第114話 騎士と龍には、切っても切れぬ縁がある。

 全身を煌めかせる虹のドラゴンが、刺激的な色の入り交じるこの世界で大きく吠えた。


 キィィァァア゛ア゛ア゛!!


 錆びた鉄を擦り合わせて掻き鳴らしたような咆哮に、思わず体が固まる。が、直ぐに状況を判断して盾を構え、スピカの前に立った。その動きに合わせて視線を周囲に巡らせて、抜け目なくフィールドを観察する。

 あのドラゴンに泡が吸われたお陰で十分動けるだけの広さがある。が、幾つかは確かに残っているな。まずあのドラゴンには酸が効くかどうかを確かめなくてはならない。そもそもどの程度の強さか、ブレスは吐けるのか、倒せるのか……。


 念のため鑑定を送ってみたが、簡単に素通りした。そもそも生物でも物質でもないって判定か……シャボン玉自体が世界を映す鏡のような役割を果たしており、アドニスはそれを『天井の穴』と例えていた。その穴が集まって出来たドラゴンには、勿論実体など無いのだろう。いよいよ倒せるか怪しくなってきた。


「スピカ、一応聞くけど戦えたりはするか?」


「ごめんね……スピカは戦えないよ。ずっとここにいて、『力』の使い方が良く分からないんだ……」


「分かった。それが知れれば十分だよ。……少し下がっていてくれ」


 俺たちの会話の間にも、ドラゴンは動いている。ゆっくり、ゆっくり……俺たちを中心に回るように動いている。その動きはまるで狼か虎のようで、いつもは見なかったであろう俺という存在に警戒している様子が伺える。

 盾を深く構えて牽制するように前に一歩踏み込むと、ドラゴンがその動きを少し早めた。お互いに射程距離を図っているのだ。


 俺はあのドラゴンの尻尾や腕の攻撃のリーチ……そしてブレスを。ドラゴンは俺の攻撃手段と攻撃速度、威力等を観察しようとしている。月紅の時で大分ドラゴンの動きは掴んでいるつもりだし、これまで中々長い時間をメラルテンバルと過ごしてきた。

 相手がドラゴンでも、多少は動ける筈だ。


 取り敢えず最低限の思考は持っていて、体の大きさはメラルテンバルに比べて少し小さい位だな。あの泡を破壊して倒す感じか……。


「……『ダークアロー』!」


 膠着していても始まらない。どちらにせよどちらかが手を出さないといけないのだ。こんな集中力を使うにらみ合いを続けていたら俺の気力が尽きるし、何より泡がまたこの空白地帯に押し寄せてしまう。

 牽制と小手調べのつもりで撃ち込んだダークアローは不気味な唸り声と共にシャボン玉の腕に叩き落とされた。


「ダークアロー位じゃ本当にノーダメージって感じか……絶対シャボン玉堅くなってるよな」  


 そういう敵になるときは強いけど味方になるときは弱いみたいな感じは止めてくれ。がっかりするやつだ。ドラゴンは俺の一撃を叩き落とした左腕の様子を目視で確かめて、腕のダメージがそれほどではないことを確信したようだ。空っぽの眼孔に嘲りが浮かんでいるように思われる。

 次は試しに、と毒を撃ってみたが、やはり泡を素通りした。ドラゴンは警戒の視線で俺の呪術を見ていたが、自分に利かないことが分かるとまたもや嘲りを深めて俺の方に距離を詰め始めた。


 ――ふん、この程度か。雑魚め、すぐさま捻り潰してやろう。


 堂々と俺に距離を詰めてくるドラゴンの心情はこんなものか。


 ……正直に言おう。勝ち目が殆どない。何かギミックが無いのならば、間違いなく俺は死ぬ。固すぎる上に見た感じ骸骨のメラルテンバルと同じくらいの攻撃力と、未知数の手札。それに対してこちらは最低でもダークボール以上の攻撃で戦わざるを得ない上に、頼みの綱である呪術は完全に無効だ。


 今まで格上を倒せたのは作戦が嵌まったのと、ギミック、仲間であるカルナやロードと俺のシナジーが凄まじいほど高かったからだ。……それなのに、今は圧倒的格上を前に立った一人。更に、守るべき相手もいる。


