第16話 パトロンを作ろう
〔無視点〕
――いる。
大蔵金治はベッドの中で目を開けた。
この部屋の中に、何かがいる。
それは長年の勘によるものか或いは自らの死期が近い故の第六感か。
「……ここに金目のものはないぞ、こそ泥」
彼がそう言うと、少しその気配が動いたのが分かった。
けれどそれきりその気配は動かない。
「それともワシの命が目的か」
しかしそれに対してもその気配は反応しない。
「ならばお主は……死神か?」
そういってから大蔵金治は掠れた声で笑う。
時刻は深夜一時。
海の一望できる三階建ての近代建築風の別荘、その最も見晴らしが良く、また最も豪華にして、最も生とかけ離れた一室に彼はいた。
だが今、ここには何故かこの部屋以外の屋敷で人の気配が消え全ての灯りまでもが消失していた。
あるのはただ、静寂と暗闇。そして何かの気配。
そんな異様な状況で彼は暗闇を睨む。
彼の歳は既に八十を越え、その体に無数の医療機器がつけられている姿は、生死との混濁が見受けられる程だ。
だがその眼光だけは未だに衰えていない。
まるで死の間際の獣の様に、その瞳は忽然と人と文明の灯りが消えた世界に生まれた暗闇、その中に潜む何かを鋭く睨み付けていた。
しかし当然その声に答える者はいない。
「…………死神か。それを決めるのは貴様だ、大蔵金治」
――はずだった。
声がした。確かに誰もいないはずの暗闇から若い男の声がしたのだ。
やがて雲が月から離れる。
全ての灯りと人が消えた世界を、窓から差し込む月明かりが暴きたてた。
大蔵金治は息を呑んだ。
若い男だ。
一人の男が、両手を組んでうつ向き気味に壁にもたれ掛かっている。
その風貌は髪をオールバックにしスマートなサングラス掛け、眩い純白に金色の華の刺繍が映える一張羅。
まるで何かのSF映画から派手な悪役を引っ張ってきたかの様な存在である。
これを死神と言わずなんという。けれど男はむしろ悪魔の様に嘯く。
「死神か悪魔か、はたまた天使か。それを決める為の話をしよう。そう、貴様の命とこの世界の未来を商う――」
男が挑む様に笑った。
「ビジネスの話だ」
大蔵金治は“死んでいた”。
もちろんそれは某アンデットの様な意味ではなく、あくまで比喩だ。
けれど本人からすればそれが最も正しい表現だった。
「――欧米市場からも撤退か。無様だな忠義。名ばかりの豚共に破れるとは」
彼は“悪魔とも死神ともつかぬ何者かと邂逅を果たすその日の朝、いつもの様に新聞を読んでいた。
そこには自分が大蔵グループの総帥の座を降りた事で、あらたに総帥の座に着いた息子の失態が報じられていた。
だがそう嘲笑する一方、自らの姿にも自嘲する。
自分の周りでは主治医と、使用人達がこの生きているか死んでいるか分からない体に無数の医療機器、そして薬剤を投与している。
――いっそ一思に死ねれば、な。
大蔵金治は傑物であった。
始まりは一ツ橋大学情報通信学部在学中に立ち上げたECサイトだった。
親が総合商社に勤めていた彼は在学中に中堅商社にインターンで働き始める。その際にアウトレット商品に目をつけ、インターン後に情報通信学部の友人らと共にアウトレット専門のECサイトを立ち上げ、わずか一年で年商10億を稼ぎ出した。
その後、ECサイトを友人達に任せ本人は銀行に就職。五年務めるも渡米しハーバード大学で
帰国後はECサイトのコンサルティング会社を設立し、開始し三年で500社以上の立ち上げに関与。
そしてこれまでの商社、銀行、通信学部時代の仲間、立ち上げに関与したECサイト、その全ての人脈を使いECモール「楽市楽座」を立ち上げる。
やがて楽市楽座は日本を代表するECモールとなり、経営も多角化。
商社と銀行の強みを活かし物流から顧客のインターフェース、小売、果ては貸金業に至るまで一貫した取引を確立し日本第一位の取引サイトとなった。
しかし日本経済の麒麟児も歳には勝てない。
高齢となり経営判断の陰りや時流を読み抜く力がハッキリと衰えている事を自覚した。
そしてついに酷使してきた体が限界に達し、体の至る所を手術したその果てに、グループの総帥の椅子を手放し別荘にて我が身の終わりを待っていた。
同時に彼が退いたことでグループの業績は低迷。業界地位も今や四位に後退する始末だ。
――もはや潰れようが飛躍しようがグループとワシは関係ない。けれど。
グループは自分の手を離れたのだ。最早さしたる興味もなかった。
ただ、渇く。
何処までも彼は渇いていた。
かつて一度、世界の巨人を相手に戦いを挑んだ時に感じた、暴れ狂う様な高揚。
その中で彼は確かに己が命に触れたのだ。
