第69話 微睡む空に月は煌めく

 長い螺旋階段を降りた先は、真っ白な絶景だった。揺れる銀月草と、晴れやかな空、わずかに皹の入った銀のコアが、俺の視界一杯に広がり、二度目だというのに目を奪われかけた。

 どうやら銀月草の香りは凄まじく良いもののようで、臭いを感じられる種族の大隊長――例えばプレイトゥースは目を細めて鼻を動かしていた。


 囁くような音を立てる銀月草を掻き分けて奥へ向かうと、巨大な銀の球体の下で、眠気眼を擦りながら武器を構えるプレイヤーの姿があった。何人かは既に眠気に抗えず、銀月草の中に体を埋めて眠ってしまっている。


「俺たちもあんまりここにいると不味いからな。ささっと片付けるぞ」


「そうそう手が掛かるとも思えないけれどね」


「お二人とも、油断は禁物ですよ」


「そうだよー。あと十分だし、最後まで気を抜かないようにね!」


 眠気とは全く無縁そうなシエラとコスタが注意を喚起した。それに軽く頷いて、今も何とかコアにダメージを与えようとしているプレイヤーに呪術を放った。無抵抗の彼らにだめ押しで睡眠を放つと、全員が全身から力を抜いて地面に倒れ伏した。

 ……やはり、ここは凄まじいまでの状態異常の温床らしい。耐性と事前情報がなければ、五分と持たないだろう。


「えーっと、呆気ない……」


「……とりあえず、止めを刺しておく……」


 オーワンと沙羅がとことことプレイヤー達に近づいて、とどめをさしていく。先程までの地獄も地獄な戦いに比べれば、これは最早作業だ。なにも考えず武器を振るってプレイヤーを陣地に送還する大隊長達は、欠伸すら見せるほど余裕そうな顔をしていた。

 早速眠気が来ている辺り、このフィールドがどれだけヤバイのかがわかるな。


 全員を丁重にリスポーンさせ終わると、大隊長達が終わったぁ~、と地面に座り込んだ。あんまり楽な体勢をとると寝るぞ、と言おうとして、俺の体がぐらついた。そのまま受け身もとれずに地面に倒れこむ手前で、カルナがあわてて俺の体を支えてくれる。


「ライチさん!? 大丈夫ですか?」


「疲れが出たのかもしれないね……ライチさんが今回、一番頑張ってたから」


「うんうん。間違いないね!」


 流石に、体に無理をさせ過ぎたのかもしれない。もう動けない、というほどではないが……まあ、まともに動くことは難しいな。カルナにありがとう、と言って地面に座る。よく見れば大隊長達と同じくらい、俺もずたぼろだった。

 籠手は幾つもの攻撃を無理矢理受けて歪み、胴体には鋭い傷跡が刻み込まれて背中の紋章が消えかけている。兜も傷が目立ち、所々魔法を受けたのか変色していた。盾はもっと酷い。

 分厚い銀の盾には幾つもの穴と深い傷が刻まれ、変色し歪んでいた。


「本当に……無理しすぎよ」


「俺だけが無理してる訳じゃないからな」


「……完全に社畜の理論ね」


「はは……」


 実際、この三時間を戦い抜いたのは俺だけではない。今も油断したように地面に座ったり喋ったりしている大隊長達やシエラとコスタ。もちろん、カルナも……そして、俺の視界に映ることの無かった、数多くの魔物プレイヤー達。

 俺の見えないところで、俺たちよりもずっと前線で……頼れる仲間も、ここがどこなのかもさっぱりわからない状況で、ひたすらに人間を押さえてくれたのは間違いなく彼らだ。


 人間に、運営に、世界にすら虐げられて、それでもひたすらに生きてきた彼らこそが、この戦いの本当の英雄であると俺は思う。


「あと、7分ですー」


 眠たげなオーワンの声で、このイベントが終わろうとしていることに気がついた。そうだ、終わる。終わるんだ。眠たげな大隊長達に小言を言おうとしたが、それよりも俺の心に深く突き刺さったのは、イベントの終わりという事実だった。

 どこかから風が吹いて、それにイタチが目を細めた。なんやかんやあって、どうにか俺たちは全員揃っている。シエラとコスタも居ることから、勝利条件は全て満たしていると言っていいだろう。


