ファイナる


 天は自分に創作の才能を与えなかった。


 これが長かった妄想の終わりに抱いた事実である。

 知ってた。そんなことは相当前……少なくとも「言い訳」をし出した辺りから。

 創作へひた向きに没入できるほどの熱量も、他人の意見や評価で揺れないような芯の強さも、どこか突出した狂気に近いこだわりも、どれも持ち合わせていない。


 天が自分を見放したのではない、自分が自分をそう見做みなしたのだ。



 自分は自分に創作の才能を与えたかった。


 これが長かった妄想の終わりに抱いた後悔である。

 文章を積み上げていけば、勝手に実績が貯まり、レベルが上がっていくものだと思っていたのだ。

 才能を花開かせよう。その為なら水も肥料も山ほどくれてやろうと。これでダメなら最初から種が腐っていたのだ。

 

 自分に才能を与えたかったのではない。空っぽな自分……その埋め合わせとしての「言い訳」が欲しかったのだ。



 天も自分も信じられないのなら、もう何もしたくなかった。


 これが長かった妄想の終わりに抱いた「言い訳」である。

 何もしたくないのなら、何もしなければいい。

 空っぽなまま、物欲しそうな目で周りをじっと眺め続けていればいい。

 いいトシした大人が、何を子供じみたことを。そんなヘラヘラ精神メンタルでよくもまあ、天だの自分だの才能だのと発言出来たものだ。


 何もしたくなかったのではない。何をしても構ってくれないからイジけているだけだ。



 サイコロを6個持って投げる。

 1、1、2、3、5、6。合計の出目は18。残り900文字。


 作品レビューをしてみたり、この作品を完結させにかかってみたり、あるコンテンツにお熱になってみたりして分かったことだが……こんなものはサイコロの出目と一緒だ。


 いつ、どんなコンテンツに出会うのか。

 やってみて、どんな結果になるのか。

 それを元に何を得たり失ったりするのか。

 イチになるのか、バチになるのか。


 そんなことは到底分からない。やってみなきゃ分からないどころか、やってみても分からないことだらけだ。

 全力は空回り、計算は外れ、そのくせ意図せずして発見をする。

 精々出来ることとすれば、分からないことを分かろうと努めるか、分からないことを分からないまま飲み込むか、それくらいしかない。

 分からないものに向かうのは勇気が要ることだし、衝撃は受けるかもしれないが、分からないままでも意外と何とかなる。あと、以前の自分よりも少しだけ満ちるのを感じる。

 分からないもののうち、自分の琴線に触れたものがあれば……分かろうとしてみてもいいかもしれない。

 その時のコツは、全てに「模範解答」「正誤」があると思わないことだ。色々調べてみたけど、やっぱり分からなかったよ」という結論はザラにある。恥じることはない。

 自分なりの分かり方をして、それが積み重なったら、浮かぶ妄想もまたより幅広く、より業深いものになるだろう。

 スパークを引き起こして、小さい知識・経験・疑問たちに引火し、粉塵爆発を引き起こす。「何を食ったらこんな発想が出来るんだ?」と語られるようなアイデアが浮かぶようになるかもしれない。浮かばないかもしれないが、少なくとも「期待して待つ」ことは出来る。


 取り込んだ内容が増えれば増えるほど、その確率は上がってゆく。

 サイコロの数を増やすようなものだ……1個のサイコロでは6までの出目しか出せないが、100個のサイコロがあれば、合計で600までの出目が出せる。

 意図した目が確実に出るわけではない。何度も振らなくてはならないが、出目の合計をカウントしてみる作業もまた面白いかもしれない。なんせ100個もあるんだから……


 なんてくだらない話だと思ったが、こんな妄想でも、どこかで思い出し笑いに変わるかもしれない。



 これが長かった妄想の終わりに抱いた妄想である。

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妄作論 脳幹 まこと @ReviveSoul

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