5

 あの春の夜、私を使用しようとしたこの男を私が逆に利用した。

 結果は失敗だった。河本は仕留め切れず、そしておおよそ現代にいてはいけないような剣の腕を持つ冬馬さんに私は殺されかけた。

 けれど、何の因果か私は生きてしまった。

 それはきっと、今、隣で落ち着いたようにコーヒーなんか飲んでいる沙華さんをはじめ、世間から爪弾きにされるような存在の私を拾ってくれたあの店の人たちと出会うため、そして、今度こそ真実を知るためなんだ、と今は思う。


 真実を知った後どうするかは分からないけれど。今はただ、ほんとのことが知りたい。

 それが、たとえ私にとっては知らない方がいいことであっても。




 観念した様子でテーブルに向かって俯き、いつかの夜、血に濡れた私を見て怯えていた様子と重なる男とテーブルを挟んで対峙する。

 私達が急に乗り込んできた時、どこかあきらめたような、張り詰めた糸が切れたような表情を浮かべていた目の前の男が小さく息を吸う。


「ここに書いてあることは……事実です」

 渦中のキーマン高城篤志が、谷川さんの執念の取材によって積み上げられたであろう分厚い資料の山の中身を見て、絞り出すように言葉を零した。


「でも、貴方が嘘をついている可能性だって否定できない。ですよね?七星建設本社第三営業部次長の高城篤志さん」

 芝居がかった口調で改めて問い詰めるようなそぶりの谷川さんの表情はいつもとは違い真剣そのもので、この人もこんな真面目な顔できるのかと失礼ながらに関心する。


「ははっ……。他の人ならともかく、貴方が相手では嘘の並べ立てようがありませんから、谷川ひさしさん。それと、咲良ちゃんだったかな?」


 乾いた笑いで改めて、事実だと認めている様子は、さながら取り調べを受け、自供している容疑者だ。


 そして、改めて谷川さんの数年の努力が垣間見える資料に目を通した高城は、静かに話し始める。


「私は河本先生が計画した公共事業の入札役でした。入札前に入札額を調節していました。他社が取れないような内容の物も含めてね。そして、仮に利益が取れないときは、他の優良案件を優先的にうちの会社に回してくれました。私の実績としてね。おかげで私もこの歳で次長なんていうポストになれましたよ……ははっ」

「それで?」

「話がそれましたね……。話の続きですが、工事の予定地の地上げをするのが、ここに書いてある通り、倉田興業という企業です。倉田興業というのは建て前で、実のところは法律のおかげで表舞台に出て行けない人たちですよ。それは、谷川さんくらいの人なら当然調べはついてるんでしょうけど」


「まぁ……そうですね。あの爺さんも過激派というか武闘派なところと付き合っているようで。おかげで私も何か月か前に下手こいて一発もらっちゃいましたよ」

 そういって、谷川さんは、以前打たれたと背中をトントンと指で指し示す。

 高城は、無理をして苦笑いを浮かべているのがありありと伝わるくらいに口角が上がっていた。


 私はこの人のことをどこか買い被っていたのかもしれない。

 本当の姿はきっと、不器用で、それでもなお会社にしがみつき、出世という頂を目指す普通のサラリーマンとなんら変わりがないように思えた。

 今も、どこか言いにくそうに、しかし、一拍息を吐く。

 そして高城の口元が再び動き出す。


「これは、言っていいのかは……、分かりませんし、私の個人的な意見でしかありませんけど、河本先生は私達を使って自分の理念の為に治水の為のダムを全国に作ろうとした。私は会社で今のポストを得るために、倉田興業の人たちは表立ってシノギができる。私達は私欲の利害関係のみの関係だった。今はそう思います」

「話してくれてありがとうございます」

「いえ、もう私はやめるんです。いつかは歪みが来る事くらいわかってましたから。この会社もこの業界もやめるんです。だから、最後の禊のようなものです。自分勝手ですけどね……」

「そうですか」


 否定も肯定もしない谷川さんはこの件に憎悪や個人的な感情があるようには思えなかった。ただ、己のジャーナリズムのため。その言葉に嘘偽りはなかったのだと、少し薄まったアイスコーヒーをすすりながら思う。


 それからの時間は淡々と過ぎていった。

 河本や高城、さっき名前の挙がった倉田興業という反社の勢力以外にも個人・会社の名前が飛び交っていたが、高城は憑き物が取れたように穏やかな表情で谷川さんの質問に答え、谷川さんはぶつぶつと何かをつぶやきながらメモを取る時間が過ぎる。


 しかし、谷川さんは一体何者なのだろうか。新たな疑問がふつふつと頭の中に湧き出て来た時だった。淡々とした時間が途切れるように、谷川さんの声。


「最後に一つ」

「なんなりと、もう隠す事はありませんから」


 すこしばかり、言い方を考えるようなそぶりを見せ、言いあぐねたように谷川さんが言葉を漏らす。


「穂高冬馬の事について。高城さんは何を知っていますか?」

「……」

 あれほど簡潔に、そして素直に答えていた高城が初めて言いよどむ。

 そして、宙を見つめ、少し考えるようなそぶりの後、斜め前にいる私を見据えて、視線が交錯する。


「……正直な話、あの子の事は、私にはわかりません。ただ……先生のお気に入りです。そして、剣の腕も立つ。けど、それだけ。煙草以外の嗜好が見えない。あの歳のは私は、まぁ、ひねくれてはいましたが、あんなにも無じゃなかった。あの子の心の内は、きっと真っ暗で冷たい。色々な事を諦めてきた人。それ以外の事は分かりません」

 

 その言葉は私に言ったのだろうか。

 でも、そんな事言われなくてもなんとなく分かるし、気づいてるつもりだ。

 冬馬さんの優しさは、きっと自分が傷ついてきたことの裏返しだと思うから。


 その夜、私は生まれて初めて便箋と便箋に合わせた紫陽花柄の便箋を買った。

 いくら眺めても既読のつかないメッセージアプリの代わりに、いつぶりかも分からないほど久しく持たなかったペンを走らせる。

 少しの苛立ちと、少しの心配。そして抑え込んでいた素直な気持ち。

 人生で初めてごちゃ混ぜにされた感情を棚卸しするように文字を書く。

 あの無感情な人がどんな反応を見せるのか、直接は見られないけど今から楽しみだ。







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