狛江さんと真相
各教室がまだ冷め切らぬ熱に浮かされ、思い出を形にしたような展示品をお供に、余韻に浸っている。そんな中、そそくさと文化展の片付けを終えた俺は逃げるようにアパートへと帰ってきた。
ゆっくりと扉に手をかければ、中からはトントンとリズミカルに包丁が躍るような音が聞こえてきた。
「ただいま」
一時期は無言で部屋に入っていたが、最近また習慣になってきた言葉を口にすれば、いくらか上機嫌な声が出迎えた。
「おかえり。思ってたより早かったね」
「まあ、うちの部は特に集まりとかやらないから早く片付けて、そのまま解散だしな」
「ご飯まではもう少しかかるけど」
「悪いけど、疲れたしちょっと横になってる」
「大盛況だったんでしょ。あとでその話聞かせてね」
傍から見れば、カップルを通り越してそうな会話だな、なんて莫迦げたことを思いつつ、狛江さんに言ったように体を倒せば、疲れが内から湧いてきて、俺を眠りへと誘っていく。
* * *
漂ってくる美味しそうな匂いで目が覚めた。夕暮れにもまだ早かったはずの空はすっかりと碧く染まり、涼しげな晩秋の夜の風が吹いている。
少し重たい体をのっそりと起こせば、それに合わせて腹の虫が鳴った。
「もうすぐ出来るからちょっと待ってて」
「分かった」
口にしてからこれまでのように手洗いを済ませて、食器の用意や小鉢の盛り付けなど手伝えそうなことをこなしていく。
「今日のメインは豪華だよ」
出来ることもなくなって席に着いた俺にそう言いながら持ってきた皿には、どうみても1センチ、いや、それ以上の厚さのステーキが乗っていた。
「えっと、知っての通り金はそこまでもってないよ?」
「なんで美味しそうとか、そういう言葉の前にそれが出てくるのさ。別にもらってる食費で大丈夫だよ」
どう考えてもそれじゃあ足りないから、先ほどの言葉が出てきたのだが、そんなことは関係なしに狛江さんは早く食べようよと急かすだけ。
まあ、出されてしまった以上食べないのも損か。
一人暮らしを始める前でもなかなかお目にかかれなかったステーキにテンションが上がるのは、年頃の一般的な男子高校生だし仕方がないだろう。いつもより大きめの音を立てながら手を合わせて、そのままステーキに箸を伸ばす。
「美味い」
口にして、率直な感想がこぼれた。
実は他の肉なのかと思っていたこともあったが、食べたのはまぎれもなく牛肉のステーキ。いつものスーパーで叩き売りされているようなものとは違い、ほとんど筋がなく柔らかいそれは、間違いなくいいものなのだろう。
「良かった。文化展の準備とかで忙しそうにしてたし、今日は大盛況みたいだったからその労いじゃないけど、豪華にしてみたの」
「そ、そうか」
狛江さんの言葉は先日から俺が忙しそうに振舞っていたからこそ出てきた言葉だろう。けれど、その振舞いの半分くらいは、距離感が分からなくなってしまった狛江さんと向き合わないための理由だったのだから、申し訳なさの方が大きくなってくる。
それを誤魔化すように、軽めの深呼吸をしてから口を開いた。
「気持ちはうれしいけど、食費、渡してる分じゃ足りないんじゃ……」
「だから気にしないで良いって言ってるじゃん。……この間、片倉君と駅で会ったじゃない?」
それは、あの出来事のことだろう。彼女の口から語られる言葉は噂になっているようなことじゃないと分かっていながら、どこかで続きを聞きたくないと叫ぶ自分が心の内にいた。
しかし、そんな俺の内心にかまわずに言葉は続けられる。
「私、色々あって今は叔父さん、お父さんの弟さんにお世話になってるの。まあ、叔父さんの奥さんからはあんまり気に入られてないから、こうして一人暮らししてるんだけど、その辺はいったん置いとくよ。別に、気にしないで良いからね。で、叔父さんと会った時に、片倉君と仲良くなった話をしたら、お小遣い追加でくれたから、そのおすそ分け的な感じ。だから味わってね」
いつものようににっこりと笑う彼女に、なるほどとだけ答えた。
俺の頭は莫迦な考えをしていた俺自身への嫌悪感で満たされていく。話を聞いているだけでも明らかに普通ではなさそうな家庭事情。知り合いでもないやつらが流した噂に引っ張られて、目の前の彼女のことを信じられなかった。挙句、その言葉を聞いてホッとしている自分が嫌になる。
だが、こんなことを素直に口にしても彼女を困らせるだけだろう。
せめて、信じるべきものを間違えないようにしようと、どうしようもない誓いを立てながら、まずは彼女の言葉に甘えて、目の前の御馳走に手を付けることにした。
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