第103話 月が綺麗ですね

 暫く空を駆け抜けていると、遠くに墓地が見えてきた。それを視界に捉えると同時に、俺の体がどっと重くなる。安心感か、もしく達成感からか……緊張が抜けて一気に体が重くなったのだ。


 やはりこの数日間は無理をしすぎたな。特に今日は殆ど寝れずに砂漠をさ迷って、破滅にぼこぼこにされた。未だにあの敗戦は心に来るが、あれですら確実に手加減されていたものだったので、最早勝つことを考える事自体が愚かとも言える。


 本気になった彼女を倒すには、確実にレベルカンスト勢が二十人以上必要だろう。それにしたってフィールドが最悪だ。テラロッサの加護が二十人あるとも思えないし、本当にどうやったらレグルを倒せるのだろう。

 ……第二形態とかあったらマジでプレイヤーの手に負えなさそうだ。


 そんなことを考えている内に俺たちは墓地にたどり着いたらしく、メラルテンバルがゆっくりと下降をし始めた。真下を見ると小さくロードやカルナらしき人影が見える。降下するにつれて大きくなるその影は、こちらに大きく手を振っていた。こちらも大きく手を振り返す。


 メラルテンバルの体が地面に着いた。リエゾンと二人揃って地面に降りると、漸く陸地にたどり着けた安心感が体を包み込んだ。


『到着だよ』


「助かった、メラルテンバル」


『礼は要らないよ』


 メラルテンバルに礼を言ったリエゾンは、そうか、と小さく笑った。それをしっかりと聞き届けて、メラルテンバルはまたもや夜の空に飛んでいった。墓地を警護してくれているのだろう。

 その様子を見つめていた俺に、緊張したようなロードの声が掛かる。


「ら、ライチさん、リエゾンさん……お帰りなさい」


「おう、ただいま」


「た、ただいま……」


 遠慮がちにただいまを言ったリエゾンに、ロードが一瞬目を真ん丸にして、直ぐに柔らかい笑顔に戻った。カルナ達もまだログアウトをしていなかったらしく、続けるように声を掛けてくれた。

 畳み掛けるような挨拶の塊に、リエゾンは困ったように頭を掻いて笑っている。

 その目は新しいものに触れた驚きと喜色に透き通っており、しっかりとこれからを生きる者の目をしていた。


 リエゾンが眠そうに瞼を擦っていたので、いつも寝ている林檎の木陰に送り出してあげた。他人が眠い様子を見ると、それが移って眠くなるな……。俺も無い筈の瞼を擦ると、ふふ、とカルナに笑われた。


 木陰に向けて歩き出しているリエゾンを見て、カルナが小さく俺に言った。


「……お疲れ様。色々と大変だったでしょう?」


「大変だったと言えば大変だったけど……まあ、良いものを見せてもらったよ」


「俺たちもクエスト達成の通知と同時に視点が切り替わって……なんて言うんですかね、追体験?みたいな物を見ましたよ」


「ライチ視点だったよー!もう私ぎゃんぎゃん泣いちゃってさー」


 どうやらクエストを達成したと同時に、俺視点でカルナ達も追体験をしたらしい。黒い霊体の瞳を器用に潤ませながら、シエラは言った。カルナ達も満足げな表情をしている。


「なんとかクエスト達成できたな……」


「この二日は濃厚だったわね」


「嫌いな色が白になるところだったよー」


「強い敵を相手にするのと同じくらい疲れました……結局あの『破滅』とか言う人には歯が立たなかったし、俺もまだまだです」


 全員でクエスト達成の喜びを分かち合う。これまでに経験した事の無い、作業や時間との戦いだった。リエゾンの過去が過去なだけに、絶対に失敗できないというプレッシャーも大きかったと思う。それでも俺達は最後まで依頼を達成できた。 


 俺の許容できる終わりが見えた。だから、笑って前に進んでも良いだろう。笑いあう俺達の輪の中で、唯一ロードだけがなんとも言えない顔をしていた。


「結局、最後まで殆ど何も手伝えませんでした……」


「いや、北の不滅のお伽噺と花言葉を教えてくれたじゃないか。あれがなかったら、俺は今頃諦めてたよ」


「ロードちゃんはメラルテンバルさんの上で魔法を撃ってたりしてたよ?」


「ロード。そもそも貴方が彼を説得したのよ?それがなかったら、今頃彼は砂漠で破滅していたわ」


 間違いない。このクエストの発端は、間違いなくロードだ。途中でパーティーから離脱せざるを得なかったが、数々の足掛かりやヒントをくれた。特に北の不滅について教えてくれなかったら、俺はリエゾンを諭すことなど出来なかったし、もしかしたら髪留めを探すこともなかったかもしれない。


