第76話 re:START

 メニューから『ポータル』を選択すると、二つの選択肢が出てきた。一つは目的地である『遍く死者の憩う園』で、もう一つは『特異ダンジョンマトリオ内部』となっている。きっちり防衛報酬が表示されていて何よりだ。内部では今頃話の通じない種族同士が手をこまねきながら必死に意思疎通を図っているのだろうなぁ。微笑ましい。


 吠えるプレイトゥースと、無反応のF。ピョコピョコと四肢を動かすヒトデと、首をかしげるカタツムリ……それを想像するだけで、今にもそっちに飛び込んでみたい気持ちが沸き上がるが、それよりも大きいのはホームシックにも似たこの気持ちだ。鎧の奥で小さく笑みを浮かべながら、ロード達の居る墓地を選択した。


 途端に辺りが真っ暗になって、暗闇の中に俺は取り残された。空に『転移中です』の文字があるため、不具合ではない。少しの間を置いて、空にカウントダウンが始まった。


 3


 2


 1


「――たね」


 一瞬だけ、誰かの声が聞こえたような気がした。驚いて後ろを振り返る間も無く黒い世界が大きく弾けて、噴水で跳ねる水の音と柔らかな日差しが俺の体を包み込んでいた。空は僅かな雲を含んだ健康的な晴れで、地面の雑草は跳ねた水でわずかに濡れていた。

 変化の落差で固まる俺の真隣に、カルナが転移してきた。続けてシエラ、コスタも姿を現す。


 カルナは白い霊達が平和に暮らす墓地の様子に優しく目を細め、シエラは眩しさと暗さの変化に目を擦っていた。コスタはいつの間にか手に持っていた青白い雷のような槍をふっ、と消して警戒を解いた。どうやらいきなり暗くなったもんだから、警戒したようだな。


 墓地を紫陽花に噴水、林檎が世界を彩っている。僅かな疑問を、それらに見惚れるカルナに言った。


「転移してる最中に誰かの声が聞こえた気がしたんだが……カルナはそういうことは無かったか?」


「声?……いえ?そんなものは聞こえなかったわよ?」


「そうか。すまないな、変なこと聞いて」


 Fの声を聞き逃さないカルナの聴力で聞こえていなかったということは、本当に何も無かったのか。俺が転移するときだけに聞こえていた?……まあ、多分ただの空耳だろう。何を言ったかとかは全くわからなかったし、そもそも本当にそんな声が発せられたのかも怪しい。忘れることにしよう。


「どうかしたのかしら?」


「いや、何でもないよ。……さて、ロード達を探そうか」


「それならシエラが適任だと思いますよ。空から探せばすぐ見つかると思いますし、何より黒い体が空に浮いてたら目立ちますから」


「そうだな。シエラ、お願いできるか?」


「お安い御用っ!……うわ、確かに私、目立ってる」


 空にふわふわと浮遊しながら自分の体を見下ろしたシエラが呟く。確かに光を全て吸い込んだ闇の塊のような彼女の体は、様々な色が鮮やかに煌めくこの墓地ではかなーり目立つ。それが白い雲を抱えた日中の空に浮いていたら、そこだけ夜が来たようで同じく目立つ。

 シエラは自分の体が気に入っているようなので、あまり気にしてはいなさそうだ。


 気球の如く空に浮いたシエラが暫く墓地を俯瞰し、あっちー!と声をあげた。星をちりばめた霊体の指先が、墓地の一点を指差している。そちらの方角にロード達が居るらしい。ありがとう、と大声でシエラに言った。

 役目を終えたシエラはブリンクを三回して、俺達の元に降り立った。


「じゃっ、行こうかー!」


 涼しい顔をして自分の指した方角に進み始めたシエラの後を着いていきながら、ちょっとした疑問をぶつけてみる。


「シエラ」


「うん?どうしたの?」


「ブリンクってどんな感じなんだ?高速移動?テレポート?あと、どうやって移動先決めてるんだ?」


 意味や意義など無い、純粋な疑問。普段涼しい顔でブリンクをして魔法を避けたり叩き込んだりしているが、俺はそれについて殆ど知らない。カルナと俺の移動速度は比喩抜きで牛歩なので、話す時間はそこそこあるだろう。

