第134話 終わる世界より

 慎二が学校で晴人を待って授業を受けていた時、晴人は……いや、『黒剣士』はズタボロになりながら二本の黒剣を空に掲げていた。


 黒剣士が立つ戦場は、見渡す限りが瓦礫と炎に包まれており、黒々とした煙が終末の匂いを醸し出す。あちこちに家であった残骸が砕けて軒を連ねており、炭化した柱や割れた土台だけが残されている。市場であった場所には燃える白い布のテントと、風圧で吹き飛んだ果物が誰かに踏み潰されていた。

 耳を澄ませば誰かの嗚咽と助けを求める声がする。辺り一面は見渡す限り災害に呑まれたような様相を呈しており、王都で自慢の王城は内側から真っ二つにかち割れていた。


 そんな絶望と死が蔓延する王都の空に浮かんでいるのは、巨大な黒い影。紅い翼と、血の滴る牙。黒々とした筋骨がそれらを支え、紅い瞳が地上を舐めるように見下していた。

 それは竜のような見た目をしていた。それでいて牛のようで、虎のようでもあり、人のようでさえあった。


 赤黒い生き物の集合体。一度見ればもう忘れられないであろうデザインをした化け物は、何処にあるのか知れない口から声を漏らした。


『まだ、足りない』


 その怪物の名前は『堕落』。深夜唐突に世界に産声を轟かせ、王都のすべてを数時間掛けて破壊し尽くした災厄の化身。空に浮かぶ堕落はプレイヤーも、NPCも、何もかも平等にすべからく堕落させていく。紅い翼の羽ばたき一つで何か燐粉のようなものが空を散らばり、僅かに生き残っていた人間におぞましい量の状態異常と『堕落』をもたらす。


 勿論それは空に剣を向ける晴人にも襲い掛かった。そっと、晴人は自分のステータスを開いてみる。そこには果てしない数の状態異常が蠢いていた。


『眠気』『毒』『猛毒』『出血』『魅了』『混乱』『盲目』『吸収』『麻痺』『石化』『気絶』『怯み』『脱力』『催眠』『拒食症』『病気』『堕落』


「あぁ……こりゃあ……ヤバイわ」


 眠い。世界が美しく見える。操作が逆だ。目が見えない。手足が痺れて石になっていく。今すぐにでも倒れそうだ。力が入らない。もう剣を下ろしてもいい気がしてきた。吐き気がする。熱っぽい。


 もう立っているのがおかしい筈の晴人は、どうにか荒い呼吸と思考を纏めさせた。


 ポラリスの皆は大丈夫か。NPCの避難は終わったか。空の奴にダメージはどれくらい入ったか。一緒に戦ってくれている奴は他に居るのか。アイツに勝てるか。武器はもう少しもつだろうか。

 もう、何時間こいつと戦い通しなんだろう。


 ――八時間。


 八時間前、こいつは現れた。唐突に、荒々しく。その瞬間に王都の四割が焼き払われ、凄まじい数のプレイヤーとNPCが即死した。運良く生きていた者も、直ぐにあの化け物に殺された。強すぎる。どれだけ立ち向かおうと、刃を突き立てて魔法を撃ち込もうと、あの怪物の赤黒い筋肉を切り裂くことは叶わない。

 それは星たちが地上に降りた時にも感じた絶望感。圧倒的な地力の違い。


 晴人の膝が崩れ、満身創痍な体が地面に沈む。そうしてキラリと閃光が走って死体が消え……もう一度晴人は王都の跡地にリスポーンした。デスペナを抱えながら、晴人は尚も両の手で剣を抜いた。


「デスベホマはこれで何回目だろうな」 


 186回目である。周りを見渡しても、誰も居ない。もしかしたらRTAさん辺りはまだ戦ってくれてるかもな、と考えながら晴人は両手に強く力を込めた。

 そうして一歩前に瓦礫を踏みしめる。


「まあ、どうだっていいか」


 空の化け物は、未だにのうのうと地面に視線を這わせては空を仰ぎ、長い尻尾で城壁を打ち砕いている。そこに敵が居る。それだけで晴人が立ち上がる理由は十分だった。それが強敵とあらば、諦めて日和る事など出来るわけがない。

 例え何百回と倒されようと、何千回と絡め取られようと――


「諦められねえなぁ。シンジが、俺に教えてくれたことだ」


 どんな相手だろうと、勝ち目がなくとも足掻く。最後の最後までもがき続ければ……もしかしたら、その意思が通じるかもしれない。それを実際に自分に見せつけてくれた一人の親友の事を思い出しながら、晴人は凶悪に空へ向けて笑った。


「俺はアイツに天才って呼ばれてるからさ……残念ながら、アイツより先に負けてらんねえんだわ。……全部見切って、空から撃ち落としてやるぜ」


 久々に、自分に才能があってよかったと思えた。無くてもきっと足掻いたが、今はあるならあるだけいい。一歩二歩と踏みしめて、遠い空へ駆け出した。

 圧倒的なデータの怪物天災と、人の身に才能を詰め込んだ怪物天才が、荒れた天空でぶつかり合う。



 ――――――――――



 カルナは、眠い眼を気にしながら仁王立ちしていた。穴の空いた墓地の城壁や地面は、動物の霊や戦士の霊達が協力して今は八割がた修復できている。カルナが後ろを見れば、一生懸命地面に花の種を蒔くロードの姿が見えたはずだ。


 粛々と修繕作業に取り組む霊達を見て、カルナはやはり眠くなってきた。


「……学校を休んだのを、今さらながら少しだけ後悔してきたわね……」


 シエラとコスタはもう居ない。日常会話で知ったが、シエラは大学生でコスタは高校生らしい。あの超絶ハイテンションな爆速幽霊が自分よりも年上だという事実は、カルナを十分に揺らした。

