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「前に峰くんに紹介された店最悪だったよ。めちゃくちゃぼったくられたんだから」

「えぇ、俺が紹介するような店にそんなことないですから!谷川さんが飲みすぎただけでしょ……」

「ええっ、そんなことないって!飲み放題のウイスキーとついてくれた子の飲み物だけだよ」

「どうせ、変な谷川さんが変な事したんじゃないの?」

「まぁ、今度聞いときますよ……」


 本日の主役である私を後目に、テーブル席でマスターが置いていったよく分からない酒を飲む常連三人衆についていけなくなり、逃げるように座ったカウンター席の一番奥の席からその様子を眺める。


 なんというか、みんなお酒好きなんだなぁっということがよく分かる絵面である。


 私もさっきオーナーに、これはいい酒だと自慢げに言われ、よく磨かれたロックグラスに丸氷と共に注がれた琥珀色のお酒、確かにイギリスの……、ナントカ島のウイスキーを舐めるようにして味わったが、なんだか煙っぽい味で、薬のような匂いが飲んだ後に鼻腔に広がって、正直美味しさが分からないものだった。


 頑張って美味しいと取り繕ってみても、みんなから、この味はまだ早いか。

 と言わんばかりの視線を浴びてしまうという顛末であった。

 そんなこともあり、最後にカウンターから流れ着いてきた少し頬を赤くした楓香さんに席を譲る形で、一番奥の角席に移動してきたのだ。


「お前、お酒好きじゃねぇのか?」

 私の前に恐らく水の入ったロンググラスを置き、煙草を咥える依月さんにそう尋ねられる。

「別に。好きとか嫌いとか分かりませんよ。そんなの」


 好きか嫌いかの二択は難しい。そう答える私はおかしいのだろうか。

 というかその二択を語るほどまだお酒と付き合ったことがない。

 あっても付き合い程度だし、そもそもつい三か月ほど前に二十歳になった私が、後ろのテーブル席で恐らく主役の私を抜きにして楽しんでいる三人と同じように答えたらなんとも滑稽だと思う。


「まぁ、あいつらはいいよ。いつもあんなだし。普段はいろいろ貶しあってるが、仲良くないと会うたびにああやって飲まねぇよ。あいつらだけじゃねぇ。沙華やじいさん。あと、楓香さんの友達にいる咲さんって人もだよ。みんなここの店にいるときはあんなんだよ」

 私の視線の方向にいる三人に目を向けて咥えた煙草を口元から離し、煙を吐く依月さん。

 その目はとても澄んでいて、無垢な色をした綺麗な瞳だった。

 きっと、この人達の事が本当に大事なのだろう。

 そんなこと、心を覗いて確認してしまえばいいのだろうが、こんなきれいな感情をずけずけと垣間見るほど落ちぶれてはいない。


 同時に考える。

 私にもこんな目をして想うほどの存在が居るのかを。

 そこで思う。どうしても頭の中をちらついて離れない、見かけによらず世話焼きのあの人の事を。

 どうしてあの人が私の中で大事と思える人の脳内検索の中で真っ先に出てくるのか。


 正直に答えるなら、一度は殺しあった(向こうは手抜きだったかもしれないが)あの人と同じ屋根の下、6畳半のワンルームの部屋で1か月共に過ごしたあの時を、そして、毎朝寝ぼけ眼の私を起こしながら少ししょっぱい出汁巻き卵を作ってくれた冬馬さんの事が多分好きなのだと思う。


 それが、一番自然な回答だ。……と思う。


 私自身の心を読めたらどれだけ楽だっただろうか。

 人を好きになるというのはどんな気持ちなのだろうか。私は今どんな色の感情を抱いているのだろうか。

 いまの私にはそれが分からない。

 そうやって、思考の沼に嵌り沈んでゆく。

 でも今、冬馬さんの事で頭の容量取られるのはなんか癪だ。ムカつく。早く振り払ってしまいたい。


「……い、おーい。藤乃?藤乃!」


「……へっ?あ、はい!」


 私の思考は遮られ、前に立つ依月さんに呼ばれて思わず素っ頓狂な声が漏れる。


「ったく、何考えてんのか分らんけど流石に無視は悲しいわ……」

「別にそんなつもりじゃ……」

「いや、別に責めてるわけじゃねぇよ。お前が今何考えてようがそれは自由やからな、それが今ここに居らんやつの事でもな」


 ぐぅの音も出ない。

 オーナーしかり、やっぱりここの人たちは心が読めるんじゃないだろうか。なんだか私のお株を奪うように洞察力の権化のような人が多い。

 客商売をしている人はみんなこの能力を習得するのが当たり前なのだろうか。

 だとしたらみんな化け物だと思う。

 ……人の事は言えないけど。


「まぁ、ええわ。それより。ほら、これは飲めるか?」


 そう言って依月さんは、何やら琥珀色の――恐らくカクテルの入った脚長で、そこから飲み口に向かって径が広くなるワイングラスの仲間のようなグラスを丁寧に私の目の前に置いた。


「『サイドカー』って言うカクテルなんよ。うちのじいさんが一番好きなやつや。ブランデーベースでなちょっと強いけど程よく甘くて飲みやすいんよ。レディーキラーって言う別名もあるから飲み過ぎには注意な」