 これは……かなり不味いかもしれない。詰め寄るドラゴンに二度目のダークアローを撃ってみたが、今度は見向きもされなかった。虹の鱗に触れたダークアローが黒く弾けて、シャボン玉の一つにヒビを入れたが……それだけだ。

 ドラゴンとの距離が近い。一応ヘイトを集めて攻撃を受けてみるか。


「『ディフェンススタンス』『フォートレス』『シールドバトラー』……さあ、掛かってこいよ。まさか見かけ倒しなんて無いだろうな?」


 鎧の奥で鼻につく嘲笑を浮かべて挑発すると、ドラゴンは大きく牙を剥いて、力強く右腕を俺に振り下ろしてきた。その動きが、いつぞやのメラルテンバルに重なる。


 確か――このタイミングだっ!


 振り下ろされる傲慢で愚直な振り下ろしを盾を攻撃に擦り合わせるようにして地面に受け流す。盾と爪が触れた瞬間にかなりの衝撃が体に掛かるが、この程度ではメラルテンバルの咆哮、レグルの一撃に比べるのは失礼な程軽い。

 そこそこの質量を持った一撃を、完璧に受け流した。貫通する筈のダメージは、右腕についた不滅の加護の効果『最大HPの1割以下の攻撃を無効化する』に引っ掛かったらしく無い。


「ギィィ……」


「生憎ドラゴンとは縁があってな……生半可な攻撃が通ると思うなよ」


 今の一撃は、簡単に言えば舐め腐っていた。ほら、止めてみろよ雑魚、とでも言いたげな攻撃だ。だが、次からはそうはいかないだろう。いかないだろうが……ああ――


「全部受けきって、困惑させてやるよ」


 俺に攻撃手段は殆ど残っていない。ダークボールと、最終手段のダークピラーのみだ。けれども、耐久だけなら格上だろうが確実に持たせられる自信がある。


 負けない相手には、誰も勝てない筈だ。


 耳障りな咆哮を上げて、ドラゴンが頭突きを放ってくる。立派な角に盾の側面をあてがって、滑らかに受け流した。がら空きな体にダークボールを撃ち込むと、虹色のシャボン玉が幾つか砕けるような音がした。


「クィイ゛……!」


「ダメージ自体は入るのか……シャボン玉二つって位か?」


 視線の先のドラゴンは、右肩辺りから血液の如く酸を溢していた。良く見れば弾けたらしいシャボン玉で穴が空いている。肩口に着いた黄金の液体を、煩わしそうに振り払ってドラゴンは俺に向き直る。


 成る程……そうだよな。その体はシャボン玉でできてるもんな。……酸は、効くのか。


 そうと分かればやることなど単純だ。体を端っこから削り取ってやる。


 ドラゴンが体重を乗せた体当たりを打ち込んで来た。シールドバッシュで軌道から逸れてダークボールを撃ち込む。長い尻尾による鞭のような一撃は思ったより重かったが、出来るだけ丁寧に空へと跳ね上げた。

 噛みつき……タイミングを合わせて――


「『強酸アシッド』!」


 開いた口の中に特製の強酸を送り込む。噛みつき自体は喰らってしまったが、その直後にドラゴンは大きく見悶えていた。そして体をぶるりと震わせると、腹の部分から俺の強酸を排出する。

 そうか、体が泡で出来てるから隙間を通って排出されるのか。だが、ドラゴンにとって中々の痛手だったらしく、一段と殺意の籠った視線を送られた。



 それからも、何度となく盾で攻撃を受け流す。幾度となく攻撃を受け止めて、その度に攻撃を撃ち込む。


「ギィィ!!」


「……っと!――なっ!?」


 体重の乗ったドラゴンの腕を受け止めると、パリン!と音がして、ドラゴンの爪が砕けた。それと共に盾に強酸が降り注ぎ、慌てて回避する。


「チッ……壊れたら壊れたで面倒すぎるだろ……」


 ぼそりと呟いてドラゴンに視線を向けると、ドラゴンは自分の体を俯瞰していた。至るところに穴の空いたボロボロの体だ。こいつと打ち合い始めて、そこそこ時間が経つ。それだけの時間があれば、多少のダメージは負わせられるさ。

 案外、このまま打ち合ってれば勝てるかも――そんな俺の楽観をうち壊すように、ドラゴンは大きく翼を広げた。


 今までに無いモーションに、思わず固まる。翼を広げたドラゴンは、胸の奥から紫色の光を放出した。何らかの攻撃かと思って咄嗟に盾を構えたが、特に何も起きない。一体なんだと思って顔を盾から上げると……視線の先で、ドラゴンが自らの体を修復していた。


 辺りに浮遊するシャボン玉がふわりと浮き上がって、ドラゴンの体に空いた穴に嵌まっていく。はぁ……?