 俺の質問に、シエラはうーん、と考え込むしぐさをした。そして、後ろ向きに進みながら恐らく顎だと思わしき部位を一撫でした。


「えーっとね、一つずつ答えていくね。ブリンクは高速移動とかじゃなくて、本当に思った場所にタイムラグ無しでワープできるの。その直前にどんなにスピード出しててもピタッ、て止まるから……多分慣性が効いてないかゼロになってるよ」


 後ろ向きに進むシエラが林檎の木にぶつかった。そのまますいーっと幹を貫通して向こう側に出ていく。

 ん?樹海の時は冒険する気満々で地面を歩いてコケてたよな?そこらへんはどうなっているのかと聞いてみると、意外な答えが返ってきた。


「ゴースト特有のこのすり抜けるやつ?実は任意発動なんだー」


「あら、意外ね。てっきり自動かと思っていたわ」


「人間とかプレイヤーには最初から触れないけど、木とか壁とかのオブジェクトはしっかり認識しないと駄目なんだー。さっき木を通り抜けたのは、背中に何か触れたから反射で透過したの」


「弓矢とか武器は貫通するんだよな?」


「それはするね。これも任意だったら困ってたよー」


 あはは、とシエラが笑った。意外に苦労してるんだな、ゴーストも。というか色々検証しないといけない要素が多いな。俺も今まで一度として使っていない吸収の一手ドレインタッチとか、強酸の使い道とか色々考えられるものはあるが、全く検証していないな。暇が出来たらやってみよう。


「さっきの続きだけど、ブリンクってねー……すっっっごく難しいの!」


「見てれば何となく分かるな。でなきゃ吐いたりしてないだろうし」


「う……それは出来れば記憶から消してね……」


 一秒に二、三回も慣性無しの高速瞬間移動とか、ジェットコースターの比では無さそうだ。ひたすらに気持ち悪くなりそう。それらの一つ一つが計算された移動だとすると、シエラの異常性がぐっと顔を出してくる。


「ブリンクの移動先は……感覚で決めるの。これが難しいっ!なんか、体の中に力を溜める感覚で、長く溜めると遠くに行けて、短いと近くに行けるの。最初は一回移動しただけで、あんまりいきなり景色が変わるから訳が分からなくなって、一回一回周りを確認しないと駄目だったよ」


 確かに、そんな感じだったね、とコスタが賛同した。急にチャンネルを切り替えて、すぐに番組の内容を理解しなければいけないような感じか。しかも、切り替え先のチャンネルとは別の場所に飛ぶことがざらにあると……操作難易度がナチュラルに高過ぎだろ。


「行きたいところに行くにも感覚が掴めないし、行ったら行ったで場所が違う、ここはどこ?ってね……。物理攻撃が無効じゃなかったら、今頃何度死んでたか……今だって、完璧に移動できるのは十回の内で六回くらいだし……ホントに難しい!」


「ちょっとだけ、想像していた場所からずれてしまうのね。何回も移動する途中でズレが膨らんで、取り返しが付かなくなったりするでしょう?」


「カルナはよく分かってるね……それだよそれブリンク使ったら敵の顔の真ん前に自分の顔があったり……怖いよ」


「交通事故かよ」


 ゴーストはブリンクで楽に移動できて、壁は貫通できるし、物理は効かないしでいいことばかりだと思っていたが……それが意外に難しいのか。ためになるかどうかは分からないが、ゴーストについての知識を手に入れた。シエラも苦労した先でここにいるんだなぁ。

 それを言ってしまうと、メインの武器を失って不馴れな前線に立たされ、暴走気味な姉のお守りを続けるコスタも大分苦労しているだろうが。


「……?俺の顔に何か付いてます?」


「いや、何でもない」


「気のせいか、何やら失礼なことを考えられている気が……」


「疲れてるんだな。よく休めよ」


 コスタに俺なりの労いの言葉を投げ掛けると、遠くから俺たちに声が掛けられた。


「ら、ライチさーん!!カルナさーん!!」


 この声……ロードか!あわてて進路方向に顔を向けると、満面の笑みを浮かべたロードが、白いローブの裾を足に引っ掛けながら俺とカルナの名前を呼んでいた。バタバタと不馴れに走るロードの動きでローブは外れ、銀色の髪と金の瞳があらわになっていた。その顔は喜色に彩られており、銀の杖を両手にこちらに走るロードの瞳は柔らかに歪められていた。


