第64話 黒の敗戦は螺旋を描く

 次に目を覚ましたときには、音の無い白黒の世界にいた。色の抜けたモノクロームの世界で、俺はぼーっと盾をもって立ち尽くしている。場所は……さっきまでいた部屋のままだな。上を見上げれば、白い炎を灯したシャンデリアが腹を抱えて笑うように左右に揺れていた。自分の手を見てみると、普通に鎧を着込んでいた。そもそも銀の鎧だったので、あまり違和感がない。


 体は軽いが、頭が滅茶苦茶痛い……不思議な感覚だ。あれだけ集中力全開の戦闘をしたわけだから、脳みそが疲労しているのだろう。気分としては地面に座り込んで息を荒らげたい程だというのに、体は何ともない。

 不思議な疲労感に体を揉まれている中で、とにかく状況を整理しようとしている俺に、声がかかった。


「あ、ライチさん!」


「……お疲れ様」


「お疲れ様。本当に凄かったよ、ライチさん」


 上から順にオーワン、沙羅、てんどんの言葉だ。あわてて声の方向に向き直ると、モノクロの世界で唯一色を取り戻している大隊長達が見えた。ぽよよん、とオーワンの足元でクトゥルーが跳ねる。俺たちも居るぞーって感じか。

 労いの言葉に軽く礼を言って、周りを見渡す。白黒の世界で、ぶっ倒れた俺が静かに消えていくのが見えた。それと共に、あわただしく晴人が居た場所に駆け寄る冒険者の姿も。


「……十二、十三、十四……RTAを入れて十五人か……」


 半分は減らせたと思って良いだろう。ヒーラーや魔法使いを含め、かなりの人数が消えた。最も大きい功績として、晴人が居ないということがある。あやつめ、今頃地上のリスポーン地点で「また一階層からかよぉ!」と叫んでいるに違いない。


「まさか一人であんなに頑張るなんて……凄い……格好良かった」


「アニメのヒーローさんみたいでしたよ!」


「尚更俺達が一切活躍できなかったのが悔しくて仕方ないけどね……」 


「あ、ありがとな」


 アニメのヒーローだなんて、そんな……。ひたすらに格好悪く足掻いてただけだ。ただでは死んでやらねえ、と先へ進む連中の足首を掴むような、そんな行動なのだ。

 プレイトゥースやイタチさん、カタツムリ、ヒトデの人がぴょこぴょこ跳ねたり吠えたりして同じく褒めてくれるのが、どこかこそばゆい。


 そんなお祝いムードだった彼らは、てんどんモンスターの言葉に冷や水を掛けられたように静まり返った。……確かに、先程までの戦いは、彼らからするとはじめての歴とした『戦い』で、それで殆ど功績を上げられず、挙げ句の果てに早々に退場して俺に全てのしわ寄せが集まったのが、どうしても耐えられないのだろう。

 てんどんが、苦い顔でごめんなさい、と呟く。


「俺たちは、魔物の……魔物たちの大隊長なのに……それなのに、まともな活躍がひとつも出来ず、結局……ライチさんに苦労ばかりをかけてしまって」


 沙羅がそっと目線を伏せた。オーワンが小さく唇を噛んでいる。……彼らは悔しいのだ。全力で立ち向かって、本気で戦って、それでも己の力が全く足りずに返り討ちにされた事実が、堪らなく悔しいのだろう。それと同時に、そんな自分達が魔物の長としてここに居ることに、酷く恥ずかしさを感じているのだ。


「私達に、もっと力があれば……きっと、勝てたのに……」


 もっと、力があれば。沙羅が囁くように言った。いつもは剣先が空をピン、と差している三分料理さんは、その刀身を落ち込むように下に向けている。

 その様子に、俺はどう声を掛けたら良いのか悩んで、そして呟くように言った。


「……例え力が無くたって、いいんだ。君達には、確かな芯がある。それがぶれてさえいなければきっと、大丈夫だよ」


 てんどんが伏せていた顔を上げた。俺にだって力が足りない。技量も、筋力も、敏捷性も、リアルラックだって持ってないし、ミスばかり起こしてしまう。

 俺だって力が欲しい。でも、同時に十分な力を俺は持っているとも思うんだ。


「力が無くても……諦めないってことは、誰にだってできるはずだろう?」


 それぞれが力の限り戦えばいい。地に膝をついて、血反吐をはいて、それでも折れない意志があるのなら……きっとそれらは誰かに伝わり、折り重なって倒れた彼らの先で確実に目標を射抜く筈だ。

