幕間 勇者、死す



〔九条ヒカル〕




 ――僕はもう、ダメなのかもしれない。


 僕こと九条ヒカルは近頃、そんな猛烈な不安に襲われる様になっていた。


 なぜこうなったか原因は分からない。けれど間違いなく僕の体は病魔に蝕まれている。


「お願いだ先生……嘘だと……嘘だと言ってくれ……」


 しかし目の前の医者に今しがた告げられた現実は到底、受け入れられるもなではない。


 この僕がなぜ? どうして? もう助からないのか?


 真っ白い部屋に白衣を着た医者は暗い顔をしたまま答えない。重苦しい程の沈黙がこの場を支配した。だがそれも数秒。


「もう一度言おう」


 沈黙を破る様に、僕に生死の宣告をする様に再び医者が口を開く。


 ――神よ。もしいるのなら、どうな僕を助けてくれ。


 そう今まで全く祈った事もない神に思わず祈りを捧げ、目を瞑った。


「残念だけど君は」


 その出だしに僕は全身の筋肉を硬くした。


「――勃起不全EDだ」


 神は死んだ。






「いやぁ、大抵は高齢で他の病気と併発してとか、仕事のストレスが重なってとかが原因なんだけど、君みたいな若さでEDになる子がいるなんて僕もビックリだよ」


「まぁでもいない訳ではないよ? 若い人のED。受験のストレスとか対人関係で大いに悩む時期だしね。

 君も身体には問題なかったから心因性のものだろう。EDの多くは“不安”からくるもの。君くらい顔がいいと、女の子ともいろいろあるでしょ。

 精神安定と勢力増強の薬が効果なかったからって落ち込む事はない。また別のお薬出しておくから、もう少し様子を見ようか。それでも駄目そうなら、腕の良いカウンセラーを紹介するからさ」


「ありがとうございました。お大事にー」


 そうEDの宣告をされて早二週間。

 薬も効かず、体に問題なく、医者に後は精神的な問題と言われた僕は、新しい薬を片手に呆然と町を歩いていた。


 ――なぜ、こうなった。


 EDって医者も言っていたがトラウマとかでなるんだろ?

