3

 「ちっ!んだよ、ド下手くそが」

 ゴンっと音を立てて白い手球がポケットに吸い込まれていくところで思わず声が溢れてしまう。

 今日はイマイチ手球の制球がおぼつかない。

 これで四回目のファールである。

 といっても、ここの主人は用があると言い残し、出て行った。

 それに、今日は休めと言った俺の助言を聞き入れたような風をしていたし、もう此処へは戻ってこないだろう。多分……。

 変なところで意地張るからなあのジジイ。


「ふぅ……。くそっ!ヤメだヤメだ!今日は!」

 あまりの不振具合に思わず声を荒げて悔しがる。

 誰もみていない分、いつもより感情が荒ぶってしまう。

 全くらしくないと自嘲して、

 一息入れるために俺はいつも通りソフトパックを揺すって頭が弾き出た一本を咥えて、非常階段へ通じる扉へ踵を鳴らして向かう。

 苛だつ時にはこれに限る。あいつがいたら顔をしかめて、またかというお決まりの反応が返ってくるのだろうなとふと思う。

 今となっては懐かしくもあるが、それでも気を遣わずに煙草を吸えるというのは、脳をヤニに支配された俺にはやはり快適なものである。


 そうして、非常扉に手をかけて押し扉を開けた時だった。


「昨日ぶりっ!」

「うおっ!」

 驚いた拍子に、開きかけの押し扉を思い切り引いてしまった。

「ちょっと!なんで閉めるの?!」

 ドンドンっと鉄製の扉が叩かれると共に叩いているやつが不満をもらす。

 人間一番恐怖を感じる瞬間というのは、いないと思ったところに他人がいることだと思う。


「もしもーし!聞いてます?」

「んだよ!うるせぇな!」

 扉を押して開けた先には、昨日出会った自称同い年の女子が切れ目を釣り上げた表情を覗かせ、そして表情に違わぬ不機嫌さを纏って立っていた。


「なんで閉めたの!」

「そりゃ、誰だって誰もいないと思ってるとこに人が居たらそうなるわ!」

 理不尽な目の前の女の追求に思わず、口調が荒くなる。普通怖いだろ。

 目の前に人が居たら、驚かされることを想定してない時の恐怖をこいつにも味わわせてやりたいものだ。


「もしかして、ビビったの?クールに透かしてるクセに可愛いとこあるんだね」

「けっ、好きにいってろ……」

 悪態を付きながら驚きのあまり口元からポロリと落ちたクシャクシャの煙草を拾い上げ、咥えなおす。

 これ以上、こいつのペースに飲まれても良いこともないし、何より玉撞きに集中していた身体がヤニを欲していたのに耐えられず、マッチを擦って煙草に火をつけ、一服。

 そして、マッチを振って火を消した。硝煙の匂いが当たりに漂った。

「私、この匂い好きなんだよね。なんか花火みたいだし」

「……そうか」

「うん、もう何年も見てないけどね、本物の花火」

「……そうか」

 そういって遠い日の記憶の中から本物の花火の記憶を探しているであろう女の横顔は、とても幼く、無邪気で、昨日のパーティードレスを纏っていた時よりもずっと可憐に見えた。


「煙草、吸うか?」

「ううん、要らない。昨日私には必要ないものだってわかったから」

「……そうか」

「うん、そうなんだ」

「……そうか」

「うん、そう……って、私の話聞いてないでしょ!」

 そう言って、女は俺の口から煙草を引き抜き、地面に投げつけ、スニーカーの底で地面の煙草をもみ消した。


「あぁ!てめぇェ!煙草一本たけぇーんだよ!何しやがる」

「べぇーっだ!女の子の若い青春時代の方が価値高いんだから!煙草なんかに負けてたまりますかって!」

「っッ!あぁ、めんどくせぇな!ならその時間を俺に使うのはもったいないだろうし、まだ煙草吸いてぇ気分だから、さっさと帰れ」

 そう吐き捨てて、新しい煙草を咥え、火を付け直し、マッチを消しながら煙を吐いた時だった。

「……そんな、言わなくてもいいじゃんかぁ」

 硝煙の匂い。先の女の言葉を借りるなら、花火大会で好きな人と喧嘩した後のような表情で、そうつぶやいた。

 全く、いまいちこいつの精神がよく分からない。

 藤乃もキレどころがよく分らなかったし同世代の女ってのは、みんなこんなものなのだろうか。

 今までロクに同世代の女の相手なんかして来ていない俺には、ここの正解なんか見えるはずもない。

 元々頭の回転も速い訳でもないしな。


「はぁ、すまん。この一本だけ吸わせてくれ。中今日誰もいねぇから、先に入って待ってろ」

 しばし考えて、そう告げると目に生気がよみがえり、再び先程俺をおちょくった時の小悪魔のような表情を覗かせる。

「それって、先にシャワー浴びて待ってろってこと?」

「んッ!ゴハっ!ゴホッ……そんな訳ねぇだろ!」

 全く、こいつの調子の上がり下がりが激しすぎてついていけない。

 こういうところは年下とはいえ藤乃の方が落ち着いていると思う

 ――下方向にだが。


「なんだ、残念。まぁ気長に待ちますよ」

「中で待ってろよ。蒸し暑い外より中の方が涼しいぞ」

「ううん、大丈夫、梅雨の合間の星空ってさ、なんかいいよね」

「……そうだな」

「もうすぐ、七夕だね」

「……そうだな」

「……私のこともらってくれますか?」

「……そうだ……って、そんなわけねぇだろ」

「ちぇっ、つまんないの」

「お前いいから、中居ろよ」

「みき」

「あ?」

「お前じゃなくて、未来と書いて未来みきって名前だから」

「じゃあ、未来。もう待ってなくていいから中居ろよ」

「やだ」

「っく!……はぁぁ。もう好きにしてくれ」


 唐突に名前を知った謎の女改め、未来みきは結局、煙草を吸いきるまで、蒸し暑いと言いつつ肩で切りそろえたグレージュ色の髪をバサバサと首元の空気を入れ替えながらも隣で数日ぶりに晴れた梅雨の六本木のビルの隙間の夜空を眺めていた。

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