第20話 そして誰もいなくなった 後編


〔花山東方面 B班残党〕






 崖の方から絶叫が聞こえる。


 それは先ほど地面ごと落下していった長谷川警部補達のものだと分かったが、それを助けに行く余裕は彼女――三上忍の母親である三上京子にはなかった。


「走れ! 走れ走れ走れッ!!」


 彼女とその部下である神主の優男、十代の巫女、ガタイの良い警官一人、そしてローブ姿の魔術師の五人は今にも転びそうになりながら山中を走っていた。


 三上は複数の視線を感じながら拳を握る。


 ――なんだあれはっ!? 妖魔? 妖怪? 鬼蜘蛛だとでも言うのか!?


 彼女達は真っ暗な闇の中で追われていた。

 まだ全滅していないのが相当な幸運と言えるし、回避出来たのは単に暗視スコープのおかげだ。


 彼女達は見たのだ。

 何の気配も感じない森の中で、無数の埋め尽くさんばかりの赤い目がこちらを見ている事に。


 だが幸運はそれだけ。


 ――だとしても鬼蜘蛛が十匹以上もいるなんてどうなってるんだ!? 一匹で都一つを食らい尽くしたと書かれた化物だぞ!?


 鬼蜘蛛。

 八百年以上も前、関東にあった都の一つを襲いそこに住む人間や家畜を食らい尽くしたとされる化物。

 当時の名蔵神道が二百人の神主と巫女の命を引き換えに滅した災害と記されているが、実在したかは不明。一般人など鼻で笑う話だ。


 だが彼等を執拗に追い掛ける数十体の蜘蛛はそうとしか思えない。

 ……もっとも実際はレッドリストA級指定の幻術や虚空、分身を操る魔術系の蜘蛛、ファントムスパイダーという魔物だがそんな事を知る由もなく。


「もしもし! こちらB班だ! 聞こえているか!?」


 どちらにせよ無差別に野に放たれれば国家存亡の危機。なので何としても報告する為に三上涼子は無線での連絡を試みているのだが。


「――こちら、B班! 至急応答を! 本部、聞こえているなら――谷垣警部! どうか応答を!!」


「……あひゃひゃ……ひゃひゃひゃ……ぁぁ…………マ…………ママァ……………ママぁ! …………ボクねぇ……ボクねぇ!」


「はぁっ? ママぁ? 谷垣警部!? 聞こえてますか谷垣警部ッッ!」


 異常なのだ。


 旅館“篝”に設置された本部から聞こえてくる声は、奇声や意味の分からない言葉ばかり。どう考えても本部に正常な者は残っていない。


 ――ギャアアアアアア……。


「ぃっ!?」

「地獄かここはっ!!」


 さらに時折、こうしてどこか離れた別の場所で誰かの断末魔らしき声が上がる。


 魔の森、なんて言葉が可愛く聞こえる。地獄。そう地獄だ。それ以外に表現のしようがない。


「がっ――」


 最後尾を息も絶え絶えで走っていた神主が転ぶ。


「神主さんっ!」


 それを見て前を走っていた少女巫女が振り返り、慌てて手を伸ばす。

 けれどその手を掴む瞬間、優男の神主の体が宙を舞った。


「うっ、うわあああっ!!」


 まるで釣り。

 釣り針でも掛けられたかの様に神主の体が空中へ飛び上がり、深い深い周囲の森へあっという間に引きずり込まれていった。


「ひぃ!? やっ、やめ――ッッ!!!」


 少しして見えない森の中で神主の絶叫が響く。


 彼の消えた場所に手だけ差し出したまま、呆然としていた少女巫女は震え叫ぶしかない。


「――っ、いやっ、いやだこんなの!!」


 錯乱する少女。そんな彼女を警官が戻ってきて無理やり担ぎ上げる。


「もういや! こんなっ、こんな話聞いてない! 帰る!! 私家に帰るっ!」

「帰るってどうやってだよ! 泣いている暇はない! 死にたくなかったら目を開けろッ!」


 警官も叫びながら三上京子とローブの西洋魔術師の元に走る。彼等は開けた場所で、それぞれ札と杖を使い何か詠唱をしていた。


「早く! この中なら安全だよ!」


 ローブの魔術師の声に従い警官は少女を抱えて走り込んだ。


 直後、背後でバチっ! という音がすると共に無数の糸が見えない壁に突き刺さっていた。

 透明な壁は魔術師が決死の思いでギリギリ作り上げた結界である。


「上手くいった!」


 だが直後、無慈悲にも糸に引っ張られ地面ごとグイッと僅かに動く。


「ひぃっ」

「結界ごと引き摺られてる!?」


 思わず全員が結界の外に後退すると、周囲の地面が抉れ結界と共にそのまま森の中へ持って行かれる。


「嘘だろ……」


 もはや防御すら不能。

 ただ三上涼子が札で張った別の結界は地面に根付く効果はないので維持されており、今の糸でも引っ張られなかった。


「わ、私の方は大丈夫なはずだ!」


 彼女は自分に言い聞かせる様に告げる。

 周辺の森に潜んでいる蜘蛛達も警戒しているのか、未だにこちらの様子を伺っているだけだ。


 ――急場は凌いだのか?


