第60話

 しばらくして、医師の診察が終わり、とりあえず異常がないことが確認されたため、僕はひとまず母さんと二人きりで話がしたいと周囲にお願いして、ひとまず病室にいた母さん以外の人間は全員が退出した。

 僕はベッドに横になったまま視線を母さんの方に向けた。

 しばらくぶりに見る母さんの顔はまた少しおとろえているように感じられた。僕が子供のころからずっと家族を支えるために働き詰めだった母さん。ろくに女性らしく化粧も出来ずにいた母ではあったけれど、いつ見てもその顔は生気にあふれていて、子供心に母の顔がとても尊いもののように感じられた。しかし、そんな母の面影は今やすっかり影を潜めてしまっていた。


「母さん……」


 僕がぎこちなく口を開くと、母さんは優しく言った。


「しばらく見ないうちにまた一段と立派になったわね、ナオキ」

「そんなことないよ。こんな情けない恰好を見せてしまって……」


 僕は声を落とした。こんな状態でなければ、がっくりとうなだれていたかもしれない。


「そう自分を悪く言うものではないわ。勿論、こんな状態で会うことになるなんて思わなかったけれど、私が想像していたよりずっとナオキはずっと成長していたわ」

「母さん……」


 僕は思わず涙を流しそうになって慌てて表情を引き締めた。


「ナオキ、正直ね、今回あなたが戦いで負傷したって聞いた時は心臓が止まるかと思ったわ。こんなことなら命に代えてもあなたを軍から引き離せば良かったって思った」


 母さんは言葉を隠さずにはっきり言った。僕はそんな母さんのことを静かに見つめていた。


「今でも私はそう思っているわ。ナオキは十分すぎるほど頑張ったんだし、もう軍を辞めて戻ってきてもいいの、って伝えたかったの。でもね、この三日間ナオキの顔を見ているうちに、軍の同僚の方のお話を聞いているうちに、少しだけ考え方が変わってきたわ」

「どう変わったんだ、母さん?」


 僕が問いかけると、母さんはまっすぐに僕のことを見つめてこう言った。


「ナオキは昔から少し引っ込み思案だったわよね? いつも大人しくて手のかからない子供だったけれど、その一方で私は不安でもあったの。この子は大きくなってから、周りに流されずに自分を貫くことが出来るような立派な大人になってくれるのかな、ってね」

「……」


 僕はその言葉に母さんから目をそらしそうになるのをかろうじてこらえた。母さんがそんな風に自分を見ていたとは思ってもいなかった。


「そんなナオキが軍に入るって聞いたときは、だから私は不安で仕方なかったの。ナオキが戦場で傷つく姿が見たくないのもそうだったけど、軍隊という巨大な組織の中で優しいあなたが他人に利用されるだけ利用されて、最後は捨てられないかってずっと心配していたのよ」

「母さん、そんなことを心配して……」


 母さんは僕が思っていたよりもずっと真剣に僕のことを心配していたらしい。少々心配しすぎな気もするけれど、それでも母さんの気持ちを考えればそれくらいは思うかもしれなかった。


「でもね、ナオキが眠っている間にエンディードさんにこんな話を伺ったの。ナオキが『自分の手で、自分に関わる大切な人を守りたい』って話していたことをね。そして、そのために厳しい訓練や危険な戦いにも逃げずに挑んでいったことも」


 母さんはそこで深く息を吐いた。何かに諦めたようにも、思わぬものを見てしまったようにも取れるような、複雑なため息のように感じられた。


「ナオキ、あなたの名前はお父さんが考えたものだけど、これはあなたのお爺さんの祖国の言葉で、青々と生い茂る樹木のように真っ直ぐで健やかな人物に育ってほしい、っていう願いが込められていたの。軍に入る前までは、私もナオキはまだまだ子供だなんて思っていたけれど、いつの間にか名前の通り真っ直ぐで立派な人物に成長していたのね」


 その時、僕は初めて自分の名前に込められた意味を知った。そして、今はもう遥かな記憶の彼方にしかいない父さんのことを想った。


「母さん……でも、僕は……」

「さっきも話したけれど、私は今でもあなたがすぐにでも軍人を辞めてくれればどんなに良いかとは思っているわ。あなたに大変なことが起きる前に、辞めてほしいって強く願っている。でも、それはあくまで私の願いであって、あなたの願いじゃないわ」

「え……?」

「ナオキ、あなたはあなたの目指す道を進みなさい。それがどんなに過酷な道であったとしても、母さんはいつだってあなたのことを応援しています。そして、もしその道に挫折したならば、母さんのところにいつでも戻ってきて。誰が何を言おうと、母さんはナオキの味方よ」

「母さん……ありがとう……」


 僕は率直に母さんの言葉に感謝した。心ならずも母さんの意にそぐわぬ軍人の道を歩んでいたことには、少なからず後ろめたい気持ちを引きずっていたのだ。


「ナオキ、今回はお見舞いに来れて良かったわ。次からはもう来られないかもしれないけど、そもそも次が頻繁に起きても困っちゃうものね」

「止してくれよ母さん、そんな縁起でもないこと」


 僕は母さんの無意識的な毒舌に苦笑しつつも、ふと気が付いた。


「そういえば母さん、首都まで来るお金はどうしたんだ? アキとマサキまで一緒に来てしまって……」


 僕がそういって心配そうな表情を浮かべると、母さんは何かを思い出したような顔になった。


「そうそう、そうがね。親切な軍人さんがナオキのことが心配だろうということで、特別に旅費を工面してくれたのよ」

「えっ……誰が……?」

「確か……ニデア・クォートさんと仰ったかしらね」

「ニデア大佐が……」


 思いもよらぬ名前が出てきて、僕は絶句した。

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