第23話 死者の魂は斯く在る

 ――月紅。


 それは、『破滅』の呪い。世界への呪い。十三週間に一度、赤い月が空に登る時、それらは世界に未曾有の狂騒と破滅を齎すだろう。


 というのが、ロードの説明する『月紅』の概要だ。要するに定期的に始まるスタンピード、もしくはゲリライベントという事だろう。その時、この墓地で起こる一世一代の防衛戦……エリアボス一派VS我ら墓守一派。

 こうやって字に起こしてみればかっこいいが、正直戦力差は絶望的だと思う。もしロードが『墓守の意思』状態になったとかならば、俺ら二人は両手を上げて目を瞑っているだけで防衛は確実に成功するだろう。


 だが、ロードの実力はそこまで行っていない上、状態異常は発生するのかどうか怪しい博打のようなものだ。期待するだけ危ういだろう。

 こちらの戦力は通常のロード、もうすぐ二度目の進化が出来そうな俺、進化したばかりのカルナの三名……。


「いや、無理だろ」


「厳しい戦いになりそうね」


「何で楽しそうな顔してんだ……」


 あちこちが吹っ飛んだ戦場跡地のど真ん中で、作戦会議とは名ばかりの延命会議が開かれていた。作戦も何も、こちらの手札も糞もない。どうにか俺がヘイト集めて混乱パーティーでもするか?いや、数が多過ぎる……。

 どう考えても、あまりに無謀な戦い。依頼者兼護衛対象のロードに厳しめの意見を送るが、当のロードはその目に自信を浮かべながら言った。


「一緒に戦ってくれる人が居たら……どうですか?」


「……先代墓守か。それなら……うーん、まあ五分五分行かなくても四分ぐらいは――」


「先代墓守達は役割を終えて眠っています。今回の月紅を止めるのは僕一人です」


 飛行能力や魔法の火力、その他基礎能力の面において先代墓守は十分な戦力足りえる。しかし、眠っているとなれば戦力に数えるのは無理だろう。となればやはりそれほどの戦力を何処から提供するんだ? ……まさかプレイヤーを?

 多数の可能性を模索する俺に、ロードが簡潔に答えだけを言う。


「ここ、ですよ」


「……?」


「地面に戦ってもらうのかしら?」


「い、いえ……流石にゴーレムは作れません。僕、墓守なので」


 カルナの率直な回答に苦笑いを浮かべたロードは、こほん、と咳払いをした。そしてにこりと柔らかく微笑む。その笑みに、思わずドキッとしながら、答えの意味を聞こうとするが、それより先にロードが言った。


「見せてあげます。墓守の真価を。そして……この場所、遍く死者の憩う園エンターリグレイブ真の姿を」


 荒れ狂う死者の舞踏場と呼ばれるこの場所の、真の姿。相変わらず何を言っているのかさっぱりだが、ロードの動き、声全てが物語る。見ていろ、きっと驚くぞ?と。

 ロードはこちらに背を向けて、荒れ果てた大地を見渡し、深く息を吐いた。



 周りの景色は一様に荒れ果てている。崩れた剣士像、踏み荒らされた墓石の数々、青い雑草の一つすら生えない死んだ大地と、死者の吐息にも似たしめやかな霧。空には死の悲しみを表したような灰色の雲が動く事なくそこにある。周りを見ればかつて人であった不死者が終わりなき生に正気を失い、走り回るのが見える。


 そんな絶望の墓場に、墓を守る墓守は立っていた。ゆっくりとロードの両手が組まれ、祈るように胸元に寄せられる。白いローブが揺れた。


「――死者の魂は空に帰る」


 それはロードがメルエスに歌った歌とは全く別の物。言うならば呪文の一節、祝詞の暗唱。耳に心地よい高音が、落ち着いた色を持って響き渡る。


「名もなき剣闘士の魂もまた、遍く空へ帰り行く」


 不思議と響くその声に、周りの不死者が足を止めた。霧が、その流れを忘れる。


「ここは、魂の眠る園。死した魂の憩う場所。死の苦しみも、生の苦しみも、全て捨て行く、忘我の地」


 霧が、晴れていく。大地がさざめき立った。空の彼方から、一筋の光芒が見えた気がする。


「皆よ、眠れやこの場所で。並び立つ墓が、汝らの行く先を照らしている」


 崩れていた墓石が、軽い音を立てながら、時間を戻すように修復されていく。あちらこちらで、ひとりでに。カルナはその様子にへぇ、と声を漏らした。


「それでも眠れぬというのなら、それでも逝けぬと止まるなら、ならばここで立ち止まるが良い。ここは死者の眠る墓地。汝らのひしめく場所」


 墓石がひとりでに起き上がる。整然と並んだ墓石が淡い銀の光を帯びている。ゆっくりと、しかし確かな足取りで死者が墓石の前に進んでいく。ロードは両手をゆっくりと広げ、歩き出した。荒れ果てた大地に左手の先を向ける。