 勝ったんだ、俺達は。この最悪な状況で、絶対に勝てない筈の人間を相手に――堂々の勝利を納めたのだ。残り時間が減っていく度に、その喜びが心に満ちる。

 その気持ちを隠さぬまま、言葉に出して叫ぼうとした時――それを遮るように、耳馴染んだ声が聞こえた。白い花畑を真っ二つに切り裂いて、飄々とした声が。


「まだ……夜は終わらないだろ?」


「ッ!? ……また、お前達か」


「げぇ……なんだその反応。ちょっと悲しくなるぞ」


 残り時間が五分に差し掛かろうとしている今、俺達の前に立ち並んでいるのは、ずっと前に倒した筈の相手――クラン『ポラリス』の面子だった。人数にしておよそ十五人程度か。大分減っているように見えるが、道中に色々あったのだろう。

 そして、彼らの先頭に立っているのはこの場に全く似合わない黒の剣士晴人だった。


「いやぁ、ここまで来るのは大変だったぜ。途中、間に合わないんじゃないかと思ったわ」 


 笑いながら、晴人は言う。その仕草一つをとっても隙が無く、側に控えているRTA共々この場で一番の存在感を放っていた。


「俺達が来る前にさんざん暴れたろ? ……それでどのクランも諦めて四階層で宝箱探したり残党狩りしてたぜ」


「道理で誰も来ないと思った……」


 フルメタや、それ以前に倒した連中の話を聞けば、今回は時間的にも無理そうだと思うクランも多いだろう。そういうクランは諦めてランキングに載るために、ギリギリまで四階層で粘ることにしたようだな。

 さわわ、と俺達の間を幻想的な風が通り過ぎていく。


【残り時間があと五分を切りました】


「……あと五分か」


「俺達を押し退けて、コアを破壊できると思うか?」


 名残惜しいような、悔しいような……それでいて、どこか満足げな声で晴人は呟いた。挑発するように俺が言葉を吐くと、晴人はニコニコと笑って口を開く。


「わかんねえわ。……でも、だからこそさ……この五分を、人生に刻み付けたいんだ」


「……」


 そうか。俺が最後まで足掻こうとするのと同じように、攻める側の彼らにも意地があるのだ。どれだけ無理な状況でも、それでも突っ立ってなどいられないという意志があるのだ。

 彼らは、最後の最後の瞬間まで、傷跡を残してやろうと足掻くつもりなのだ。ようやくそれがわかって、俺はゆっくりと盾を構えた。


「はは、話が早いな」


「時間が無いからな」


「……俺さ、楽しいんだ。今が」


 晴人が腰から二本の剣を引き抜いた。それと同時にポラリスの面々も同様に戦闘体勢に入った。俺の背後からも矢をつがえる音や、槍を生み出す音が聞こえる。


「だからさ……お前もそう思ってくれれば、いいな」


 笑いながら、晴人がこちらに突っ込んできた。それと同時にこの場の全員が攻撃を開始し、銀月草の花弁が大きく散った。ふわりと舞う白い花弁よりも速く、晴人が両手の剣で切りかかる。両手でそれをしっかりと受け止めて、ゼロ距離でダークアローを放ったが、勿論の事一歩引かれて迎撃された。


 カルナがRTAと切り結びを始め、振るう拳は白い花を焼いていた。真後ろ、正面から数多の魔法が飛び交う。


「『ダブルトリガー』」


「『シールドスタンス』……っと」


「『ランプショット』!」


「『ダークアロー』!『ダークボール』!」


「……『マギアパリィ』」


 剣先のぶれた二連撃を震える体で受け止めて、バックステップ途中に放たれた空飛ぶ斬撃をダークアローで打ち消した。だめ押しにダークボールを打ってみると、若干ズレたタイミングでパリィが成された。違和感を覚え晴人を鑑定すると、そこには『眠気』の文字があった。


「へへ……状態異常耐性のネックレスは、ライチの攻撃でぶっ壊れちまったよ。結構直すのに手間が掛かるから、直せなくてな……まあ、疲労と眠気でイーブンだし問題ないか」


 晴人が黒い軽装の襟から壊れたネックレスを取り出した。あれが状態異常を防ぐ防具だったのか。恐らく最後の俺の攻撃で壊れてしまったのだろう。それをぷらんぷらん、と見せつけて、晴人はまた切りかかってきた。

