第40話 墓守と竜。赤の希望

【Variant rhetoricにログインします】


【通知:アップデートが完了しました】


【クランシステムが解放されました】


【イベントより通知:おめでとうございます。プレイヤー名『ライチ』は大隊長に選抜されました】


【イベント開始まで、71時間21分】


 瞳が開く視界に広がるのは清々しい群青。薄く引き伸ばされた雲がなんとも風情を感じさせる。何処からか生暖かい風が吹いて、俺の鎧の間接部分を抜けて本体を優しく撫でた。鮮明な世界、穏やかな空気。けれども、俺の目覚めは中々に悪い。


「やっぱり大隊長になるか……まあ、それはいいとしてクラン解放されちまったな」


 出来れば永遠に解放されないでいただきたかったが、仕方がない事だ。まあ、それらについて考えを巡らせるのは止めよう。俺はこのゲームを楽しむと決めたのだ。初手からハードモードな魔物プレイなんだから、今更どうってことは無いだろう。

 後頭部に感じる柔らかな雑草の感触に別れを告げて、ゆっくりと立ち上がる。途端に目にはいるのは絶景というべき墓地の様相。


 青い空、燦々さんさんと照る太陽。地面は柔らかな緑草と淑やかな花々が広がり、艶やかに濡れた紫陽花あじさいと、燃えるような林檎の実が色を添えている。剣闘士達は笑いながら語り合い、戦士たちは争いの後の平穏に瞼を下ろして風を感じている。間違いなく平穏と言い切れる光景に、無意識で溜め息が出た。一仕事終わったあとの満足感を煮詰めたそれは、視線の先で優雅に舞う蝶の羽を僅かに揺らした気がする。


「漸く落ち着ける……」


 思えばゲーム開始から今の今までずっと戦い続けていた。むしろ戦っていなかった時の方が少なかったんじゃないかと思うほど、俺ひたすら戦い続けていた。それが報われたとか、大層な事を言う訳じゃないが、漸く手に入れた平和を甘受することぐらいは許されていいだろう。

 暫く何も考えずぼーっとしていたが、気紛れに吹いた風に頬を撫でられて、静かに思考を取り戻した。


「墓地は殆ど攻略したって言っても良いよな……何なら解放って通知来てるくらいだし。……でも、まだ半分が戻ってないんだよな」


 風の通り過ぎた方向を見つめれば、未だに解放されていないエリアがあった。荒れた大地に崩れた石像、暗雲と亡者の跋扈ばっこする悲しき魔境が未だに残っている。エリアの主は沈んでいるが、そこでさ迷う魔物たちは死の呪いから逃れることも出来ず苦しんでいる。

 クエスト報酬にステータス確認、ステータス振り分けにSP振り、更には進化などさまざまな用事が立て込んでいるが、それは後でも出来るだろう。今はエリアの解放を優先したい。


「そうと決まればロードを探すか」


 傷まみれな鎧を鳴らしながら辺りを散策してみる。ここはそこそこ広いが見晴らしが良い。最悪林檎の木に登れば辺りを一望できるだろう。


「……ん、あれは――騎士様じゃないか!」


「何だって? ……本当だ、目覚めているぞ!」


 適当に墓地をぶらついていると、戦士や剣闘士たちの霊がにわかに騒がしくなった。彼らは精悍な顔に朗らかな笑みを浮かべながらこちらに歩いてきた。瞬く間に回りを囲まれて少し焦る。


「この墓地を守っていただき、本当にありがとうございました!」


「いや、俺もここが好きだからな。好きな場所を守るのは当たり前だ」


「戦場での活躍は流石でしたな」


「俺も騎士様に何度も助けられたぜ。ありがとな」


「その騎士様ってのむず痒いから、ライチでいいよ」


 今にも胴上げの一つでもしてきそうな彼らに苦笑いしながら、ロードの居場所を聞いた。


「確か墓守殿はレオニダス様とオルゲス様と共に墓地についての話し合いをしていたはず……」


「多分あの木の向こう側だな」


「そうか、ありがとな」


 貴重な情報に感謝して、戦士の一人に指差された方面に向かう。柔らかい草を踏みしめながら群生する林檎の木の間を縫って進むと、少し開けた場所に出て、そこには三人の人影があった。もちろんロード、レオニダス、オルゲスの三人分だ。どうやらカルナはまだログインしていないようだが、本人の都合も有るだろうし普通だろう。


「あ、ライチさん!」


「……おお、ライチか。昨日ぶりだな」


「おう、三人で墓地についての話し合いをしてるって聞いて、こっちまで来たぜ」


 オルゲスはその顔に深く笑みを浮かべながら、ロードは目を輝かせながら、レオニダスは壮健なアルカイックスマイルを浮かべながら俺を出迎えてくれた。ロードが袖をパタパタと振りながら手招きする。そのしぐさにあやかって、三人の会議に俺も混じった。ロードはカルナについて聞いてきたが、カルナのリアルを俺は知らない。まだ起きてない、とだけ返した。取り敢えず中断されていた会議を再開するために、オルゲスが小さく咳き込んだ。


