するのじゃ! ほら早く!」
──そう言うなら一旦攻撃を止めてもらえますかねぇ。……無理だろうから言わないけれど。
「わ、分かりました、分かりましたよ! やればいいんですよね! やってやりますよ!」
僕は脈動するような痛みを発する箇所の特定を始めた。
「さあ、集中して傷の程度を探るのじゃ。力を入れて血管を圧迫して止血する、分かっておるな?」
「もちろん……ですよ……」
僕は大きく息を吐いて集中する。しかしあまりにも傷の数が多く、一つ一つがかなり痛むせいで集中しようとしても妨害される。
「一度にすべて止血しようとするのがいけないのじゃ、そなたは。一つ一つ順番にしていけばよいじゃろうて」
シルヴィアは呆れた顔をして僕の顔を覗き込み、やれやれと言わんばかりに手をひらひらと動かした。
「分かってますよ、そんなこと。でも痛くてそれどころじゃないんですって!」
「そのくらい耐えるのじゃ。それができなければ特異体には勝てぬぞ。そなたも特異体の餌にはなりたくなかろう?」
シルヴィアが今度はねっとりと纏わりつくような悪趣味な笑みを浮かべ、僕の足を蹴った。それも脛を意図的に狙っており、蹴られるたびにとてつもない痛みが走る。
「なんで蹴るんですか! ただでさえあちこち痛くて集中できないというのに! ──というか餌ってなんですか? いや、そもそも特異体ってご飯食べるんですか?」
「そなたはうるさいのう……」
シルヴィアは一度ため息をつくと、
「そなたは知らぬのか? 特異体に餌を与えると良いことが起きるということを」
と今のご時世このような人間がいるのか、と衝撃を受けたような顔をして言った。
「初耳ですね、それは。食事を必要とする特異体は一つしか知りませんから」
「食事ではないぞ」
シルヴィアがぴしゃりと言った。
「餌を与えるってそういうことなんじゃないんですか?」
僕が首を傾げると、
「言語的にはそれで正解じゃ。褒美に撫でてやろう。ほら……なでなで……なでなで」
とシルヴィアに頭を撫でられた。僕が不服そうな顔をすると、シルヴィアはわざとらしい咳払いをして続けた。
「餌を与えるというのは、人間を差し出すということじゃよ。要は隠語じゃ。インテリゲンツィア限のな」
「差し出す……?」
「そなたも随分と察しが悪いのう。差し出すとは生贄のことじゃよ。特異体というものは人を特異性に巻き込むことで活性化するのじゃ」
「…………」
──そのような重要なことのはずなのに、一言も言われなかったし、書類にも書かれていなかった。
「そなたも一つ賢くなったのう。良かった良かった。だから──」
シルヴィアが片足を後ろに下げ、
「──早くそなたは止血せんか!」
という勢いのある言葉と共に、片膝をついている僕のみぞおちに渾身の蹴りを入れた。体が浮いて後ろに転がる。つま先が胃を抉り取るように入ったせいで胃の内容物が込み上げたが、それをなんとか外に出てこないように抑えた。しかし──。
「……そ、そんな……酷い……じゃない……ですか……シルヴィア……僕は……普通の……人間……だから……こんなこと……したら……」
──限界に達した僕は意識を失った。
意識が戻る。僕がいたのはレジスタンス本部にある医務室だった。清潔感のある白い部屋。ふかふかのベッドに洗濯したての良い香りのする掛け布団。
──幸せだ。
僕は寝たまま目だけを動かしてキョロキョロと辺りを見ると、僕が覚醒したことに気づいたシルヴィアが心配そうな顔をして僕の顔を覗き込んだ。
「あ、おはようございます、シルヴィア」
目覚めの挨拶をすると、
「……すまんかったのう」
とシルヴィアは申し訳なさそうにちょこちょこ僕から視線を逸らしながら言った。
「え? なんのことですか?」
──正直、シルヴィアには色々と文句を言いたかったが、それをしてしまっては大人気ない気がしたから黙っておくことにしよう。
嫌味なほどあっけらかんとした表情を見せると、シルヴィアはなにやらごそごそと制服のポケットに手を突っ込んだ。ようやく目的のものを手にしたらしく、それを勢いよく僕に差し出す。
「これは……?」
シルヴィアの手にはプラスチック容器に入ったプリンとスプーンがあった。
「……わらわの夜食にしようとしていたものじゃ。……そなたにやる」
恥ずかしそうに視線を逸らして渡してくるものだから、僕も心なしか恥ずかしくなってきた。
「あ、ありがとうございます」
僕は受け取ったプリンを早速食べ始める。濃厚な甘さが口に広がり、味蕾に纏わりつく。しかしそれも流れていき、後味はさっぱりとした甘味でくどくなかった。
「これ、とても美味しいですね。どこの店のなんですか?」
「ああ、これはのう──」
ネツァク戦から帰還した僕がシェリルに振る舞われたケーキと同じ店のものだということが分かった。
「……それにしてもシルヴィアはよく食べますね、本当に。こんな時間にそれだけの量を食べたら消化不良を起こしませんか?」
僕は呆れた表情でシルヴィアを見た。そのわけはシルヴィアが持参したカップラーメンを啜っていたからだ。それもこれが三つ目なのだ。どう考えてもさすがにこれは食べすぎだろう。この小さな体のどこにそれが入るスペースがあるのか甚だ疑問である。
「大丈夫じゃ。わらわの消化器は強いからのう。昔、ろくに食べられなかったその反動で食べているだけだから、心配するでない」
「……僕も大概食べてこなかったですけれど、そこまでは食べませんよ」
「なんじゃと! そなたはまだ成長期じゃろう? ならばもっと食べなければならぬ! ほら、もう一個カップラーメンがあるから食べるのじゃ!」
どこからともなくシルヴィアは第四のカップラーメンを取り出した。
「いらんですよ! 僕はプリン一個で十分ですから!」
「食べなければ貧相な体のままじゃ! 出産ができぬ体になってしまうぞ!」
「いや本当にいらんですから!」
「そんなこと言うでない! ──ならばわらわが食の重要性を教えてやろう! 耳の穴をかっぽじってよく聞くのじゃ! 今晩は寝かせぬぞ!」
「そんなぁ……」
こうして僕とシルヴィアの長い長い深夜が始まった。
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