第129話 イデオロギーと存在意義

 格好をつけた手前、それなりの作戦があるのかと言われれば……実のところそんなものはない。ただ、作戦とも言えぬ馬鹿らしい……いや、俺らしい奇策は確かにあった。

 向かい合うアドニスには並々と殺意、憎悪があって、素早く俺に指を向けてくる。俺は甘んじてそれを受け、続けて軽く即死する。蘇っては蹴散らされて、たまに避けては潰されて、先程と寸分違わず同じ結末が繰り返される。


 ただ、そこに少しの違いを見いだすとすれば、それはアドニスの表情だった。何かに急かされるような、俺が何かすることを恐れているかのような、そんな顔をしているのだ。

 対して俺は、変わらず笑う。どこならばうまく決まるだろうか、そんな事を思いながら何べんも何べんも吹っ飛ばされて、三十分近くが過ぎた時……それは来た。


 繰り返しの作業に対する小さな飽き。容易い俺への微細な油断。時間と回数が生んだ微かな過信。そんな小さな綻びが広がって、重なって――ほんの一瞬、隙になる。


 慣れた形で殴り殺されて、リスポーンの瞬間、俺は自分へ魔法を打ち込んだ。全力でダークボールとダークアローを自分自身に叩き込み、アドニスの目の前で即死する。アドニスの指先が空振って、一瞬だけその視界が俺を探した。

 俺は俺に出来る最速で地面を這いつくばって、背後からアドニスの足に絡みつこうとする。


 が、やはりAGIの差は歴然で、アドニスは簡単に俺を発見した。続いて飛び退きざまに容赦の無い蹴りが俺を襲って、俺はそれを避けられない。

 不定形な体はいとも容易く破裂して――何かが割れる音が聞こえた。


「――は?」


 そんな一言を残して、凄まじい爆発が起きる。晴れ渡った空に轟音と黒煙が散って、硬い水面に波紋が生まれる。


 ああ、そうだ。全てのステータスが初期化された俺であっても、唯一消えない攻撃手段がある。装備も、種族も、レベルもステータスも消えて、俺にはアイテムボックスが残っていた。

 中にあるのはつまらないものだ。幾らかの金とキット……そして、六本ずつ残ったHP、MP回復ポーション。


 大した物が入っていないと思っていたのか、入っていたとしても無駄だと傲っていたのか、はたまた単に忘れていたのか。唯一初期化を逃れたアイテムボックスの中身からポーションを取り出して、俺は自分の体内にそれをしまった。

 アドニスが俺を殺すことで中身が混ざり、そして反動式の爆弾となるのだ。


 当然俺はそれに巻き込まれ、アドニスの攻撃でスキルが発動しているため即座にリスポーンとなった。リスポーンした先の視界はものの見事に煙の中で、焼けた空気で爆発の威力が分かる。


 ――さて、こっからだ。勿論、隙をついてポーション爆撃だなんて締まらない作戦が全部じゃない。爆煙の中、俺は俺から離れた場所の水面にダークアローを打ち込んだ。水面が揺れて、その音を皮切りにアドニスが爆煙を引きちぎる。


 単純に、肥大化した右腕を振り回したのだ。その瞬間に俺は動いていて、全力でアドニスに肉薄する。アドニスは俺の陽動の通りの場所を見ていたが、即座にこちらを向いて――大きく後ろに飛んだ。


 同じ手は二度食らわない、と言いたいのだろう。飛び退いた先でアドニスは勝ち誇ったように俺を嘲笑って、遠距離から俺に攻撃を放とうとした。それは間違いなく俺を打ち据えて、体の八割が粉微塵になる。


 と同時に、アドニスの立っていた地面が黒く染まった。アドニスは即座に回避の動作を取るが、遅い。どれだけ俺のステータスが低くなろうと、魔法の速度はシステム依存で等速だ。


 俺の持ちうる最高火力、ダークピラーがアドニスをしっかりと巻き込んで――一瞬で弾けた。捻れるようにして漆黒の濁流は砕け、無表情のアドニスが柱の隙間から見えた。で見たアドニスの目が見開かれて、俺を見る。


 俺は確かにアドニスの一撃を食らった。が、俺にはありがたいスキルが消えずに残っている。これだけ小細工を積み重ねて、ダークピラーの置き位置を計算し、わざと攻撃を食らうことで油断させ……果てには、残った体をひたすら薄く伸ばして、ようやくだった。


 俺の体はアドニスの鼻先に届いていた。果てしない距離が数センチに縮まって、アドニスの目前に音もなくガラス瓶が出現する。回復ポーション5セット分、残り全ての火力をここに詰め込んで――俺は笑った。もし余裕があれば、きっとそのまま語り掛けていただろう。