 確証はないがつい全員がそう安堵しそうになった瞬間、火の塊が飛んでくる。


「なっ! 魔術攻撃!?」


 しかもそれは結界でなど気休めとばかりに結界にぶつかり軽くそれを打ち砕いた。


「そんな馬鹿なッ!?」


 彼女が思わず否定の声を上げるが手に持っていた札は消失。あまりにも呆気なく、彼女達を守る最後の砦は崩れた。

 それを嘲笑うかの様に森からゆっくりと何かが出てくる。


「え?」


 一匹の蜘蛛だ。様々な淡い色をした蜘蛛が出てきた。


 「一匹、だけ?」


 他に蜘蛛はいない。

 確か彼らが見た時は十匹以上はいたはず。


 思い出した様に警官が暗視スコープを掛けるが、周囲の森に蜘蛛が潜んでいる様子は一切ない。


「これなら――」


 勝てるかもしれない。

 そんな愚かな幻想を抱いた直後、蜘蛛から魔法陣が現れ――。


 蜘蛛が増殖した。


「は?」


 一瞬だ。時間にしてほんのニ秒程度。

 そのニ秒で三上涼子達の周りに百を超える蜘蛛が現れた。

 そしてその全部が目の前に事もあろうに魔法陣を展開させているのだ。


「ぶんしん……」

「も……モンスターがあんな魔術を使うなんて話は……」


 呆然と魔術師と三上涼子が呟くが目の前で使われている以上、現実に他ならない。


「っ、もう一度結界を――」


 東北最強の巫女、三上涼子。

 セラのA級指定の魔物にそんな肩書は何の意味もなさず、彼女達は結界を張る間もなく蜘蛛の洪水に瞬く間に呑み込まれた――。










〔花山北方面 C班〕




 糸球と呼ばれる捕縛目的の糸の塊が迫る。


『空斬ッ!』


 それを腕を払い“切断する力を持たせた羽”を飛ばし切り裂く男がいた。


「流石です有鳥さん! 詠唱もなしに見た事もない魔術を使ってる!」

「すげぇ! あの鬼蜘蛛の攻撃を阻むなんて……っ!」


 彼は有鳥――ではない。


 人間姿時の有鳥に変装して潜入していた、別な魔族パーネット・ララルは、不規則に森から襲い来る蜘蛛達の攻撃を必死に退けていた。


 その後ろで恐怖に支配されながらも声援を送るのは、彼と同じC班に配属された者達である。


 ――違う……ッ! 馬鹿がッ。これは凌いでいるんじゃない。ずっと遊ばれてるんだよッ!


 だがその声援とは裏腹にパーネットは戦慄していた。


 ――おかしいだろうっ! なんでレッドリストA級のホロウスパイダーがこんなに沢山日本にいるッ! しかもフォートレスにデーモン、果てはファントムまでいたぞッ。まさか蜘蛛系の魔王がこの山をダンジョン化させたってのかっ!?


 レッドリスト。

 無論、日本の絶滅危惧種という意味はなくセラでの魔物の危険度を表す。


 最高のS級が国防案件でほぼ別枠なネームドの魔物達なら、それに準じる都市一つを喰らい尽す可能性を持った魔物がA級である。


 それが何匹もいる。わらわらいる。それどころか同じA級だが別種までいるのだ。


 さらに恐ろしい事に彼らは理性的にこちらを攻め立てている。

 つまり。


 ――攻撃に意思と秩序がある。すなわち召喚獣、いや、眷属の可能性もある。それをこんな数で揃えられるものなのか!?


 本来、召喚獣なんて一体。多くて三体。特に目の前のA級の様な強い魔獣は、それだけ魔力が掛かる。それは眷属も同様だ。


 召喚獣はそもそも契約を結んだ魔獣を呼び出し使役するもの。

 契約には莫大な魔力が必要だが、一度契約してしまえば微量の魔力で何処でも呼び出せる様になる。

 人間への応用が期待される画期的な魔術だ。


 とはいえ初期投資は、しかもこれだけの数と質を揃えようとすれば桁外れな魔力がいる。


 ――敵は地球にありながらどれだけの魔力を使えるんだ!?


