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「場所変えるなら行ってくださいよ!」
「ん?ああ悪い悪い。言ってなかったか」
「言ってませんってば!なんでこんな格好で電車乗んなきゃいけないんですか!」
望まずメイド服で電車に乗るという奇天烈な体験をしてしまい。怒りと羞恥で顔を染める私をのらりくらりとかわすオーナーの鈴衛さん。
全く、思い出しただけでもあの時の同じ車両に乗り合わせた乗客の視線の刺激を思い出す。
なんだこいつはとかあの子は恥ずかしくないのか。なんていう心の声がダイレクトに聞こえてくる気がした。
というか聞こえて来た。こんな時は人の心なんて拾いたくないと思う。
国立駅から一駅下り方面、立川駅で中央線を降り、
眼前に仮面をつけたアイドル?の映像が流れる大きな商業ビジョンを見つつ、
野外エスカレーターを下り、場外馬券場方面に歩く。
これから食事や酒を楽しみに駅側へ向かうであろう賑やかな人々と、住宅地がある西国立方面に急ぐ人々が行き交う立川すずらん通りを錦中央の地点で右に切れ込む。
細い路地の薄暗い階段を登った先。
Bar『クレリューナ』
オーナーや依月さんや沙華さんといった私と冬馬さん以外のあの店の住人達の思い出が詰まった箱は、
国立のお店よりも圧倒的に狭く、そして暗い。
頑張っても10人ちょっと入るのが精いっぱいと思われる店内。
……そんな狭い店内で私は大声を張り上げ、先の羞恥プレイまがいのことに抗議していた。
「まぁ、藤乃ちゃん落ち着いて。電車の中でだんだん恥ずかしそうにするの可愛かったよ!」
「なっ……っ」
私の恥ずかしがる所に親指をグっと立てる楓香さん。
さっき沙華さんと一緒に私を剥いて、強制的にお色直しをさせていた時から思うけど、楓香さんは相当のサドなんじゃないだろうか。
現に私を眺めて未だに口角を上げて、あまり向けられたくはない笑みを浮かべているし。おおよそ、私の電車内での様子でも思い出しているのだろう。
「まぁ、そこに関しては認めるが、しつこく突っ込むのはやめてやれ。藤乃の事、言えるようなモンじゃねぇやろ。お前さん」
「確かに俺も藤乃の茹で具合見とるのは面白かったけどな。代わりに次はそんなこと言う楓香さんが人前には言えんような話を暴露してやってもいいんだがな……」
「ちょっと!二人そろってやめてよ!それを言ったら黙って見てる二人の方がタチ悪くない?どう思う!藤乃ちゃん!」
今度は先程とまでは変わって、過去の事を暴露するというこのお店のマスターたちに、お返しとばかりに羞恥に震える私を見て自分同様に楽しんでいたと自供した二人の方が悪いと私に同意を求める楓香さん。
知らない!そんなこと。と突っぱねたくなる。
私からするとどっちも私で遊んでるのが分かるし、正直どちらも夕暮れの帰宅ラッシュ中の中央線の車内に強制的にメイド服で連れ込まれ、衆人環境に晒されて乗客の心の中を察しなくても、『なんだあいつ』といった様子でスマートフォンと私をちらちらと目線が動くの感じるのはもう味わいたくはないものだ。
あと、目の前の若いおにーさん、脚、見過ぎでした。
――もう、伝わることはないけどね。
などと今現在も目の前で繰り広げられる不毛なやり取りをみて、嫌な事を思い出している時だった。
ギシリと経年劣化と酔っ払い達の雑な扱いにより歪んでしまったような音を立て、扉が開く。
さっきまで不毛な争いを繰り広げていた三人も動きが止まり扉の方に視線が集まった。
「ふぅ。ったく、おもてぇな!なんで買い出し俺たちなんだよ」
「ほんとだよ。オーナーも人使い荒いよいきなりショートメール飛ばしてくるなんてさ。……でもまぁ今日はいいんじゃな……」
そう言って、オーナと同じくらいの上背で、前に見た時とは違う色合いのサマージャケットにチャコールグレーの良く磨かれた革靴を合わせた、名前は確か
――みね、峰なんとかさん。ごめんなさい名前が出てきません。