 ――逃げんなよ。お薬の時間だ。


 アドニスが咄嗟に首を仰け反らせながら左手を払うように差し込もうとして、その前に俺はポーションにダークアローを叩き込んだ。黒い鏃がガラス瓶をまとめて砕いて――世界が揺れた。


 揺れたと錯覚したのはその時だけで、一瞬で俺の体はリスポーンした。当然だろう。凄まじい爆発を最も近い距離で食らったのだ。下手をしなくても元のレベルの俺が死ねる爆発に違いない。……万全で構えてたら耐えきれるか? と余計な疑問が頭を過って、俺は黒煙の中で静かに立ち尽くした。


 ポーション爆撃五倍増しの火力だ。ほんの少しは傷ついているだろう。そんな予想があって、次の瞬間に砕けた。黒煙の中で、気だるげな声が響く。


「――君が一生知り得ないことだろうけど」


 続けて何かが空を切る音が聞こえて、俺は身構えた。次の瞬間、不定形な俺の肉体が千切れそうになる轟音と衝撃波がやってきて、全ての煙を吹き飛ばした。

 俺は衝撃波に飛ばされて、何とか地面に根を張って踏ん張る。


 一瞬の衝撃が収まった直後にあったのは、雨だった。ザァァァ、と大粒の雨が快晴の中で降ってきて、俺は見た。


 爆発の中心地で――アドニス・レトリックは全くの無傷だった。着ていた服が少し乱れただけで、その体には煤の一つも着いていない。アドニスは巨大な右腕を地面に叩きつけた姿勢で俺を見ていて、先程の衝撃はアドニスが地面を殴ったものだと分かった。

 続けて、雨が止む。……ああ、雨ではなく、アドニスの一撃で飛び散った水飛沫が止んだ。


 アドニスは無表情に口だけ悪辣な笑みを浮かべて、冷淡な言葉を吐く。


「ワールドボスの中で一番HPとVITが高いのは、僕だ」


 その言葉は、俺の中に強烈な衝撃を生んで――次の瞬間、アドニスの足元が黒く染まる。アドニスはまさかと目を見開いて、俺は全力でアドニスに走った。

 ああ、有益な情報をありがとう。……それで、だから何だ? 俺がそんなので絶望する訳が無いだろ。フェイントは効くし攻撃が当たる分、まだ晴人よりお前の方が良心的だよ。

 それに、さっき言った通りだ。


 隙をついてポーション爆撃だなんて、そんな締まらない作戦が全部じゃない。


 カッコつけたままダークピラーに飲み込まれたアドニスに俺が飛び付く前に――ピラーの中から強烈な拳が突き出してきた。それは力強く、空を切る。どうしてさっきダークピラーをお前に打ち込んだと思ってるんだ?

 お前にこれを打ち込んだ時、どんだけ余裕があるか見る為に決まってるだろうが。二度と同じ手は食わないのは、俺も一緒だ。


 俺は地面にへばりついた状態からアドニスの体に飛び付く。アドニスは素早く俺の体を左手で殴るが……爆発から復活した影響で、スキルは再生している。体の大部分が砕けて、しかし残った小さな体を――アドニスの口の中にねじ込んだ。


「――ッ!?」


 遠距離じゃ勝てない。正面からやってもジリ貧。かといって奇策と合わせて接近しても左手が一撃で俺を殺す。遠距離戦にも近距離戦にも勝ち目がないのなら……それをぶっ壊すような超近距離戦を仕掛けるしかないだろう。


 さぁ、口の中は流石に殴れないぜ? 自分を殴ったって、お前が丁寧に説明してくれたように、お前のVITはワールドボス最高値なんだろ? それじゃあ衝撃で俺が死ぬのを期待は出来ないな。


 俺は素早くアドニスの体内に入り込んで、喉の奥にへばりつく。そのまま気道を無理矢理通って肺に侵入しようとすると、アドニスが慌てて咳き込んだ。続けて左手がアドニスの口内に入るが、指が喉奥まで届くわけが無い。

 そうこうしている内に俺はアドニスの肺の中に侵入し、ワールドボスでも内臓はちゃんとあるんだな、と呑気な事を考えていた。


 アドニスは先程までの余裕を取り払って、自分の胸を何度が殴打していた。たが、自分の殴打で衝撃を通すほど、肋骨というのは柔ではない。

 俺は真っ暗闇の中でアドニスの呼吸を聞きながら、ここまでうまいこと作戦が成功したことに感嘆していた。


 最初にポーション爆撃を仕掛けた時に六本ではなく一本で爆発させたのは、続く五本の爆破を本命だと思わせるため。ダークピラーも含めて魔法は全部この一手のための使い捨て。