 おかしい。思い当たる節が全くない。


 はっきり言って僕はモテる。しかも経験豊富なんだ。


 幼馴染の後輩である『唯』や女優の卵である『鈴音』、レディースの『花音』とも男女の関係で彼女達は僕にお熱だ。

 他にも何人ものファン達に抱いて欲しいと言われ、関係を持っている。


 僕に恋する様々な女性を侍らせて好きにエッチが出来る素晴らしきハーレムライフ。

 一応、学園には僕以外にもモテるのがあと二人いるそうだが、学内で一番なのは間違いなく僕だ。


 ……まぁ幼馴染の吾妻姉妹なんかは身体すら触らせてくれず、いい風除けにされている気がするけど、いつか特に美沙さんとはそういう仲になりたいし、なるつもりだ。


 あとはそう、シイナも――。


「うっ。し、シイナ……」


 嫌なことを思い出し吐き気が込み上げる。

 日本人離れしたスタイルの良さと美しさ、天ヶ瀬家のご令嬢にして高嶺の花であった彼女。

 そんな小さい頃から僕達の誰よりも大人びていたシイナを恋人に出来たと思ったら、なんとそれは別人だった。


 正直、未だに意味が分からない。

 従姉妹と入れ分かっていたなんて全く気が付かなかった。確かに胸が小さくなっていたのは目を疑ったが、なぜその時は気にならず、普通に可愛かった。


 ……だが本物を見て愕然となる。

 本物は美人などではなく、もはや女神だった。二人が並ぶとまるで別人。従姉妹も美人だが女神と比較すると劣っているのは明らか。


 僕が小さい頃から憧れていたのは、間違いなく本物の方だど痛感した。


「ごめんなさい」


 ――だが振られた。


 僕が本気を出せば大抵の女の子は落とせた。にも関わらずシイナは全く僕を見ていなかった。


 それどころか僕ではなく別な男にうっとりとした視線を――。


「くそっ!」


 思い出しただけで腸が煮えくり返る。

 なによりその思い人はあの、加賀美なのだ。


 ――僕は加賀美に弱みがある。


 こればかりは自業自得なのだがあの彼が失踪した日、本当は僕がいなくなっている可能性が高かった。

 あの夢の様な出来事が全て真実だとするならば、むしろ自分は彼の失踪の原因を作り、それを為してしまった事すら隠した。


 もちろんあれが夢か現か今となっては夢だったと思っている。が、どうしても負い目を感じてしまう。


 再会した時は心底恨まれているとすら思った程だ。ただ彼は当時の事を覚えていなさそうだったし、吾妻雫の辛辣な扱いも彼は気にしている様子はなかった。


 ましてやシイナに手を出そうとした以上、彼は僕の敵だ……と思っていたのに。


「なんでアイツが、シイナにヒーローを見る様な目で見られてるんだよ!」


 訳が分からない。

 彼女の好意はほぼ全て加賀美に向いている。一体何があったのか。でも確か、加賀美が失踪する直前に一緒にいたのはシイナだったはず……その時に何かあったのか?


「くそっ。本当はその事を問い質しに行ったのに……あの日は結局なんだったんだ?」


 そう、シイナに振られた日。

 僕は加賀美の家に行こうとした。けれど彼は裏山にいると言われ、山に入ろうとした後の記憶がない。

 気が付いたらベッドで寝ていた。しかもこの年になって。


「なんでおねしょなんて……!」


 夢だ。夢のせいで何か……想像を絶する程に恐ろしいものを見たような気がしているが思い出せない……。


 正直、不気味だ。僕の病気はその辺に関係するのかもしれない。


「……でなければ王者である僕が、なぜこんな目にッ!」


 部活の大会に出れば敵なしの全国優勝。モデルとしても引っ張りだこ。勉強もしなくとも偏差値はトップクラス。


 何の努力すらしなくても僕は常に勝者だった。

 女の子はみんな僕に恋し、邪魔な男は片っ端から倒した。


 なのに加賀美が学園に入学した当たりから何かがおかしくなった。

 最近は学園の男共も僕の事をどこか馬鹿にした様な目で見てくる。女の子から誰にも相手にされない様な奴らの分際で……!