「さて、ライチも来たことだし、議題を整理しようか」


「うむ。今回の我々の目的は、この墓地の完全な浄化と……ロード殿にこの墓地を継承させることだ」


「……はい。メラルテンバルさんとメルトリアスさんは眠っているので、そう難しいことではありません」


「継承ってことは、今のところこの墓地の所有者は……」


「無し、ということになっているな」


 オルゲスの言葉に、ちらりとロードを見ると彼女は怯えるでも緊張するでもなく、ただ、凛と前を向いていた。僅かにローブからはみ出た銀の髪が日の光を受けて尚更煌めく。ロードの瞳を見ることは出来ない。だが、今のロードの様子を見れば目を見ることの意味など無いような気もする。


「僕は、墓守です。歴代最高の……墓守です」


 ロードはゆっくり、そしてはっきりと断言した。この一言に込められた感情は、覚悟の一色。本当に一瞬だけ、ロードの背後にメルエスがちらついた様な錯覚を覚えて、ハッと息を飲んだ。

 同じく言葉を紡げない二人の英雄に向けて、ロードは不敵に言い放った。


「僕はもう逃げません、怯えません。僕は……この場所を取り戻すって誓ったんです」


 ね、ライチさん。フードをゆっくりと外したロードの顔は、確かに笑っていた。本当に……成長したな。始めに出会った頃の面影など欠片ほども見せずに、ロードはカラリと笑った。

 呆気にとられた俺たちにくるりと背を向けて、ロードは一歩踏み出した。


「ですから、行きましょう。僕たちは立ち止まってなんていられないんですから」


「あぁ、ついてくよ」


「うむ、我もついていくとしよう。果ての果てまで」


「はっはっは!素晴らしい心意気よ!是非ともロード殿の行き先に我も連れていって欲しいものだ!」


 ゆっくりと歩き出すロードの隣に、盾を構えて付いていく。目指すは主の居ない魔物の住み処。林檎の木を抜けて、紫陽花の群れを通り越し、背の低い草花を跨いで、石像を置き去りにする。

 珍しそうに此方を見る戦士や剣闘士を通り越して、ゆっくりとロードは霧の向こう側に歩みを進めた。


 途端にゾンビドッグやゾンビレイヴン、スパルトス等の魔物の残党が俺たちを目掛けて集まってくるが、甘い。こちらには当代墓守と古代の英雄、剣闘士の長、そして俺がいる。


「『ダークアロー』」


「温いわっ!」


「相手が悪かった、なっ!」


「眠れ……墓守の歌エピテレート・レイ!」


 黒の鏃が先陣を切ったスパルトスを一撃で沈め、隙を穿とうとしたゾンビレイヴンの啄みをレオニダスが巧みにいなし、ならば数でと攻めいったゾンビドックの群れをオルゲスが体当たりと腕の振り回しで凪ぎ払った。

 そして、ロードの左手から迸る銀色の濁流があとに続くすべての魔物を眠らせる。激しく大気を撹拌するロードの魔法の通った後には、魔物の影どころか、霧すらも抉り取られて消失していた。


「さすがの火力だな……かすっても死にそう」


「うむ、恐ろしい限りだ」


「さ、流石に皆さんには撃ちませんよ?」


「でないと困ってしまうのは我らだな」


 間違いない。ロードは慌てて俺たちの言葉を否定して、また歩き出した。墓守の本能というやつか、先へ進む足取りに淀みは一切無い。定期的に魔物が俺たちへ向けて襲いかかってくるが、流石にレベル差が酷すぎる。オルゲスの一殴りで魔物は爆散し、正確無比なレオニダスの一突きは奇襲を全てねじ伏せる。俺の魔法で簡単に魔物は倒せるので、ロードの魔法は殆んど出番がない。

 戦闘自体が五秒程度で終わるので、俺たちはさくさくと奥地に進めた。

 暫く進み、砕けた墓石や欠けた竜の石像が目立つ様になった頃、ロードがその歩みを止めた。


「ここでいいです」


「分かった。……よろしく頼む」


「はい、任せてください」


「メラルテンバルと、久々の再会と言うわけか……」


「我は腰を据えて待つとしよう」


 ロードが、ゆっくりと左手を掲げ、墓守の祝詞を紡いでいく。荘厳に、神聖に。一文字一文字、紡がれる言葉の魔力に木霊して、世界がその色を変えていく。空を青く、大地を緑に。地面にはここでは物珍しいガーベラの花が咲いていた。


 目を瞑り、言葉を紡ぐロードの姿は近寄りがたく、それでいて頼もしい。銀色の粒子が宙に滞空する。ふらふらとその光に誘われて、四足歩行の魔物たちが集まってくる。カラス、虎、馬、犬、蛇、飛竜、狼、鷹。