「そこには林檎の木と――」


 たちまちそこには青々とした草が生え、美しい林檎の樹木がいくつも茂り始めた。


「華の園がある」


 添えられた右手の先から、走るように緑が生まれ、急成長したそれらは色とりどりの花を咲かせた。どこからか、花蜂が飛んできて、その花弁に頭を埋める。


「そこには見渡す限りの楽園と、青々とした空がある」


 ロードが霧を払うように手を振ると、一瞬で霧は晴れていき、空の雲は消え去った。藍色の夜空と、初めて見る星の帯に、自然と感嘆の声が出た。星の灯りに照らされて、花々はいよいよ大地を染め上げ、林檎の木は赤々とした実を付けた。淡く光る墓石の前に、幾千もの不死者が並んでいる。


「だから、汝らは此処で憩うと良い。その日、その時まで。誰も急かしはしない。死者に命令できるのは、死神くらいなものだから」


 振り返ったロードが、こちらにウィンクする。その瞬間、墓石の光が蛍のように滲み出て、優しく不死者達を包み込んだ。既に消えた不死者の墓からも、蛍の光が溢れ出る。

 星々の灯りも、蛍の光も、どちらも入り乱れて、俺は一瞬、ここと空の境界線を見失った。それ程までに、燦然さんぜんとした景色だった。


「さあ、汝らよ。冥に居て生を生きよ。ここは死者の眠る墓地――遍く死者の憩う園エンターリグレイブ


 光の粒子がはじけて、地面の草花に降りかかる。弾けた光の中から、白い人影が現れた。それらは皆一様に青い目で剣と盾、もしくは槍と盾を持っており、文字通り剣闘士の人々の霊なのだと、簡単に予想できた。その中には一際目立つ大きな白影……グレーターゾンビの霊も居た。

 彼らは自分の体を隈なく確認し、周りを見渡した。


 輝く花の園、瑞々しい香りを放つ林檎の木の集まり、空には満月と星々が祝福するように光っている。彼らは長く短い生を噛みしめるように目を瞑ると、彼らをこの場所に導いてくれた偉大な墓守にひざまずいた。


 幻想的な景色だった。言葉どころか呼吸の一つもできなかった。この景色を生み出した力の源についてや、その他の様々な事柄について、聞きたいことが山ほどあった。

 けれど、そんな言葉を吐くことすらこの場に似つかわしくないような気がして、目の前でこちらに笑いかける墓守だか死神だかあやふやな少女に言った。


「……凄いな」


「えへへ……頑張って覚えた価値がありますね……」


「現実じゃ、いくらお金を貢いでも見れない景色でしょうね……」


「全くもってその通りだ……凄すぎるの言葉じゃ全然足りないぞ」


 例えば広辞苑の言葉の内、「美しい」という意味の言葉を全部持ち出して褒め称えても、その美しさを表すには力不足だと思えた。目で見て、肌で感じて、それでようやく半分感じ取れる。それは、そんな美しさだった。さて、最後の仕上げです、とロードは左手を掲げた。手の先には銀の月。


「好きに生きて、好きに逝け」


 その言葉に、ォォォォォォ! とその場に居た剣闘士全員が、喉元……いや体全体、五臓六腑の奥底から声を吐いた。それと同時に、ロードはやり遂げたようなため息を吐いて、こちらに歩み寄っていく。残された剣闘士達は、死神の命令に従って好き勝手に憩い始めた。あるものは林檎の木の実をひと齧りし、あるものは墓石にもたれ掛かって眠りこける。芝に寝そべって月を眺めるものもあれば、旧友との再会に大声をあげて抱き合う様も見れる。


 これが、ロードの言っていた真の姿なのだと、直感した。


「どうですか? 墓守っぽいですかね? えへへ」


「バッチリ。百点どころか250点あげたい」


「何が何だかさっぱりだけれど……いいんじゃないかしら? かっこよかったわよ」


「えへへ……うぅ、あ、ありがとうございます……」


「え、ちょ、何泣き出してるの? ライチ、どうにかして」


 さしものカルナも泣く少女の扱いには本気で困ったのか、初めてその顔に困惑と焦燥を浮かべながら俺に助けを求めた。とはいえだ、俺自身泣く、という行為を止めるのには些か疑問がある。特に、今のロードの様な嬉し泣きの場合は。

