ロクジュウキュウ 決意

「……」

 カズヤと再会を果たし、決別した後のマコトが立っているここは、彼にとって一番思い入れの深い場所だった。

 ここに埋まっているのは、言うまでもなくカズヤだ。殺されそうになった自分を庇い、なす術もなく魔女に心臓を抉られて死んでしまった親友の亡骸が、この墓に、土の下に埋まっている。

 よもやあの牢獄に居るカズヤがゾンビの如く土の中から這い出てきたのでは……などと考えて、掘り起こそうとまではしない。したい気持ちが、ない訳ではないけれど、それでも自身が下した結論に自ら反証しようとする行為を、マコトは嫌っていた。

 自分の事を信じてやれるのは、極論自分しか居ないのだ。自分の事すら疑ってしまったら、それはあまりにも人道に反している。それがマコトの考えだった。

「カズヤ」

 牢獄に居るカズヤではなく、土の下で眠っている親友の名をマコトは呼んだ。もちろん、返答など来るはずもないし、彼もそれを期待してはいない。

「マコト!」

 と、走り寄りながら彼の名を叫んだのは、果たしてヒヨリだった。彼女にはここへ来るように頼んでいたからだ。一緒に来なかったのには、理由がある。

「マコト、言われた通りに持ってきたけれど……」

 そう言いながらヒヨリは持っていた紙袋を差し出した。受け取ったマコトがその中を見ると、そこには数枚の紙と銃が入っている。

『あれが持っていた所持品だ。どうするかは君に任せよう』

 何とも他人任せな発言でこそあれど、マコトにとっては有難いものだった。決別するのはあくまでも武器を持った別の存在なのだという、言ってみれば自分が持つ『カズヤ像』を保全する為の踏ん切りが欲しかったのだ。

 紙袋の中に手を入れ、銃を掴むとそれを引っ張り出す。やけに重く感じ、そして少し鉄臭い。俯いていた視線を持ち上げて不安そうにするヒヨリへ顔を向け、

「今日、自分をカズヤと名乗る奴と会った」

 と告白する。

 隠していても仕方がない。ヒヨリだってカズヤと一緒にいた幼馴染みだ。親友の彼女を蚊帳の外に放るのは好ましくない。

 そう考えたマコトは、今日あった出来事を話した。

 ヴラド・カノッサが戻った事、カズヤと名乗るナニモノかと遭遇した事。

「……」

 ヒヨリは彼の言葉を全て聞き終えるまで口を閉ざしたままだった。彼女が今何を考えているのかは定かではないけれど、ともかくマコトは包み隠さず話す。

 そして、

「俺はあれをカズヤとは認めない」

 自分の思う感想も述べた。

 認めない。

 認める訳にはいかない。あの時死んだカズヤが、いかなる理由があろうとも『砕剣の聖騎士団』を、人を殺した事を受け入れない。

 我儘な言い分でこそあれど、やはり誰に諭されようともこの意見を曲げる事はないだろう。例えそれがヒヨリであってもだ。

「……そっか」

 しかし彼女は頷いた。

 重苦しい雰囲気が漂っているのは、ここがただの墓場だからではない。マコトの横に、カズヤの墓があるからだ。死んでいたとしても、彼の事を話すのはどことなく罪悪感があった。そんな空気の中で、ヒヨリはふうと一息吐くとマコトからカズヤの墓に視線を移した。

「覚えてる? カズヤが中学生くらいの頃から『ロボット』って言われていた事」

「……ああ、覚えてるよ」

 思わず顔を顰める。悪意のあるそのあだ名が、人知れずして浸透してしまっていた事に、ひどくマコトは嫌悪感を抱いたものだ。

 当の本人は誰かからの揶揄を気にする性格ではなかったけれど、マコトとヒヨリにとってそのあだ名は、彼の事を知らない者達が勝手に付けた言い掛かりに他ならない。

「カズヤはさ、むすーっとしてて無表情が多いけれど、とっても優しいんだよ。私が剣道の大会で優勝した時も、一番喜んでくれたし、スランプに陥った時も心配してくれた」

「俺もそうだったよ」

 中学生の時、マコトはバスケットボール部に所属していた。当時から運動神経の良かったマコトの実力は右肩上がりで、どんな強豪校にも引けを取らない程だった。

 しかし、所詮は中学生。他人よりも自分を優先しがちな時期で、彼は部活内で敵を作った。それは意図して出来上がったものではなく、彼の実力を妬むが故に作られた構図。「あいつばっかり注目されていてムカつく」と、そんな理由で部員達はカズヤを蔑ろにし、そしてバスケットボール部から姿を消した。