 走るロードの後ろから、メラルテンバルやオルゲス、レオニダスとメルトリアスが着いてきていた。全員、優しげな表情を浮かべている。

 肩を上下させながら走るロードが、周りの目を微塵も気にせず俺の胸元に飛び込んできた。


「うぉ!?っぶない……」


 小さなその体を抱き止めることは容易い。だがあまりにも急で、両手に盾を持っていたから、かなり焦った。思えば、彼女の体を抱き締めたのは月紅の後が最後だ。その時は満身創痍をぶっちぎっていたので、抱き止めるのもオルゲスの助けが要ったが、今は万全の状態だ。

 とはいえ、危ないものは危ない。ロードも、もちろん俺の精神も。鎧を抱き締めるロードの銀の髪をぎこちなく撫でながら、一応注意をした。


「ロード……両手がふさがった俺に急に飛び込むのは危ないから、せめてワンクッションを置いてだな――」


「ライチさんなら、僕の事を受け止めてくれるって信じているから、大丈夫です」


「え、ちょ……その理論は、おかしい……」


「……でも、受け止めてくれるんですよね?」


「……そりゃあ、勿論」


「なら、大丈夫じゃないですか」


 ですよね?と鎧を抱き締めたまま言われると、どう言葉を返して良いのかさっぱりわからない。なんだ、めちゃくちゃ大胆じゃないか?流石の俺も困るぞ、これは。幸せそうな顔をするロードにそれ以上言い返せず無言でいると、カルナが静かに後ろを向いた。


「……」


「カルナ?何してるのー?」


「見ていると血糖値が跳ね上がってしまうもの、見ていられないわ」


「……俺も後ろを向いておきます」


「えー?二人ともどうしたの?いいじゃん!純愛だよ!Loveだよ!」


 シエラの発言に体温が一気に上がるのを感じた。多分俺の体に体温の概念は無いが、リアルでヘッドギアを装着して寝そべっている俺の体は間違いなく熱い。無いはずの心臓の鼓動を落ち着かせつつ、ゆっくりとロードを鎧から離した。……名残惜しそうな顔は見ないでおこう。

 相変わらず豪快な笑い声を上げながらメラルテンバルの前足をベシベシと叩くオルゲスに、声を掛けた。


「オルゲス、メラルテンバル。昨日の夜はありがとな。二人が居なかったらやられてたよ」


「何、我とライチの仲ではないか!あの程度の窮地、いくらでも我が打ち砕こう!」


『痛い痛い……コホン。まあ、立場的には僕達の後輩もとい同僚だからね。造作も無いことだよ』


 頼もしい事を言ってくれる二人に深く一礼をした。そんな俺に向けて、メラルテンバルが思い出したように声を発した。


『あ、君。勿論戦いには勝ったんだろうね?その口ぶりなら大丈夫だろうけど、僕達の手を借りて負けるなんて事があったら土筆にするよ?』


「勿論勝ったよ。だからドラゴンパンチは勘弁してくれ……」


「ハハッ!安心しろライチ!こいつはそれほど筋力が無いからな。今のライチならまず無抵抗でやられることはあるまい!」


『余計なことを言わなくていいって……確かにそんなに筋肉は無いけど――』


「ということで筋肉を鍛えるぞメラルテンバル!ドラゴンでも出来る腕立て伏せと腹筋運動を開発しよう!」


 ハッハッハー!と騒がしく笑うオルゲスにつられて笑った。同じく小さく笑うレオニダスが、カルナに向けて声を発した。


「カルナ殿、僭越ながら我らを呼ばなかった理由を聞いてもよいか?」


「俺も……気にならないと言えば嘘になるな。結構準備して待ってたんだが……」


『本気で戦うとき用の魔導書まで持ち出して、準備万端だったね』


「は!?それは言うなよ!?わざわざ言うことじゃないだろメラルテンバル!オルゲスじゃないんだし」


 メラルテンバルはしーらない、とそっぽを向き、名前を呼ばれたオルゲスは狙いをメルトリアスに定めた。相変わらずごてごてなメンバーを笑うレオニダスに、小さく笑みを浮かべたカルナが誇らしげに言った。


