ナナジュウニ 宣言
商店街だろうか。
墓場を去ったカズヤは、喧騒に惹かれる様にしてふらりと立ち寄った街並みを眺めながらそう感じる。石畳の敷かれた通路の脇には、いくつもの露店が建ち並んでおり、ひしめき合う人だかりの声で賑やかだった。
活気付いているこの街では、様々な物が売られている。野菜や肉、装飾品、生活品……右に左にとカズヤは目を動かして商店街の真ん中を歩く。それでも雑多に溢れているここでは、人と人との隙間を縫う様にしなければならない程だ。
ベレニアス王国はこんなにも盛んなのか。まあ、考えてみればそうなのかもしれない。敵国が居ないという事は、脅威に悩まされるという事がないのだから────伸び伸びと、気ままに生活出来るのだろう。
「伸び伸び……気ままに……?」
何か引っかかった気がして呟いたカズヤだったけれど、何だろう、そのわだかまりが解ける気配がしないのがとても気分悪い。
「おーい兄ちゃん」
「……?」
こんなにも人が溢れ返っているのだから、カズヤは最初そのしわがれた声が自分に向けられた物だと気付くのに時間が掛かった。
「アンタだよ。そこの、幸薄そうな兄ちゃん」
首を傾げているカズヤに対して少し低いしわがれた声が追い討ちを掛けるべくしてさらに語り掛ける。人混みの中を掻き分けて進んだ先にいたのは、露店の主人らしき男だった。
人を値踏みする様な目付きで、ニヤニヤと笑みを浮かべながらカズヤを見やる。
いや、商売人が客に幸薄そうとか評するものなのか?
「まあまあ兄ちゃん、今日は良い品を多く仕入れたんだ。しけた顔してないで、見てきなよ」
別に買う物などないし、そもそもベレニアス王国の通貨なんて持ち合わせてもいないけれど、言われるがままにカズヤは露店に並ぶ商品を眺めた。
見たところ装飾品売り場の様だ。鏡、椅子、服……?
「……これは」
その中でも一際目を引かれた物があったカズヤは、思わずそれを手に取った。別段、宝石があしらわれている訳でもなければ、大きい物でもなかった────それは、首飾りだった。
首飾り。
多分、それに一番気が惹かれたのはニナが首飾りを下げていたからだろう。しかし、そうであったとしても、カズヤには何となくその首飾りに呼ばれた様な気がしたのだ。
呼ばれてなどいないはずなのに。
「おー、兄ちゃんお目が高いねぇ。それは普通の首飾りとは違うんだよ」
興味の湧いたカズヤに、商売人らしく勿体つけて話しかける男。
「それはな────魔物、竜の鱗で作られた首飾りだ」
目を見開いた。それから手に収まる首飾りに視線を落とす。それまで見ていたはずの首飾りが、まるで全くの別の物に見えてしまう。
握っている手が熱く感じるのは、きっとこれが左手だからだ。潰された指の痛みが、きっと首飾りを持つ事で思い出しただけなんだ。
そのはずだ。
「竜の鱗はしなやかでありながら美しい光沢を放つんだよなぁ。だから日の光に当てると少し輝く。その上頑丈で、傷も付かないから富裕層の貴族からは高い人気を誇っているんだよ!」
聞きたくもない弁をこれでもかと男が自慢げに話す。そのほとんどがカズヤの耳には入らなかったが、そんな放心状態の彼に、男は首飾りに目を奪われたとでも思ったのか、更に捲し立てる。
「竜と言えば不老不死の伝説もあるくらいに貴重な魔物でなぁ! その肉を食べれば永遠に老いる事なく生き続けられるって言い伝えが────」
「これは」
男の話を遮った。
これ以上下らないおべんちゃらを聞いていると、おかしくなった頭が弾け飛んでしまいそうだったからだ。首飾りをテーブルに置いたカズヤは男に訊いた。
「この首飾りは……この首飾りの元になった竜は、どうなったんだ」
「さあ?」
と、肩を竦める男。話しきれなかった事に不満があったのか、先程までの卑しい笑みはへの字に曲がっている。
「これは魔法戦争で負けた国の跡地から見つかったってもんだからな」
「……そうか」
「ま、生きちゃあいないだろうな」
「……」
再度首飾りに目を落とす。離れた左手がもう痛んではいなかった。
「ベレニアス王国には、魔物はいるのか? 捕虜として捕まっている魔物は」
相手が商売人だからこその質問ではあった。安直ではあれど、しかしそういった流通情報には長けているだろう。
もしも捕虜になっている魔物がいるのなら、ベレニアス王国でカズヤがすべき事は早々に結論が出る。
「いやぁ? 俺は知らないねぇ。王国の外に出られんのは『砕剣の聖騎士団』だけさ。だから魔物が捕まったとしても、俺達庶民じゃあ見る事さえない」
その『砕剣の聖騎士団』よりも先に遭遇したのが、盗賊ではあったのだが────まあ、犯罪人である盗賊が国の掟をわざわざ守るとは思えないし、それは例外なんだろう。
「ほれ」
「?」
唐突に身を乗り出した男は上空に向けて指を差す。それが何を意味するのか分からないままに見上げたカズヤに、男が言う。
「この国は偉大なローラン様の防護魔法で守られてるだろ? ま、見えやしないけどよ、ベレニアス王国が魔物や魔獣に襲われなくて済んでいるのは、『砕剣の聖騎士団』のお陰なんだよ」
魔物や魔獣に襲われる。
まるで襲われる理由を知っているからこその言葉。
そうか、この国には防護魔法が張られているのか。ここに来て新しい情報を手に入れたカズヤが目を落とすと、男はこちらに背を向けて商品の手入れをしていた。
