53_入院観戦@2



「よかったー。まだどっちも点数とってない」


 晴人はるとが安堵の声を漏らす。テレビ画面の情報によると、これは『川南かわみなみベルフロン』対『大和やまとアルッズ』の試合で前半五分時点で両者無得点。

 観客席は水色が目立っていた。ベルフロンのチームカラーだ。


 俺はサッカーは代表戦をたまに見るくらいだった。けれども、晴人と一緒に観戦することが度々あり、今では国内チームの名前を大体覚えている。勿論、オフサイドがどういう反則かも知っている。



「晴人はどっちを応援してるんだ?」


 垣峰かきみねさんがテレビを見ながら尋ねた。


「今はベルフロン! おじいちゃんが好きなチームなんだ。僕が一番好きなのは『伊郎いろうサンタデス』だけど、ああ惜しい!」



 ベルフロンの選手が放ったシュートはゴールポストの上を超え画面外へ飛んで行った。画面がシュートを放った金髪の選手に切り替わる。彼はピッチに唾を吐いていた。


「じゃあ、ベルフロンとサンタデスが試合したらどっちを応援する?」


 また垣峰さんは意地の悪い、手垢てあかまみれた質問をぐゅ。


 わき腹を肘で突かれた。思考を読むなんてプライバシーの侵害だ。



「うーん。ベルフロンに勝って欲しいけどおじいちゃんが落ち込むのもやだし、その試合は引き分けがいいな」


 晴人の百点満点の回答に胸が温かくなった。俺は右手を伸ばし頭を撫でる。


「晴人は優しいねー。お姉ちゃんちょっとウルっときちゃった。でも、晴人。もっと自分に甘くなってもいいんだぞー。子どもの特権なんだから」


 うん、わかったと、晴人は生返事をする。もう試合を視るのに夢中になっている。両手をギュッと握り太ももの上に押し付ける姿は紛れもなく普通の子どもだ。


「ところで垣峰さん。仕事はいいんですか? 俺が来る前からここに居たみたいですけど」


「何言ってんだお前」

 垣峰さんがこちらを向く。


「今まさに仕事してんじゃん。楽しくてじゅーだいな仕事だ」


「失礼しました」


 晴人と過ごすことは重要な職務だと思う。けれど、晴人に付きっきりってのはどうなんだ?  他の同僚にしわ寄せがいってるんじゃないか?



「あー! シュート決められちゃった」


 晴人のがっかりした声を聞いて視線をテレビに戻した。オレンジ色のユニフォームを着た選手が観客に向けて謎の踊りを見せつけている。ゴールを決めたという事実が無ければ侮辱罪で訴訟されても仕方ない振付だった。


『大和アルッズ』の横の数字がゼロからイチに変わった。



「このままじゃおじいちゃん、がっかりしちゃうよ」


 サッカーは野球やバスケよりも一点あたりの価値が重い、とサッカーにわかの俺は考える。代表戦を見てても先制点が決勝点になることは珍しくない。


 つまり、一点を取られた時点で残り時間がどれだけあろうと、負けそうなピンチにある。晴人のピンチなら俺の出番だ。



「大丈夫だ晴人。俺も応援する。今から俺は立派なベルフロンのファンだ」


「みんなで応援しような、晴人」


「うん、みんなで応援しよう!」


 目線をテレビに釘付けにしたまま晴人は応えた。



 その後、俺達はボールの行方に一喜一憂した。チャンスには前のめりになって固唾かたずを飲み、ゴール前のピンチには悲鳴をあげ、大袈裟な痛がりには文句を垂れた。

 ちょっと背中を押されただけでは、人はあんなにゴロゴロを転がらない。


 これを応援と呼べるかは賛否両論ありそうだが、スポーツ観戦の醍醐味だいごみである一体感を味わえた。そして俺達の思いが結実したのか、最終的には二対一で川南ベルフロンが逆転を果たした。


 後半四十分の逆転ゴールには病室にあるまじき歓声が響き、三人でハイタッチを交わした。毎週スタジアムに足を運ぶ人がいるのもうなずける、歓喜の瞬間だった。



 □



「あたしはそろそろ仕事戻るから二人で仲良く過ごすんだぞ。晴人、おにいちゃんをよろしくな」


「うん。垣峰さん、またね」


 垣峰さんが退室した。仕事に戻るって、やっぱり今までは遊びだったんじゃねーか。


「さっきの試合面白かったね。清美せいびのシュートがカッコよかった!」


「だな。でも巣手からてのファインセーブも凄かったな」


「あれもカッコよかったね! 横にとんでバシッって止めて」


 晴人は横に倒れ、キーパーの真似をした。


「本当、晴人はサッカーが好きだな。家族全員サッカー好きなのか?」


「お父さんと僕はサッカー好きだけど、お母さんはプロレスの方が好きなの。僕はプロレス苦手」


 なんと。あの上品でうるわしい晴人の母上と俺との間に共通の趣味があったとは。人は見かけによらない。でも、母上が試合会場でブーイングや激を飛ばす姿は上手く想像できない。


「どうしてプロレス苦手なんだ?  筋肉ムキムキでカッコいいだろ?」


「だって皆乱暴だし、顔怖い」


 晴人らしい平和な回答だった。


 晴人の言う通り、業界最大勢力の「ネオ日本プロレス」のレスラーには強面や奇抜なファッションのレスラーが多い。中には睨んだだけで街のチンピラを失禁させそうなおにがおの持ち主もいる。

