第127話 千日手

 アドニスの異形の右腕が一際強く痙攣した。完全に感情が表層に進出したアドニスに飲まれないように、銀の盾を強く握りしめる。俺の視線の先で、凄まじい破壊衝動に飲まれるアドニスが黒々と吠えた。


「僕の名前はアドニス・レトリック。これから、世界の破壊者となる者だ」


 その言葉を言い終えるのと同時に、アドニスの体が動き出す。巨大な右腕を引きずって、俺の元へと肉薄してきた。それに対して呪術を使うことも、闇魔法を使うこともなく盾のみで立ち尽くす。

 素早い動きで俺の元へとたどり着いたアドニスが、力任せに右腕を振るう。海面をド派手に抉りながら、とてつもない重さの腕が堂々と盾に叩きつけられた。


「――っ!」


 その一撃をいつものように受け流そうとしたが――その瞬間に信じられない程の衝撃が俺の体を押し退け、両足が宙に浮いた。全身をくの字に折れ曲がらせて、不格好に海面を吹っ飛ばされる。遅れて爆発にも似た衝突音と大きな波紋が海面に発生した。


「……っそ、マジかよ……ワールドボスっていうからそりゃあヤバイって予想はしてたけども……」


 こいつは少し……不味いかもしれないな。腕以外は華奢なアドニスだが、ステータスはワールドボスにふさわしい。フィジカルがぶっ飛んでるな。一撃を受け止めるだけで、俺の盾が大きく弾かれた。これでは受け流すどうこうの話ではない。


 俺の盾を殴ったアドニスはやはり手加減していたのか、右腕の調子を確かめながら俺に落胆したような視線を向けた。いかにも期待はずれだと、拍子抜けだと言うような視線に何か言い返してやりたいが、さっきの一撃でしびれた腕を庇うので精一杯だった。


「あれだけ偉そうなことを言って……この体たらくか? 拍子抜けだよ。ああ……がっかりだ」 


 ため息と共に首を横に振ってアドニスは続ける。


「元々そんなに期待なんてしていなかったのに、それすらも下回るなんて……情けないね、君は。口だけか?」


「……お前こそ、口だけなんじゃないか? 世界の破壊者が、見下した相手に感想を垂れ流すなんて……中々面白い絵面だぞ?」


「……」


 俺の言葉に、アドニスは表情を消した。板についた無表情で、海面から立ち上がる俺を見つめている。そのガラスのような瞳に映る感情は、やはり読み取れなかった。

 彼は影響の及んでいない左腕で自分の頭を掻いて――そして、その姿を消した。


「確かに、そうだ」


 背後から声が聞こえた。反射的に振り返って盾を構えようとするが、それよりも早くアドニスの腕が俺に叩きつけられた。鉄を引き裂くような音を立てて、俺の視界が何回も回転する。


「君みたいな偽善者にわざわざ何かを言う必要なんてないか。さっさと――殺そう」


 初めて感じる明確な殺意に全身が粟立つ。HPは一撃で六割を持っていかれていた。盾を構えていないとはいえ、一撃でこれは流石にこたえる。一応物理半減も入っている筈なのだが……それすらも無意味とする圧倒的な火力が、アドニスにはあった。

