第8話 つはものとねり


 さいたま新都心。

 中が空洞に見えるほど吹き抜けが大きい、国の省庁の入っているビルの一室。

 若い二人の男が、盗聴対策機器ジャマーのスイッチを入れた上で打ち合わせをしていた。


 「次の議題だ。

 おい、ロシアのラクスマンが大黒屋光太夫だいこくやこうだゆうを返しに根室に来た時、すでに日本にいたロシア人をピックアップして、一緒に帰ったなんて話を知っているか?」

 深刻な顔で、片方が聞く。

 「知らないな。

 石田さんならば知っているかもしれないけど、ラクスマンは函館に上陸しているし、そういう機会ならばいくらでもあったろう。

 また、鎖国をしていたって、当時の松前藩も北海道沿岸に隈なく見張りを立てられていたわけでもない。樺太から北海道まで、あの地域に移動するつもりがあればどうとでもなったろうから、当時のロシア人が1人も入り込んでいないなんて、誰にも言えないだろう。

 というより、これ、すでに悪魔の証明になっているぞ。

 ただ、その手の話ならば、間宮林蔵に絡んで、お前の嫁さんの方が詳しくないか?」

 と、茫洋とした風貌の男が聞き返した。


 「もう聞いた。知らないって言われたよ」

 「そうか。

 だが、お前の方から歴史の話とは珍しいよな。

 なにがあった?」

 「御徒町に大量の金が売りに持ち込まれて、300年前のロシアに関わるものだとさ。

 相手がロシアだから公安が裏取り始めたけど、手に負えないからとうちに話が回ってきた。

 うちは、アメリカにもロシアにも、幕末以来、200年近い歴史的経緯があるからな。なにか思い当たることはないか、とさ」


 それを聞いた、茫洋とした風貌の男はため息をついた。

 「ややこしい話らしいな。

 だが、時効も絡むし、国内で宝探しに成功したからって、別に問題はないだろう?」

 「いや、2つ大きな問題がある。

 1つ目だが、その話に縁があるというロシア人女性が、買取の店まで同行したらしい。

 所有権が日本人の方の分だけを売るっていうので、身分証明までは求めなかったらしいんだが、防犯カメラに残ったそのロシア人女性に該当者がいない」

 「密入国ってことか?」

 「それどころじゃない。

 顔認識システムで、ロシアに限らず全地域検索をかけても出てこない。当然のように指紋もだ。

 白人は、一番データベース化が進んでいるのに、出てこないってのは異常だな」

 今は顔写真1枚から、長くても30秒足らずで身元は判明する。

 いくら整形をしても、その個人の固有の特徴になる決して動かない場所は残る。顔認識は、完成され、枯れた技術になりつつあるのだ。


 「……2つ目はなんだよ?」

 「持ち込まれた金の純度だ。

 怪しいから、微量分析にかけて、不純物の構成比からどこの産地の金かを突き止めようとした。

 通常、市井で売買されている24kは、99.99%だ。

 実験試薬レベルで99.997%、特級試薬ですら99.999%らしい。

 それがだな、99.9999999%を超えている。

 坪内さんの伝手を使っても、分析機関を探すのに苦労したぜ。

 実験室レベルならともかく、数十キロともなると、どうやってそれだけの精製をしたんだか判らん。

 当然、産地も判りようがないし、そもそもほとんどこの世にありえない」


 「……ありえないが2つか。

 付着物分析はしたんだろう?」

 「ああ。

 品種までは判らないが、ジャガイモの花粉と羊毛が出てる。石英の粉は地面由来だろうから、なんとも言えん。

 出どころが北海道でもロシアでも、辻褄はあってる」

 「どことなく、出来すぎな感があるな……」


 茫洋とした風貌の男のつぶやきを受けて、深刻な顔をした男はさらに爆弾を投げ込んだ。

 「もう1つ、さらに驚くことがある。

 持ち込んだ男の方だが、実は鳴滝だ」