 私が聞くより先にそのサイドカーとやらの説明を始められる。

 その説明を聞きながらエプロンドレスの裾のポケットからスマホを取り出して調べる。


 うわっ、平均30度って……。

 どのくらいかは分からないけどかなり強い部類なのは分かる。

 それを私に平気で出す依月さんは私をなんだと思っているのだろうかと考えていると、


 タバコを吸いながら手でどうぞと指し示してくる。

 少しアルコール濃度に恐怖しながらもグラスに口をつけ舐めるように口に流し込む。


「……っ!美味しい!」

「やろ?これでもちゃんとバーテンダーやからな」


 得意げに目を細めて煙草を吸う依月さんの横でもう一度、今度はしっかりと味わうように飲む。

 ほのかな甘みと柑橘系の酸味があって飲みやすかった。

 これは、確かに注意しないと意識を持っていかれるかもしれないと自戒して、グラスをコースターの上に戻す。


「カクテルには花みたいにカクテル言葉ってのがある」

「え?」


 私が言うが早いか、依月さんが半分ほど吸った煙草を消して言葉を紡ぐ。


「まぁ、花言葉みたいなもんよ。バラ一本がどうとかってなやつ。それがカクテルにもあるわけよ。ただの色ついた液体にそこまで思うなんて、さぞ人間ってやつはロマンってやつが好きなんだろうな」


 そこまで依月さんが言ってもその言葉の真意が分からない。

 依月さんは私に何を伝えたいのだろうか。

 視線をあげると今まで私には見せなかった、目じりを下げた優しい表情をした依月さんと目が合う。

 いつもあまり表情を変えない依月さんの変わりように内心驚くと共にどんな話の続きなのかを勘ぐっていると、目線だけを仲良し三人組のいるテーブルへと移し、口角が動き出す。


「……そんで、サイドカーのカクテル言葉ってのはな、『いつも二人で』ってなわけさ。こんな小恥ずかしい事言うのも柄じゃないが、お前と冬馬見てたらそう思うわけよ。楽しそうやし、なんならあいつがおらんようになった今の藤乃が、俺は、苦しそうに見える。何かを探してるのかなってな。自分が収まる鞘じゃねぇけどそんな場所を探してるように俺は見える。違うか?」


「どうなんでしょうね。……そんなの分かったら訳ないですよ。それに、もしそうだとしたら……、私が居ついたせいで沙華さんの戻る鞘をなくしちゃいましたから」


 苦し紛れに机に向かってそう吐き捨てる。私の本音に依月さんはどう思うのだろうか。

 こんな意地っ張りで人の揚げ足を取るような事を言うような私の事を。

 突然現れて人の心が読めるなんて自称する痛い電波女に見える私の事を見かけだけでも受け入れてくれたのは何でなんだろうか。


「そいつぁ、違うな。別にここはお前のもんでも、あいつのもんでもねぇよ」

「ジジイ……」

「誰がジジイじゃ!クソガキ!黙って聞いとれ」

 私のことに目もくれず、いつも通りの親子喧嘩じみた事をしていたオーナーが私の目の前に立つ。

 デカすぎて、壁が目の前にできたような威圧感を漂わせている。


「俺が、藤乃を誘ったのは別にお前が可哀想とか同情じゃねぇんだ。単にこの店に、俺たち、いや……俺の居場所を面白くしてくれるからって言うエゴだ。そんで、店主の俺が面白くしてりゃ、みんな面白いかなって思っとるだけよ。店だけじゃねぇが、集団になっちまえば、トップの人柄で良くも悪くも変わるもんだ。その中で偶然、沙華の紹介で輝く原石を見つけたんだ。昔の沙華みたいな尖ってて、傷ついて、すでにボロボロでも自分が生きる意味みたいなもんを見つけるためにもがいてる鈍い光を出す藤乃に惚れたんよ。だから店に誘った。こいつなら面白くしてくれるってな!実際うちはバイト募集はしてるが、求人は出さねえのさ。俺が面白いと思うやつだけを誘う。だから、お前は誇れ!俺がお前を選んだんだ。服は、沙華の暴走だが……」

 オーナーの言葉に私が言葉を失う。

 熱い気持ちをぶつけられて、初めて自分を認めてもらった気がする。

 けれど、今の私はこの心を読まなくても伝わる熱く一筋の気持ちに応えられる言葉を持っていないのだ。

 それがどうしようもなく苦しい。

 言葉は便利だけど、言葉に出来ない言葉になんて名前を付けたらいいのか分からない自分がもどかしい。

「だからよ。お前が何考えてるのかはわからんが、俺達、いや……俺はお前の力になるよ。面白い人材逃す方が惜しいからな。なぁ……沙華もそう思うだろ?」

「どうして、ここに……」


 私は少しばかり息が詰まった。


 そりゃそうだ。

 さっき怖いと言われた沙華さんがバックルームから出てきたのだから。

 申し訳なさそうに白熱灯に照らされて綺麗な緋色の髪を掻きながらバツが悪そうに出てくる沙華さんの姿がそこにはあった。

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