「ここに来て自己回復持ちかよ……ボスに回復持たせたら駄目って知らないのか?」


 自分に突き刺さる特大ブーメランを放り投げて肩を落とす。視線の先で、ドラゴンが自らの傷を全快した。新品同様の体になったドラゴンは、またもや嘲るような視線を俺に向ける。

 あっという間に戦いがゼロに戻った。


 もしかしたら勝てるかも……まあ、そんなことは無いということだ。このクエストの難易度は35。耐久だけで勝てたら甘くはない。恐らくレベル35相応の攻撃力が求められているのだろう。


 ああ、ロードかカルナ……もしくはシエラが居れば間違いなく楽だっただろうに。これでは勝てるかもしれないなんて口が裂けても言えない。めちゃくちゃな装甲と、完全な自己回復は組み合わせてはならない禁じ手だ。


 絶望しながら盾を構える俺に、ドラゴンが大きく息を吸った。


 ――いや、嘘だろ?


 この動きを俺は知っている。何のために息を吸っているのか知っている。ここに来て……ブレスだ。


 大きく息を吸ったドラゴンは俺に狙いを定めると、体を大きく震わせた。その途端にパリリリン、と何かを砕ける音がして、ドラゴンが特大のブレスを俺に向かって放った。

 金色の光線……いや、純粋に強酸の水鉄砲といった感じか。規模は水鉄砲ではなく完全に大砲クラスだが、原理は同じだ。


「ふざけんな……『ランパート』!『シールドバッシュ』!」


 何とかランパートでブレスを一瞬だけ止めて、シールドバッシュで逃げ延びる。真後ろでとてつもない轟音とランパートが弾ける音が聞こえた。

 あれの前じゃ一秒として持たないか……。


 何とかブレスは回避したか、と安堵する俺の体を横殴りの衝撃が襲った。ぐるりと視界が回転し、ダメージが身体中を突き抜けていく。それでも冷静に地面へ籠手の指先を突き立てて体を起こした。長々と吹っ飛ばされた元の場所を見つめると、そこには右腕を振り切った体勢のドラゴンが居た。

 その空っぽの瞳は確かに笑っていた。


 ――ほーれ、やっと一発だ。


 即死確定のブレス、再生する強固な体、実体も無く死の概念の怪しい存在……ああ、間違いない。間違いなく、こいつは俺の格上で、正攻法じゃ絶対に勝てない。火力が足りないし、機動力も足りない。だが、無い物ねだりをするほど俺は幼くない。


 だから、考える。これまでの情報を整理する。この世界に来てからの事柄を全てかき集める。


 その間にも、ドラゴンは俺へと攻撃を仕掛けてきた。それら全てを何とか凌ぐ。噛みつき、尻尾の叩きつけ、尻尾の薙ぎ払い、近距離ブレス、破裂するシャボン玉、体当たり、翼を使った押し退け……。


 止めて、受け流して、避けて、耐えて……考える。


 殆ど一方的にドラゴンが攻め立ててくる。攻撃が無駄だと分かった以上、無駄な行動を減らすために攻撃は控える。それを良いことに、ドラゴンは更に苛烈に俺を攻め立てた。

 何度も盾で攻撃を受け流す。時折受けきれない攻撃や偶発的なシャボン玉の破裂に鎧が傷つく。


「『バトルヒーリング』『硬化』『ディフェンススタンス』『フォートレス』……」


 それでも、考える。こいつの弱点は何だ?レベルがある以上、こいつは確実に倒せるか追い払える筈だ。負けイベントで逃げ切る事が前提だなんてつまらないクエストをイベントクエストにするはずがない。このゲームならそれは無い。

