ヨンジュウハチ 唐突

 ベレニアス王国の中央に位置する城の側には様々な書物を取り扱う大書庫が存在している。初めてマコトがローランと会った時、彼女は幾重にも積み上げられた本の上で眠っていた。本の上で眠るというのは常識的にも物理的にも果たして可能なのかという点においては、その事実を目の当たりにしたマコトにとっては些細な出来事でしかないのは確かだ。

 数奇とも言える魔法部隊隊長との出会いを経て、今その大書庫の扉の前にマコトとヒヨリは佇んでいた。

「ちょっとマコト、大丈夫?」

「……ああ」

 神妙な面持ちの親友に、さすがのヒヨリも違和感を持ったのか、覗き込む様にして彼の顔色を窺った。そんな問いにも上の空で返事をしたマコトの手には、『砕剣カルテナ』が納められている箱がある。

 それを通じて断片的に見たシン・インカレッツィオの過去とローランという名前。

 マコトにとって、ローランという名の人はたった一人しか居ない。その人物がこの扉の奥にいるのだと思うと、そりゃあ身の引き締まる想いにもなるというものだ。

「……行こう」

 少し錆びれた荘厳な取手を握り、マコトとヒヨリはその中へと入ったのだった。



「あら、マコト君にヒヨリさん。どうかしましたか?」

 まるでラスボスの如き唯ならぬ雰囲気でローランは座っていた。何十冊にも重ねられた本の上に見事なバランスで腰を落ち着け、脚を組んでこちらを見下ろしていた。鈍色の髪が天井のガラスから漏れる光に反射して少し揺らめかせながら、底知れぬその佇まいにマコトだけでなく、事情を知らないヒヨリまでもが唾を呑む。

「……ローラン先生、教えて欲しい事があるんです」

「はいはい、私で良ければ何でも教えますよ?」

 表情の読めない笑みを浮かべてローランは頷いた。

「貴女は一体、何者なんですか」

 と、ほぼ単刀直入な質問をマコトは口にした。回りくどい会話は好まないからこその問いではあったけれど、すぐにマコトは後悔した。

 あまりに自分本位なそれは、彼女の自尊心を傷付けてしまうのではないか、と。

 それでも訊かざるを得ない。

「『砕剣カルテナ』を通して、持ち主の——シン・インカレッツィオの過去を見たんです。魔女も出てきました」

「……」

 ただジッと耳を傾けるローランにマコトは引くに引けず言葉を繋げる。

「その最後に、貴女の、ローラン先生の名前が出てきました。ローラン先生、貴女は一体何者なんですか」

 漠然とした問いではあるけれど、核を突いてはいる。だからこそ、ローランの面持ちは、絶やさぬ笑みに見え隠れする真剣さがそれを物語っていた。

「ただ名前が被っているとか、ありきたりな名前だとか、そんな理由なら俺もこれ以上訊きません。貴女がそうだと言うのなら、俺は貴女の言葉を信じます」

 これは本心だ。その言葉をマコトは信じて帰るだろう。

「……マコト君」

 と、しかし、彼女は否定をしなかった。長い沈黙の後にポツンと大書庫に弟子の名前が響く。

「『砕剣カルテナ』が貴方を持ち主と認めて、シン・インカレッツィオの過去を見たのなら、ある程度の察しは付いているのでしょう」

 脚を組み変えながら発されたローランの言葉は重苦しく、これから話す内容が決して明るいものではないのだと示唆している。

「私の名前はローラン・インカレッツィオ。かつての英雄、シン・インカレッツィオと、彼が唯一愛した人、魔女の間に出来た」


 ————実の娘です。



「ちょ、ちょっと待って!」

 そこで初めてヒヨリが制止に掛かる。マコトとローランの間に割って入る様にして切迫した声音で彼女が言う。

「ローランさんが、魔女の子供……なのはそうだとして。でもシン・インカレッツィオって人はもう何百年も前の人間なんですよね!? 実の娘って事はじゃあ、ローランさんは何歳なんですかっ?」

「シン・インカレッツィオも魔女も私も、生まれながらにして魔力を内包した人間です。つまり、魔力に慣れ親しんでいて、無意識の内に魔力の使い方を知っているんですよ」

「それが一体何の関係が……」

「本来なら老衰してしまう身体の細胞を、魔力によって補う事で私達は通常よりも長い時間で生きる事が可能なんですよ、ヒヨリさん」

 言うまでもない、と言わんばかりにローランが肩を竦めながら説明した。

「魔物も同様です。彼らは魔力と共に生きた存在。寿命と魔力は密接に関わり合っているんです」

「……どうして、魔女とシン・インカレッツィオの子供でありながら、貴女は人間を守っているんですか」

 やや脱線しつつあった話をマコトは無理やりにででも修正する。

「魔女は魔法戦争を起こさせる程に人間を嫌っていました。シン・インカレッツィオも、人間に裏切られて殺された。貴女はどうして人間の味方の様な事をしているんですか」

 残酷な質問だ。長らく忘れていたかもしれないトラウマを掘り返してしまい兼ねない問いであるのは百も承知ではある。

 しかし確かな疑問ではあった。父も母も人間と敵対しているはずなのに、どうして彼女は——ローランは人間と共に生きているのか。

「シン・インカレッツィオは……父は人を恨んでいませんよ。貴方も聞いたでしょう、『人とは間違う生き物だ』と」

「それは……はい」

「間違い省みて成長する。父にとって、常に正しくあり続ける人間はいないのだそうです。躓き転び、それでも起き上がる。そんな努力を惜しまぬ人々を父は人間としての無限の可能性なのだと考えていました」

