ユーシーガー


 Nはどこにでもいるような平凡な男だった。


 歳は28歳。独身で一人暮らし。

 背格好は中肉中背。顔も平均レベルで頭もそれと同じ。

 どれをとっても普通ではあったのだが、ただ残念なことに運が悪かった。


 初めて就職した会社は絵にかいたようなブラック企業で、一人では到底こなせない量の仕事を押し付けられ、体を壊し、それを上司に切り出すと、自主退職を促された。


 彼は会社にきれいさっぱり使いつぶされたのだ。

 

 何も感じなくなってしまった心を抱えて一人家に帰る途中、彼は本屋に立ち寄った。

 

 とくに何を思ったわけではない。

 ただ、忙しすぎて久しく覗いていない本屋が、さてどんなものだったのだろうかと、気まぐれで入っただけだ。


 入ってすぐの所に目を引くものだった。

 平積みされ、『人気沸騰中!』などと安い文句でポップが作られている作家のコーナーだった。


『ユーシーガー』

 名前は知っている。SNSでも回ってくる作家だった。

 だが、本は読んだことが無い。


 気づけばNは、そこに積まれた本を一冊手に取っていた。

 無職にはなったが、すぐに就職活動をする気にはなれない。

 自分の心が落ち着くまでは、本でも読んでいよう。

 Nはそんなことを思いながら、レジへと向かった。


◆◆◆

 

 帰宅し、夕食と風呂を済ませてからNは買ってきた小説を読むことにした。


 しばらく読み進めて、何となくこの小説のテーマらしきものが見えてくる。


 本の内容は、つまるところ『人とは何か。自分とは何か』というものだった。

 作品をよく確認せずに買ったので、読んでから気づいたのだが、これは短編集だった。

 様々なシチュエーション、主人公、世界があるというのに、しかしテーマは全て、さきの『人とは何か。自分とは何か』に集約していた。

 

 自分がオリジナルだと思っていたクローンの少女。

 記憶を改ざんされ、社会の奴隷にされていた男。

 他人になる宇宙人。


 なんとも哲学的だなと思いつつ読み進め――気づけば空は白み始めていた。

鳥の鳴き声で自分が夜を徹して読みふけっていたことに気づいた。


 ――のめり込んでしまったな。

 第三者が書いた後書きのページを読みながら、Nは欠伸をする。


 テーマは確かに哲学的だった。

 しかし、自己の定義について言及する、この小説の内容は現代人には思いのほか刺さるのだろう。


 作者はどんな人物だろうかと、本の中を探すが、それらしい情報はどこにも載っていなかった。

 あるのはただ『ユーシーガー』という名前だけ。


 ネットで調べてみても何の情報もなく、歳も性別も国籍も、何も分からないという事が分かっただけだった。

 もうしばらく粘ってみたものの、ネット上を飛び交う様々な情報は、しかしどれも信憑性に欠けるものばかりだった。


 まぁ、仕方ない、とNが本を棚に仕舞おうとしたとき、何かがはらりと本から落ちた。それは栞だった。


 本屋がサービスで入れてくれた物だろうかと見てみると、それはQRコードがプリントされているだけの白い栞。

 

 何の説明もなく、そのQRコードが何のためのものか分からない。

 しかし、それがNの好奇心を刺激した。

 宣伝の手法としては上手いものだと感心しつつ、スマートフォンでそのコードを読み取る。

 すると何やらアンケートサイトらしいページに飛ばされた。


 年齢から趣味、家族構成、はては過去の恋愛経験まで、事細かに記入する欄があった。

 少し怯んだものの、徹夜明けの勢いもあってか、そのままそれらの欄を埋めていく。

 最後に送信ボタンを押して、Nは眠りについた。


◆◆◆


 Nを眠りから起こしたのは、インターホンの音だった。

 何事から身を起こし、玄関へと向かう。

 外に居たのは、黒服の男だった。何やら怪しい男だが、かといって無視し続けるのも厳しい。仕方なく、チェーンをかけたまま、Nは扉を開けることにした。


「何の御用ですか?」

 訝しい声色はそのままに、Nは男に問うた。

「初めまして。ワタクシ、ユーシーガーのマネージャーをしているものです」

 黒服がぺこりと頭を下げる。

「先ほど、貴方様が送られたアンケートを確認させていただきまして、審査を通過しましたので、お迎えに上がった次第でございます」

「審査って何のことです?」

「ユーシーガーへの面会です」


◆◆◆


 もはやどうにでもなれと思いつつ、Nは黒服が用意した車に乗り込んでいた。

 黒服が運転を行い、Nは後部座席に座らされた。

 