と、撃たれた夜以来に出会う谷川さん。
正直気まずくてしょうがない。けど、冬馬さんが居なくなって、一人でわざわざ来ようとはならなかっただけで、撃たれた直後に来なくなった理由はないのだというアリバイを心の中で一人叫ぶ時。
――私を見て、見事に固まる谷川さんと目が合った。
「……てよかった」
なにやら呟く声。そして安堵の色の感情が見える。
そして、谷川さんの時が動き出す。
「また会えてよかったよ!……あの日以来だからさ。てっきり危ない店と思われてないかとか、お店に迷惑かけちゃったなって思ってたからさ」
どうやら、私のタイミングのすれ違いにより感じた気まずさと心配は杞憂だったようだ。
「そんな風に思われてたんですね、うっ、嬉しいです」
「気色悪いってよ、谷川よぉ」
「ひっ……ひどいっ」
「いいから、買ってきたもんを奥にもってけ!」
「はぁ……。はいはい」
私が曖昧な反応をしたせいで谷川さんがオーナーに手痛い一言を浴びせられ肩を落とす谷川さん。
と、その肩を落としている谷川さんの傍に置かれた大きな袋に目を引かれた。
あんな袋が四つとは、何が入っているのだろうか。
さっき二人が入ってきた時は、買い出しとか言っていたが、イベントでもあるのだろうか。
結局、私には何をするのかわからぬままに、その袋を抱えた谷川さんと、途中から袋を受け取った依月さんがカウンターの奥のバックルームのようなところに消えていった。
――そして、程なくして。
「よし!それじゃあ、やるか!」
バックルームでガサガサとビニール袋を漁る音が止み、オーナーがそう告げる。
やるって何を?開店でもするのか、はたまた常連だけしかいないイベントでも始めるのだろうかと首を傾げて、周りの常連+店員の5人の様子を伺っていると、
「やるって何を?って顔してるな」
オーナーに見透かされていた。
すごいなこの人。サトリなのかな。
いや、それは私か。
「今日、みんな集まったのはね。藤乃ちゃんの歓迎のためだよ」
「あ!てめぇ、俺の台詞とるんじゃないわ!」
オーナーが楓香さんにそうツッコむのを見て、頭の中から今まで考えていたものが抜け落ちるのを感じる。
そしてまた、新たな思考の種が頭の中をぐちゃぐちゃにかき回される。
なぜ、私が歓迎されるのだろうか。
歓迎されるほど、
私は、なにかこの人達の為に何か生み出せているのだろうか。
何かをここの人たちに返していけるのだろうか。
そうして二度目の思考の谷に落ちた私の思考を断ち切るように谷川さんが飛び出した。
「そうそう、そんで自分と峰浦くんが買い出しの使い走りにされたわけだね」
オーナー達の言い合いにバックルームから顔を覗かせて、要らぬ補足をする。
あ、思い出した。峰浦さんだ!
頭の中の邪魔な思考を追い出すように忘れかけていた名前を覚えるように頭が働いた。
これで、もう一度「すいません、名前……」という気まずい問答をしなくてよいと思うとひと安心である。
ちょっと無駄な事を考えすぎてるな、私は。
もう少し器用に生きていけたらと、少しは前向きになれるかな。
そう、おおよそ叶いそうにもない願望が浮かびあがった時だった。
「あ!そういえば、冬馬くんはどう?元気?――今日は居ないみたいだけど」
「そういえば、沙華ちゃんもいねぇよな。この面子で居ないってのはなんかあったのかい?」
「――っ!」
何と答えようかと息が詰まる。
思わず頬の筋肉が引き攣るのが分かる。
私の知っている穏やかな表情に少し影が差し、明らかに何かを知って言っている谷川さん。
そして、なにも悪意がなく単純に沙華さんを心配している峰浦さん。
悪意の一言と善意の一言。
どちらの一言も今の私を崩すのには十分で、そして胸が痛む。
谷川さんと峰浦さん。
二人の言葉によって、今度は私の時が止まる番だった。
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