 足掻いた手先が相手の袖をつかめれば、それで万々歳なのだ。

 暗い雰囲気に耐えかねて、なっ? と小さく言って笑うと、てんどんを含めた大隊長達が小さく笑った。


 ……よし、話題を変えよう。こういう話は長く続けちゃ駄目なんだ。大隊長達を見渡して、気になった事を聞く。


「何でみんなだけ色がついてるんだ? 俺はまだモノクロのままなんだが」


 この三人が見当たらないことに首をかしげて聞くと、沙羅が小さく答えを教えてくれた。


「……一分経つと、体に色が戻ってきて……リスポーン出来るようになる。私たちはもっと早くリスポーン出来たけど……それをしてもやられるだけだから、私が止めた」


「狼さんとか、イタチさんとか、スライムさんがすぐにライチさんを助けなきゃって暴れてリスポーンしようとしてたのを止めるの、大変でした」


 懸命な判断だ。個別でリスポーンしても、残機を減らすだけで何の解決にもならない。ならばせめて全員で態勢を立て直して……って感じだな。ため息と共に呟かれたオーワンの言葉に、三匹の動物と魔物が気まずそうに視線を反らした。確かによく見れば、オーワンの蜘蛛糸がプレイトゥースや板イタチの毛皮の表面に残っている。

 それだけ本気で助けに来てくれようとしたのだな、とどこか心が暖かくなった。


「めちゃくちゃ吠えて暴れてたね。待つことが最善だって冷静に沙羅が説明しなきゃ、三人纏めてライチさんを助けに飛び出してたよ」


 もうその話題は勘弁してくれ、とプレイトゥースが地面に伏せて小さく吠えた。イタチさんも短い両手で頭を抱えている。冷静になってから恥ずかしくなってきたのか……。

 三人とも、ありがとな、と言うと、クトゥルーが今までで一番大きく跳び跳ねて喜んでいた。

 その様子に小さく笑って、新たに浮き上がった疑問を口に出す。


「そういえば、キッカスとDOXさんは何処に行ったんだ? あと、カルナ居ないよな?」


 俺の質問に、気まずそうな顔をした沙羅が答えてくれた。


「あの二人は……掲示板を見る限り、四階層でリスポーンしたらしい……。中隊長だから、しょうがない」


「あー、成る程」


 そういえばあの二人は中隊長だったな。ならばリスポーンは四階になっているだろう。降りるのに時間がかかる上、四階層は現在上流クランが多数流入しており、混沌と騒乱を極めている。そう易々とここに戻ってはこれないだろう。

 イベントの残り時間は一時間十分程度。これからが辛い勝負となりそうだ。考え込む俺に、沙羅が言葉を続ける。


「カルナさんは……まだ、戦ってる……」


「……え?」


 大隊長十一名、中隊長二名が死亡し、この場に残っているのはカルナのみ。あまり耐久力の無いカルナは直ぐにやられているのではないか、と予想していた俺にとって、カルナが唯一戦い続けているという情報は驚くべきものだった。

 慌ててカルナの姿を探すと、多くのプレイヤーに囲まれた真ん中で、白黒の炎を全身に纏ったカルナがRTAと一騎討ちをしていた。


 音の無い世界で、ひたすらにカルナが最速の女と素手で切り結ぶ。その顔には満面の笑みが浮かび、全身を隈無く覆い尽くす業火はそれにつられるように燃え盛っていた。


「……何だよあれ……俺よりよっぽど第二形態っぽいじゃねえか」


 恐らく進化した先の種族の固有スキルなのだろうが、モノクロの炎を纏ったカルナの様相は修羅そのものだった。肥大化した体躯と、それに纏わり付く見上げるほどの業火。足、胴、肩、腕……果ては紅蓮の髪にまで炎は巻き付き、唸りを上げている。その姿を遠くで見つめるだけで、終わらない闘争心に滾る瞳を見るだけで、畏怖で体が竦み上がる。