 俺達が口を揃えてそう言うと、ロードは驚いたような顔をして、最後に笑った。


「そう……なんですね。僕は、ちゃんと役に立てたんですね……」


「間違いなく影のMVPね」


「えへへ、ありがとうございます。お陰で気分が軽くなりました」


 ロードは責任感が強い。加えて昔、『堕落』の尖兵がこの墓地を襲ったときには、何もできずメルエスを失ってしまった。それ故に彼女は『何もできない』ということに、少々トラウマじみた物を感じているのかもしれない。


 ロードの言葉を最後に、一旦会話の流れが途切れた。少々の沈黙の後に、現在時刻を確認したらしいコスタが小さく声を上げた。


「8時半過ぎ……」


「あら、意外に時間があるのね」


「カルナ、確実にそれは感覚が麻痺してるぞ」


 朝から殆どノンストップで八時半まで十二時間ほどゲームをしていたら、それはもう既に廃人だ。何をどう繕おうと一般人ではない。

 今の時刻は完全に晩御飯の時間だ。シエラとコスタが視線を交差させて、小さく頷いた。


「きりも良いので、今日はここで落ちますね」


「楽しかったよ!ありがとね、みんな!」


「おう、お疲れ様ー」


「二人とも、お疲れ様」


「こちらこそ、リエゾンさんを助けてもらって感謝したいくらいですよ」


 はにかむロードの破壊力に、シエラがはぅっ、と声を上げた。ハートの中核を射抜かれたようだ。そのとなりで呆れたように首を振って、コスタがログアウトした。続けてシエラも大きな声を上げながらログアウトする。


「やっぱロードちゃんがさいかわっ!!」


「間違いない」


「うぇっ!?さ、さいかわ……ですか?」


「何を言っているのかしらこの子は……あとライチ、神妙に頷かないの」


 間違いない。ロードはフードを深く被りながら、地面に顔面から墜落したシエラを見つめている。ちらりと覗く金色の瞳は困惑に揺れ、両手は杖にしがみつくように握られている。このあざとい動作を計算無しでやってしまうのだから、彼女はやはり素晴らしい。


「うぅ……ライチさんまで……う、嬉しい……ですけど」


「ぅあ°」


「あー……駄目ね。脳みそが弾けてるわ。私も血糖値が四桁になりそうよ」


 ロードの言葉に全身が弾けた。ロードは顔を赤くしながら、カルナさんが攻めろって言ったんじゃないですかー!と怒っている。そんなロードを見つめていると、先程吐いた言葉がひょっこりと顔を出してきた。


『愛ってさ……ちゃんと言わないと、ちゃんと聞かないと伝わらないんだな』


 俺は、まだ誰かを好きになったことがない。好きという感情が分からないし、愛が何かもわからないのだ。けれど、ロードを見つめていると心がざわつく。笑うロードを見ると俺まで笑ってしまうし、悲しんでいるところなんて見てしまったら、全力で慰めて影で泣かせた奴に殴り込む。


 これが、好きってやつなのか?……俺にはさっぱり精査が出来ない。だって確かめようが無いだろう?晴人に言ったら間違いなく鼻で笑われるかな……いや、あいつも同じく分からないんだったな。


 でもとにかく、俺はロードのことを大切だと思っている。その気持ちは、口に出さなければ伝わらない。なあなあで済ませるような俺はもう居ない。リエゾンの過去に触れたから。互いを愛していながら、もう二度と互いに触れることが出来ない二人を知っているから。


 だから、俺は――言わなきゃならない。この思いを、勘違いとかお門違いとか、そんなうすら寒い感覚を乗り越えて言わなければならないのだ。


 仲良くカルナと談笑するロードを見つめる。取り敢えずカルナが居なくなってから……と考えていると、カルナが会話を止めて俺の方に振り返った。そして何かを言おうとして口を閉じ、困ったような笑顔でロードに言った。


「少し用事を思い出しちゃったわ。ごめんなさいね、ロード」


「そ、そうですか……わかりました。お疲れ様です、カルナさん」


 なんていいタイミングなんだ。思わずカルナを見ると、彼女はメニューを操作し、おそらくログアウトを選択すると同時にウインクをした。それが誰に向けてされたものかなど、考えずとも分かる。


「カルナのエスパー度合いはマジでヤバイな……」


 なんだよ、雰囲気だけで察したってことか?エスパーじゃないか。心の中でカルナに巨大な感謝を投げつけながら、ロードに向き直った。ロードは俺と二人きりになったことで、会話の種を探しているのか、えーと、とかその、とか言っている。墓地は騒がしい面子を除けば本当に墓地に相応しい静けさで、ロードの声以外のどんな音も聞こえない。


 星空の下の墓地には、星に似た銀の粒子が雑草や花の上に散らばっており、空と地面が繋がっているかのような感覚を覚える。そんな幻想的な空間で、月をバックに銀の杖を両手に握るロードは大層絵になっており、思わずすべてを忘れて見惚れてしまいそうになった。