 だからパーネットは敵の驚異度を正しく理解する。


 実際それは正しい。なにせを率いるのは魔術師殺し、サン・マルヒ。

 ただこれだけの数をサン・マルヒが使役するのは本当の所、出来ない。


 この大規模眷属は彼の力ではなくその主、レン・グロス・クロイツェンによるもの。この二人のコンビがこの地獄を作り上げていた。


 もっとも彼にその辺りの事が分かるはずもなく……。


 ――やはり蜘蛛共の相手をいちいちするのは自殺行為っ。糸に捕らわれたら俺でも死ぬ。蜘蛛を操る頭を潰す以外に道はない。それに使役者は間違いなく戦闘職ではないはず!


 その結果、パーネットは見誤る。


 彼の頭の名に思い描いた敵の姿は――凶魔の一角、眷属に守られる女皇蜘蛛――或いは――世界最恐の召喚師“蟲王”アルケム・バックス――そのどちらか。つまり召喚に特化した敵。


 ……よもや暗殺者のアラクネと魔導王がタックを組んでこの軍勢を率いているとは微塵も思わなかった。


「それに思い出せ、俺の仕事は敵を討つことじゃない」


 彼はポケットの魔石……本物のアドリとゴブリンの召喚師が待つ、孤島へ退避する為の切り札を意識する。


 ――あくまで誘導と敵の看破……速度ならば鳥人である俺が上。ならばその正体を確かめるのが優先。


「えっ――あ、有鳥殿っ、一体どこへ!?」

「待ってくれ! 我々を見捨てるのですかっ!?」

「俺達も彼の後に――なっ、へっ、変身したっ――まさか、妖魔!?」


 そう誤った判断を下したパーネットは、後ろの者達を見捨てて走り出す。


 もう有鳥に化けている必要はない。

 人化も解除して上着を脱ぎ捨てると、両腕を翼に変えて一気に滑空する。

 後ろの者達が「よっ、妖魔だ!?」等と叫ぶ声が聞こえたが、それはすぐに断末魔へと変わった。


 狙いはただ一人、敵召喚術師のみ。










〔花山西方面 D班〕




「なんで! どうして!? どうしてこんな事に……っ!」


 A班、B班、C班ときて残る最後のD班。

 その筆頭となっていた高校生巫女、三上忍は一人で山の中を走っていた。


 皆やられたのだ。残りは彼女だけ。


 そこへ風切り音し何か液体の様なものが飛んできた。


「危ねぇ!」


 だが三上忍に当たる直前、横から馬の様な大きさの真っ白い狐が飛び出し、彼女を咥えてジャンプする。


「きゃぁっ!?」


 不意に宙に浮き混乱する彼女だが液体は服を掠め木に当たる。

 直後、木が揺れ始め花が突如咲き始めたり葉を枯らしたりと異常な変化を見せ始める。


 毒だ。

 D班はこの毒にやられていた。浴びた者は次々と発狂し瞬く間に蜘蛛に連れ去られた。


「ありがとう雪!」


「そんな事より走れ! 次が来るぞ!?」


 三上忍の感謝に白狐が行動を促す。

 白狐は『雪』という名の三上忍が使役する式神であった。これこそが忍が天才と称される証。会話も可能なこれ程に大きな式神を扱えるのは日本で彼女だけである。


「分かってる! ……でもっ!!」


 式神に促されまた走り出すが、彼女はもはや何処へ逃げればいいのかも分からなくなっている。


 ここへ逃げてくる途中までに地獄を見たのだ。


 糸に囚われた者達。

 足で抱えられ連れ去られる者達。

 毒により動けなくなっている者達。


 皆、何処もかしこも森に蠢く悪食の支配者に拐かわされている場面だった。


「なんでこんな事に……お母さん言ったじゃない、私達は最強の巫女だって! 神道庁の人も妖魔なんて普通は出ないって! 私達四人が揃えば怖いものはないって、皆して言ってたじゃないですかっ!!」


 この山を跋扈する本物達により現実を見せられ誰にでもなく叫ぶ。


「ぐっ」


 しかも彼女の体は限界。霊力――すなわちを一度に使い過ぎた事で心臓が強く痛んでいる。


「――また来たぞぉ!」

「――きゃっ」


 不意に風が舞い、咄嗟に雪が忍を突き飛ばす。

 山の斜面に転がるが次の瞬間、近くにあった大木が糸で引き抜かれ森の中へと消える。


「……っ」

「叫んでる暇があったら走れ忍っ!」


 式神、雪の叱咤に再び忍は立ち上がり斜面を走っていく。


 ――これが全部、妖魔の仕業だって言うの!? こんなのもうっ、人間にどうこう出来る相手じゃない!