 「鳴滝って、どの鳴滝よ?」

 「中学の時の同級生の、だ」

 「ブラスバンド部のか? 工業高校行った、あのオッドマン?」

 「そうだ」

 「マジかよ……」

 「俺たちに話が来たのは、それもあったんだよ。

 だが、あいつ、犯罪とかできる奴じゃねーぞ。

 金の密輸なんかしようにも、犯罪組織が相手じゃ、噛んで喋れなくなる奴だ」


 小学校から中学まで、鳴滝のあだ名は、オッドマンだった。理由は当然、毎日挙動不審の一歩手前で、「おどおど」していたからに他ならない。

 茫洋とした風貌の男も、昔を思い出しているのか、返答まで間が空いた。


 「確かにな。

 でも、身辺調査はしたんだろ? 人は変わるものだ」

 「本郷って男と、電気工事の請負の会社を共同経営していたんだが、その男が事故死してな。

 で、会社を畳んで四十九日が過ぎて、行方不明になった。

 2週間後、戻ってきた時にはその白人女性と一緒だった。おそらくは、金もだ。

 それ以上は、どう洗っても出てこない。

 調査の際に、その本郷がいなきゃ、自分で仕事を取ってこれるタマでなかったというのは、周囲の証言が一致している。

 本郷の遺族に至っては、『会社の整理で無理にでもお金を作ってくれたのはありがたいけど、どこかの電気工事店に再就職できるか心配で仕方ないから、その金が使えない』とまで言っていた。

 ま、オッドマンは変わっていないってこったな。

 ただな、中学の同級生のLINEに、義務教育レベルの自習テキストの良いのを教えろって書き込んでいるし、なんていうか、手当たり次第の買い物をしている」

 「手当たり次第とは?」

 「どこかで、相当に高度な自給自足生活をしたいようだ」

 「瀬戸内あたりの無人島でも買って、その女とそこへ逃げて暮らしたいのかもなぁ。

 義務教育レベルの自習テキストってのも、その女用だろ?

 双海、お前も、彼女と無人島生活ってのは、ちょっと羨ましいだろう?」

 「うるせぇ。もう、子供も生まれるし、そこまでの色気はねーよ」

 そう言って、2人は軽く笑う。


 「で、裏取りと矛盾しない、つじつまの合う説明はできそうなのか?」

 その問いに、深刻な顔をした男は頷いた。

 「あえてならばだが、できなくはない。

 状況証拠としては、すべてが繋がる話が可能だ」

 「聞こう」


 深刻な顔をした男は再び頷くと、話しだした。

 「まずは、女からだ。

 割りと昔から、ウラジオあたりから日本に、売春目的で入ってくる女性が相当数いただろ?

 そのうちの1人が、避妊に失敗して、ハーフだけど白人寄りの容姿の娘を生んだ。

 で、画像を見ると相当の美人だから、売り物にするためだけに大切に育てられたんだろう。ま、不美人でなくてよかったよ。そうだったら、移植臓器市場だからな。

 鳴滝の奴は、会社を畳んだあとで、やけっぱちで女でも買いに出て、そのどこかで出荷間際のその娘と知り合った。あいつ、どう調査しても、女っ気が出なかったからな。想定に不自然さはないと思う。

 最後に足取りがつかめた焼鳥屋では、飲まないジョッキを1つおいて、それと語っていたっていうんだから、相当なストレスはあったはずだ。

 で、あいつ、根はあんなだからな。

 女に同情して、成り行きで連れて逃げているって話ならば、十分に有りうる。

 この説明ならば、女の身元が割れないのも、教育を受けていないのも納得ができる。たぶん、この女、戸籍もない。

 だけど、見たところ、この女、鳴滝を信用しきっている。

 鳴滝が死ねと言えば、本当に死ぬかも知れないな。

 ま、育ちはともかく、信用できる人間を見つけられたあたりの運もあるし、鳴滝を食いつぶすほど根も腐っていないようだ」


 間をおいて、茫洋とした風貌の男は、もう1つの問題点を突いた。

 「そのストーリーは納得できなくはないが、高純度の金の問題はどうなる?