生きている――。
その強烈なまでの実感が、今もなお、彼の身を焦がし続ける。
「あの場で死ねればどれほど幸せだっただろうか」
そんな事が許されなかったのは分かる。けれど自分は何処まで行っても挑戦者なのだ。
困難こそが不可能こそが我が友。戦い挑む事こそ我が人生。
「その果てが――これか」
自らの体に鎖の様に巻きつく、延命装置を何処か悲しげに見つめた。
――死のう。
明日、コテージの上から身を投げるのだ。密室での老人の転落死。一言添えておけば誰にも嫌疑は及ばない。それで、終わりだ。
彼は一人、心の中でそう決意した。
――そんな日の夜に“奴”はやってきた。
「ビジネス、だと? いつから死神は資本主義になった?」
大蔵金治は死神を鼻で笑う。
その一方、右手をゆっくりとシーツの下で移動させる。
「和歌山県和歌山市生まれ八三歳。和歌山商業高等学校を卒業後、一ツ橋大学情報通信学部へ進学。卒業後は丸広銀行へ入社し、出世街道に乗るも五年後に退社。渡米しハーバード大学でMBAを取得。帰国後にコンサルティング業をはじめ、三年後に楽市楽座を立ち上げ業界トップの通販サイトにまで成長させる。
ただ現在は全てを息子の大蔵忠義氏に譲渡した為、個人の総資産も数億円程度だが一時期には5兆円まで達し――」
けれど答えは来ず代わりに説明をはじめる。それは紛れもなく大蔵金治の経歴であった。
「大した経歴だ」
死神は意味深に笑う。大蔵金治はより強くそれを睨み付けた。
が――その笑みが一瞬で消え、死神は許可を出した。
「構わん、引け」
「……なんの事だ?」
「引け。俺が許可する。俺が何者か知りたくばやってみろ」
噛み合わない一方的な会話。
けれど大蔵金治は心底驚愕していた。それは彼が見せた、初めての動揺であった。
だがそれが挑発だと理解しながら、彼はわずかに眉を潜め――右手に掛かる“引き金”を引いた。
発砲音。
シーツの下に隠されていた拳銃が火を吹く。
弾丸がシーツを貫通し、男へ疾走した。
幸運な事に弾丸は男の頭部をその射線に完璧に捉えていた。即死は間違いない。
だが不幸な事が一つ。
「時間の前には弾丸など無意味」
――男もまた大蔵金治と同じ傑物であった。
「っ、なんだと!?」
思わず目を見張る。
止まっていたのだ。弾丸が空中で、うつ向き気味の男の眼前で、ピタリと止まっていた。
「――っ!!」
再度リボルバーを立て続けに三回引く。
けれど結果は何一つ変わりはしない。ただ、空中でさらに三発の弾丸が止まった事くらいだ。
「俺の視線すら動かせんとは、火力が足らんな」
「き、貴様は一体……何者……まさか本当に死神なのか?」
その問いに死神が笑う。
そうして初めて組んだ腕を離し、視線を上げて大蔵金治を見た。
「ある者は人類三大英雄と。またある者は花園の悪魔と。またある者は魔導王とも呼ぶ。してその正体は、この地球とは異なる世界に存在するグライスベリー大公国宗主、レン・グロス・クロイツェンなる魔導師なり。」
男は大仰に喋りながら大蔵金治のベッドの横へと力強く歩み寄る。
「――さぁ日本国の麒麟児よ、今宵は貴様の命を買いに
言葉が出なかった。
それは未知への困惑と弾丸を無力化された動揺にもよるが、単純に。
――気圧されている?
その青年の存在感に呑み込まれていたからに過ぎない。
「ま、待て。ワシにはもう、金になる命も、燃やせる命も、とうに――」
――バッ! と彼の言葉を遮り、レン・グロス・クロイツェンは拳の握られた左手を彼の頭上へつき出す。
その白手袋に包まれた拳をゆっくりと開くと、小さな、植物の種が彼の枕元に落ちた。
「……これは?」
「飲め。一年は俺からの“プレゼント”だ」
そう言われ、怪訝な視線を向けたが選択肢もなく、彼はその種を口に含みベッド横にあったコップの水で流し込んだ。
「んぐっ……かぁっ!?」
飲んだ直後、全身が沸騰した。
大蔵金治の体には浮遊感と万能感が沸き上がり、手術痕から感じていた痛みが消え、力の入らなかった両足が思い通りに動き出した。
息苦しさすら消し去り、果ては下半身の竿まで元気になるではないか。
もはや朝に死を決意した老人の姿は何処になかった。
「こっ、これはっ!?」
「一粒につき一年。貴様の“活動寿命”を伸ばした。そしてまだ四粒、俺の手元にある。これをくれてやってもいい」
信じられないと言った表情で大蔵金治はレンを見る。
それに答える様にレンも彼を見た。
「大蔵金治よ。この世界とあちらの世界は既に繋がってしまった。良からぬ者達の侵入も確認された。今さら元には戻らない。ゆえに――」
それは一方的な会話だった。けれど、それは死にかけの“挑戦者”に深く突き刺さる。
