第43話 きっと、約束の向こう側に

 優しく、ロードの体を抱き締める。俺より一回り小さいその体は酷く震えていて、温かかった。俺を抱き締め直したロードの動きで、鎧が音を立てた。

 一分か、二分か……いや、きっとそれよりは長い時間、ロードが落ち着くまで、俺は彼女を抱き締め続けていた。最初は濁流の様だった涙も今は収まって、小さく鼻を啜る音が胸元から聞こえる。


 俺の方も漸く涙が落ち着いて、手持ちぶさたな手のひらで不器用にロードの頭を撫でると、ロードが顔を上げずに声を発した。


「……ライチ、さん」


「……なんだ?」


「本当に、これからも僕を信じてくれますか?」


「……疑う理由が無いだろ」


 涙に濡れて蕩けるようなロードの言葉に、心をドキリとつつかれて、反射的にぶっきらぼうな返事をした。ロードは情けない俺の言葉にえへへ、と小さく笑って、再び口を開いた。


「呼んだら、来てくれますか?」


「真っ直ぐ飛んでくるよ。俺は、お前の騎士だからな」


 言葉尻に不安をほんの少しだけ滲ませたロードの言葉に冗談めかしてそう返すと、ロードは無言で俺の鎧を抱き締める力を強めた。


「そういうの、躊躇なく言うのってずるいですよ……ずるです」


「ずるもなにも、本当の事だろ?」


「……そういう、ところですよ」


 何がなんだか、さっぱりだ。これ以上何か言ってもまた地雷を踏みそうなので無言で頭を撫でると、ロードは小さくありがとうございます、と呟いた。


「ライチさん」


「ん、どうした?」


「ライチさんは僕の寵愛を受けた、僕だけの騎士ですよね」


「……あぁ、そうだ」


「えへへ……なら、いいです」


 何がいいというのだろうか。首をかしげそうになった俺を置いて、ロードがゆっくりと俺から体を離す。慌てて俺もロードに触れていた手を離すと、ロードが耳を貸して下さい、と言った。

 どうしたんだと思いつつ、素直にロードの顔に鎧の兜を近づけると、何か柔らかいものがちゅっ、と頬に当たって離れた。


「……え?……え?」


「く、唇は恥ずかしいので……まだ無理ですけど、頬っぺたなら……僕なりのお礼だと、思ってください。……一応、初めてなんですよ」


【一定条件を満たしたので『死神の寵愛』が『死神の親愛』に変化しました】


【デスペナルティが三分の一になります】


 久々に通知が空気を読まずに口を挟むが、今はそれにどうこう言っている場合ではない。え、何が起きたんだ? 唇? 頬っぺた? ……まさか、キス?

 混乱の境地にいる俺の視線の先のロードは、真っ赤になった顔を隠すためにフードを深く被って俺から体を離している。


 俺は恥ずかしいことだが異性に接吻せっぷんをされたことなど無い。それを言うと晴人は憐れむような目をこちらに向けるが、無いものはない。つまり、だ。俺にとってもキスをされるだなんて初めてなわけで、目の前で恥ずかしがるロードにどう接していいか全くわからない。

 急速に荒くなる心肺と血流、燃え上がる体内を必死に抑えて、俺が唯一発言できた一言は――


「……お、俺だって……初めてだ」


「え……あ、あわわ……えーと、あの……」


 またやらかしてしまった。完全にファンブル致命的失敗だ。俺と同様に焦り出したロードと俺の間でぐずぐずとした空気が流れ出したとき、俺の背後から小声が聞こえてきた。


「いけっ、ライチ。押し倒せっ」


「うむ、ライチ殿ならロード殿に不釣り合いとは言うまい。我は後押ししよう」


『僕も異議無しかなー』


「……何であの二人は結婚していないのかしら」 


「俺は目覚めて早々何を見せられているんだ……」


 上から順にオルゲス、レオニダス、メラルテンバル、カルナ……恐らくメルトリアスの言葉である。慌てて自分の周りを見渡せば、固唾を飲んで見守る剣闘士、戦士、動物達。俺の周りに居た魔術師達は空気を読んで距離を置いてくれたようで、生暖かい目で俺たちを見ている。


 そうだ、よく考えれば周りに人は沢山居たのだ。それどころか墓地全体から注目されていたとしても可笑しくない状況だったのだ。それなのに俺は……恥ずかしげもなく……滅茶苦茶恥ずかしい。


 吐いた言葉に嘘はないし、後悔もない。本気でロードを信じているし、彼女の為ならたった一回の死亡なぞ軽く受け止めてやれる。ロードを抱き締めたことも、今までの行動も、全て正しかったと断言していい。……だが、それとこれとは話が別だ。


「……あなたたちを見ていると口の中が過剰に甘くなるわ」


「あわ、カルナさん……そんなことを言わないで下さいよぉ」


「すまないな……」


「はっはっはー! もっと男を見せるのだライチ!」


『ちょっとうるさいよ、それに肩を叩かないでって……』


「俺の肩もついでに叩くなよオルゲス。俺の体が弱いの知ってるだろ?」


 カルナの一言を主軸に、墓地全体が明るく騒ぎだす。犬はきゃんきゃん吠えるし、魔術師は若いですなぁ、と微笑んでいる。なんだろう、とてつもなくいい空気のはずなのに、どことなく居づらい。