 それを重すぎる体で何とか防いで考える。


 今の奴には状態異常が通る。つまり、呪術を撃ちさえすればほとんど完封できるのだ。更に言えば慣れぬ眠気に衰えた技巧では、いつもの人外じみた行動はできないだろう。

 圧倒的に俺に分がある、初めての経験だった。


「せいっ、よ、はぁっ!」


「くっ!ふん、はっ」


 お互い、弱った体で切り結ぶ。俺はほとんど動かせない盾で、晴人は直線的過ぎる剣で。それでも、俺達の一合一合の合間には火花が飛び散り、花弁が大きく舞う。

 拮抗した俺達の戦いに比べ、カルナ以外のメンバーは若干押されていた。特に先にこの部屋に入って眠気を食らった動物系はそれが顕著だ。


 シエラとコスタは善戦しているが、両者共に攻め手に欠ける。どちらとも集中力を切らしており、更に言えば俺のような自動回復が殆ど無いため、コスタは槍を生み出すMPが足りず、シエラはブリンクばかりで魔法が撃てない。

 とはいえ、敵も弱っている。明らかに後衛の動きが弱く、Fやヒトデ、カタツムリの魔法に押されているし、カルナと切り結ぶRTAは既に息を荒くしていた。


 眠気に巻かれ、されども鮮やかさを保つ晴人の剣を受け止めながら考える。


 ――今ここで呪術を全体に撃てば、俺達の勝ちは確定する。


 ――同じく、カルナがメルトリアスとレオニダスを解放すればこの戦いは終わる。


 勝てるのだ、俺達は。時間は残り三分を割った。例え今から全員が無抵抗でやられても、ポラリスの面々がコアを破壊できるかはわからない。最悪の場合全員が寝ている可能性すらある。


 ――呪術を撃つか?


 俺の中の俺が問いかける。撃てば勝てる。けれど、それはあまりにも晴人に対して酷な気がした。両手両足を縛った相手に対して機関銃を持ち出すような、過剰な事をしているんじゃないか、という懸念が心の中で芽吹く。

 眠気に捕らわれ、状態異常を守るネックレスは破壊されている。さらに言えば、ここから彼らがどう動こうと、コアは絶対に破壊できないだろう。眠気で攻撃を当てることすら難しいのだ。なのに半分あるコアの耐久を残り数分で削りきれるものか。


 呪術は撃たないでおこう――と心の中で決めかけた時、晴人が大声で叫んだ。


「何考えてんのかさっぱりわからないが……全力で来いよ! 俺も全力で行くからよ!」


 ハッとした。彼は、本気で勝ちに来ているのだ、勝てないとわかっていようと、例え自分が負けると分かっていても、それでも全力を所望しているのだ。それは、まるで俺を写した鏡のようだった。どうあろうと、何が相手でも、全力で食い下がる。絶対に諦めない。そして、最後まで楽しみ尽くそうとしている。


 晴人は全力でゲームをプレイしているのだ。ならばきっと……それに報いないというのは、酷く『舐めている』といっても過言では無いはずだ。だから、俺も全力で行く。眠気に囚われて、されど獅子のような昂りを見せつける晴人に向けて、呪術を放った。


「『混乱コンフューム』!」


「そうこなくっちゃな!」


 混乱をもたらす煙が晴人に覆い被さり、晴人の操作が上下左右反転し、平衡感覚が可笑しくなる。……本来ならこれで殆ど決着が付くが、こいつは普通じゃない。


「行くぜぇっ!」


「来いよ!」


 動くことすら難しい状態に、晴人は適応していた。先程までと殆ど変わらない動きで俺の体を切り刻む。やはり、こいつは頭がおかしい。


「『盲目ブラインド』!」


「うぉ!目が……!」


「『強酸アシッド』!」


「あぶね」


「嘘だろ!?操作反転と盲目だぞ!?」


「声で場所がわかるだ……ろっ!」


「ぐぅ……!」


 目が見えない。体は眠気で動きづらく、思考も鈍っている。果てには常に体がふらふらして、全ての操作が反転する。そんな鬼畜過ぎる状態でも、晴人は確かに俺と切り結んでいる。凄まじい。もはや畏怖の領域を飛び越えてため息しか出てこない。

 どれだけ追い詰めて、状態異常を掛けても、晴人はえた剣筋で俺の体を切り刻む。歯を食い縛って、なんとかそれを最小限に押さえようと努力した。幻想的な白い彼岸花のど真ん中で、それらを押し退けて、切り捨てて争い続ける。眠気に揺れて重くなる剣と真逆に、晴人の表情は最高の笑顔のままだった。俺もつられて鎧の奥で笑顔を浮かべる。