どうやらカズヤに商品を買う気がないのだと察したのか、随分と打って変わった態度ではあったけれど、それでもカズヤはこれが最後だと言わんばかりに問うた。
「……マコトって知っているか?」
ヴラド・カノッサと共にいたマコトが、『砕剣の聖騎士団』に所属しているのではないかと踏んでの質問だったのだが、これに答えてくれるかどうかはカズヤもある種の賭けに踏み切った。
マコトが名を連ねる程の人物としてベレニアス王国に居なければ答えてもらえないだろうが────
「マコト? そりゃあ兄ちゃん────」
男は不意に振り返るとキョトンとした表情をしていた。
やはり知らなかったか。
諦めかけたカズヤが「いえ、何でも」と言い掛けると────
「兄ちゃんは知らねぇのか!」
ベレニアス王国の防護魔法を破って侵入してきた魔獣をたった一人で倒した。
『砕剣の聖騎士団』副団長セツナを退けて闘技大会に優勝。誰もまともに扱えなかった『砕剣カルテナ』を現在も所持している。
闘技場に現れた魔女をセツナ、ローラン、ヒヨリと共に退けた。
「……」
商店街を離れたカズヤは男から聞いたマコトの話を聞き、頭の中で纏める。
「魔獣や闘技大会の優勝はともかく」
魔獣となんて遭遇した事もないし、闘技大会とやらも別にどうでも良い。
だが。
「魔女を退けた」
それが重要だ。
カズヤが最後に持つマコトの────マコトとヒヨリに関する記憶は、魔女に立ち向かう事すら出来ない二人だった。
魔法もろくに使えなかったあの二人が、手助けがあったとしても、絶対的な力を待っていたはずの魔女を倒したのだ。
「ろくにとは言うけれど、まあ僕自身魔法どころか魔力もないから偉そうには物言い出来ないんだよな」
誰も話し相手がいないというのに独り言を呟くのがもう癖になってしまう。思考を止めてはならない。
「じゃなくて……。マコトは、マコトもヒヨリもつまり相当に強くなっているって事なのか」
溜め息を吐きたくなる。
『砕剣の聖騎士団』の一員として加わっていた二人は、ベレニアス王国で魔法使いとして、あるいは騎士としての才覚をいかんなく発揮した。運動神経の良い二人だからこそではあるのだろう。
「それに比べて、僕はどうなんだ」
そう言ってカズヤは近くにあったベンチに腰掛けると空を仰いだ。やはりそこには青々とした天が雲をたなびかせているけれど、その間には防護魔法があるのだろう。
それを暗に思いながら、カズヤはこれまでの自身の行動に思いを巡らせた。
「魔女に会う為に旅に出たはずなのに、結局それは途中でやめてしまった。それから魔物を守る為に戦おうと思っていたのに、それも結局出来ずここに居る」
何もかもが上手く行かない。
いや、何の目的もなく過ごしていたからこその当然の仕打ちなんだろう。だからこそ歯痒い。
何もせず、何も出来ず、ただここで座っているだけの自分が、とても目障りだった。
「……何やっているんだろう僕は」
背もたれに体重を預けながらカズヤはしみじみと呟く。目を閉じると、煩わしい程の喧騒が薄まっていくのを感じる。
だからかもしれない。
「……水」
パシャパシャと、遠くで水飛沫の音が聞こえたのだ。聞き間違い様のないそのささやかな音に、カズヤは頭をもたげるとそちらを見遣る。
「噴水」
そう、噴水だ。
遠くにある噴水が、絶え間なく水を噴出している。
椅子から立ち上がったカズヤは噴水を間近にした。下から上へ、そして溜まった水がなみなみとカズヤの顔を映し出している。
誰だこいつは。
「いや、僕か」
もう長い間見ていなかったからか、自分の顔がまるで赤の他人に感じられる。
「……赤の他人みたいなものか」
そう赤の他人。
カズヤにとって、カズヤという存在は全くの別人にしか映らない。例えこの水面と睨めっこをいくらしたところで、それが自分だと思えるのは果たしてあるのだろうか。
いや、ない。
「……」
感情を押し殺しているはずなのに、感傷に浸ってしまう。何が悲しくて、自分はスワンプマンになったのだろう。
悲劇的だ、とカズヤは他人行儀に水面に映るその人物を哀れんだ。
それから振り返って、距離の空いた商店街と人々を眺める。
とても牧歌的で、心が穏やかな気分に────ならなかった。
「魔物達は、怯えて暮らす毎日を送っているのに、この国はどうして平和に暮らしているんだ」
もやもやとした気持ちが渦巻いて膨張していく。それは不満ではなく、憎悪として広がる。
「人間が地上にいる限り、魔物は平穏ではいられない」
例えたった一つの国になろうとも、妖精族も鬼族も吸血族も……きっと竜族でさえも、地上で暮らす事はままならないだろう。
それがカズヤには堪らなく嫌で仕様がなかった。
当て付けや八つ当たりかもしれない。しかしそれでもカズヤの言い表し様のないこの感情は、密かに湧き上がっていく。
それこそ噴水の様に。
「決めた」
ようやくすべき事が決まった。
これを解消するには、もうするしかない。
「人間の絶滅を、僕が、するしかない」
それが僕の生まれた理由だ、と言わんばかりに、カズヤはそう宣言した。
立ち上がった彼が見上げたその先にあるのは、ベレニアス王国の中央で厳格に佇んでいる────王城だった。
異世界版スワンプマン 刺素瀬素(しもとらいす) @s5aiueo
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