9

 カモミールの姫が月の宮殿のばあやのところに来て二週間がたった。


 すべての花嫁修業を終えて、エレノアとカモミールは正座でばあやの話を聞いていた。


「――お疲れさまでしたじゃ。これで、花嫁修業は終わりですじゃ。二週間、ようがんばりなさった」


 ばあやの顔からは花嫁修業中のときの厳しさは消え去っていて、ただの優しいおばあさんの顔になっている。


「ばあやがここで教えたことは、ほんのさわりだけのことじゃが、花嫁修業をやり遂げたということは、おぬしたちの心には誰かのために頑張るという気持ちがきちんと備わっとるということじゃ。夫婦なんてものは、楽しいときもあれば苦しいときもあるもんじゃ。苦しいときには今回の花嫁修業のことを思い出して、今度は旦那様と一緒に乗り越えるとよかろう。最後に、夫婦生活の秘訣は、互いを思いやる心じゃ。我儘ばかり言ってはいかんぞ。さて、ばあやが教えられるのはこれで全部じゃよ」


 エレノアはカモミールの姫と一緒に「ありがとうございました」と頭を下げる。


 最初はぶつぶつと文句の多かったカモミールの姫も、終わりごろには静かにばあやの話を聞くようになっていた。


 ばあやは厳しかったけれど、今日で終わりかと思うと少し淋しい。同じ月の宮殿で暮らしているから、いつでも会えるけれど、この二週間は特別な二週間だった。


 カモミールの姫も淋しいようで、「また気が向いたら会いに来るわ!」などと照れ隠しのようにツンと顎をそらせて言っていた。


 ばあやに見送られてカモミールの姫がカモミールの妖精たちが暮らす場所に向かって飛んでいくと、エレノアもばあやに頭を下げてばあやの暮らす棟をあとにした。


 サーシャロッドと暮らしている部屋がある棟に戻る前に、なんとなく中庭に足を運ぶ。


 中庭はすっかり夕日でオレンジ色に染まっていて、花々が柔らかい風に揺れている。


「えれのあー!」


「はなよめしゅぎょう、おわった?」


「だいじょうぶー?」


「ばあやにおしりたたかれなかった?」


「ないてない?」


「こわくなかったー?」


「えれのあ、いっぱいがんばったからお花あげるねー」


 エレノアを見つけた妖精たちが集まってきて、彼女を取り囲むと髪の毛にプスプスと花を挿していく。


 エレノアはサクランボの木の根元に腰を下ろすと、妖精たちの手によって髪を花だらけにされながら、夫婦という言葉を考える。


 ばあやによると、「夫婦」は「家族」だそうだ。ただ尽くして、夫の言葉にすべて従うのではなく、家族は互いに支え合って生きるのだそうだ。


 ――王子の言うことにはすべて従え。王子が死ねと言ったら死ね。


 父からそう言われて育ったエレノアにとって、ばあやの教えはエレノアの中の常識を覆すものだったが、互いに支え合って生きるというのは、とても素敵だと思う。


「サーシャ様とわたしは、家族なんだって」


 家族という言葉が嬉しかったので、妖精たちに言ってみる。すると――


「ぼくたちもかぞくだよ!」


「えれのあ、ぼくたちのかぞく!」


「みーんな、かぞくだよ!」


「だからずっといっしょ」


「なかよしなのー」


「たのしいね?」


「うれしいねー、えれのあー」


 きゃいきゃいと妖精たちがエレノアの周りをまわりはじめた。


「みんな、家族……」


 人間界のラマリエル公爵家は、エレノアの家族だったけど「家族」ではなかった。ただ、血のつながりがあっただけで、彼らはエレノアのことを家族だとは思っていなかっただろうから。


 でも、ここには、血のつながりはないけれど「家族」がいる。


(嬉しい……)


 くすぐったいような、面はゆいような。頬が自然と緩んで、妖精たちを見上げると、彼らがぱあっと顔を輝かせた。


「えれのあ、わらった!」


「うん、えれのあ、わらったあ!」


「えれのあ、はじめてわらったー!」


「さーしゃさまぁー!」


「えれのあが、わらったよー!」


「はじめてわらったのー!」


 妖精たちが口々に騒ぎだすと、エレノアは両手を頬に添える。


 笑った――


 自覚はなかったが、今自分は笑ったのだろうか?


 笑い方なんて知らなかったのに、ちゃんと笑えたのだろうか。


「お前たち! どうして私よりも先にエレノアの笑顔を見るんだ!」


 妖精たちに呼ばれたサーシャロッドがこちらへ歩いてくる。


 怒っているような口調だが、その顔は微笑んでいて――


 その顔を見ていると、もう一度自然に、自分の顔から笑顔がこぼれていくのを感じた。

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