 一歩地面を踏みしめる度に固かった地面に大きくヒビを入れ、足元から炎が吹き出す。体から飛び散る火の粉――いや、あれを火の粉と呼ぶには火力が高すぎる。彼女の体からこぼれる炎は地面に落ちても尚消えることなく、二人を取り囲んで蜃気楼を発生させていた。

 振るう拳の果てで地面が大きく抉れ、拳の軌道に炎が追従する。それを掻い潜ったRTAが白い脇差をカルナの胴体に差し込むが、差した先から溢れるのは血液ではなく火炎。


 凄まじい火力のそれを見て、RTAは武器を捨てて飛び退いた。直後に大気を轟かすほどの豪腕がRTAの居た空間を抉りとり、炎がカーテンのように揺らめきながらあとを追った。

 RTAはアイテムボックスから新たな武器を取り出し両手で構えた。よく見れば腰に差していた武器は全て鞘だけとなっており、全てカルナに溶かされるか破壊されたのだろう。


 カルナは胴体に突き刺された脇差を引き抜くと、片手でそれを握りつぶした。周りを十五人のプレイヤーに囲まれて、それでもカルナの顔は笑みを崩さなかった。全員を見下すような、嘲笑うような笑み。

 真の傲慢を体現したかのようなその姿に、ごくりと無意識に唾を飲み込んだ。俺のような虚勢で開き直った姿よりも、カルナのそれはきっちりと型にはまっており、板に着いているというか、似合っていると形容されるような傲慢さだった。


 周りのプレイヤーがRTAに何かを語りかける。唇の動きからして、こう言ったのだろう。


『手を貸そうか』


 その言葉をRTAが聞いた瞬間先程まで戦闘中でも乱れなかった無表情が大きく崩され、嫌悪を混ぜた顔となった。


『馬鹿にしないで』


 吐き捨てるように言ったRTAに、カルナが笑みを浮かべながら拳を構えた。


『私は全員が纏めてかかってきても結構よ?』


 カルナの言葉を鼻で笑ったRTAは武器を構えて地面を蹴った。そのスピードは到底肉眼で捉えられるものではなく、当人ですらそれは同じだというのに、RTAはそれを易々と使いこなしている。

 RTAの走りながらの攻撃がカルナの脇腹を切り裂き、炎を吹き出させる。カルナが笑みを深めて真後ろに拳を振るうがその時にはRTAはその場に居ない。


 物理法則を否定するかのような機動でカルナを切り刻んでいく。直進、急停止、左へ移動した直後に跳躍、停止、真後ろへ。狭い部屋のなかを跳ね回るスーパーボールのような軌道でRTAは動き回り、その度にカルナの体に武器が押し当てられ、炎が散る。

 カルナも凄まじい読みを駆使してRTAを追うが、いかんせん相手が悪い。体にいくつもの切り傷を浴びて、ついにその膝をついた。


 途端にRTAが武器を両手に構えてカルナに接近し、回避を無視してその体を切り刻む。なるべく速く、強く。何かに急かされるようなその行動に疑問符を浮かべていると、カルナの頭上に何かのカウントが始まった。


 5、4、3、2、1……再起動リブート


 RTAが大きく舌打ちをして後ろに下がり、カルナが身体中から爆発するように業火を吹き出して立ち上がる。その瞳の奥には白の炎が燃えており、吐く息にも火花が混じっていた。


『これで六回目……それでも私はまだ、終わらないわ』


 舌打ちをしたRTAは武器を新しく持ち変えて、カルナにもう一度肉薄した。……驚いた。固有スキルか。死亡した後に追加のHPを得て、5秒以内にそれが削りきられなければ復活……恐らく回数制限は有るだろうが、信じられないぐらい強力なスキルだ。

 文字通り不死身と化したカルナと対戦するRTAの額には大粒の汗が流れていた。息は酷く荒いし、肩も上下している。

 それでも冴えた剣でカルナを切り刻み、その体力を削っていく。


 どれだけカルナが腕を振るおうと、その体に触れることは出来ない。遂にはまたもやカルナに死が迫り、体力が底を尽きかけたとき、RTAが致命的なミスを犯した。浮いていた汗が、地面を踏みしめる際に目に入ったのだ。疲労か、驚きか……足を止めたRTAにカルナの豪腕が迫る。その瞬間、RTAの唇が僅かに揺れた。