 忍の頭の中は既にパニックであった。けれどその分、必死に走る。

 どこかで上がる誰かの断末魔に身を竦ませながら、たまに仕掛けてくる蜘蛛達の“ちょっかい”を必死になって避けながら。


「私達はいったい何を敵に回してしまったんですかッ!?」


 それは敵対者からは魔王とも悪魔とも呼ばれる魔導を統べる王。

 そんな化物を彼女らお情け程度の魔術を使う者達が相手にして良い訳がなかったのだ。


 湧き上がる後悔と恐怖を抱きながら追い立てられる様に――実際には丁寧に蜘蛛達に誘導され山道を駆け上がりそしてついに。


 彼女は――その男と邂逅した。






「こんばんわ、仔猫さんキティ






「ぇ?」


 山の頂上付近の開けた場所。

 そこに出た瞬間、目に飛び込んで来た光景はあまりに常軌を逸していた。


「お可哀そうに。お急ぎの中、どうやら道に迷ってしまわれたご様子。

 しかし急ては事を仕損じる、と言う日本語もございます。どうでしょう、ここは一つ私めとお茶でもしていきませんか?」


 茶会だ。


 化物蜘蛛がひしめき警官や魔術師の断末魔が聞こえる山のど真ん中で、月明かりを背にモダンな白いテーブルとそれを囲む椅子。

 隣には何処かで見た様な執事服を着た金髪の執事が一人。


 さらにそのテーブルには優雅な花の意匠が施された紅茶入りのティーカップが二つ。他にもスコーンが置かれている。


 そんな中、彼女に声を掛けたのはシャープなサングラスに白を基調に金の刺繍が映える一張羅を着た青年だ。


「………………」

「………………」


 肩で息をする三上忍も式神の雪も目の前の光景に言葉が出ない。


 まるで夢だ。

 地獄の様な状況で優雅に寛ぐ青年の姿はあまりに異様。これまで散々見せられた中でも、飛びきりの異様が山頂にあった。


「――っ!?」


 だが呆けていると、背後からざわつく様な音がして大小様々な無数の蜘蛛達が現れる。

 それらは彼女を飛び越え白い一張羅の青年へと殺到。


「あっ、危ない!」


 ――喰い殺される。


 そんな未来が彼女の脳裏を過るが蜘蛛達は青年を襲うどころか――その前に二つに分かれ理性的に整列。その姿勢を下げた。


「ぇ……」


 惨劇は起きず。それどころか青年の前で左右二つに分かれ姿勢を下げる姿はまるで、王に服従する臣下そのもの。


「――侵入者の捕縛。完了致しました」


「ご苦労」


 金髪の執事が蜘蛛達を見たあと、座って優雅に寛ぐ青年にそう告げて一礼した。


 ゾッ――と三上忍の身体が震え上がった。


 この男だ。

 こんな真夜中にも関わらずサングラスを掛け、高級そうな純白の一張羅を着た青年こそが、この地獄を作り上げた張本人なのだと彼女は理解した。


「……にしても、まさか貴方とこんな形で再会するとは思いませんでした。三上忍先輩」


「――えっ?」


 突然、青年から自分の名前を呼ばれ彼女は動揺する。なぜこんな異様な人物が自分の事を知っているのか。ただその疑問はすぐに解けた。


「編入試験の際、貴方が応援してくれたおかげで大和国際学園に合学する事が出来ました。ありがとうございます先輩」


「編入、試験?」


「ええ。“もし貴方にそう言って頂けるなら、僕は必ずや試験に受かってみせましょう”。お忘れですか?」


「――うそ」


 息を呑む。

 忘れもしない。サングラスを外した青年は、試験会場の手伝いの時に彼女を口説いた編入生その人。


 無害そうな顔で彼女に甘言を囁いた男は今や魔王が如き存在として彼女の前に現れたのだ。


「思い出して頂けましたか。

 ――ならばさぁどうぞ、お座り下さい。この茶会はすべてに用意したのですから」


 混乱し頭の整理が追いつかない三上忍に対しこの山の主、魔導王レン・グロス・クロイツェンは紅茶を飲みながら茶会への参加を促した。





 午前三時。

 夜は佳境を迎える。


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