 攻撃を受けた部位は見事に鎧が凹んでいる。あの墓守の鎧が、こうも容易く……郷愁の世界の強酸を彷彿とさせる火力だ。


 俺が体勢を立て直す前に、アドニスがゆっくりと俺に左手を向けた。白い指先が俺を指して、アドニスの口角が揺れる。


「もちろん……タダでは殺さないよ」


 その言葉に合わせて、リィン、と鈴の音が鳴った。同時に俺の中の何かが蠢いて、メッセージが浮かんだ。


【『厭世』の権能により、リスポーン地点が初期化されました】


【エラー:リスポーン地点が存在しません】


【システムにより、現在地をリスポーン地点に設定します】


「――はっ?」


 どんな攻撃が来るのかと盾を構えて、油断無く力んでみれば……あまりに予想外な言葉が飛んで来た。腹筋に力を込めて顔を殴られたような、どうしようもない不意打ちだ。

 リスポーンが現在地が初期化、現在地に設定、ということはつまり……ああ、そういうことか。アドニスの無表情が歪んで、暴力的な笑顔になる。


「君を、殺すよ。何度も、何度も、何度も……はは、何千回だって殺して、君が命乞いに厭世を叫ぶまで」


「……中々ひねくれてるな、お前の権能ってのは」


「はっ、まさかこれだけだと思ってるのかな?」


 アドニスは嗤って、また音が鳴る。二度、三度とメッセージが浮かんで、そのすべてが絶望を叩きつけてきた。


【『厭世』の権能により、全ての装備が初期化されました】


【『厭世』の権能により、全ての進化が初期化されました】


【『厭世』の権能により、全てのスキルが初期化されました】


【『厭世』の権能により、全てステータスが初期化されました】



「っ……!?」


「僕の権能は世界の『初期化』。僕はこの世界の何もかも、重ねられたすべてを否定する。甘い意志も、薄っぺらい成長も、何もかも……無価値で、無意味だ。それならいっそ、無い方がいい。消えてしまうのが一番だ」


 アドニスが指差す先で、俺の姿は全くの初期状態に戻っていた。全ての装備が消えていて、全ての成長が消滅していた。俺の姿はゲームを始めたその瞬間――装備無しのシャドウスピリットに変わっていた。あまりに久し振りな肉体がそこにあって、真っ黒で矮小な体はどうしようもない貧弱さを連想させる。


 ああ、おい、嘘だろと内心で焦燥が巡って、反射的にステータスを開いた。


 ーーーーーーーーー

 ライチ 男

 シャドウスピリット族 種族Lv1 呪術騎士 職業Lv1

 HP 270/270 MP 560/560


 STR 1

 VIT 100

 AGI 1

 DEX 10

 MAG 260

 MAGD 200


 ステータスポイント0


【スキル】 SP0

「初級盾術1」「初級呪術1」「見切り1」「持久1」「詠唱加速1」「詠唱保持-」


【固有スキル】【種族特性】

「物理半無効」「魔法耐性脆弱:致命」「詠唱成功率最高」「浄化耐性脆弱:大」「魔法威力上昇:中」「MP回復速度上昇:中」「中級闇魔法1」「変形」「精神体」「影に生きるもの」


【装備】

 左手

 右手

 頭

 胴

 腕

 指

 腰

 足


 ーーーーーーーーー


「……」


「ははは! 最高だよ。いい顔だ。それを見られただけでも、僕は堪らなく嬉しい!」


 そこに、俺の重ねてきたすべては無かった。進んできた何もかもが消えていた。ふわりと、昔を思い出す。間違えてゲームのデータを削除してしまったときも、こんな気分になったのかもしれない。

 それはあまりにも残酷過ぎる現実だった。果てしない絶望を越えてたどり着いた強さも、悩み抜いて選んだ種族も……そして何より大切の二文字では尽くせない墓守の装備、そして墓守の寵愛が消えていた。


 一瞬の絶望がそこにあって――そして俺は、ゆっくりと空を見上げた。


「……予想はしてたんだが、あれはやっぱ、本物の太陽じゃないのか」


「……は?」


 俺の言葉に、アドニスは僅かに口を開けた。俺はそれを一瞥して、次にステータスを見る。ああ、間違いないな。


「俺の種族固有スキルに、影に生きるものってあるだろ? 確かこれって日光を直接浴びるとダメージが入るから……ここでピカピカ光ってんのは、太陽じゃないって分かったんだよ」


「……強がっているのか?」


「どう思う?」


 レベル1、装備無し、初期ステータスの俺は、懐かしい肉体の感覚を確かめながら、プラプラと黒く不定形な手を左右に伸ばした。顔が無いから笑顔は作れないが、言葉で表情は伝わるだろう。

 アドニスは激しい怒りと憎悪を滲ませた目で俺を見て、ピクリとだけ右腕を動かす。怒りに震えたのか、予備動作なのか。どちらにしても、俺には関係ない。どうせ攻撃は避けられないからな。


