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「冬馬さん、着きましたよ」
あれから、二人の会話はなかった。
互いに鉄扉を閉ざしたように口を閉ざし、歩く事10分程。
国立駅からほど近い、ささやかな飲食店が軒を連ねる通りの一角にやってきた。
Pool Bar――〈ルーナ・ラジアータ〉
そう記された手書きの看板の下には、今時珍しい柔らかなオレンジの光を灯すランタンが置いてあり、辺りを路面を優しく照らしてくれていた。
そんな中、相変わらず互いに口を閉ざし、居心地の悪そうな冬馬さんと私の雰囲気を打ち破るように少し重たい扉を引く。
「いらっしゃいませ」
「お、いらっしゃい!見ない顔やな。ご新規さん?」
扉を開いたその先から聞こえる二つの声の主。
綺麗な緋色の髪をアップサイドにまとめたポニーテール、そしてきっちりとリボンタイと赤色の縁取りがされたジャケットを着こなす大人びた女性と、
誰かを彷彿とさせる無造作のボサボサ髪にいつぞやの夜の誰かさんの様な緩く巻いたネクタイ。だが、髪はきっちり整髪料でセットされ、きっちりとジャケットを着こなした男性が出迎えてくれる。
「二人なんですけど……」
「沙華。奥の席に頼む!」
「はいはい。それじゃ、奥の席にどうぞ」
外の世界より少しだけ明るい位の最低限の照明を施された店内には、
カウンターの後ろにあの日、六本木で六本木でみた台より一回り程大きいビリヤード台が二台ほど置かれていた。そんな店内をカウンターで流麗な手捌きで既にいる先客と思わしき人の飲み物を作る男性に促され、綺麗な女性の後を、口のきかなくなった冬馬さんと共に追い、お姉さんが先回りして座りやすいように引いてくれた一番奥の席に座ると、お姉さんから話を振られる。
「ここには、初めてですよね?立川のオーナーのお店とかのお客さんですか?」
「い、いや、私達は、ネットで調べて、それで……」
そこまで言って、気恥ずかしくなって、背中側に置かれた2台のビリヤード台を眺めていると、横に座す仏頂面をさげた冬馬さんが口を尖らせる。
「別に、俺はそんな気分じゃねぇよ。キューだって持ってきてねぇしよ。言うなら言ってくれよ。」
「そんなの言ったらバレちゃうじゃないですか。それに……。私だって、こんな冬馬さんとなんて――」
「『俺となんて?』何がいいたい?」
「こんな冬馬さんのために喜ばせたくて『わざわざ』調べた私が愚かだったと思っただけですけど?」
「そうかよ。勝手に言ってろ!俺は帰るからよ。」
「どうぞ!どうせっ……。私の気持ちなんてわかんないんでしょうけどね!」
「そっちこそ!人の心が見えるとか言うんだったら俺の気持ちくらい当ててみろよ!」
売り言葉に買い言葉だった。隣で気まずそうに女性のバーテンダーさんは苦笑いをしていた。
煙草を口にくわえ、不機嫌そうに床を鳴らしてドアの方に速足で歩いていく冬馬さんの背中を私は眺めることしかできなかった。
その時。カウンターの端に座っていた男性が、立ち上がる。
「まぁまぁ、二人の事だから、僕は何も言わないけど、多分後悔するよ。どうしてあんな言い方したんだろってね。」
「……」
ビジネスカジュアルといった服に身を包んだおじさんにそう諭され、押し黙る冬馬さんに、もう一人のバーテンダーさんが言葉をかける。
「まぁよ、女ってのは突然切れるよな。うちの沙華だって、よく分らんところで怒るしな」
「それは、君とオーナーが喧嘩するからでしょ……」
「そうですよね!谷川さんの言う通りですよ。いい大人なんだか、二人には落ち着いてもらわないと……」
「でも、りんくんの言うこともよく分かる、確かに、それでバツ2になったわけだし」
「「それは、谷川さんが悪いだけやろ(でしょ)」」
と、どうやら離婚歴があるらしい谷川さんと呼ばれる常連さんをお店の人達が
過去の傷を掘り返したところで、再び会話が元の線路に戻ってくる。
「なんというか、俺とそこの沙華もだが、謝る時からは男から、ってな方が丸く収まるもんだよ。……特に、付き合ってるんならな。ほら、戻った戻った」
そういって、何か盛大な勘違いをした男性バーテンダーに背中を押し出され。こちら側に戻ってくる冬馬さんと目が合った。
私は思わず身構える。
「こっちもちゃんと向き合った方がいいです――よっ!」
その言葉と共に、身構えた私が座る椅子をくるっと回された。
思わず「ふぁぅっ!」などという間抜けな声で驚いてしまうのを見て
子供っぽい悪戯っ子のような表情で笑う、沙華という名前であるらしい女性のバーテンダーさんが、私に耳打ちしてきた。
「男の人って、ずっと子供なとこありますよね。だから、優しく許してあげて下さいね。じゃないと、こっちがイライラして振り回されちゃいますから……。」
そういう、彼女の目線は、ただ静かに、どこか哀愁の色を持って、もう一人のバーテンダーに向いていた。
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