「どこぞの魔王の遺児共にこの世界を奪われるより早く、俺がこの世界に魔術革命を起こす。その為にはパトロンが必要だ。後戻りは出来ん。
もし悪逆非道の魔王の遺児共を敵に回し、この世界の理すら書き換える覚悟あるならば……俺と共に来い大蔵金治ッ!」
そうして返すように差し出された手。それを大蔵金治は迷うことなく掴んだ。
「ふふっ……かっかっかっ! この世界の理を書き換えるか。望むと所に他ならん! いいだろう小僧ッ、総帥の地位を降りたとはいえ、金と人脈は健在だ。なにより貴様の野望にこの老いぼれの五年を賭けてやる。根刮ぎその手に奪い取ってみせるがいい!」
その別人の様な威勢の良さにレンも笑みを零す。
「交渉成立だな。――にしても、元気になりすぎだろ」
こうして暗闇と静寂の中、誰にも知られずに一つの勢力が誕生した。
それが日本国どころか世界をどの様に革命を引き起こすのか。それは神のみぞ知る。
「して、すぐにワシが用意するのは金か?」
大蔵金治はベッドから体をお越し、胡座を掻いた。ニヤリと笑みを浮かべる姿はイタズラ小僧のそれである。
「まぁあるに越したことはないな」
「なら持ってけ」
彼がベッドの下に手を伸ばすと、ガチャン! と音を立てて壁の一部が開いた。
「ヒュッー♪」
レンが口笛を吹きながら壁に仕込まれた金庫の中を確認する。
「ドル、ユーロ、円、フラン、元……総額で3億。手付金だ。もってけ」
大蔵金治の言葉に呆れた様に肩をすくめ、金庫内の札束をポケットへしまった。
もちろん彼のポケットは魔道具であり、見た目とその収納力は一致しない。
「随分と大食いなポケットだな」
「懐の燃費が悪いものでね」
「それとだ。何でこの離島に来たか知らんが自家用機がある。それを使え」
「それには及ばんさ」
レンはおもむろにコテージのある窓へ歩いていくと、その窓を開けて振り返る。
「――彼女の方が速いものでね」
その瞬間、強風が吹き荒れると、ぬるりとコテージの先にある崖下から白銀の巨大な爬虫類が鎌首をもたげた。
何処からどうみてもドラゴンだ。
「っ――かっかっか! 確かにその美しいお嬢さんは速そうだ」
「ほぉ? 美しいお嬢さんとは世辞が巧いな。
ではまた来る。それまで体を慣らしておく事を勧めておこう。寝たきりなら慣れるまで日数が掛かるだろう。女を抱いてもいいが興奮し過ぎて死ぬなよ爺さん」
そう言い残して死神は風と共に消えた。
直後、屋敷全体に光が灯り一気に騒がしくなった。
「や、夜分に失礼致します! 金治様は――な!?」
部屋に入ってきた警備の人間と使用人が驚愕の表情を浮かべる。
そこには開いた窓の方を見ながら、ベッドの上に仁王立ちする死に掛けだったはずの男がいたからだ。
「だ、旦那様! 医療器具はどうやって、いや、御体は?」
「ハッ。悪魔が来たのだ。それもとびきりイカれた悪魔が、ドラゴン従えてやってきやがった。――おい、近藤! ワシが寝込んでいた時から今現在に至る内閣府と経団連の情報を時系列で出せ。西村は警視総監との会談の段取りをつけろ! 他の者も明日から騒がしくなる。今のうちに寝ておけ!」
ほんの数時間前まで死に掛けていた自分達の雇い主を見て、名指しされた者以外は皆一様にポカーンと、音すら聞こえそうなくらいに口を開き棒立ちになっていた。
「……っぶねぇなあの爺さん! なんでシーツの下に拳銃あんだよ!? アクション映画じゃねぇんだぞ!? 流石に元プロだから視線と筋肉の動きで察知出来たが、あれトウシロなら死んでんぞ馬鹿じゃねぇの!?」
一方、レンは今になって拳銃で撃たれた事に冷や汗を掻き悪態をついていた。
彼の正直な気持ちこうだ。
――殺す気か?
おかげでぶっつけ本番で、時空間魔法を利用した魔術結界で迎撃する羽目になった。
一応、魔弓すら防ぐのでたぶん大丈夫とは思ってはいたが、ぶっつけ本番過ぎて胃に穴が開きそうになっていた。
「あー、三億現金入ったけどさぁ――ん?」
そんな時だ。
胸ポケットが震える。スマートフォンの画面にはサン・マルヒの名前があった。
「もしもし何かあったか?」
「連絡が遅れて申し訳ありません。昨日、十八時頃に九条ヒカルが何者かに拉致されました」
「――ほぉ」
「さらにもう一つ。実は」
レンは続く言葉に頬を引き吊らせた。
「この国の宗教関係者がこぞって花山への襲撃準備をしているのが確認されました」
深夜一時。
花山を舞台にした過激な一日はまだ始まって一時間である。
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