 晴人が怖がるのも不思議じゃない。



「おかあさんは誰が好きとか言ってたか?」


 次に会った際の話のタネを仕入れておく。


「うんとね、ながもと? って人が好きみたい。とっても背が高い人なんだ」


「そうなのか。長本ながもとかそっか」


 軽い気持ちで聞いたら、ヘビィな答えが返ってきた。ハッキリ言って年季が違った。


 長本と言えば第一次プロレス興隆期に活躍した伝説のレスラーだ。もうとっくに現役を引退し、今はハンバーガー屋で一山あてている。知ってるのは名前だけで俺は試合を見たことはない。


 そんな偉大なる先人を一番好きなレスラーに上げるということは、母上、筋金入りだ。

 これでは趣味が同じでも知識の差で圧倒され、会話をしても弾みそうにない。



「あーあー。サッカーの試合見に行きたいなぁ」


「そうだな。スポーツは生で見た方が楽しいもんな」


 なら早く元気にならないとな、と腐った定型文が浮かんだ。




 早く元気にならないと? 




 晴人は一生懸命病気と闘っているのに、これ以上どう早くしろというのだ。

 一体どんな魔法を使えば今以上の効果を上げられるのだ。



 無責任な励ましはしたくなかった。


「スタジアムでみんなで歌ったり手を叩いたりして応援するんだ。楽しいよ!」


「あの賑やかなヤツか。難しそうだな」


「簡単だよ! うんとね、まずは手をこう手を叩いて」


 規則的に手拍子を打ちながら晴人は歌い出した。今日も滅菌の香りが漂う病室に、サッカーチームの応援歌が静かに波打つ。

 ガンバレーの掛け声とともに晴人は両手を開き前に突き出した。


「これで終わり。どうだった?」


「うまいもんだな。これを大勢でやったらすごい迫力だろうな。スタジアムが揺れるんじゃないか?」


 あまりいいコメントじゃない。


「うん! きっと揺れてとっても盛り上がるよ! 」

「そうだ! 今度試合観に行くときは、おにいちゃんも一緒に行こうよ! 絶対楽しいよ!」


 無邪気な笑み。


 これまでもサッカー観戦の後、こういった誘いを受けることはあった。

 誘う形をとっているが晴人の中では俺と一緒にいくことは恐らく決定事項になっている。



「それはいい考えだな」


 晴人と一緒にサッカー観戦。きっと楽しい思い出になるだろう。二つ返事で了承したいが、明確な返事は避ける。それが俺の精いっぱいだ。


「でしょ! お父さんにもお願いしとかなきゃ。楽しみだなー。サンタデスの試合でいい?」


「晴人の好きな試合でいいよ。俺はサンタデスの対戦相手を応援するから」


「ダメだよー。一緒に応援するんだから。応援合戦はダメ!」


 晴人は両腕をクロスさせ大きなバッテンを作った。袖が少し下がり細い手首が露出する。


「分かった分かった。俺もサンタデスを応援するよ」


 スマホで現在時刻を確認する。十六時ちょい過ぎ。もう三時間弱経ったのか。


「それじゃあ晴人、俺そろそろ帰るからな」


「えー、もうちょっと居てよ。サッカーの話しようよー。おにいちゃんのスマホでサッカーの動画見たい」


 晴人の顔が不満一色になる。ただ、こちらも一発で突破できるとは思っていない。

 しかし、今日の俺は決して情に流されない。潤んだ瞳でお願いされても心を鬼にして背中を向ける。


 でも、この間みたいに泣かれたら迷わず残る。


「今日はもう終わりだ。そろそろお母さんが来るんじゃないか?」


「お母さんとはサッカーの話出来ないもん」


「俺もそんな詳しくないって。サッカーのゲームあったろ? あれでハットトリックでも決めて満足してくれ」


 スマホで時刻表をチェックする。十六時半の電車が直近だが、余裕持って四十分の電車にするか。



「もうゲーム飽きたよ。難易度ヘルでも弱いもん」


「晴人もうそんなに強くなったのか。じゃあ今度対戦でもしような。また来るからな、ってどいてくれ」


 スマホを持った俺の右腕を押しのけ、晴人が膝の上に座った。背中を俺の腹にくっ付けてくる。こいつ、実力行使にでやがったか。


「晴人、重い。どいてくれ」


 重かったらどれだけ安心したことか。


「やだ。どかない」


 ならこちらも応戦するまでだ。


「晴人、最終警告だ。今すぐ降りなさい。さもないと」


「さもないと?」


「こうだ」



 ふぅーーー



 息を吸い込み、晴人の無防備な左耳目がけ吐き出す。晴人の両肩が上がる。


「ひっ、くすぐったいよ!」



 ふぅーーーー



 問答無用でもう一度吹きかける。晴人の背筋が反る。


「やめて、くすぐったい!」


「膝から降りるまで続けるからな」


 ふぅーーー

 ふぅーーーー

 ふぅーーーーー



「降参こうさーん! ストップストップ!」

 と口では言いながら晴人は一向に降りる気配を見せない。それどころか身をかがめ次の息吹を楽しみに待っている。


 俺は俺で大学生が小学生(男子)の耳裏に息を吹きかけている事実に愕然としてしまい、これ以上の送風は不可能になった


 小学生(男子)が特にヤバイ気がする。

 北風作戦は童話の通り失敗に終わった。

 


 トントン



 背後から扉を叩く音がした。垣峰さんはノックなんてしない。自分の部屋に入るように無遠慮にやってくる。時間帯を考えると、扉の外にいるのはあの人か。


「晴人、調子はどう? まぁ高柴さん、今日も来てくれたんですね」



 先端が軽く巻かれた茶色の長髪、白い肌に大きな目、おっとりとしながらも気品の良さを感じさせる美人、この人こそ晴人の母親、りんさんである。










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