 弾けていく光の粒子、広がる生命が大地を染め上げていく。映画のワンシーンのような光景が、燦然と広がっていた。


 ため息の出る様な絶景に目を奪われていると、一際ガーベラの花が集まっている場所に、巨大な光の塊が生まれた。驚きに目を丸くしていると、オルゲスが小さく囁いた。


「メルエス殿はガーベラの花を大層気に入っていてな。奴はそれを知ってガーベラの花を育てることに尽力していたのだ。メルエス殿に花冠を作ってやりたいのだ、と小さすぎるガーベラの花を巨大な爪先で不器用に摘まんで、何度も何度も花冠を作ろうとしていたよ」


「見かねたメルトリアスが手伝ってやろうかと言うと、メラルテンバルは大層怒っていたな。自分の気持ちが一番籠っている事が大切なのだと、足元に千切れた失敗作を大量に転がしながら言っていた……」


「あぁ、懐かしいなレオニダス。そんなこともあったな」


 目を細目ながら語らう二人の言葉に、胸の奥が暖かくなった。

 ロードの方に視線を戻すと、いよいよ呪文は佳境に迫り、巻き戻すように墓石や石像が修復されていき、霧は晴れ、ガーベラは赤く燃えて咲き誇っていた。

 その様子を見て、俺は小さな事を思い出す。確か晴人がバレンタインに大量のチョコを貰っていた時、手作り包装に描かれた手書きのガーベラを指差しながら、こう言ったのだ。


「……知ってるか? ガーベラの花言葉は『希望』って言うんだ。まあ、それは白いガーベラで、赤は愛情とか、感謝って意味なんだけどな……」


 オルゲスとレオニダスが、驚いた様子でこちらに振り返る。それと同時に、あちこちで光が弾けて、世界が銀に満たされていく。赤いガーベラの上の塊も大きく弾けて、それと共に大きな光の影が空に舞う。巨大な白い翼を広げるその姿は、間違いなく白竜そのものだ。

 弾けた光が柔らかく赤いガーベラの上にまぶされてその色を白く染めた。


 ロードが仰々しく両手を広げて言った。


「好きに生きて、好きに逝け」


 霊体の動物たちが大きく吠えた。喜びに、命に、世界に、そして偉大なる墓守に向けて、全力の産声を上げた。整然と彼らは立ち並び、青い空は柔らかく此方を見つめ、ガーベラは赤と白の入り交じったまま、変わらずに咲き誇っていた。

 重なる咆哮に合わせて、空を駆ける鳥の合間から、白竜が盛大な咆哮を上げた。それは絶望に満ちた厭世の色ではなく、希望と知性に満ちた、暖かな物だった。白竜の羽ばたきが辺りの草花と銀の粒子を軽く巻き上げ、またもや世界を彩った。


 白竜は暫く空を駆けると、ゆっくりとロードの前に降りたった。白竜メラルテンバルの体には滑らかな白い鱗が隙間なく並んでおり、雄々しい角も空を向いていた。メラルテンバルは巨大な白い翼を折り畳むと、ロードに向けて恭しく頭を下げた。


『当代墓守、ロード様……本当に、立派に成られましたね』


 白竜は深い知性と愛情を感じさせる空色の目を持っていた。ロードはこくりと頷くと、大きなその頭をゆっくりと撫でた。


「……お母さんと、約束をしましたから」


『……メルエス様をお守りできなかったのは、僕の責任です。何なりと罵るなり、軽蔑するなり致してください』


 白竜は、目を瞑って覚悟を決めた様子だったが、ロードは取り乱す事なく、ただその頭を優しく撫でた。


「お母さんのことは、悲しいです。今も、戻ってきて欲しいです。……でも、だからこそしっかりしなきゃいけないとも思うんですよ」


『ロード様……』


「僕は歴代最高の墓守です。……でも、歴代最強なんかじゃないんです。実際今までライチさんやカルナさんに助けて貰ってばかりで、情けないって思います」


 本当に、弱いんです。僕は、とロードは苦笑いをした。そして、驚いた様子でロードを見つめるメラルテンバルの頭に、優しく抱きついた。


「だから自分の力で誰かを助けたい、ここを守りたいって本当に思っていても、どうしようもなくて……でも、逃げたくはないんです。あの日みたいに何も出来ないのは、もう嫌なんですよ」


『…………』


「僕はもう逃げません。……どんなに弱くても、前を向いていたいんです。こんな僕に……ついてきて、くれますか?」


『……ついて、いきます。僕は何処までもついていきます』


「ありがとうございます。メラルテンバルさん」


 竜は泣いていた。青い目からダイヤモンドのような大粒の涙を流していた。落ちた涙が、丁度真下にあった白いガーベラに当たって、半分だけ白い色が落ちる。白と赤、愛と希望をまぜこぜにした欲張りなガーベラの上で、きっとすべてを守りきれなかった白竜は、確かにもう一度大切なものを手にしたのだろう。


「本当に、とんでもないゲームだよ……本当に」


 この光景を見ることが出来ないカルナが可哀想で仕方ないという気分にさえなる。

 柔らかな風がロードのローブを揺らし、風が巻き上げたガーベラの花弁が、不思議に俺の肩に止まった。


 あぁ、良い景色だ。

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