 ――EDですね。


「っ……」


 そう憤った直後、自分の病気をまた思い出してしまった。これでは小馬鹿にしていた奴らと変わらない。いやそれ以下か。


「なぜ、どうしてこんな……こんな事に……ッ!」


 このままでは女の子達といい雰囲気になっても、適当な理由をつけて誤魔化すしかない。もし僕がEDだなんてバレてみろ。


「えっ、ヒカル君って……EDだったの?」

「なにそれ。もう男として駄目ね。悪いけど別れましょう」

「お前、それでも男かよフニャ○ン野郎」

「やっぱりですね。だから私はあなたを見切ったんですよ、ヒカル君」


「ああああああっ!?」


 唯、鈴音、花音、シイナに蔑んだ目で見られる脳内イメージが浮かび、髪の毛を掻き毟る。


「こんなばずじゃ……こんなばじゃない。まだ僕はEDになってから女性と直接触れ合ってない! きっと最高に魅力的な女性と触れあえば……きっと!」


 そんな事を考えていると駅に着いていた。

 ふと改札へ繋がる階段を見上げると――上を歩く女子高生のスカートの中が見えた。


「おっ…………ぁ」


 ラッキー。

 そんな喜びもそれに反し、全く反応しない下半身に気付き急速に絶望へと変わる。


「……これでも駄目なのか。やはりもっと刺激を、直接触ったりしないと」


 膝を着きたくなる絶望感に苛まれるが、もし女性に触れる事で元気になるのなら、まだ救いはある。


 そんな時、今度は上から胸を強調した様なノースリーブに、太ももの眩しいミニスカートのお姉さんが現れる。

 容姿は一段落ちるが美沙さんと似た感じの人だ。


「あっ――」


 次の瞬間、彼女が操作中のスマホに気を取られ階段を踏み外す。

 すかさず階段を駆け上がり彼女を抱きとめた。


「大丈夫かい?」


 僕には誰かの危機が何となく分かる変な感がある。今も踏ま外す前から直感的に危険だと感じ彼女を助けていた。


「あ、ありがとう」


 彼女の顔が赤くなる。

 そうだ。シイナだってこうやって危機を助けてあげればきっと……。


「あのっ、た、助かったわ。だからその、手を」


「手?」


 言われて気付く。自分は助けた際に彼女の胸を揉んでいた。


「すまな――嘘だろ?」


 思わず悪寒がした。

 僕は女性の胸を揉んているのにまるで興奮していない。本当に何も反応しない。

 何度も揉んで確かめる。僕の下半身は――。


「こんなはずっ、こんなはずじゃ!?」


「ちょっ、だから手を……って、勝手に揉まな――いい加減にしなさい、このエロガキ!」


 僕はこの悪夢を振り払う様にして触り続けた結果――。









「えー、被疑者は学生。大和国際学園二年生、九条ヒカル。今、保護者の方と学園に確認中。本人は恋人と間違えて抱き付いてしまったと言ってますが……相当に凹んでますね。女性も一応、助けては貰ったと言ってるのですが……」


 僕は殴り飛ばされ、駅構内にある警察所に捕まった。


 当然だろう。公然と見知らぬ女性に抱きつき胸を揉んだのだ。

 女性の方も最初の表情はどこへやら、怒り心頭で警官に状況を訴えている。


 だったらそんな露出の多い服を着るなと、何とも言えない男としての文句を内側に抱きつつ、僕は悟りの境地に達していた。


 ――もう、僕の息子は死んだ。


 最早、肉欲に溺れたハーレムの日々は遠く、女性を前にして何も出来ないふにゃ○ん野郎がここにいる。


 結局、その後すぐ親と担任がすっ飛んできて警官と女性に平謝り。

 実際にお姉さんの後姿が美沙さんと似ていたので僕の言い訳に信憑性が生まれ、お姉さんに何とか許して貰ったので、今回は厳重注意のみで逮捕はされないらしい。


 その後、親から殴られ、しこたま怒られた僕は夜に解放された。


「ごめん。少し頭を冷やしてくる」


 夜。

 家に帰るとそう親に告げ外に出た僕だが近くの公園に行くと、今一番会いたくない人物達、僕の恋人達に捕まってしまった。


「一体何があったのヒカルくん!? 電話にも出ないし家にもいないし、捕まったなんて話を聞いたよ!」


 後輩にして幼馴染の唯が心配そうにしている。


「ホントよ。この私の彼氏が警察に捕まるなんて有りえないんだけど!?」


 学園に通いながら女優の見習いをしている鈴音が呆れ返っている。


「ヒカルっ、お前どうしたんだよ!? そりゃあ、あたしもヒカルが犯罪なんてしなって信じてるけどよ、何が何だか……」


 レディースの総長でもある花音も混乱していた。


「私まで呼び出されたのはまぁいいわ……けどあなた、女性を襲ったとか噂になっているわよ?」


 吾妻雫に至っては厳しい眼差しをこちらに向けてくる。

 ただ一つ、予想外の幸運があった。


「えっ!? シイナ! 来てくれたのか!?」


「………………」


 僕の思い人である天ヶ瀬シイナが本当に困ったと言った顔で立っていた。むしろ彼女が来てくれた事が嬉しい。


「勘違いしないで下さい。恋人としてではありませんよ。……にしても何を、されたんですか?」


「あっ、いや。そのなんでもないから気にしないで欲しい」


 思わず本物のシイナにテンションが上がったが、流石にEDの事を話す気にはなれない。

 喋ったら僕が堪えられない。これはもう、墓まで持って行く。じゃなきゃ死ぬ。


「なんでもないって、そんな訳ないじゃないのよっ!」


「そうだよヒカル君! ちゃんと説明してくれないと分からないよ!」


 だが幼馴染の唯と女優の卵の鈴音はそれで納得してはくれず、詰め寄られる。

 けれど都合の良い言い訳が見つからない。だから美沙さんと間違えたと、警察と同じ言い訳を使おうとした時だ。


“――勇者よ”


「……ぇ?」


 不意に脳内に男とも女ともつかない声が響いた。


「え、今、誰か何か言った?」


 鈴音や唯達も聞こえたらしく、夜の公園を見渡すが、僕達以外には誰もいない。


 だが次の瞬間。


“勇者達よ”


