無意識と創作
せっかくの百話目なのだから、何か特別気の利いたことでも話したいものだが、どうにも心が虚ろになっているので、そういうわけにもいかないようだ。
仕事で書類を作るためにキーボードを叩く、また、今こうしてスマホを使ってスワイプをする。そんなとき、「こうして文字を入力しているのは、自分の意識によるものだろうか」と思うことがある。
いつもというわけではない。けれども時折、これは癖というか、単なる反応なんじゃないかと、ぼんやりと耽ることがある。
当たり前だが、四六時中、考えているわけではない。なんとなくの行動もあるし、周りに流されることもある。けれども、その割合は自分が思ったよりもずっと……むしろ、大半が、八、九割くらいがそうなんじゃないか、と思う。
色んな本を読んでみた。幼少期の環境によって、その人の人生が大きく左右されることがはっきりしている。三つ子の魂、百までというやつだ。
しかし、自分なりに考えてみる。本当に幼少期だけなのか。今もなお、周囲の環境が影響を与え続けてはいないか。周りの環境がその人の無意識を定義し、その人の無意識が周りの環境を作り出してはいないか。
多くの人の無意識がひとつの環境に密集し、反応しあっている。ある人にとって、他の人は環境の一つである。家族であれ、上司であれ、赤の他人であれ、漫画のキャラであれ。
そして、創作においても同じことが言える……環境がその人を作り、意識的であれ無意識的であれ、キャンバスとなり、絵筆となり、絵の具となり、描くための腕となり、ある時は被写体になる。
とても曖昧なものだ。こうやってぼんやりと書いている、この妄言においては特に。
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