 それはさておき、どうしてカルナは学業を放棄してまで墓地に仁王立ちをしているのか。


 それは、昨日の夜に走った強い悪寒と戦慄が原因だった。堕落が目覚めたあの衝撃が、いつか堕落の眷族に辛酸を舐めさせられた墓地の一同を心の奥底から震え上がらせたのだ。その結果がこの葬式のような修繕だ。 

 霊達の顔は酷く暗く、誰も言葉を交わさない。


 いつか全てを奪い去り、自分達の知性さえ奪い去った最悪の厄災が目覚めたのだ。和気藹々となどしていられない。震え上がり、縮こまった彼らを一喝したのは……ロードだった。かつて自分の母メルエスを奪った堕落が目覚め、錯乱してもおかしくは無かったが、彼女は凛と揺るがなかった。


 墓地の全員を集め、ロードは銀の杖を両手に持って言った。


『僕たちが今やらなきゃいけないのは、ライチさんが帰ってきた時にいつもの墓地を見せてあげることです。穴の空いた壁も、地面も、きっと大変な思いをして帰ってくるライチさんに見せる訳にはいきません』


 それを聞いて、一同は自分達を救った銀の騎士を思い出した。いつも全力で、自分の全てを掛けて足掻く男の事を思い出した。彼はいつもズタボロになって帰ってきて、困ったような声で笑うのだ。

 きっと南の果てから帰ってくる彼に、壊れた墓地は見せられない。


 そうして始まった修繕に、カルナは付き合うことにした。自分には『堕落』とやらがさっぱり分からない。素直に知らないのだ。しかし、それをロード達に聞くのは地雷だろうと自分の勘が言っている。

 だから、ひたすらに突っ立っていた。既に何十とモンスターを屠ったスレッジハンマーを地面について、見守るつもりで修繕を眺めている。


 堕落とやらがもし現れたら、この墓地を守るべき騎士は不在だ。白い竜も居ない。今この墓地の守りは手薄なのだ。そんな状況で、ログアウトなど出来るわけがない。

 そうやってカルナは夜を抜け、何事もなく朝を迎えている。堕落という名前の敵の詳細は知れないが、間違いなくそれは睡魔では無いだろう。


 薄く開く瞳をなんとか持ち上げながら、カルナは立っていた。そろそろ完成だろうか。完成したらしっかりと寝よう。親にはどう言い訳しようか。それに――



 ――悪寒。



 全身が粟立つ。心臓が止まったような感覚に陥る。全身の血液が凍ってしまったみたいだ。眠気なんて一瞬で蹴散らされ、純粋な畏怖が心から漏れ出す。墓地から見て北東の方角から、何かが来ている。地響きがする。鳥が驚いて空に飛び立つのが見えた。


 反射で武器を構えたカルナの視線の先で、巨大な何かが防壁を飛び越えて墓地に飛び込んできた。まず目に飛び込んできたのは、紅。それはメラルテンバルよりも一回り大きく、血で染め上げたような体色をしていた。


「あ、あぁ……そんな……そんな」


「……遂に、彼の者が……」


「……」


「今度は絶対に焼き殺す……!」


「な……!こいつは一体……」


 それは、巨大なクモのような体をしていた。しかしその体の隅々に頭蓋骨や肋骨、何かの骨が組み込まれており、全身が粗雑な肉の塊のようになっていた。人間を捏ねて蜘蛛を作ったような、生命への重大な冒涜を込めた蜘蛛は、不揃いの足を何本か動かして墓地を見回し……ぐちゃり、と笑うような音を立てた。


 それに対する反応は、それぞれ違う。ロードは怯えながらも杖を構えており、オルゲス達は険しい表情で己の武器を構えた。唯一リエゾンだけが唐突に現れたこの存在に反応しきれておらず、距離を取って姿勢を低くしていた。


 カルナは、視界の隅で震えているロードに声を掛けた。


「ロード、あれは敵でいいのね?」


「も、勿論です。敵以外の何者でもないです……!」


 カルナが居ることを思い出したロードが、両手で銀の杖を構える。それに倣って、カルナも地面からスレッジハンマーを持ち上げ肩に担ぐ。


「それなら、私の出番ってことね」


 吹き飛んだ眠気に瞳を開いて、カルナは不敵に微笑んだ。視線の先には、得体の知れない怪物。けれど、敵であるなら素性は知れずともいい。そんな覚悟で、カルナは真正面から向き合った。


「お行儀良く彼を待つのも疲れたから……ええ、一つ踊ってくれるかしら?」


 笑うカルナの瞳は、しっかりと深紅の怪物を見据えていた。かつてこの墓地を完膚無きまで破壊し尽くした『堕落の獣』に。



 ―――――――――



 空の果てで、星の姫はぱちくりと瞬きをした。原因は自分の体だ。


「スピカ、光ってる……」


 スピカの線の細い体が、仄かに発光していた。星が光ることは珍しくないが、スピカの体そのものが光ることははっきりいってイレギュラーだった。今までに無い事態にスピカは困惑したが、それと同時に理解していた。


「スピカは誰かに呼ばれてる……のかな?」


 自分は何処かから呼ばれているのだ。そんな予感がする。声がしなくても、感覚でわかる。これはきっと存在の根底……メタ的に言えば彼女に備わった原始的なプログラムの反応だった。それに首を傾げながら、スピカは呼び声に従って飛翔した。


 空を駆けるスピカの足元では、幾つもの戦いが起きている。世界が終わりに向かう……その途中で、それに抗う幾つもの戦いが――確かに火蓋を切っていた。

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