 ありえないから存在しないとは言えんぞ」


 深刻な顔をした男の返答は、極めて辛辣だった。

 「鳴滝は、金を盗んでも、帰り道で落として失くす奴だ。

 昔から変わっていないとすれば、『悪銭身につかず』を体現化しているだろうよ。

 負い目があれば、覿面てきめんにアドレナリンが沸騰して、冷や汗かいて、おどおどするしかない奴だったからな。

 ……オッドマンって単語で、いろいろ思い出してきたよ。

 ったく、万事が考えすぎなんだよ、あの男は。なんていうか、割り切りができないって言うかな。

 だから、こんなことにも巻き込まれるんだ」

 「……お前も大変だな」

 「ああ、体臭も含めて、しっかり思い出したからな。

 同じクラスになった年は、俺の親が死んだ年だった。葬式にも来てもらった記憶があるから間違いないよ」


 この男は、一千万人に1人という嗅覚で人を観る。

 そして、その内分泌系の動きまで嗅ぎ取るマン・ウォッチングは、極めて正確なものだった。

 そのまま考察を話し続ける。


 「ところがだ。

 残された映像を見ても、あいつ、怯えもなく落ち着いているんだよ。

 つまり、自分のやっていることに疑いを持っていないってことになるし、たぶん、金自体も自分のではなく、女のを売る手伝いをしてやっているって認識だろう。自分の金だと思っていたら、もっと、こう、人の行動は小さくなる。

 だが、それが見て取れない。

 普通ならば、こんな無造作な感じで、金の塊をテーブルに放り出せないもんだ」

 「確かにな。

 ただでさえそうだし、鳴滝であればさらに輪をかけてそうだろうな。

 握りしめた金をようやくテーブルの上に置いた、なんてのが目に浮かぶようだ」


 深刻な顔をした男は続けた。

 「金の出どころが、その女の方となると、やはり辿る先はロシアしかないということになるな。

 ただ、ラクスマンうんぬんは、全部ウソだ。

 それもかなりヘタな、だ。

 消費税の関係で、金の国内不正持ち込みは増大しているし、最近度々と報道もされている。だから、外国人と一目で分かる人間と一緒に来るというだけで、警戒され、マークされる。

 鳴滝が一人で来て、親の財産を売りに来たって言った方が注目を浴びなかった。

 それを知らないほどに時勢に疎いか、気がつかない程のマヌケなのか……」


 茫洋とした風貌の男が混ぜ返す。

 「もしくは、その両方か……」

 「鳴滝があの頃と変わっていなければ、両方の可能性が高いな。

 さすがに少しは変わっているだろうが……」

 「で、金の所有者はともかく、純度の問題はまだ残っているぞ」

 

 深刻な顔をした男は説明を続けた。

 「そもそもだな、あれだけの金の精製ができるとすれば、技術的にアメリカか日本しか無理だ。

 用途も、工業目的や産業目的じゃなく、相当に特殊なものになる。

 金価格よりも、精製に要する費用のほうが高い。個人で持ち上げられる金額ではなくなる。

 で、だが、アメリカにも日本にも、そういうプロジェクトは存在しない。カデンに調べてもらったが、アメリカの軍産官学、すべてシロだった。

 となれば、素材工学的に作るのは無理でも、使いこなす技術を持っているのはロシアしかない。

 ロシアへの輸出は、確実に違法なものだったろうな。

 となると、生活のためと、そのロシアの組織の意図を挫くために持って逃げたってのは有りうる」


 茫洋とした風貌の男は、深く頷いた。

 「現実に金がある以上、その判断が妥当だろうな。消去法の過程に無理はないと思う。

 では、対応はどうする?」

 「思い切って、放っておかないか?

 どう見ても、国内犯罪の範疇じゃねーしよ。

 逆に、だ。

 日本として介入してみろ。大変なことになる。

 金を回収して、ロシアン・マフィアにせよ、ロシア軍にせよ、返還要求が出たら一気に国際問題だ。非公式協議なんかに持ち込まれたら、さらに洒落にならん。

 単なる金ならまだしも、純度が問題だ。何に使われるか判らんこの塩は、危なくって敵に送れん」

 「それはそうだ。

 かと言って、返さずに国庫に没収したら、確実に鳴滝とその白人女の死体が出る。それも嫌だな。

 お前の言う通り、『知らぬ存ぜぬ』がいい。

 ただ、このままにしておいて、結局のところ、最後に鳴滝の死体が東京湾に浮かぶと寝覚めが悪いぞ」

 「大丈夫だ。

 ロシア大使館まみあなも、ロシアン・マフィアに繋がる国内組織も、今のところ静かなもんだ。

 持ち逃げされたこと自体に気がついていないか、気がついていても鳴滝が関わっていることまで突き止められていない」

 「じゃ、一発、ロシアに誤誘導だけ掛けとくか?」

 「ああ、いいな。

 それで鳴滝の臭跡は消せるだろう。

 公安にも問題ないと伝えておく」

 「そうだな、昔のよしみだ。

 鳴滝と薄幸の彼女に、1回チャンスをやろう。2人で幸せになるなら、それでいいとしてな」

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