「……『カウンターパリィ』」


 ガラスの砕け散るような音を響かせて、なんとカルナの腕が大きく弾かれる。何らかのスキルだろうが、RTAの細い腕がカルナの一撃を華麗に弾いてしまった。

 嘘だろ……? あの流れは完全に決める流れだっただろ? 俺の言葉も虚しく、攻撃を弾かれたカルナのがら空きな胴体に、RTAの攻撃が迫る――一瞬前、カルナが小さく何かを呟いたが、俺にはそれが読み取れなかった。


 RTAの攻撃が確かにカルナのHPを削り取った瞬間、二つのダメージエフェクトが大きく咲いた。一つはカルナの胴体に深々と刻まれた傷跡から。そして二つ目は……RTAの喉元からだった。驚きに目を見開いたRTAに、カルナがを噛み合わせ直し、そのHPを全損させた。


 ――噛みつき。


 絶体絶命の状況に陥ったカルナが放った最後の一撃は、RTAの喉元への噛みつきだった。恥も外聞も殴り捨てた……文字通り人でなしの一手を最後に、カルナとRTAの体が掻き消える。

 その時になって、漸く周りのプレイヤー達が状況を辛うじて飲み込み、急いでRTAを手当てしようとするが、どうあがいてもその体力はゼロだ。蘇生魔法を彼らは持っていないようだし、蘇生ポーションも俺たちの手の中にある。つまる所、死は避けられないのだ。


 モノクロな俺たちの世界に、同じくモノクロのカルナが現れた。キョロキョロと周りを見渡して状況確認をしている。正直、どう声をかけたら良いのか分からないが、取り敢えずカルナの名前を呼んだ。


「おーい! カルナ!」


「あら、ライチ……と大隊長の皆さん。……恥ずかしいところを見られてしまったわね」


 私ったら乙女らしくない……とカルナは上品に口元を押さえているが、これまでに『頭蓋骨を砕く』だの『物理魔法』だのを言った経歴があるので、俺はひたすらに乙女……? と首をかしげた。


「取り敢えず、お疲れ様。いい戦いぶりだったぜ」


 俺の言葉に、後ろに居た大隊長達が賛同の意を述べていく。それを聞いて、カルナは満足げに頷いて、少し残念そうな顔をした。


「どうした?敵の大将っていっていい相手を倒したのに……浮かない顔だな」


「確かに、あの子との戦いは本当に最高だったけれど……あなたたちのかたきを討てなかったわ……それだけが心残りなの」


「カルナさん……」


 本当に残念そうな顔をしたカルナに、仲間を思う気持ちの大きさを感じた。カルナもカルナで、みんなの事をちゃんと考えてくれていたんだな。

 感極まった様子でオーワンがカルナの名前を呼ぶと、彼女は困ったように赤い髪を弄ってそっぽを向いた。


 それぞれがカルナに労いの言葉を掛け終わったあと、てんどんがこの部屋の変化に気づいて声を上げた。


「……あ!と、扉が!」


「うーん、まあ……コアは大分傷つくかな」


「まだ一時間は残ってるわね……」


「うぅ……面目無いです」


「……仕方ない。……今は英気を養うとき」


 残った人間プレイヤー達は減ったMPとHPを回復させて、俺たちが守っていた先の扉を開いた。キィン!と、こちらは何やら硬質な音を立てて扉が開く。扉を開ける機構が錆びているのかもしれない。……長らく開いたことの無い扉ってことかな。

 俺達がカルナのリスポーンを待ちながら見つめる先で、ポラリスの面子はぞろぞろと扉の奥へと消えていった。


 今俺達がリスポーンして足止めをしてもいいが、正直俺は使い物にならない。体ではなく頭が酷く疲労しているのだ。一分そこらではこの疲れは癒えない。

 無理に出てリスクを背負うよりは、多少のダメージを覚悟で態勢を立て直すほうが良いだろう。


 それはそれとして、最悪なことだがコアを無防備にしてしまった。十人弱のメンバーが一斉にコアを攻撃する、ということはかなりのダメージが入るということだ。……しかし、それも確かな結果。俺たちは正面から挑んでポラリスに負けたのだ。その事実は受け入れなくてはならない。


 誰も居なくなった大部屋で、俺達は静かに開いてしまった扉の奥を見つめた。そこにあるのは、濃密な闇。白黒の世界の中で、それは最も暗い色のように思えた。

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