「大抵の敵は貴方達の手を借りるまでも無かったもの。本当に楽しめる相手は私が真っ正面から相手をするから、貴方達を呼ぶことはないと思うわ。……勿論その邪魔をされたり、本当に大変なことになったら迷いなく貴方達を頼るわよ」


「そうであったか。要らぬことを聞いたな。確かに、正面から相手をするのはカルナ殿らしい。実に誠実な戦い方だ」


「嫌だ、あの『超筋肉強化レッスン』は勘弁してくれ……首の筋肉まで筋肉痛になったんだぞ?」


「首は体の中でも二番目に大事な部分だ!鍛えるのは良いぞ!」


 騒がしく話を始めるレオニダス達に対して、シエラとコスタはメラルテンバルと恐る恐る会話をしていた。


「ち、近くで鱗を見てもいいですか?」


『勿論。僕の鱗に目を付けるとは、なかなか目のいい深夜の亡霊ミッドナイトスターだね』


「すごい。私の種族が分かるんですかー?」


『ふふん、伊達に長生きしてないよ』


「うわぁ……綺麗な鱗……いくつか傷がついてるのがあるけど」


『……それはあの喋る筋肉のせいだね。後でぶっ飛ばしておこう』


 逆にぶっ飛ばされそうだけど、とメラルテンバルは呟いた。オルゲスはむちゃくちゃだからな。本気のスイッチが入ったら止められるものは少ないだろう。グレーターゾンビの頃だって、ロードが居て漸く対等だったし。

 この騒がしさに囲まれていると、どこか懐かしいような、心踊るような気分になる。その気分に身を揉まれて、目を細めて居ると、俺のとなりにちょこんと佇んでいたロードが小さく言った。


「えーと……ライチさんはこれから、どうしますか?」


「うーん……やることとかは、特に決めてない。衛兵にちょっかいだしたり、他の魔物と交流したり……あと、呪いキットも使ってみたい」


 俺の言葉にロードは小さく、そうですか、と笑った。その笑みはいつもの笑みそのままで、だからこそ違和感を覚えた。その微妙な変化に気がつけるあたり、俺もロードと長く付き合っているのだなぁ、と思った。

 ロードは少しだけ、無理をして笑った。それが俺の間違いでないのなら、自惚れで無いのならば……きっと、俺達がすぐどこかへ行ってしまうと思っているのだろう。


 寂しいような、それでも祝福したいようなあやふやな感情をきっとロードは抱えている。ならば、それを見て見ぬふりはできないだろう。俺の中に散りばめられた小さな勇気をかき集め、隣に佇むロードの頭に手を乗せて、優しく撫でる。それと同時に、何でもないようにこう言った。


「……でも、暫くはここで休みたいな」


 ロードがハッとしたような表情を浮かべて、上目遣いで俺の方を見た。彼女の美しい目が、整った眉が、潤った唇が柔らかく動いて笑みを形作る。


「それなら、ゆっくり休んでいってください。この墓地は、すべての者に門を開けているんです」


「死者だけじゃないのか?」


 意地悪をするようにそう聞くと、ロードは片目を閉じ、人差し指を唇に押し当てて囁くように言った。


「今だけ期間限定で生者も歓迎中です。僕がそう決めました」


 いたずらっぽくそう言われては、どう返して良いものかさっぱりわからない。照れたことがばれないようにそっぽを向いて、ロードの頭を撫でて誤魔化した。

 逸らした視線の先には、騒がしいカルナ達を微笑ましい顔で見つめる剣闘士や戦士たちの霊がいた。咲き誇る花に、晴れた空に、そして笑うロードに……漸く肩から力が抜けた気がした。


 漸く本当の意味でイベントに一区切りがついた、と思った。

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