古き都でも狛江さんが隣にいる件

最大の行事と約束

 先日の夕飯の件で、狛江さんとの距離感も掴みなおせたし、いつも通りの日常に落ち着きたいのだが、そうもいかないらしい。文化展が終わったというのに、教室はまだ落ち着きを見せない。その理由は黒板に大きく書かれた四文字、気づけば一週間後に待ち構えるそれが原因だろう。

 修学旅行。それは高校生活最大の行事であり、友人と、或いは恋人との仲を深めたり、新しい関係に進むきっかけになるものでもある。

 もっとも、教室に友人と呼べる人間がいない俺は、班行動から切り離されて一人のんびりと観光に勤しむのだろうが。

 渡されたしおりを眺めながら、大まかな流れを頭に入れていく。高校生ともなれば自由が重んじられるのか、クラスでの行動は一日目だけ。あとは、班行動と自由行動。海外なら言語も金も制限されて下手に動くこともできないだろうが、国内、しかも中学の時に大半の生徒が行っているであろう京都だからか、だいぶ決まり事も緩いように感じる。

 三鷹先生の説明を聞きながら、行きたい場所を脳内でピックアップしているとチャイムが耳に届いた。

 それを待っていたかのように教室を後にする生徒たち。

 その流れに乗るように鞄を掴めば、肩に手を乗せられる。


「片倉、ちょっといいか?」

「えっ、ええ。まあ、構わないですけど」


 声をかけてきた三鷹先生の後を追うように教室を後にする。


 カツカツとリノリウムを鳴らすヒールの後をついていけば、やって来たのは職員室の片隅。もう何度目かも数えていない程に顔を出している談話スペースだ。


「今回はどんな用ですか?」

「狛江ばかりに気を取られてすっかり忘れていたが、君の方が問題児だからな。大丈夫かと思って声をかけただけだ」

「いや、問題児って……」


 問題らしい問題を起こしているつもりはないし、問題児呼ばわりされるつもりはないのだが。


「問題は起こしてなくても、クラスメイトと関わろうとしない時点で相当だ」


 先生は俺の思考でも読んだように、そう口にした。

 確かにその通りだと思うが、すでに完成したコミュニティに今さら、しかも転入生でもない俺が入るのは無理な話だ。

 そんなことを思っていると、先生は、少し申し訳なさそうにまた口を開いた。


「まあ、そんな君にこういう話をしようとしている時点で、私も相当なんだろうがな」

「えっ、何させるつもりなんですか?」

「修学旅行の自由行動、出来れば狛江と回ってやってくれないか。君の場合は自ら人を避けているが、彼女の場合は避けられてしまっているから厄介でな……。彼女と親しい雨音先生もついて回る予定らしいが、同級生との思い出があった方がいいだろ」


 少し寂し気に口にする三鷹先生。きっと彼女を思ってのことなのだろうが、そんなことを言われて、はいと頷くわけにはいかない。


「先生に頼まれたからって理由じゃ一緒に回りませんよ」

「……そうか。まあ、きみにも立場というものがあるしな」

「いや、そういうことじゃなくて、俺は俺の意思で誘うんで、そういうのはいらないってだけです。先生も知っての通り、一緒に回るような奴なんていないので」


 口にすれば、先生は驚いたように目を瞬かせて一言も返さない。次第に自分の言葉が脳で反芻され始め、顔が熱くなってきた。冷たい飲み物でも飲んで、無理やりにでも頭を冷やした方が良さそうな気がしてくる。


「特に用がないなら、そろそろ失礼しますよ」

「お、おう」


 いつもの俺のような返事をした先生を残して、そっと職員室を後にする。

 もうすぐ秋も終わってしまうらしく、真っ赤に染まり終わった空は、もう碧で塗りつぶされようとしていた。


 * * *


 三鷹先生との話が原因か、正面に座る狛江さんの表情を見ることが出来ない。

 切り出そうとするがタイミングが合わないままに、夕飯まで食べ終わってしまい手元にはまだ湯気が出ているコーヒーが残っているだけ。


「飲まないの? 冷めちゃうよ」

「ああ、うん」


 微妙な間を誤魔化すようにして、コーヒーを口に含む。ここで言わなければ、今日は言えないまま終わってしまうだろう。コーヒーと共に余計な緊張を飲み込んで、深呼吸と共に口を開く。


「あー、もうすぐ修学旅行だな」

「うん、中学の時は行けなかったから楽しみなんだよね」


 屈託のない笑顔を向けられて言葉に詰まるが、そのまま飲み込むわけにはいかない。


「あー、その、もし、良かったらなんだが、自由行動一緒に回らない?」


 視線は右往左往し、言葉を探るようにしながら、口から出た言葉。返事を待つその数秒が引き延ばされて、果てしなく長いものに感じられる。


「えっと、私の噂知ってるでしょ」

「まあな」

「それでもいいの?」


 恐る恐るといった言葉がしっくりくるように、少し震え、様子を窺うようにも取れる声。慰めるように声をかけることなんてできず、ただ、ぶっきらぼうに頷けば、彼女の表情は、またさっきのような笑みへと変わる。


「約束だからね」

「お、おう」

「どこ、行こっか?」

「俺は中学の時も行ったから、そっちに合わせる」


 音符でも見えてきそうなくらいに、ご機嫌になった狛江さんは携帯で観光スポット探しに勤しみだした。

 そんな彼女を見ていると、先ほどの行動の理由が、三鷹先生に煽られたからというだけでは説明がつかない気がして、頭の隅にわずかな悩みの種がまかれたような気になってくる。

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