第79話 形勢逆転 中編
人間にはある機能が備わっている。それは耐え難い痛みを感じた際、それから逃れるために反射的に脳をシャットダウンするというものだ。
必死に足掻いて叫んでいたモニカの意識は途切れ、先ほどとは嘘のように静かになった。ぐったりとうつ伏せに倒れたまま反応しなくなった。
吸血鬼は体重をかけ続けているが、モニカが失神したことによって反応しなくなったため、踏んでいた足をどかした。──否、どかさざるを得なかった。遠くに吹っ飛ばしたはずのセシリアが復帰して首を落とそうとクレイモアを薙ぎ払ったのだ。
寸前で仰け反ってそれを回避すると同時に吸血鬼は倒れているモニカを担ぐと、セシリアと距離を置いた。
吸血鬼は片手で軽々と担いでいるモニカを人差し指でつつき、
「私を攻撃したらこれを使う……」
と面倒くさそうに脅した。
「モニカを返せ!」
ヴェロニカも駆けつけて拳銃で吸血鬼の顔面を殴り飛ばした。硬い金属が鈍い音を立てながら頬にめり込んでいく。
よろけながら数歩後退りして殴られた頬を撫でながら口に溜まった血液を吐き出して、
「銃は撃つものですよ」
と呆れながら言った。その様子からヴェロニカの打撃はまったく効いていないように見える。
「打ってもまた撃てれば問題ない」
ヴェロニカは即座に銃口を向けて迷いなくトリガーを引いた。弾丸が吸血鬼の頭部に吸い込まれるように飛んでいく。刹那、吸血鬼は体を少し捻り、担いでいたモニカを盾にした。モニカの臀部の柔らかい肉を螺旋運動するパラベラム弾が抉っていく。
意識を失っているモニカは撃たれたところで反応しなかった。
「早くしないとこの子は死んじゃう……でも……腸を損傷させたから……助け出せたとしても敗血症で死ぬのがオチだと思う……」
続いてセシリアがクレイモアを振り下ろした。しかし刃は片手で防がれ、セシリアの力を利用して手から抜き取ると、後方に投げ捨てた。
「私たちには勝てないですよ。だからそろそろ諦めてくだ──」
言葉が途切れた。
吸血鬼の額から剣先が見える。
「……死なない限りは……負けじゃない」
モニカは不健康なほど青白くなった顔に荒く小刻みな呼吸で言葉を紡いだ。手にはサーベルが握られており、それがうなじから脳幹を貫くように刺されている。
「よくやったモニカ!」
セシリアは飛ばされたクレイモアを回収してからモニカを吸血鬼から奪い返そうと手を伸ばした。
体が痛まないようにそっと抱きかかえようとするが、モニカの体は吸血鬼の肩から離れなかった。力尽くで離そうとすると、
「痛い! 痛い痛い痛い!」
とモニカは反射的に絶叫した。
少しだけ浮いた部分を目の当たりにしたセシリアは言葉を失った。それはモニカの腹部から納豆が糸引くように水色の粘液が出ており、吸血鬼の肩に繋がっていたからだ。
「……もうダメみたい」
モニカは薄幸に笑って、
「どうか……負けないで……」
と言って全身の力が抜け、体は糸の切れた操り人形のように崩れた。一方で吸血鬼の体はまだ崩壊していない。
確かにモニカは脳幹を貫いていた。──セシリアの背中に嫌な汗が伝う。
セシリアが咆哮にも似た叫び声を上げると同時に脊髄反射で吸血鬼の首を落とそうと、モニカに当てないように振り下ろした。
しかし刃は吸血鬼に当たる前に水色の触手で防がれた。
「気づきましたか? だから私たちには勝てないと言ったのですよ」
吸血鬼は悪趣味に笑った。一拍置いて、水色の触手が布のように面積を広げ、モニカも一緒に吸血鬼の体を覆った。危険を察知したセシリアはとっさに後方に跳躍して距離を置いた。辺りの砂は吸血鬼へと吸い込まれていき、見る見るうちに吸血鬼だったものは砂の巨人へと変貌を遂げた。
「おいおい……嘘だろ……」
セシリアの口から無意識に言葉が漏れた。クレイモアを握る手から力が抜けそうになるのを必死に押さえて見上げている。
そこへナスチャやヴェロニカが来た。
「急所がないなんて聞いてないよ」
拳銃を握りしめて青ざめた表情でヴェロニカが言った。
「もしもあったとしても、とてもじゃないが切る自信はないな」
セシリアの声は震えていた。それを聞いたナスチャが、
「セシリアは助かったし逃げようよ。モニカは……仕方がないけど必要な犠牲だと思って……ね?」
と言ってセシリアの足をつついた。
「どうでもいい人間だったらそうするが、モニカは仮にも同期だ」
吐き捨てるように言ったセシリアは濃厚な殺気を纏い、クレイモアを握る手に力を入れた。
「それにシェリルの言葉を忘れたの? 死んでも殺せって言ってなかった?」
ヴェロニカは片手で持っていた拳銃に、もう片方の手を添えて語気を強めて言った。
二人から反論されるとは思っていなかったナスチャはその場でパタパタと羽を広げて、
「分かったよ。手伝うからアレを倒そう!」
と不服そうに言った。
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