 しかし、黙っているわけにもいかない。無言の俺に困惑するロードへ、小さく言葉を投げ掛けた。


「え、えーと……その……」  


「ロード」


「は、はい……」


 ロードは金色の瞳を揺らしながら、返事をした。その様子はやはり困惑の色が強く、どうしたんだろう、と思っているに違いない。


 ……さて、後は言うだけだ。場は整っている。カルナは気を利かせてくれたし、空も晴れ渡って銀の月がよく見える。そんな中で二人きり、見つめあっているのだ。これを逃せば……あぁ間違いなくチャンスはそうそう回ってこないだろう。


 ゆっくりと呼吸を落ち着かせる。が、心臓は俺の心に正直で、エンジン音もかくやといった早鐘を打っていた。顔が赤くなるのを感じる。呼吸すらまともに出来なくなって、窒息しそうだ。


「ど、どうしたんですか?」


「い、いや……その……」


 言え、言え。頭では分かっているが、体が動かない。心臓が脈打つ度に身体にその鼓動が伝わって、気分が悪い。ああ、駄目だ。緊張でどうしようもない。

 喉が猛烈に渇く。言葉を忘れてしまったように、声がでない。


 俺は、誰かを好きになったことがない。


 自分が誰かを好きになっているか、なんて自分じゃ分からない。しかも、その気持ちを向けているのがゲームの中のNPCだったら、尚更分からない。結局はデータの集合体で、現実には居ない存在なのだから。

 それに恋慕を向けることが、一般社会でどれだけ普通ではないかぐらい、俺は知っている。結局彼女が幻想の存在で、夢に近いということは分かっている。


 それでも、それでもだ。俺は――君を、大切に想っているんだ。


「ロード……」


「は、はい……本当に大丈夫なんですか?ライチさ――」


「――好きだ」


「……え?」


 言った。言った。言った。声は掠れていたし、上擦っていたが言えたのだ。言ってしまえばもう取り返しなどつかない。全身から出ない筈の汗が噴き出すのを感じた。

 覆水盆に返らず。あとは全て、彼女に任せよう。ロードは俺の言葉を聞いて固まり、何かを考えるような仕草をした。


 そして、困ったように俺にこう言った。



「月が、どうかしたんですか?」



 ……え?え?いや……月じゃない、好きだ。あんまりにも俺の発音と声が酷すぎて、聞き取れなかったのだろう。元々鎧の奥から反響する声で、掠れていて、震えていて、更に上擦っていたとなると、聞き間違えても仕方がない。……仕方がないが――


 そりゃあ無いだろう!?


 俺の人生の中でも、間違いなく最大の勇気を振り絞った。リエゾンのクエストをクリアした達成感と満足感、疲労と眠気による理性の低下、メラルテンバルとの会話による後押し、完璧なシチュエーションという全てが重なって、漸くこの三文字が言えたのに……。

 流石にこのときばかりは空に浮かぶ月に恨み言をぶつけざるを得ない。紛らわしい名前しやがって。


 目の前のロードは首をかしげている。いや、流石に二度目は無理だ。無理といったら無理。けれど、ロードの言葉には何かしらを返さなければならない。憎き月がなんたるや、と返さねば……。


 月が…………。


「月が――綺麗だなってさ」


「成る程、そうですか。……確かに綺麗ですね。少しだけ欠けていますけど、綺麗です」


「そうだよな」


 あああああ!!駄目だこりゃ。後で教科書の夏目漱石に落書きしてやる。全く伝わってないじゃないか!意味無いぞ!


 歴史的人物に最大の恨み言をぶつけながら、月を見上げるロードににこやかな笑顔を向けた。


「そ、それじゃあ……俺はここらへんで」


「そうですか……本当にお疲れ様でした、ライチさん」


 俺に笑いかけるロードは背後の月を霞ませるような美しさで、それを見た途端感嘆の息が出てしまった。その笑顔はどんな宝石よりも価値があって、さっきまでの焦燥や錯綜を全部白紙に戻してしまうような、そんな笑顔だった。

 またもや言葉を失って、ひたすら頷く。そして俺の指先は俺の意思から離れてメニューを呼び出し、ログアウトに触れた。


【ログアウトします】


【……お疲れ様でした】


 暗くなっていく世界で、ロードは最後まで俺を笑顔で見つめていた。世界の主役に躍り出るその笑みに見惚れながら、小さく決意する。


 ――いつか……いつか、ロードに気持ちを伝えてみせる。


 もはや戸惑いや躊躇はなかった。俺の中の全部で、きっといつかロードを射止めてみせよう。新たな決意を胸に、俺は世界から切り離された。

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