第54話 カウントダウン

 目を覚まさないセレスに背中を向けて、森の中に歩き出す。帰り道も何も分からないが、ここには長くは居られない。既に後ろが騒がしくなっている。プレイヤーか、NPCか……物音がした程度では済まない事が起きたこの場所に集まってきているのだろう。

 少なくとも、イベントが終わるまでは目立つことなど出来ない。最後にもう一度だけ、セレスに向き直った。抉れた土地の真ん中で祈るように胸元で合わせられた手の中には、白い彼岸花。


「……治せるといいな。お父さんの病気。……いい夢を」


 もう振り返るつもりはない。背を向けて歩きだした俺の背中に、風にのって言葉が飛んできた。いや、言葉というにはあやふやで、吐いた先すらも分からないような――寝言だ。


「……ありがとう」


 続くうぅん、という呻き声が無ければ、俺はきっと立ち止まり振り返っていた。振り返りたい気持ちを胸の底に押し込んで、俺はその場を離れた。


――――――


「さて、どうやって帰るかな」


 どうしようもないぞ。申し訳程度に木に目印をつけていたが、途中からセレスに気を使って目印の一つもつけていない。それどころか、金色の妖精に出会ったあたりで既に目印は途切れている。

 さっぱり帰る場所の見当がつかない。メラルテンバルも呼び出せないし、呼び出したところでどうしようもないだろう。俺が最初に入っていた場所は木の中。目立たないようにそうしたのだから、この鬱蒼とした森の中をしらみ潰しに歩き回ろうと見つかる可能性は絶無に等しい。


 エルフの里は人里だろうから、川を見つければどうにかなったが、今回は流石に無理が過ぎる。カルナヘ事情を説明することもできなければ、カルナから俺に連絡を取ることも出来ない。最悪掲示板で呼び掛けて墓地に全員ファストトラベルすることになるが、それでは余りにも格好がつかない。

 見栄も外聞もこの状況じゃ知ったことではないから、最悪の場合はその選択を取るが。


「疲れた……けど、こっからが一番大変だな」


 山は登るより下るときの方が危険だと言われている。俺のこの人助けも、折り返しが一番恐ろしいのだろう。全く帰り道が分からない。いくら進んでも同じ景色で、前に行こうが後ろに行こうがそれは変わらない。……わりと詰んでいる可能性が高いな。


「時間は……十時か。まだ余裕はあるけど……そういう問題じゃ――」


 ――リィン……


 深みを持った鈴の音色が、頭を抱える俺の耳朶を揺らした。はっとして回りを見つめると、左前方に淡く光る金の光があった。


金色の妖精ゴールド・フェル……」


 そうだ、と頷くように、妖精は小さく揺れて音を鳴らした。呆気に取られて固まる俺を置いて、妖精は俺から見て右方向にゆっくりと動いた。暫く動いてから妖精は立ち止まり、急かすように鈴の音を響かせる。


「道案内してくれるのか……?」


 リィン、と音を鳴らして妖精は先へ進んだ。慌てて最初と同じようにその背中を追いかける。妖精は迷う様子もなく、俺に合わせた速度で導くように前を進んでいる。

 ……こいつは本当に何者なんだ? 鑑定結果に従うならその質問の答えは『妖精』の一言でおしまいだが、この妖精の行動原理と目的がさっぱりわからない。後々歯の妖精が歯を金貨の代わりに持っていくように、俺の魂を頂くぞ、ということになったら全力で抵抗するが。


 だが、目の前の妖精からは悪意のようなものが全く感じられない。俺を導く背中に見えるのは、無機物的な義務感。もしこの妖精が喋れるなら、恐らくこう言うのではないだろうか?


