第121話 青く、青く。

 目覚まし時計の音で目を覚まし、朝食を摂って家を出る。家を出る前にちらりと見た母さんの手元にはケチャップが握られており、母さんは無表情で父さんの弁当のオムライスにハートを書いていた。それにいつも通りだな、と小さな笑いがこぼれる。


「げぇ……寒い……」


 丸一日置いて外の空気に触れると、冷たい北風に体の奥底から体温が奪われてしまう。今の時期は冬真っ只中、11月ともなれば防寒具無しで外に出るのは中々の愚行とも言えよう。あっても寒いことには変わり無いが。

 寒さにひいひい言いながら教室までたどり着き、犯人だけが分かってしまった推理小説を開く。トリックが明かされるまで、犯人がどうして犯人足るのかさっぱりわからない。


 よく推理小説を読んで推理眼とも言えるものを高めている人ならば、この時点で納得出来たのだろうか。そもそもこうして学期を跨いでまで読み続けているこの推理小説は、最近名前を上げてきた小説家の作品とやけに推されていたのを駅の本屋で見かけたのがきっかけで読んでいるわけで、そもそも作者やこの本の評価については全く知らない。


 まさか、何とも言えない締めかただったりしないだろうな?ネタバレが怖くて評価を見るにも見れない。この本のポップを書いた店員のセンスを祈るのみだ。

 どうして盲目の犯人が血縁である音聾の被害者を殺したのか……そもそも、どうやって殺したのか。謎は深まるばかりだ。その謎を紐解いて貰おうと字面に目を向けたとき――いつものようにどたばたと足音が聞こえてきて、神妙な顔付きの晴人が現れた。


 晴人は教室をぐるりと見回し、俺の姿を見つけると残像の残るスピードで俺の隣に立った。


「いや、怖えよ」


「これが俺の最高速だぜ……」


「衝撃波で何人か殺れそうだな」


 音速は言い過ぎかもしれないが、凄まじいスピードで音もなく俺の傍らに立った晴人に苦笑いをする。確か陸上部にめっちゃ勧誘されてたな。陸上以外にも剣道野球サッカーと運動部が連日この教室に押し掛けていた。

 当の本人は『ゲームする時間が減るから無理』とか、『eスポーツならいい』とか言っていた。全くもってぶれないやつだ。


「そんなことよりもシンジ、昨日はどうしたんだ?フレンド欄でシンジが珍しく夜遅くまでINしてるのは分かってたけど……」


「体調崩した」


「ゲームのし過ぎで?」


「ゲームのし過ぎで」


 重ねて肯定すると、晴人は満足げに頷いた。なんだ?その反応。


「いやぁ、ついにシンジもここまで来たか……健康な生活習慣という牙城もゲームの手によって遂に落ちたということだな……うむうむ」


「言っとくが昨日は特別遅かっただけだぞ?」


「その特別が日常になるんですわ」


 妙に説得力がある言葉で言われたが、何も良いこと無いよなそれ。うむうむと晴人は頷いている。こいつは完全に生活がゲームで満たされてるからな……何かの行動をゲームで挟まないと生きていけないんじゃないか?

 そのくせ体は健康そのもので、隈一つ無く冗談を言う晴人に末恐ろしいものを感じる。その体質の三割でも家の父さんに分けて欲しいぐらいだ。


 その恐ろしさを胸の奥に仕舞って、晴人に話題を振ってみる。


「昨日はゲームで何かあったか?」


「ん?いやー?特に何も――あ」


 昨日は流石に自重してvariant rhetoricをプレイしていない。あれだけ手酷く体が痛め付けられた後で動くのも辛かったし、その状態でプレイしてまた体調を崩したりなんてしたら内申に響く。11月は普通に学期末の考査があるのだ。そこで休むのはダメージがでかすぎる。


【貴き星の迎合】のように何かゲリラで起きていないだろうな、と心配して晴人に聞くと、彼は何もないと言う前に何かが引っ掛かったようだ。


「ど、どうした?」


「いやぁ、ふざけてパーティーネーム弄って遊んでたらエリアボス倒しちゃってさぁ……まあ、ボコボコにされたよな。RTAさんに」


「いや、苦労してエリアボスを二人だけで倒したと思ったらパーティーネームに『ミ☆』がついてたらキレるだろ」


 手に汗を握る攻防、間一髪の戦い。それを制した果ての勝利宣言におふざけが混じっていたら、俺なら間違いなくキレる。晴人いわく事故だったらしいが、怒って顔赤くするのレアだったなぁ、とか言ってるし反省してないな。

 はあ、とため息を吐いて話を修正する。


「それは置いて、ゲーム的に何か起きたりしなかったか?」


「んー、南側が開いたから人が雪崩れ込んできた位かな?俺たちは疲れたからポータルで街にすぐ帰っちゃったけどさ」


「そうか、特に何も起きなかったか……」


 スピカが帰ってから何かが変わるかと思ったが、特に何も変わっていないらしい。平穏なのは良いことだ。兎に角心配する事柄が特に無いことに安心していると、晴人がぼそりと呟いた。


「……敢えて細かいところを言うなら――なんだか街が騒がしかったな」


「ん?騒がしかった?」


「なんかみんな不安がっててさ、どうしたんだって聞いても『なんだか嫌な気配が』位しか言ってくれないんだわ。プロビデンスの奴らは考察大好きだから、イベントの前触れだぁって騒いでたな」


