意識の片隅に
昔、毎日メモ帳に「小説を書きたい」と100回書き続けてみたことがあった。その際には、執筆作業のハードルは少しだけ下がった気がした。今はやれていないのだが、効果はあったように思われる。
人は意識していないと「いつもの」を選んでしまう。スマホでネットサーフィンしたり、なんとなく寝転んだり、あてもなくゲームをしたりする。そこには目的がないので、終わることもない。飽きたとしても、その際には別の「いつもの」が待っているだけだ。
別に飽きているのなら、もっと実りのあること――そうでなくても、「目的」や「達成感」のあることをすればいいのだが、そういうわけでもない。前進も後退もせず、ただ時間が過ぎるに任せるだけだ。意識的に「何もしない」わけでもないので、いつの間にか、ずるずると引っ張られ、残っているのは後悔だったり、焦りだったりする。
メモ帳に100回書く必要はないが、せめて目線を一瞬でも「いつもの」から反らす必要はあるのだろうと感じる。ティッシュ配りや街頭演説などと同じだ。ティッシュとともに広告を挟み、来てくれなくてもいい、せめて記憶の片隅にでも残ってくれればと、(バイトはともかく)企業としては願うわけだ。
けれども、ティッシュ配りをしたり、街角で「○○はいかがですか」なんて呼びかける人々に、敬遠というか、場合によっては苛立ちすら覚えることがある。
「知ったことか」と。
しかし、それを自分が行うとなれば、また話は変わってくる。
お客さんは未来の自分ということになる。「創作活動はいかがですか」とか、「研修に興味はございますか」とか、「投資やってみませんか」とか、未来の自分に対して提案していくことになる。
大体の場合はうんざりした顔になる。そんなうんざりした自分が、また性懲りもなく、未来の自分に向けて、こういった文章を書いているという現実が、どうにも不毛な気分になる。
昔の自分が、盛大に自虐をしたこともある。
お前はなんて情けない、その癖にプライドや承認欲求だけは人一倍高くて、扱いづらい人間であるかを扱き下ろした。
インテリ志願の小説家に告ぐ
https://kakuyomu.jp/works/1177354054884523098
今もその本質は変わっていない。
仕事の――どちらかと言えば、理不尽さのおかげで、ほんの少し、前向きになることは出来たけれど、それでもなお、隙を見せれば「いつもの」パターンにはまり込んでしまう。
今していることが、正しいのか間違っているのかも分からない、そんな切り立った崖のような場所に足場を作っていくことが、どうにも怖いというか、そこまですることかと思って、安心できる場所に戻ろうとしてしまう。
いつか、前向きに進むことが「いつも」になれる日が来るだろうか。
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