『約束は守る』


 もしかしたら全部俺の独りよがりで、妖精はひたすらに俺の想像外の心理で動いているのかもしれない……が、そこまで考えてしまえばおしまいというものだろう。いくら考えてもわかる可能性が殆ど無いのだから、ここは黙ってこの妖精の好意に甘えた方が良いだろう。

 最初に現れた時といい、本当に神出鬼没な奴だ。まあ、妖精なんて物語じゃ天真爛漫で気分屋に描かれるものだ。この妖精も、もしかしたら俺と同じくただの気紛れで俺を助けたのかもしれない。……それにしてはセレスに俺を巡り合わせたのがどうにも納得いかないが。


 さまざまな憶測や思考を巡らせながら妖精の後を着いていくが、当の妖精は最初からそうだったように一言も喋らない。喋れる器官が存在しなさそう、と思ったが、それは俺も同じようなものだ。俺の精霊語は通じてるみたいだから、聞くことは出来るみたいだが、喋ることは出来ない……もしくは喋る気が更々無いのだろう。そう考えると、少し悲しくなったが、こいつと俺は元より繋がりなど一ミリも無いのだ。


 歩くこと数十分、なんとなく見上げた俺の視線の先に有るのは、目印である十字傷のついた樹木。ついにしっかりと目印をつけていた頃の場所まで戻ってきたのだろう。

 ……ロードのフィールドに対してのこのフィールドの広さに驚きが隠せない。恐らく普通のプレイヤーならば十数分で走り抜けられるのだろうが、それにしたって魔物の驚異からは逃れられないし、このフィールドが狭くなったことにはならない。


 純粋な広さが、このフィールドの一番のギミックなのかもしれない、と一人考えていると、妖精が動きを止めた。その先には空洞の空いた樹木と、そこから青白い腕を垂らすカルナの姿。……最初に出るときに引っかかって落ちてしまったのか。取り敢えず中にもどしてやろうとカルナに近づくと、妖精がリィン、と軽く音を立てた。

 どうやら、義理は果たした、と言いたいらしい。


「悪いな。助かった」


 ふん、と鼻を鳴らすように妖精は体を揺らして、森の奥へと高速で引き返していった。……用が済んだらささっと退散か。まあ、妖精らしいといえばらしい。

 妖精がどうあろうと、困っていた俺に道案内をしてくれた事実は変わらない。取り敢えず胸の奥で感謝の思いを伝えて、カルナの眠る木に体を押し込んでログアウトした。


【ログアウトします】


【……お疲れ様でした】



「……中々に濃い経験だった」


 たった数時間であそこまでの体験をするとは。もう暫くジャングルを見るのは勘弁したい。お腹一杯という奴だ。ヘッドギアを丁寧に箱に仕舞いつつ、うーん、と体を伸ばす。仮想現実に入り込んで仮想体験を済ませるVRゲームにありがちな問題が、筋力の低下だ。

 簡単に言えば寝たきり状態で過ごしているわけだから、当たり前なのだろう。


 なので、VRゲームをプレイしている者は日々の筋力トレーニングを怠らないことが推奨されている。ガチガチのゲーマーである晴人は、ゲームに飲まれないように、と体を鍛えているらしく、お陰で体育の時間や力仕事で女子を魅了することが絶えない。

 本人は『ゲームでの俺の方に惚れてくんないかなぁ……』と、爽やか男児? なリアルとぎらついたバーサーカーの自分とのギャップに戸惑っている。


 さて、晴人の話題は置いておき……どうしようか。時刻は十時半過ぎ。寝た方が良さそうだな。寝る前にちょっとだけ掲示板のチェックをしよう。レスをつけておいたら、暫く自分へのレスが来るかどうかでどぎまぎしてしまうのは、ネットにあまり慣れていないからだろう。今更なことを気にしながら、スマホに手を伸ばし、掲示板を開いた。


『【魔物】第一回イベント掲示板 4【公式】』


169名前:『大隊長』ライチ

大隊長になりました。宜しくお願いします。


170名前:『大隊長』プレイトゥース

俺もどうやらそうなっちまったみたいだ。ライチさんと同じ戦線に立てるってのはありがてえな。宜しく頼むぜ。


171名前:『中隊長』DOX

えーと、中隊長のDOXです。宜しくお願いします!


172名前:『中隊長』キッカス

俺も中隊長になったで。流石に大隊長は無理やわ。宜しくお願いするでー。


173名前:『大隊長』上からクトゥルー

うぉぉぉぉ!!ライチさんと戦えるとかマジヤバい!宜しくお願いします!