 何かがあった筈だ。見逃していたことがある……ドラゴン、酸、スピカ、別の世界、ダメージ……。


 ドラゴンが再生するときに放ったあの紫の光は一体何なんだ?エフェクト?それにしては違和感がある。何故ならあの光は胸の奥深くから放たれており、まるでそこに発光する何かがあるかのようだった。再生と発光……そういえば、このドラゴンは元々どうやって生まれたんだ?体を形作るにはまず、いくつかのシャボン玉が組み合わせって、それにほかのシャボン玉が組み合わせって……と最初に中心となったシャボン玉があるはずだ。


 それが体の『核』とも言えるものになっているのか?例えるならスライムのように……ならばその核を破壊すれば、あるいは……。そこまで考えて、その考えが不可能だと悟った。何故ならば、核があるとしてもそれを破壊する手段がない。核は幾つもの硬質なシャボン玉に守られた中心にある。

 ダークピラーならば撃ち抜けるかもしれないが、間違いなく回避されるだろう。ドラゴンは激しく動き回っている。その核に時間差でクリーンヒットをさせるなんて、無理にも程がある。


 どうすればいい。……考えるしかない。もっと根本的なことを考えよう。あのシャボン玉について……シャボン玉は外の空間を写し出す。割れればすぐさま酸を発射する。ならば酸を利用して核を溶かすか?


 シャボン玉……シャボン玉……。


 ――シャボン玉は、外の空間を写し出す時に……止まる。


 それか。それしか……ない。もしこのドラゴンの体にあるシャボン玉の性質が生きていれば、正面から近距離で見つめたとき、その動きが止まる筈だ。

 今までは盾を構えていて殆どシャボン玉なんて意識の内にも入っていなかった。だがもし、本当に止まるのならば……それが、今回の鍵になる。


 目の前のドラゴンが、大きく腕を振り上げた。それに対して盾を構えることをせず、堂々と見上げる。さあ、こいよ。もしこの考えが間違っているならば、また考えるだけだ。


 しかし、目の前のドラゴンは俺の行動に動きを止めて、じっと俺を見つめて……大きく後ろに距離を取った。そして、ブレスの体勢に入る。その様子は疲れた俺の目からしても、明らかに焦りを含んでいた。


「……種が割れたら早々に距離を取って対策を取らせないつもりか……」


 確定だな。あのシャボン玉は近寄って覗き込めば映像を写すために止まる。それを悟られたドラゴンは距離を取ってブレスだけで仕留めようとしているのだ。だが、そんなので俺が止まる訳がないだろう?その一時間弱をひたすらに殴られながら食い下がってきたんだ……勝ち筋が見えたのなら、尚更追い縋ってやる。


 ――懐に潜り込んで……ぶちかます。

 ただ、それだけを考えてドラゴンへ向けて走った。


 連続して撃たれる三発の酸ブレスを一発目はシールドバッシュ、二発目はランパート、三発目は横に飛び込んで回避した。


 走れ、走れ、その懐へ。ドラゴンが焦るように後退りをし、俺から更に距離を取ろうとするが……そうはさせない。


「今さら逃げるなよ……!『ダークボール』!」


「ギィィ!」


 超質量の球体がドラゴンの右足に炸裂し、後退を止める。一時間もなぶってくれたんだ。今さら危なくなったからって逃げ出そうとするのは、少しばかり勝手じゃないか?

 怯んだドラゴンが、遂に俺を正面から打ち倒すために泡でできた右腕を後ろに引いた。盾を構えて、牙を剥く竜へ真っ正面から突き進む。


 まるで絵本の中の戦いのような一瞬が交錯した。タイミングを予測して予めダークピラーを詠唱する。


「キィィィア゛ァ゛!!」


「うぉぉぉぁぁぁ!!」


 竜と騎士、二人揃って咆哮を上げ、ドラゴンは凶悪な腕を俺へ向けて振り抜いた。虹色のそれを視界に捉え、されど微塵も動じること無く地面を踏みしめ――思いっきり地面に倒れ込むようなスライディングをする。

 地面と墓守の鎧の腰当てがきつく擦れ合わさって火花が跳ねた。俺の頭上を、とてつもない風を従えた虹の腕が通過していく。


 火花を散らすスライディングで、一気にドラゴンの懐に潜り込んだ。勿論ドラゴンは体を浮かせて逃げようとするが、ここまで来れば最早逃げようにも逃げられないだろう。すぐさま立ち上がってシャボン玉を見つめた。途端にそれらは虹色の表面を変化させ、どことも知れない町の市場を映した。

