15_安い蕎麦屋は素晴らしい@3


「ごちそうさまでした」

 両手を合わせ、今は亡きそばへ感謝を飛ばす。


「いやー美味かった。おかわりしたいくらいだわ」


 コップを取り、氷の溶けきった水を飲む。


「ぜひともしてくれ。今なら天かすサービスするぜ」何ならネギも。


 おやっさんが下手な営業を仕掛けてくる。


「もっと食べたい、って時が切り上げ時。おやっさんが言ったんじゃん」


「そんな商売人にあるまじき愚言、俺は絶対教えてない」


 おやっさんは胸を反らす。切り上げ時のアドバイスも似たような姿勢で言ってたぞ。


 デジャブを覚えつつ、スマホを取り出す。

 何件かのメッセージを受信していた。


「お」


 その中に、久しい名前があった。


「何だい、もしかして彼女からかい?」


 両手の爪を眺めながら、おやっさんが質問形式で小馬鹿にしてくる。


「違わい。野郎からだよ。音楽関係の」


 顔が浮かぶ。最後に会ったのはいつだったか。


「そういや、あんちゃんは小説の前は作詞をやってたんだよな。今も書いてんのかい?」


「書いてはないけど諦めてもないよ」


 懐かしさを覚えつつ返信をする。


「小説の方は順調なのかい?」


「おう、絶好調よ」


 小説に関してはマイナスの発言を禁止している。


「頼もしい限りだ。賞レースの結果も期待できるな」


「任せてくれ」


 処女作を二ヶ月前に書き終えた。


 隣に引っ越してきた美少女に付きまとい、悪の組織を改心させる話だ。

 書き上げた時は

「どの賞に応募しても大賞受賞間違いなし」と荒縄のような手ごたえを感じた。


 そして、二週間前、処女作を業界で一番有名な賞レースに応募した。

 投稿ボタンをクリックするのには、小説を書き上げるのと同等の精神力を要した。


 結果はまだ発表されていない。


「受賞したらサイン書いてくれよな。店に飾るからよ」


 おやっさんは座敷ざしき席へ視線を送る。恐らく色紙をどこに飾るか考えているのだろう。せっかちな人だ。


「もちろん本も買うからな。んで、一番に読んでやる」


「それは勘弁してくれ」


 右手を前に出し、ストップをかける。


「何でよ? 小説は誰かに読んでもらうために書くんだろ?」


 おやっさん至極まっとうな意見を述べる。


「まぁ、それはそうなんだが」


 物事には対象精神年齢というものがある。それと、ターゲット層。


 今回俺が描いた小説の対象精神年齢は十代から二十代。脳みそお花畑な中高生と、精神が中高生な大人、両者とも男性をメインターゲットに据えている。


 精神的若者を購買層と想定しているため、内容も少なからずそれ向けになってしまう。


 言ってしまえば、美少女とエロだ。

 ラッキースケベだ。


 いつの時代も若い男はそれだけなのだ。


 だから、歳を食って魂が成熟した人や、身も心も社会人になり果てた人達には欠片も面白くない。

 子どもが熱心に見ている『どらうえもん』をほとんどの大人は見ない。それと同じだ。


 おやっさんはアニメ映画の「コスセロ」を面白いと言っていたが、あれとこれは似て非なるもの。あっちがあっさり醤油味なら、こっちはこってりトンコツ煮干し味だ。


もし受賞作を読まれたとして

「俺には分からねぇ内容だったけどよ、大賞獲ったんだろ? すげぇじゃねぇか」


 と大人のコメントをくれたとしても、魂の距離は今より数メートルは遠くなる。そばの量も若干減るかもしれない。



「おやっさん、それは受賞してから決めよう」


 終戦を申し出る。


「分かった。でも結果は教えてくれよ」


 とはいうものの、おやっさんの視線は座敷席から帰還しない。まだ色紙を飾る気だ。

 俺のライトポルノ、もといライトノベルを読む気だ。


 よし、ここは金の力で解決しよう。


「おやっさん、お勘定」


「はいよう! ざるそばひとつで三百円!」


 おやっさんの視線は、目にもとまらぬ速さで戻ってきた。差し出された手には勘定用の軍手がはめられている。

 財布から五百円玉を取り出し、軍手に落す。


 はい、二百万円のお釣り、軍手から百円玉二枚が右手に落とされる。


「あんちゃん。まだその二つ折り財布、使ってんのか」


「あぁ。ガタは来てないし、使い心地もいいからな」


 俺は黒色の財布を軽く上げる。高校二年から使い続けてる財布だ。


 千円ぽっきりという怪しい値段と、聞いたこともないブランド名というダブルリスクを突破して購入した。

 その結果は大満足だ。

 勇気あるものに、女神は微笑む。


「財布は変わらねぇが、あんちゃんは大分変ったよな」


 おやっさんはしみじみと独り言のようにこぼす。


「服装も、昔は野暮やぼったい張り切りファッションで田舎の土の匂いさえしそうだったのに、いまはジャンパーなんか羽織ってあか抜けて洒落てる。そろそろネックレスとか付けだしそうだ」


「ジャンパーじゃなくてジャケットね、ジャケット。あと、ネックレスはこの先も付けないから。あんな邪魔臭そうなの」


 犬猫じゃあるまいし、何で首に輪っかを付けるんだ。


「それから話し方も変わったよな。初めの頃なんかは、言葉遣いも柔らかくて初々しくて、もっと可愛げがあったのに」


 おやっさんは軍手を外し、流れてもいない涙を掌で拭う。一昔前の演技だ。


「一人称も『ぼくちん』で、微笑ましかったのに」


「それは微笑ましいのか?」



「おやっさん、ご馳走様でした。やっぱ、おやっさんに話聞いてもらえてよかったよ」


 帰宅支度を済ませ、最後に挨拶をする。


「おう俺も」


 言葉の途中で突然おやっさんが咳き込んだ。

 ゴホッゴホッと重い咳が続く。


 俺はカウンターにあったピッチャーでコップに水を汲みおやっさんに渡す。


「おやっさん! 大丈夫か!? これ飲んでくれ!」


 おやっさんは水を受けとると一気に飲み干す。しばらくすると呼吸が落ち着きを取り戻した。


「おやっさん平気か?」


「あぁ。もう大丈夫だ。心配かけたな」


「病院とか行くか?」


「大丈夫だ。みんなどこかしら痛いもんだからな。俺くらいの歳になればなおさらだ」



 そう言うとおやっさんは大きく息を吸った。いつも元気百倍のおやっさんが今はか細く見えた。


「でもあんちゃんが今度から三百円のざるそばじゃなくて、特上えび天を注文してくれるなら」


「この場でバク宙だってできそうだなぁ」


 おやっさんはそう言うと口の端を少しあげる。


「大賞獲ったらえび天でも、かもせいろでも、頼みまくるよ」


「そうこなくっちゃ!」


 おやっさんの声に室内の照明が明るさを増した気がした。


「それじゃあんちゃん、 また来てくれよな」


「勿論。でも本当に体調大丈夫か?」


「こんなん屁の河童よ。本当に辛いときはちゃんと悲鳴あげるから安心してくれ」


 おやっさんは笑顔だったが俺はそれがかえって心配だった。


「わかった。今日はこれで。女将おかみさんにもよろしく」


「よければそれは直接言ってやってくれ。二階でテレビでも視てるはずだからよ。あんちゃんに会えばあいつもちょっとは若返るかもしれん」


「おかみさんは十分美人じゃん」


「美人と魅力的は別物だ」


 おやっさんは天井へ視線を流す。つられて俺も天井を見る。




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