174名前:『大隊長』F

よろしく


175名前:ピープル?

とても立場的に場違いな気分がする……けど、イベントは頑張ります。よろしくお願いします。


176名前:『小隊長』サイコステーキ

げぇ、小隊長って一番下じゃん。まあ、頑張るけど。


177名前:『小隊長』お前の後ろだ

どうも、お前の後ろだ、と申す者です。若輩者ですが、よろしくお願いいたします。


178名前:『大隊長』飛び出す板イタチ

よっしゃ!大隊長だ!燃えるわ。


179名前:『中隊長』フレキシ

大体いつも見る方々は隊長格になれたみたいだね。いいなぁ、大隊長。スキルポイント欲しいよ。


180名前:『大隊長』プレイトゥース

そうは言ってもなぁ……相手は人間全員だろ?正直、俺らが少し強くなっても厳しくねぇか?


181名前:『大隊長』上からクトゥルー

これはもうライチさんに全タテしてもらうしかないね


182名前:『中隊長』キッカス

ライチさんならやりかねんが……それじゃあ俺らはどーするんや。


183名前:『小隊長』お前の後ろだ

どう、と言われましても……全力を尽くすとしか。


184名前:『大隊長』てんどんモンスター

大隊長になれたか……よしよし。

取り敢えず全力で戦うしかないんじゃないかな?


185名前:『大隊長』飛び出す板イタチ

勝とうにも、時間と敵の数がネックだよなぁ……正直二時間も戦うだけのMPが無い。


186名前:『大隊長』111111111

確実に消耗戦を強いられることになるから、そこでどう動くかって話だよね。あ、大隊長の11111111です。オーワンって読んでください。


187名前:『小隊長』†あっとまーく†

敵側が圧倒的すぎて少し気後れしますよね。小隊長のあっとまーくといいます。名前のダガーは気にしないでください。罰ゲームなんです。


188名前:『中隊長』ケミカル納言

どうしよっかねぇ……ふへへ


189名前:『中隊長』フレキシ

まずイベントのダンジョンの構造について、次に魔物プレイヤーの配置について、最後に敵側の動き方について……知りたいこと、分からないことまみれだなぁ。


 掲示板の話題は自己紹介に始まり各々の宣戦布告と喜びの声、そして戦いについて書かれている。


「そうだな……イベントまではあと2日しかないんだ」


 今日は水曜日。金曜の夜9時から、魔物の存亡を掛けた二時間の戦いが始まる。もう、カウントダウンは始まっているんだ。スマホの画面の向こうに広がるのは決戦前夜のような空気感と、多くの人々の迷いや不安。

 それらを俺が一人で拭えるとは全く思っていない。それどころか俺だって不安だ。月紅を経験したからこそ、大きな戦いに対する恐怖は確かに滲んでいる。


 それでも、やらねばならぬのだ。俺たちは戦わなければならないのだ。形の見えない敵と、お互いを疑い合う敵と、それぞれの立場を掛けて戦わなければならない。


「……負けれないな」


 怖い。怖いが、勝ちだけは絶対に譲らない。俺の全力を持って、真っ正面から相手をしてやろう。ぎりり、と握りしめたスマホが音を立てた。




――――――



 真っ暗な部屋の中で、一人の男が画面を血走った瞳で見つめている。不健康そうなカサカサの唇がわずかに揺れた。


「……『機会』は与えたよ。君がその気になりさえすれば、ここでこの『ゲーム』はここでおしまいなんだ」


 男はごくりと唾を飲み干して、ボサボサの髪を掻いた。このゲームは彼が『それ』を見つければ、その時点で全てのワールドクエストを放り捨てて、五つのワールドボスを完全に無視して、このゲームはクリアされる。そのために必要なものは無理をしてでも彼に送り届けた。


 ――だから


「ちゃんと『それ』を見つけてくれよ……見逃さないでくれよ……頼むから」


 男は懇願するようにそう呟いた。瞳の先に居るのは、鎧を着込んだ一人のプレイヤー――ライチだ。

 頼むよ、という男の呟きを最後に、もう一度世界に静寂が満ちた。

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