 右か? 左か? 押してくるか? 引いてくるか? 突きなのか斬撃なのか、フェイントなのか本物なのか。


 数多くの駆け引きと打ち合い。永遠に続くと思われたそれは、晴人の方から打ち切られた。見れば回りのプレイヤー全員が一旦戦闘を中断している。見えていないはずの視界で、晴人が俺の方を確かに見つめる。


【残り時間があと一分を切りました】


「なぁ、ライチ……俺達は多分、このまま負けるだろう」


「……」


「でもな、何も出来ずに終わるわけには……いかないんだ」


 彼らとて、人間の代表。トップの看板を掲げて戦っているのだ。その誇りと、その意思が、彼らに諦めるという選択肢を奪っている。晴人は眠そうに下ろされかけた瞼を気合いで見開いて言った。


「この一分……ポラリスの全力を掛けて、コアをぶん殴る!」


「出来るもんなら……やってみやがれ……!」


 いつの間にか荒れていた呼吸のまま、吐き捨てるように言った。その途端、ポラリスの全員が一斉にコアに向けて防御無視で走り出した。同時に後衛のヒーラーが晴人の状態異常を解除した。前衛は勿論、後衛の神官や魔法使いさえも、杖を両手に笑顔でコアに向けて走っている。

 最後の最後、花火みたいに牙を立てて消えてやろうってか。そうはさせねえ!


 ダークアローを撃って近くを通りすぎようとしていた剣士を撃破した。大隊長達も、ポラリスの死力に真っ正面から食ってかかっている。てんどんの弓矢が敵の頭蓋骨を正確に射抜き、沙羅の棍棒が走り去る敵の背中をとらえた。


 オーワンはその糸を使って敵を地面に縫い止め、カタツムリは後衛から来るプレイヤーを雷魔法で迎撃し、Fは風魔法で敵を押し返している。イタチは敵の足元を掬って転倒させ、スライムは地面に薄く広がって敵の足を掴んでいた。

 プレイトゥースは雷を纏って弓矢よりも速く花畑を駆け抜けて敵に食らいつき、三分料理はコアに向けられた魔法や弓矢を全て切り捨てた。

 シエラはなけなしのMPで敵を屠り、コスタは最後に手に持っていた槍を悲しげな顔で投げた。

 俺も、ランパートを張ってコアを飛び道具から守る。


 大隊長全員が全力で攻撃を繰り出し、殆どのプレイヤーを倒してみせた……が、全滅させた訳ではない。RTAが眠気に掛かっているのか怪しい程の高速移動で花畑のど真ん中を一人で駆け抜けている。晴人もその姿が一切見えない。


「RTAを止めろ!」


 俺の声に反応しててんどんが弓矢を撃つが、綺麗に両手に持つ双剣に切り捨てられた。Fの魔法も、ヒトデの魔法も、カタツムリの魔法も、RTAの無茶苦茶な二段ジャンプからの高速移動で回避された。プレイトゥースが噛みつきにいこうとするが、すれ違い様に切り捨てられた。


【残り三十秒です】  


 イタチが飛びかかるが、RTAに真っ正面から殴り飛ばされる。オーワンの糸はRTAが双剣の片割れを投げることによって空中で相殺される。俺もシールドバッシュで前に進み、カバーで近くにいたオーワンの元に移動して麻痺を打ち込んでみたが、俺が弾幕を防ぐのに使ったランパートを利用されて避けられた。


 止まらない。最速の名前を冠する少女はすべての大隊長をくぐり抜けて、悪辣な攻撃をねじ伏せて、確かにコアに向けて大きく跳躍した。その無防備な体に弓矢が突き刺さるが……止まらない。ダメージが足りなかったのだ。


【残り二十秒です】


 RTAが腰に差していた刀のようなものを引き抜こうとする瞬間――カルナの声が轟いた。


「いってらっしゃい!私の相棒!」


 その声と共に空を舞ったのは、カルナのスレッジハンマーだ。ひび割れたそれはぐるぐると宙を舞い……その先に居たRTAの体を打ち砕いた。それと共に甲高い音を立ててスレッジハンマーが砕け散る。鉄の破片が大きく空で咲いた。

 RTAの体が掻き消えてリスポーンする瞬間、彼女が手にかけていた刀が鞘から解き放たれ、中から晴人が飛び出してきた。


「なっ!?」


「嘘!?」


 何だそれは!? ユニーク武器関連か!? あまりの事態に、全員の動きが固まった。それを良いことに、晴人は大上段に剣を構えてコアに突っ込む。誰も動けない、反応できない。

 息を飲む全員に、システムが冷酷に囁いた。


【残り十秒です】

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