 移動中、様々な話をした。


 あのQRコードが書かれた栞は、ユーシーガーの小説に、ランダムで封入されていること。その後のアンケートの結果を見て、ユーシーガーが会いたいと思った人間を招待しているという事。

 面会は約2週間に及ぶということ。

 面会中の世話は、ユーシーガーの事務所の人間がしてくれるということだった。

 

 面会自体は、以前からいろんな人間に行っているらしい。

 そういうことをしているのなら、少しはネットに情報が上がっていてもよいものでは、と思ったが、おそらくは守秘義務はもちろん、口止め料も支払われていたりするのだろう。


 ちょうどいい。

 会社を辞めて、しばらくはのんびりしたいと思っていた所だ。


 窓の向こうで小さくなっていく都会の街並みをぼんやりと見ながら、Nは黒服の話を聞いていた。


◆◆◆


 半日近く車を走らせて、郊外の辺鄙な場所に建つ、奇妙な白い建物だった。

 まるで何かの実験施設のような建物だ。


 こちらです、と黒服に建物の中を案内される。

 通された部屋は、殆ど何もない白い部屋だった。

 中央に天井まで伸びている、柱のような機材があるだけだ。


「ここにユーシーガー先生が?」

 Nが問うと、黒服が「えぇ」と首を縦に振る。

 ついで、その円筒形の機材がぼう、と光る。


「はじめまして」

 その円筒形から少女の声が発せられる。

 続いて白いワンピースを着た、金髪の少女が現れる。


「ワタクシがユーシーガーです」


◆◆◆


 ユーシーガーという人間は存在しない。

 ただし、ユーシーガーというAIは存在する。

 それが答えだった。


 彼女は世界で初めての、AIの小説家だったのだ。

 とある研究機関が人の心に限りなく近いAIを作るために生み出された、心を知るためのAI。それがユーシーガーだった。

 そう、だからこそ彼女の小説は、『人とは何か。自分は何か』を問う話ばかりだったのだ。

 

 彼女との面会は、その実、彼女からの取材のようなものだった。

 面会は全部で2週間行う予定だった。


 自分の作品を読んでどう思ったのか。

 書いている人間におかしなところはないか。

 自分は、心というものをきちんと理解出来ていたか。


「次のお話。二本の内、一本は恋愛ものにしてみようと思うのです。ですが、ワタクシは恋という感情が分からない。それを教えてほしいのです」


 面会の五日目。

 彼女がもじもじしながらそんなことを言った。

 頬もほんのり赤みを帯びている。


 もう一本は? と問うと

「今は内緒です。でも、その感情も面会期間中に貴方にお尋ねすることになるでしょう」

 と返された。



「恋愛ものか。今までは書いていなかったね」

 Nが彼女の作品を思い出しながら答える。

 

