第5話、勝海舟の法螺話
全ての責任が彼にあるという訳ではないが、勝海舟の法螺話が影響しているのではかいかと思えることがあります。そもそも、彼が
「わが国の大砲は8町しか飛ばないが、外国の大砲は20町も30町めも飛ぶ」
と言っています。これが、国産砲の射程がはるかに劣ったということのネタになっているのでは、と疑うのですが。
「だから、陸上砲台でなく、軍艦、海軍が必要」
だと主張しました。これを歴史家は高く評価するのですが、射程のはるかに短い大砲装備の軍艦で戦う場合を想定してみて下さい。彼の主張は、完全に破綻しています。また、江川家の記録では、もっと飛ぶことが示唆されています。
彼の有名な話で、彼を主役にした小説、ドラマで必ず出る、彼が設計した小銃が採用され、500丁製造される際、賄賂を突き返し、その金をよりよい鉄砲作りに使えと言ったと言う話。大河ドラマでは、彼の小銃は的が割れる前に弾が貫き、皆が驚く凄い威力だ、ということになっています。鉄砲鍛冶が、彼の設計を激賞してもいます。しかし、彼の鉄砲の採用も、その高い評価も記録がありません。
また、彼が水戸藩が作った洋式船を、
「構造は旧来の和船で、構造的に弱く、使い物にならず、厄介丸と呼ばれた。」
と書いていますが、実際は洋式船であり、
「旧式で鈍重だが、堅牢で実用性は高い。」
と外国人から評価されるものでした。
直接関係ないこととは言え、存在していなかった慶長御前試合をあったと書いたり、実際は流通を意図して書かれていた三河物語を、素朴な老人が自分の子孫のためにだけ書いたものと書いたり、嘘がいたるところにあります。そういう彼の言葉を、歴史の根拠にする場合がかなりありますが、それは危ういのではないでしょうか。
彼とは関係ありませんが、内容は幕末宇和島藩についてのかなりよい歴史著作なのに、
「フリーゲート型戦艦」
なる奇っ怪なることを書いたり、故司馬遼太郎先生が自作の「伊達の黒船」でら、立派に動いたことを書いていたのに、実際にもそうだったのに、後にはことあるごとに、宇和島藩の蒸気船は動かなかったと語るようになりました。
また、佐賀藩の殿様がオランダ船の艦長に、オランダ側が言う高性能の砲弾について教えてくれと尋ねたところ、
「機密事項で言えない。とにかく高性能なのだ。」
としか言わなかったとのエピソードがあります。オランダにそのような砲弾があった、というより当時そんな特別な砲弾などの記録は見たことも、聞いたこともありません。オランダ側のウソ、自分を強く、大きく見せるための法螺だと見るのが常識的なところでしょう。佐賀藩の殿様もそれを知ってて、なかばからかったとみるべきでしょう。それを、何と、
「現在の核兵器に相当する機密兵器だったのだ」
と真面目に論じている歴史家がいるのですから、恐れ入ります。
これは、どういうものだったのか、掘り下げて考えようとしない結果だと思えます。騙される、自分の考えで自分自身が騙される、騙すこととなっているのではないでしょうか。
幕末の国産洋式銃砲 確門潜竜 @anjyutiti
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