 一人、二人と、マコトだけが最終的に残る形で。

「アイツはさ、落ち込んでいた俺に言ったんだよ」

『妬まれるくらいにマコトは凄かったんだろう? だったら、それは気に病む事じゃなくて、胸を張る事なんじゃないかな』

 その言葉で、マコトは救われた。だからマコトは高校生になってからは特定の部活に入る事はせず、助っ人という形で運動部を渡り歩いた。

「俺はカズヤが良い奴だって事を知っている。不器用で無愛想ではあるけれど、そんなアイツが好きだから俺はアイツと一緒に居たんだ」

「うん」

「自分がどんな目に遭ってもアイツは俺を助けてくれた」

 ギュ、と銃を握り締める。この引き金で、何人の人が死んだのかを、マコトは知らない。知らないからこそ、許せないのだ。

「今の俺があるのは、アイツに助けてもらったからだ。だから俺は」

 前を向く。そこにはカズヤが埋まっている墓がある。この下に、親友は居るのだ。それを思うと、胸が熱くなる。

 どうしてお前は俺の隣に居ないんだ。

 決まっている。あの時の俺に、力がなかったからだ。

「俺はお前だけを信じている、カズヤ」

 あの牢獄に居るのはカズヤによく似ただけの、別の存在だ。膝が汚れるのを承知で屈んだマコトが、徐に土を掘る。その様子を見ていたヒヨリも加わり、二人でカズヤの墓を掘り起こす。

 やがて辿り着いた硬い感触は、木で出来た棺だった。この中に、カズヤは居る。未だに眠っている親友の姿を、しかしマコトは見る事をせず、取り出した銃を棺の上に置いた。

 銃で殺された人々の遺体がないからこそ、せめてその無念を葬ってやるべきだ。

「……カズヤ。俺は忘れない。お前に救われた事を」

 そう言いながら立ち上がったマコトの表情は、一切の迷いがなかった。

 いや、迷いなど元よりなかったのかもしれない。自分の正しさを何よりも信じるこの少年は、ただ親友の前に立つ事で、それを確固たる物にしたかっただけなのだろう。

「だから、お前を騙る様な奴と例え戦う事になったとしても……俺は迷わない」




 もしもマコトが、カズヤへの言葉を和らげていれば────などと考えるのは、蹉跎歳月極まりないのかもしれない。マコトがカズヤを突き放したのは事実であり、現実として過去になってしまったのだから。

 それでも────それでもマコトが少しでもカズヤに対して歩み寄りを見せていれば、あるいは未来が変わっていたのかもしれない。

「どんな力を持とうと親友だ」

 そんな風に彼を宥めれば、カズヤは心を開いただろう。そうでなくとも、今のカズヤを認めるだけでも、マシな未来があったのだと言わざるを得ない。手を差し伸べれば、かつてヒヨリに救われた様に、カズヤはマコトに救われただろう。救われて、涙し、マコトとの再会を心の底から喜んだだろう。

 だがそれでも、マコトがそうしなかったのには確固たる決意があったからだった。

 自分がカズヤと歩んできた記憶を信じていたから────過信してしまっていたからこそ、だからマコトはあの牢獄に居たカズヤそっくりのナニモノかを突き放したのだ。

 人として、生物としての尊厳や理を踏みにじらんばかりに存在するモノが、親友の姿をしている事が、マコトにとっては不気味で仕方なかった。

 不気味で気持ち悪くて、受け付けない。

 図らずもその感覚は、かつてマグナ・レガメイルがカズヤに対して抱いたそれと同様の物ではあるのだが、性格こそ違えどやはりマコトは深い部分では冷たいのかもしれない。

 どこまでも自分の正しさを信じる。

 相手の正しさより、まずは自分の正しさを優先する。正義と呼ぶにはあまりにも自分中心に思われるかもしれないマコトの心理は果たして、災厄を招くのは間違いない。

 マコトとカズヤ。

 一人の少年と一体の人形。

 かつては共に笑い、励まし、分かち合った過去があろうとも────もう星空を共に見る事がないのだというのは、想像に難くない。

 悔しさはマコトの頬を震わせた。やがてそれは涙となり目に溜まり、溢れた物は一筋の線となり、滴として、そして。

 カズヤが埋まっている土に、落ちたのだった。

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