 始まりの街が騒がしかった……何かの前触れなのは間違いない。だが、それが良いことの前触れなのかといわれれば、きっと首を横に振るだろう。住民が不安を覚えるような前触れは、きっとろくな事柄を予測していない。例えるなら、雪崩の前に聞こえる雪のズレる低い音のように……。

 とはいえ、俺に出来ることがあるわけではない。俺も俺で中々大変なのだ。


 俺は、『variant rhetoric』を見つけなければならない。それがなんだかさっぱりわからないのに、審判の時は近づいているのだ。テラロッサいわく安心していいらしいが、不安なものは不安だ。敵対しているらしい『堕落』以外のワールドボスとは全員関わりを持っているが……レグルに至っては一戦交えたし、スピカには告白までされてしまった。それでも『variant rhetoric』の正体どころかそれがなんなのかさっぱりわからない。


 何処かにあって、見つけるものということはわかるが……そんなものは情報とは言えないだろう。


 思い悩む俺を前に、晴人が顎に手を当てながら言った。


「俺の予想だけどさ……多分王都になんか居るぞ。エリアボスとかじゃなくて、もっとヤバそうなの」


「……一応理由を聞いてもいいか?」


 晴人の言葉に、メルトリアスがイベント前に言っていた言葉がフラッシュバックした。


『……進むなら西を推すな。王都の地下には『アイツ』が眠っている』


 彼の言葉通りなら、王都の地下には確かに何かが眠っている。人が集まり、営みを繰り広げる真下で……何かおぞましいものが。

 俺の質問に、晴人はうーんと唸って言った。


「……勘、かなぁ。何かが居る気がするんだ。良く強いやつと戦う前に感じる震えみたいなのを、王都の方角から感じるんだ」


「……はっきりしたことは言えないけど、確かに何か居るらしい。NPCから聞いた」


「やっぱり?これで何もなかったら逆に笑ってたわ」


 安心したように晴人は笑った。とはいえ、かくいう俺にも王都の下に眠っている物が何なのかはわからない。古代の超兵器とかか?もしくは巨大な魔力の塊だとか……。晴人と二人でどんなものが眠っているのか議論していると、すぐさま時間が溶けていき、予鈴が鳴った。


「ん、時間か。まあ、取り敢えずシンジが元気そうでよかったよ」


「心配かけてすまんな」


「いいってことよー」


 相変わらず軽い口調で自席に戻っていく晴人にちょっぴりだけ感謝を投げ掛けて、勉強のスイッチを入れた。



 ―――――――――



 暗い、暗い部屋に一人の男の声が強く響いた。その声は枯れていて、裏返っており、長い間まともに出していない声を無理矢理出したということは明白だった。


「なっ!?そんな、馬鹿な……!」


 口に咥えていたスプーンを片手に持ち、椅子から立ち上がった男はじっと画面を見つめている。そこに映るのは、白いツインテールの少女と一人のプレイヤー――ライチだ。

 ワールドボスであるスピカはライチに手を引かれ……あろうことか恋慕を抱いている。ワールドボスが、だ。


「クソ、やっぱりシステムに穴があったみたいだ……突貫工事だったから仕方ないとは言え、ここまで酷いなんて……」


 処女作である『郷愁』のスピカ・レトリックは不安定だ。製作者の言うことも聞かないし、とはいえデータまるごと削除するには世界に溶け込みすぎていた。

 そのくせ郷愁の持つ権能は『世界全体のロールバック』という巨大すぎるものだった。


 あの場所へ帰りたいという欲求によって目覚めたらしい権能は彼の望む通りだったが……いかんせん目覚めた相手が悪かった。最悪を想定して世界を隔離していたが、まさかそれが裏目に出るとは……。


「……駄目だな、解析しようにも弾かれてしまう」


 現状、スピカを止める方法は無い。上手いこと彼の心が荒れている隙を縫ってスピカを連れ出したライチに思わず何か文句を言おうとして、やめた。


「……これはこれで、悪くないのか」


 自分が見ていないとはいえ、スピカを連れ出すのは並大抵の者では出来ない。それこそ、血反吐を吐くような茨の道だ。それを制して、スピカを連れ出したライチは『堕落』を除いたすべてのワールドボスと面識がある。


「もしかしたら……」


 男は暗い部屋で呟いた。


「もしかしたら、君は――もう……」


 画面の中の騎士は疲れたように手を引かれている。いつか勝手に見捨てていたライチというプレイヤーは、無理矢理彼の目の前に舞い戻った。……『variant rhetoric』を持っているかもしれない者として。


 とはいえ、それがただの勘違いという可能性も捨てきれない。だから、だからこそ『彼』が居るのだ。男の最高傑作、ある意味で完全無欠のワールドボス……『厭世』のアドニス・レトリックだ。

 別の画面に目を移すと、アドニスは指示通りに空を見つめていた。


「……頼んだぞ、アドニス。見極めてくれ、彼が何者なのか。……君を、救えるのかどうかを」


 暗い部屋の中で、一つの声が反射した。帰ってくる言葉はない。けれど、男にはそれで十分だった。 

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