 声と共に一瞬にして周囲の景色が変化した。

 そこは草原。日本とは思えない景色が当たり一面に広がっている。


「ど、どうなってるんだこれっ!?」

「何よ、これ?」

「何が起きたのっ!?」

「嘘でしょ……今まで公園にいたのに」


 僕達は何故か落ち着いているシイナを除いて、激しく動揺した。


“静まるのだ、勇者達よ”


「なっ!?」


 そして突然、その光の球体は現れた。

 この夜の大草原の中、周囲を照らし出す眩い光。そして先ほどから聞こえる男の声が、この球体から聞こえてくる。


「なっ、お前は一体……っ!?」


“我は時空の神、リプアリー。今宵お前達に勇者としての使命を与えに来た”


 時空の神?

 勇者としての使命?

 あまりに突拍子がなく、僕も彼女達も唖然としたまま声も出せない。それでも意を決して球体に聞く。


「勇者? 勇者って何の事だ?」


“勇者とは異世界より来る魔族や邪人を討ち払う存在――そう、貴様の事だ、九条ヒカルよ”


「なっ!」


 僕が、この僕が勇者だと? そんなの……。


「まぁ当然か」


“は? ……ごほんっ、そうだ。貴様こそ選ばれし勇者。そして仲間と共に魔を払うのだ”


 一瞬、小さく変な声が聞こえたが気のせいだろう。だが僕が勇者か……しかし。


「断る」


“……何故だ?”


「僕が助けるのは女性だけだ」


“チッ。クズが……んんっ、それは困ったな。もし異世界より来る魔王を倒せたのなら、代わりに何か一つ願いを叶えてやろうと思ったのだが”


「なっ、何だと!?」


 また何か小声で変なのが聞こえたが、やはり気のせいだろう。そんな事より待て、こいつ今なんでもって言ったか?


「おっ、おい! それはE……あー、い、色んな病気も治せるのかッッ!」


「ちょ、ちょっとヒカル?」

「やっぱり! ヒカル君は勇者様だったんだねっ!」

「おいおい面白くなってきたじゃねーか」

「あなた、病気だったの?」


 女優の鈴音はやや戸惑い、幼馴染の唯が何故か喜び、レディース総長の花音は興奮していた。

 雫には病気を突っ込まれたが、僕もそれ所ではない。


“ああ。当然だ。不治の病でも、四肢の欠損でも、末期でも問題ない。たとえでもこの私が治してやる”


 な、なんだそのピンポイントな言い方。まるで僕の病気を知ってるかの様な……。


“どうした勇者よ。汗が凄いぞ? なにか不都合でもあったのか?”


「あっ、いや。なんでもない。それよりもし、本当に魔王を倒したら、どんな病も治してくれるんだろうなっ!?」


“ああ。我に任せておけ。ただし、魔王を倒した場合だけだ”


「……いいだろう。やってやる勇者!」


「ヒカルっ、本気なの!?」

「さっすがヒカル君! カッコイイ!」

「へっ、流石はヒカルだぜ!」

「勇者って……私達は関係ないわよね?」


 半歩下がった雫と、未だに何の反応も示さないシイナ以外の皆は喜んでくれている。なんにせよ、僕はこの話を蹴る訳にはいかない。


“その言葉に偽りはないな?”


「ああ!」


 僕は爛れたハーレムの為なら世界の一つや二つ救ってやる。


“よろしい。では我が加護を与えよう。その力を持って魔を討ち払うのだ、勇者達よ!”


「え。“達”? ちょっと待って。私はそういうの要らな――」


 傍観していた雫が何か言っていたがそれを遮って、僕達は眩い光に包まれた。


 ただ。




「……師匠、いくなんでも茶番すぎではないでしょうか」




 光に包まれる中で一瞬、ずっと無口だったシイナが溜息と共にそんな事を口にした気がした。


 最もそんな事は突然、体の内から溢れ出す力によって僕の記憶からはすり抜けていったが……。


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魔導王のまま異世界から戻ったので、魔術革命を起こし世界を牛耳ろうと思う 霧嶋 透 @td800

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