「本当に……不快に極みだよ、君は」


「それはすまん。悪気は無いんだ」


 俺の返事にアドニスは表情を歪めて、左手で頭をかきむしる。どうやら本気で癪に障ったらしい。次に見たアドニスの両目には純粋な殺意があって、ああ、これは死んだなと思った。

 もういい、とアドニスが言う。


「話に付き合うから悪いんだ。ただただ君を殺し続ければ、それで全部は終わる」


「そ――」


 れはどうだか。口にする前に、俺の全てが終わった。視界が一瞬暗くなって、凄まじい衝撃が体を破壊するのが分かった。薄っぺらな体が粉微塵に吹き飛んで――懐かしいリスポーンの感覚がある。


 文字通り瞬殺された俺は、次の瞬間拳を振り抜いた姿勢のアドニスの目の前に立っていた。何が何だかさっぱりだが、とにかく殺されたのだということは分かる。にしたって、あまりにも理不尽な一撃だった。先ほどまでの攻撃がどれだけ手加減されていたかが分かる攻撃だ。

 ステータスの低下も相まって、食らった一撃はこれまでの何よりも凄まじく感じる。これは元のステータスで全力防御しても二発は絶対に無理……というか、打ち所が一発で死ねる攻撃だった。


 手早く俺を即死させたアドニスはちらりと俺を見て、また右腕が揺れる。どうやら会話をするつもりは一切無いらしい。殺意全開の一撃がまた放たれて……続け様に俺は全身が砕け散る感覚を覚えた。


「……痛いって感じる前に即死してるのヤバイな」


「……」


 アドニスの背中側に俺はリスポーンして、体の無事を確認した。本当に酷い死に方をしたので、毎度毎度体が心配になる。顔を上げると、アドニスの右腕があった。正確に言えば、デコピンの形をした右腕だ。あ、と気の抜けた俺の声があって、上半身が千切れ飛ぶ。


 しかし今度は即死せず、急速な死の予感と絶命していく感覚を感じながら……最後は残った下半身がアドニスに踏み潰されるのを遠目で見て、リスポーンした。


「……さて。三回まとめて俺を殺した気分はどうだ?」


「……少なくとも、最悪だよ」


 吐き捨てるようにアドニスは言って、俺はまた死んだ。アドニスの蹴りが頭部を破壊したのだ。ゲームとはいえ、死ぬ感覚はひたすらに気持ち悪く、何も出来ず死んでいくことは理不尽さへの反抗心とストレスを生む。

 けれども俺は朗らか笑って、アドニスに言った。


「何度死んでも、俺は俺だ。何百回でもお前に歩み寄るし、何千回だってお前の言葉を聞くよ」


「――なら、何万回と殺すだけだ」


「上等だな。その分、お前と話が――」


 言葉の途中で殴り殺された。体がバラバラに散る感覚を味わって、また蘇る。口を開く前に握り潰されて、次の瞬間にはまた蹴り殺された。続けて息もつかせず十回殺され、俺はようやく一言を絞り出す。


「痛ぇ」


 理不尽な死がまた叩き付けられて……それでも俺は歪まず考えた。どうすれば、届くだろうか。どうすればいいのだろうか。果てしない厭世に心を喰われて、操り人形で居る自分に絶望して……そんなアドニスの心を、どうすれば救えるんだ?


 一方的な暴力、蹂躙、殺戮の中で考える。ゆっくりと不定形な言葉を探る。何もかもを失って、これまでのすべてを否定されて……それでも消えない何かが、確かに俺の中にあった。

 なら、出来るはずだ。俺は現実ではただの高校生だけれど、ここではきっと誰かの英雄で――そして現実であっても、変わらないものがあるのだ。


 だから俺は口を開く。語り口を紡ぐ。


「なぁ――」


「アド――」


「少し――」


 潰されて、壊されて、砕かれて、踏まれて、唾棄され、消し飛ばされて、俺はアドニスに歩み寄った。その度に殺されて、変わらずに口を開いた。

 殺しては語り、語っては殺され……それはきっと千日手。互いに引かぬが故のぶつかり合いがあって――そしてその結末が世界を大きく左右することは、誰の目にも明らかだった。

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