 涙は、人間の心という器に収まりきらなかった大きな感情の現れだ。それが正のものであれ、負のものであれ、抑え込むのは俺の流儀に反する。だから、泣かせたままにしてやろう。

 ゆっくりとロードに近づいて片膝をつき、その華奢な肩を掴む。


「ロード、よくやったよ。四分の一だろうが何だろうが、取り返してやったんだよ。お前が、確かにな。本当によくやった。もうお前は、一人前だ。俺の知る限り、最高の墓守だよ」


「ライチさんの知ってる墓守なんて……ひっぐ、僕ぐらいじゃないですかぁ!」


「はは、そうだな」


 もう馬鹿ぁ! と涙声で叫びながら、ロードは俺の鎧の体に抱きついた。ほぼ上限近い体幹強化のお陰で、しっかりと抱きとめてやれる。泣き止むどころか更に酷くなったロードの嗚咽に、鎧の奥で苦笑いをした。

 カルナに小言の一つでも言われるんじゃないかと思ったが、何もない。それどころか、彼女の姿が見当たらない。


「嘘だろ……ログアウト? いや、普通にどっか行っただけか?」


「ひっぐ、うぅ、ぁ、うう」


「鎧に涙擦り付けてどうすんだ……はは」


 消えたカルナの行方は後で捜索するとして、ゆっくりロードが泣き止むまで待つことにした。俺の白い墓守の鎧に頭を埋めて、ロードは泣いていた。しばらくすると、嗚咽も収まり、息も整ってきた。すると途端に離れるタイミングを見失った俺は、脳みそをフル回転させながらどうにかならんもんかと思考していた。気まずい空気にならないように、早めに体を離そうとしたが、ぎゅっとロードが鎧を引っ張る。


「……あったかいです」


「そうか?」


「はい」


 俺の鎧は恐らくファンタジーな鉄で出来てる。中身はほとんど伽藍堂だ。だから、ロードの感じている熱は、熱移動で温まった鎧の暖かさだろう、と冷静に考えつつも、絶対にそんなことは言わない。

 ロードは顔を埋めたまま、言った。


「……強くて、かっこよくて、いつも僕を救ってくれる……ライチさんって王子様みたいです」


「そんな強くないし、顔無いし、白馬にも乗ってないし……俺は王子様って柄じゃ無いけどな」


 ロードの言葉に、照れているのを隠すために、若干早口になりながら、冗談めかして言った。が、ロードは両腕を背中に回して言った。


「じゃあ、騎士です。僕の騎士です」


「騎士……あぁ、うん。俺は騎士だな。たしかに」


「僕のって付けてくださいよ」


 そこで初めて、ロードは顔を上げた。滂沱ぼうだでぐちゃぐちゃで、真っ赤に煮立ったその顔は、とてもでは無いが人に見せられる顔では無い。けれどその時ばかりは、どうしようもなく美しく見えた。


「僕の寵愛を受けた、僕の騎士だって……」


 あ、やばいな。このまま行くと、完全にVRガチ恋勢になってしまう。それもいいじゃないか、なあ。と俺の中の悪魔が囁くが、それを強引に押しとどめる。この状況を綺麗じゃなくても収めるには……。


「えっと、その……あ、あぁ、俺はお前だけ・・の騎士だ。ロード・トラヴィスタナ」


「……あ、あわ、あわわ……ひぃぁぁぁ」


 耳元で囁いた言葉に、俺のリアルの体は顔が真っ赤になっているに違いない。しかし、それよりも初々しい反応をしたロードは、はっ、と俺から離れると、俺の兜の中を見て目をそらし、全力ダッシュで俺から離れていった。


「あ、危なかった……」


 これが、俺が導き出した方程式。自爆をする事で、俺よりHPの低いロードを撤退させるという唯一無二の最適解。……にしてはダメージがでかすぎる。


「晴人に見られたらヘタレって言われんだろうなぁ……」


「何が危なかったんでしょうね? ライチ」


「うぉ!? お前いたのかよ!」


「澄んだ空気をみに……ね?」


「……外の空気吸ってきた的なニュアンスか?」


「あら、言わせないでほしいわ」


「……分かりづらい上相手するのが疲れるわ」


 膝をついた体勢からなんとか立ち上がると、真後ろからカルナの声が聞こえて飛び上がった。……こいつ、もしかしてさっきまでのやり取りを……。


「なあ、カルナ――」


「『俺は、お前だけの騎士だ』……憧れちゃうわね」


「……」


 口止めに先手を打たれた。途轍もなく重い一撃が身体の中から外に抜けていった。……これは暫くネタにされそうだ。満足気な顔のカルナに、いつか一杯食わせてやると、心に誓った。

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