 それはロードも同じだったようで、あうぅ、と頭を抱えている。

 この暖かい空気は、今の俺にとって完全に毒だ……恥ずかしさに見悶えていると、小さな事を思い出した。


「ロード」


「な、なんですか?」


「呪文、最後まで唱え終わったか?」


 一番最後の、最後の一言。実はそこが個人的にはとても好きだと思っている。俺の指摘を受けたロードは、ハッと思い出したように目を見開くと、ゆっくり笑ってこちらを見た。


「すみません。やっぱり僕は、気が抜けてますね」


「そんなに気にすることじゃないさ。……さあ、本当に最後だ」


「はい。最後です」


 燦々とした太陽の光を全身に纏って、ゆっくりとロードは左手を空に掲げた。途端に周りの喧騒が嘘のように消えて行く。ロードは照る太陽を眩しそうに見つめ、ゆっくりと瞬きをした。銀色の長いまつげがはらりと揺れる。

 長いような一瞬の間をもって、ロードは柔らかく口を開いて歌を紡ぐ。その声は、もう涙に濡れていない。


「さあ、汝らよ。冥に居て生を生きよ。ここは死者の眠る墓地――遍く死者の憩う園エンターリグレイブ


 微笑すら浮かべたロードの歌は、広い墓地の端から端まで響き渡り、心地よく耳に残った。ロードは掲げた左手を下ろして、ゆっくりと自分を取り囲む世界を見つめた。いとおしげに、慈しむように、自らが取り戻した故郷を見つめた。

 ぐるりと墓地を一周したロードの視線が、ゆっくりと空に戻る。


 あぁ、とロードが溜め息を吐くように呟いた。


「好きに生きて……好きに逝け!!」


 おぉぉぉぉぉぉぉ!!!世界を轟かせるような咆哮が、歓声が、笑い声が、歌い声が、確かに産声を上げるように放たれた。その声に呼応して、墓地の至るところに散らばっていた銀の欠片がロードの目の前に集まっていく。

 また、墓地の中央……俺たちのリスポーン地点にいつか見た女神だか、天使だかの石像が現れた。同時に、空っぽの噴水が墓地の中央に現れる。


 幻想的な光景だった。青い空に白い流星群が尾を引いて飛んでいた。それらは困惑するロードの目の前に集まり、固まり……一本の長い杖となった。目が覚めるような白銀の杖だ。

 メルエスの持っていた杖にも似たそれを、ロードは暫くじっと見つめていたが、意を決したのか深く深呼吸をして、ゆっくりとそれを両手で掴んだ。

 途端にそれは花火のように鮮明に、けれど穏やかに銀の光を放った。


 その光は波のように遍く死者の憩う園全域に広がり、一陣の風となった。光の抜けた後、誰かが「あぁ」と呟いた。水のせせらぎが聞こえる。慌てて音の方に視線を向ければ、れていた噴水はせんせんと水を産み出しており、何も知らぬ蝶が不用心にその周りを飛んでいた。


「全部……全部、揃いました。空も、地面も、林檎の木も、みんなも、杖も、噴水も……あぁ、全部揃いました」


 ほうけたようなロードの声は、どこか誇らしげで、満ち足りている様に思えた。その場の全員が、取り分けオルゲス達はその光景にとてつもなく見惚れていた。


 オルゲスは見開いた目に嘘のような涙を浮かべていた。

 レオニダスは驚きのあまり自らの槍を取り落としていた。

 メルトリアスはあんぐりと口を開いて、何度も目を擦っていた。

 唯一メラルテンバルだけが、青い瞳に慈愛と尊敬を浮かべて微笑していた。


『当代墓守、ロード・トラヴィスタナ様に、心より忠誠を誓います』


 メラルテンバルは落ち着いた声を放ち、ゆっくりとロードに向けてこうべを垂れた。同じく見とれていた他の霊達が、慌てて膝を折り、同じく頭を垂れる。

 彼らにとって、今のこの瞬間は王子の戴冠式にも等しいのだろう。整然と全てが臣下の礼を尽くす中、俺とカルナ……そしてロードだけが全ての上に立っていた。


 慌てて俺も膝を着こうとしたが、ロードが優しく首を振った。


「いいです。いいんですよ、ライチさん。貴方は僕を救ってくれました。カルナさんも、僕を守ってくれました。例え僕の騎士でも、ライチさんは僕の恩人でもあるんです」


「そうか。えーと……おめでと――いや、違うな」


 穏やかにこちらを見つめるロードに祝福の言葉を送ろうとしたが、違うな。違う。全くもってその言葉は正しくない。

 ほんの少し空いた静寂に、噴水のせせらぎだけがやけに大きく聞こえた。もう一度、ロードに向き直る。


 すぅ、と息を吸った。ロードは俺にたった五文字の祝詞を送った。約束に対する礼を言った。

 今の今まで、俺たちは二人ないし三人でここまで歩いてきたんだ。自然と、今までの思い出がよみがえる。


 死にかけて、死にかけて、死にかけて、笑って、死にかけて、笑って、泣いて……あぁ、その道の先の今で言うべき言葉は、おめでとうなんて軽いもんじゃない。ロードのフードの奥の金の瞳と目があった。


 そうだ、俺が言うべき言葉は……長い約束の終わりに言う言葉は――


「ロード」


「はい」


「……お疲れ様」


「……はい、お疲れ様、でした」


 あぁ、やっぱりこの言葉であるべきなのだろう。ピタリとパズルの最後のピースが嵌まったような音が、どこからか聞こえたような気がした。 

 フードの奥で、柔らかくロードが微笑んだ。少し赤らんだ顔で、両手に眩しいほどの銀の杖を持って。


 通知が、控えめに約束の終わりを言い渡した。


【フィールドが完全に浄化されました】


【条件を満たしたので、フィールド名『荒れ狂う死者の舞踏場』は、フィールド名『遍く死者の憩う園』に変更されました。全世界に通知されます】


【『遍く死者の憩う園』の主は、墓守の《ロード・トラヴィスタナ》です】


【おめでとうございます】

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