 ドラゴンが体を動かそうとするが、変化したシャボン玉は一ミリも動かず、空中に縫い止められていた。


 それを確認すると同時に、俺は不定形な顔に疲れた笑みを浮かべて言った。


「生憎竜狩りは二度目でね。相手が悪かったな……『ダークピラー』ッ!!」


 俺史上最高の火力が堂々と解き放たれる。慌ててその場から離れて後ろを振り返った。振り返った先のドラゴンの体が黒々とした柱に貫かれ、痙攣している。多少離れていても感じる破滅的な暴風は、以前見たときよりも一段飛ばしで強化されているように思われた。


 ――パリィン


 黒い柱はドラゴンの胴体を完全に飲み込み、サイケデリックな世界に圧倒的な『黒』を見せつけて天を貫いていた。

 流石はMAGに振っているだけある……。ドラゴンはガラスが弾けるような音を幾つも体から響かせており、激しく震えていた。やがて俺の魔法が止まると、胴体に巨大な穴を空けたドラゴンだけが取り残された。


「……流石に、これで起き上がらないでくれよ?」


 ぼそりと呟いた。もう流石に体が動かない。これで再生されたら勝てる気がしないぞ……?体力も、気力も、MPも何もかもが枯渇している。ずたぼろに擦りきれた体を何とか気合いで持たせているのだ。もう眠気まで押し寄せてきている。荒い息を何度も吐いて見つめた先……シャボン玉の竜の体がぐらりと揺れて地面に落ちた。


 ――パッシャーン……


 ガラス細工の物を落としたような音がして、ドラゴンの体がバラバラに砕けちって地面に広がる。その跡地に強酸が水溜まりを作って残骸を溶かしていた。


「……」


 俺はゆっくりと目を擦って、そしてもう一度先程まで猛威を振るっていたシャボン玉の竜であったものの残骸を見つめた。倒した。倒した……たった一人で、格上を相手に……。


「――っしゃぁぁぁあああ!!やってやったぞ製作者ぁ!!」


 くたびれた体の奥底から、無限と錯覚するような喜びが巡って行くのを感じる。昂った血潮が渇いた全身を癒すのを感じる。ああ、ああ……勝った。間違いなくたった一人では太刀打ちが出来ない相手を、小細工と作戦だけで絡め取った。

 相手が良かったとか、作戦がうまく嵌まったからとか、色々と思うことはある。けれど確かに俺は倒したのだ。誰の手も借りずに、戦いのなかで考えて相手を倒せた。


 まるで嘘みたいで、自分がここまで成長できていたのかなんて、ちょっとした全能感に似た実感すら覚えていた。倒したドラゴンの残骸をじっと見つめる俺の背中に、軽い衝撃が走った。

 驚いて振り返るとそこには俺に抱きつくスピカの姿があった。彼女は興奮さめやらない様子で俺に抱き着いて、そのまま俺を見上げて興奮したように声を上げた。


「凄い!凄いよ王子様!ずっとかっこ良かったよ!最初から最後までずーっと、ずっとかっこ良かったっ!」


「はは……ありがとな」


「うぅん。ありがとうはスピカの言葉だよ。スピカを見つけてくれて、連れ出してくれて……スピカの為にドラゴンさんまで倒してくれたもん」


 オッドアイを潤ませながら、スピカは俺を強く抱き締めた。行き場の無い情動を、駆け巡る興奮をそのままに、彼女は最高の笑みで言った。


「ありがとう、王子様!本当にありがとう!」


「……お礼は最後にまとめて受けとる主義なんだ。……でも、どういたしましてって独り言を言っておくよ」


「えへへ……」


 正直言うと、もう動きたくない……。というか動けない。体は限界突破している。スピカの体重を支えるだけで一苦労だが、それを言ってはこの空気が台無しだ。ああ、この場に満ちた最高の空気を無駄にすることなんて、あり得ない。


 はしゃぐスピカに笑いかけて、大きく深呼吸をした。最悪だったはずのこの場の空気が、どうにも山の頂上のような不思議な味をしているように感じた。

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