 唯一最後にここへ飛び込むためにユニークスキルを残しておく必要があって、はっきり言ってしまえばポーション爆撃そのものは最初から煙幕の効果くらいしか期待していない。


 ……流石に五本の爆破見たときは、少し位ダメージが無いかとは思ったが、やはりワールドボスはワールドボスだ。俺はうまいことアドニスの体内に入り込むと、さて、と思った。

 作戦は成功だが、だからといって何かが変わるわけではない。この戦いの勝利条件はアドニス・レトリックを救うことであって、アドニスを倒すことではないのだ。


 とはいえ、こうなってしまえばこちらのものだ。体内から延々と語り口を切ってやろう。そんなことを思っていた俺の耳に、アドニスが不愉快そうに呟いたのが頭上から聞こえた。


「……出来れば、この手だけは使いたくなかったんだけど」


 何の事か俺が首を傾げた瞬間――俺の体を何かが貫いた。いや、貫いたというよりも押し潰されたと形容した方が正しいか? とにかく俺にとっての安全圏はものの見事に俺を殺して、慣れたリスポーンをする。

 ユニークスキル取得の通知を流しながら、俺は困惑と共にアドニスを見た。


 俺の自然の先のアドニスは、その姿を大きく変えていた。黒々と肥大化した右腕に続いて、アドニスの半身は大きく黒い結晶に蝕まれていた。食いちぎられるようにアドニスの体は蝕まれており、そしてその黒には大量の青い瞳が浮いていた。

 厭世の青の体に浮かんでいた青いマーブル柄を思い出して、俺は少しだけ唾を飲む。


 視線の先でアドニスは顔をひどくしかめて、変貌した体をじっと見下ろしていた。右半分が結晶と瞳の怪物と化したアドニスは左半身と右半身とで体のバランスが大きく崩れており、そのシルエットはゾッとするほど醜い。

 ピキリ、パキリと静寂に音が聞こえて、アドニスの肩甲骨側から、酷く歪な形の柱が生える。それはあたかも、もげた翼のようで……アドニスがゆっくりと顔をあげた。


 顔の右半分は既に化け物の相となっており、右側の口が顎まで大きくいた。黙る俺に、アドニスが囁いた。


「これで――半分」


「……?」


「僕が消えるまで、後半分」


「はっ……?」


 衝撃的な言葉に度肝を抜かれて、思わず固まってしまう。アドニスはそんな俺の反応を薄く笑ってから、また自分の姿を見下ろす。


「散々、世界を壊すだとか言ってたけどさ……笑っちゃうよね。世界を壊す前に、まず僕が壊れるんだ」


「ま、待て。流石に説明不足過ぎる」


「僕に説明責任は無いんだけど……まあ、いいや」


 君の健闘を讃えて、説明してあげるよ。先程まで荒れ狂っていたアドニスの怒りは沈静化していて、逆にそれが恐ろしかった。怒りや不快を発露させていたほうが、よっぽど人間らしかった。

 俺の感想などどこ吹く風に、アドニスは続ける。


「僕のこの変身は、時間経過と僕の意志で進んでいく。……そしてもう、二度とは戻らないんだ。僕は段々と消えていって、化物になっていくんだよ」


「……」


「全身が化物になったら、僕は終わり。理性も感情も失って、黒い巨人になって世界をめちゃくちゃにぶち壊した後……さようなら。世界を道連れに、僕は一足先に地獄行きってことさ」


 自嘲的に笑うアドニスに、俺は鈍い痛みのような感情を覚えた。操り人形のような自分の存在意義に絶望して、厭世を吐いて、それら全部さえも偽物で……だからこそすべてを壊そうという決意さえ、計算やルートの一つなのか? 

 どれだけアドニスは自由を失っているんだ? どこからどこが彼なのか、世界なのか。その境界線がアドニスには無かった。


 それはあまりにも報われない。救えない。不滅たるテラロッサ・レトリックがアドニスを救ってやってくれと頼んだのも、至極納得の行くものだった。

 情報をどうにか飲み込む俺に対して、アドニスは深く呼吸をした後に――異形の右腕を向けてきた。


「もう、どうでもいいんだ。僕が死ぬとか、消えるとかも、本当に何もかもどうでもいい。無価値で、無意味で……だから、全部消したいんだ。もう、考えたくない。何もなければ、何も苦しまないで済む」


「……」


「どいつもこいつもすがっては繕ってる意味ってヤツを、まるごと全部――僕がぶち壊してやるんだ」


 その言葉を皮切りに、またしても沸々とアドニスの憎悪が蘇ってくる。向けられた殺意が倍々に膨れ上がって、俺は静かにそれに相対した。

 空と海が交わる、世界一無意味な合せ鏡の真ん中で、終末への一戦は……静かに終わりへと近づいていた。

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