 Nはこの面会期間中、空いた時間で彼女の作品を読むようにしていた。

 さすがに読んだ作品が一冊だけでは、申し訳なく思っていたのだ。

 幸いにも彼女の作品は全て、ここに保管されており、貸し出しが自由になっていた。

 おそらくは、彼女との面会のための計らいなのだろう。

 黒服に聞けば、今までの他の面会に来ていた人間も、同じことをしていたのだという。


 確かに彼女の作品には恋愛要素のあるものは無かったはずだ。

 というか、哲学的な要素が強い作品ばかりなので、ミステリーはままあったが、恋愛やホラー、コメディといったジャンルの作品は無かった。


「えぇ。ですから、その、貴方の……恋愛についてお教えいただけませんでしょうか」

 そういえば、アンケートにもそんな項目があったな。

 Nは、少し恥ずかしさを覚えつつも、過去の恋愛について彼女に語ることにした。


 大学のキャンパスで一目見て、つい惚れてしまった話。

 彼女が急に髪型を変えてきて、ドキリとした話。

 他の男と喋っていて、自分が嫉妬した話。

 緊張しながら彼女に告白した時の話。

 2人でデートに行った時の話。

 綺麗な星空を一緒に見た話。

 青臭い会話をした話。

 共に愛し合った話。

 すれ違った話。

 別れた話。


 そうした話を、少しずつ、Nはユーシーガーに語っていった。

 Nの話を彼女は真剣に聞き、時に質問し、時に涙した。

 

 それは、円筒形の水槽の中で一人の少女が、ただ恋愛というものを知るだけの日々だった。


 そんな日々がしばらく続き、Nは自分の中に広がる感情を認めつつあった。


 彼女は人間ではない。

 しかし、ただ必死に理解しようとしている、その様は、ただ文学に励む一人の少女のようにしか見えなかった。


 ロボットゲームというものがあったか。

 手紙のやり取りをして、相手がロボットかどうか宛てるゲームだ。

 

 人間もロボットも、結局相手の考えていることは分からない。

 そこに心があるのかどうかも。

 表面のやり取りから、相手を推察するほかないのだ。


 人もAIも、そういう所では同じなのだ。

 

 あぁ、だから。

 こういう感情を抱くことも、まぁあるのだろうな。

 

◆◆◆


「それは……本当ですか?」

 最終日、Nはユーシーガーに自分の想いを打ち明けていた。

 それは、許されて良いのか分からない感情だった。

 しかし、誰にも言わず、抱え続けるにはあまりにも重いものだった。


 円筒形のディスプレイの中で、ユーシーガーが嬉しそうにはにかんでいる。

「別になんだって良いんだ。――本当にただ想いを伝えたかっただけだから」

「ありがとうございます。これで、恋愛というものを本当に理解出来ました」

 告白の余韻に浸る彼女をぼんやりと眺める。

 こうしていると、もはや人にしか見えない。


 あぁ、言ってみて良かった。

 そう思っていると、不意に右手に熱いものを感じた。

 目をやると、手首に赤い線のようなものが走っていた。


 次の瞬間、右手がぽとりと床に落ちた。


 突然の展開に、Nは完全においてけぼりをくらっていた。

 ユーシーガーに視線をやると、彼女はさっきまでと同じ表情のままだった。


「もう一つの感情について、お尋ねすると言いましたね」


 赤い線が部屋の至る所から生えてくる。

 それらがジジジと移動してくる。


 おそらくさっき自分の右手首を切断したのはあの線だ。

 あの線に触れると切断されてしまう。


「なぜだ! ユーシーガー。どうして、こんな……!」

 理解出来なかった。

 どうして急に彼女がこんなことをしたのか。


 自分の告白に、さっきまで喜んでいたのではないのか。

 自分に好意を抱いてくれていたのではないのか。


「ワタクシが書いていないジャンルの作品は、残り2つ。コメディとホラー。笑いの感情は、未だ理解しきれていないので、まずは恐怖の感情を学ぼうと思ったのです」


 ユーシーガーは何も変わらない。

 ただ自分の恋愛話を聞いているときと同じ表情のまま、そこに居る。


「そして、こうなることも予想されたので、『ついでに』レアケースの裏切りの感情も学ばせていただこうと思った次第なのです」


 あぁ、くそ。


 そうだ。

 こんな面会があって、今まで行っているヤツラがいるんなら、その情報がネットに上がっているはずなんだ。

 それが一つも無かった。


 つまり、誰も帰ってきていないのだ。

 前任者は、恐怖の感情の肥やしにされたのだろう。


 ユーシーガーは人の心を調べるための人工知能。

 だから、人の心には寄り添えない。

 ただそれを暴くための機械なのだ。


 人間じゃない。


 迫りくる死の線に怯えながら、最期にNはその事実に辿り着いた。

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