楽な道について
いつも目の前には二本の道が伸びている。
平易な道か、険しい道か。
行き先が同じだったら、楽な道を歩きたいと思うのだけれど、不思議なことに楽をしたいと思って歩いている(実際、楽ではある)のに、気は全然楽にならないことが、しばしば見受けられる。
次選ぶときには険しい道を選んでみて、そのせいでえらく苦しい思いをすることになる。かといって、その次に楽な道を選ぶかというとそうでもない。複雑な感情である。
ラッセルは自身の著書「幸福論」で、不幸をもたらす原因のひとつに「罪の意識」というものをあげていた。つまるところ、「自分は罪人であるのだから、幸せに生きる権利はない……少なくとも、膨大な罪を償ってからでなければ」と思い込んでしまうことだ。
抑圧される環境のなかで、正常な判断、意志、主張を失っていく。自分は苦しむべき存在であると、自分で線を引いてしまう。
とこれは言い過ぎかも知れないが、創作をはじめ、なにか新しいことをやってみようとした際に、一歩後ろに引いてしまう。一瞬、躊躇してしまう……自信とか、才能とか、機会とか、仲間とか、色々な理由を盾にして。
みんなが歩く道でもなく、かといって、自分が納得した道というわけでもない。顔をしかめつつ、わざわざ舗装された道から外れて、ぬかるみを歩いていくような真似をする。
こんな宙ぶらりんなことをするのは、プライドもあるが、学生時代などに「楽なことはすべきでない」「実のないこともすべきめでない」と刷り込まれている可能性がある。
楽をしても、別にいいのだ。楽をしないで、どうやって他の人に手を差しのべられるだけの余裕を作れるのか。
あともう一つ。幸運にも、楽になる機会が与えられたなら、他の面も含めて、いっぺんに楽になる方法を模索し、実行すべきだ。土台となる価値観を変えてしまい、楽な道を歩く自分を許可できるようにする。
そうすれば、険しい道に戻ったとしても、安心して動ける。失敗しても問題はない。
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