 つまり、シン・インカレッツィオは人間と敵対していた訳ではなく、敢えて敵として祭り上げられる事で人間同士の結束力を生ませた。

 そんな自己犠牲に溢れた人物が、シン・インカレッツィオなのだと彼女は言う。

「道を踏み外す事も含めて、父は人間を愛しました。だから私も、人を愛する事にしたんです」

「……それならどうして、どうして魔女は魔法戦争を起こしたんですか」

 それが一番分からない。魔法戦争を起こさせるくらい、愛したシン・インカレッツィオを殺された事に憤っていたのなら、わざわざそんな面倒な事をしなければ良い。

 唯一勝利した国を今もこうやって生きながらえさせる意味が、マコトには理解出来なかった。

「ただ憤慨してその勢いのまま人を滅ぼす事だって、魔女には出来たでしょう。しかしそれをしなかったのには、大きな理由と目的があるんです」

「目的?」

「はい」

 ローランがくい、と指を持ち上げるとマコトの手に収まっていた箱が浮かぶ。空中で漂う箱の蓋が開き、その中から剣身の一片一片が光を放ちながら回転し始める。

「この世界に召喚されたマコト君、貴方こそその目的の要となったんですよ」

「どういう意味ですか?」

 螺旋を描きながらローランの周囲を回る剣身をピタリと止め、彼女はマコトに向けて言う。

「死んだ父の蘇生こそ、魔女の目的です」



「蘇生……? 仮にそれが目的だとして、俺がこの世界に来た意味は……!」

 鸚鵡返しをする途中で、マコトはようやく魔女が何故人間の国をたった一つ残したのかを理解した。魔力を与え、魔法で戦わせたのかを。

「魔女が人間に魔力を与えたのは……『強大な魔力を持った人間から魔力を奪う為』だって言うんですか……!?」

「百点満点の答えですね。マコト君」

 そこで初めてローランが満足そうに頷いた。

「百年以上もの年月を掛けて、人間を蘇生する魔法を使う為に必要な魔力を持った人間を魔女はずっと待っていたんです」

「でもその人間が現れなかった」

「そう、だから貴方がこの世界に召喚されたんです」

 異世界からの召喚魔法。どれ程の大掛かりな物かは計り知れない。だが、それを実行に移すまでに魔女は待ち侘びていたという事だろう。

「貴方達の居た世界には魔法が無いと言っていましたね。しかし、魔法は無くとも魔力はあったのでしょう。この世界では稀有な存在だった魔力の内包者が、貴方達の世界では当たり前だったのかもしれません。その世界で、最も魔力を持っていたのが、マコト君貴方だっのでしょう」

 その言葉を聞いてマコトは絶句した。だってそれは、自分のせいでヒヨリを……カズヤを巻き込んでしまったのと同義なのだから。

「気負う事ではありません。むしろ、貴方を魔女の私利私欲に巻き込んでしまった事を、娘である私が詫びるべきです。すみません」

「いや、そんな……」

 例え魔女の私利私欲であったとしても、だ。あの時自分が別の場所に居れば、ヒヨリがここに召喚される事もなかった。

 カズヤが殺されてしまう事も……。

「魔女の目的がシン・インカレッツィオの蘇生なら、そんな魔法が本当にあるんですか……?」

 もしあればカズヤを————

「ありません」

 しかしローランはハッキリとそう否定した。

「マグナ君からも聞いていたでしょう。人間とは、生き物とは限られた命の中で輝く存在なのだと」

 マグナ・レガメイル。『砕剣の聖騎士団』魔法部隊副隊長の彼の言葉をマコトは確かに知っている。彼と会い話したのはほんの数日ではあったけれど、それでも彼ほど努力を重ねてきた人物をマコトは知らなかった。

 魔法を使う為に、魔法使いとして研鑽をし続けてきた彼をマコトは尊敬の念すら抱いた。

「何度も生き返るのだと知ったら、人は努力する事を辞めてしまいます。どんな失敗もやり直せてしまうと胡座を掻いて怠慢に陥ってしまう。果たして、神なる存在が居たとして、人間をそんな風に設計すると思いますか?」

 神、という単語にマコトは顔を顰めた。別に宗教的な思考を否定する訳ではないけれど、より会話が難航した気がする。

「ああ、ごめんなさい。話を難しくするつもりはないんです。ただ、それだけ蘇生というのは不可能というだけなんですよ」

「不可能……」

「魔女が何百年と掛けて発見出来なかった蘇生魔法。そんな夢現な妄想に、私は貴方を守りたかったんです。親友を殺された貴方は、一歩間違えば魔女と同じになってしまいそうだったから……」

 愛する人を失った魔女と親友を失ったマコト。

 表裏一体どころか、対称的どころか似通うこの二人をローランは一緒くたにしたくなかったのだろう。罪に苛まれる様な表情が『砕剣カルテナ』の剣身にいくつも反射する。

「それなら貴女は、どうして俺を魔法使いに育てようとしたんですか。魔法使いとして育てようとせずに居れば……」

 そうだ。極論、マコトを殺してしまえば魔女の到底叶わない妄想に終止符を打てたかもしれない。

「……止めて欲しいのです」

「え?」

 思わず聞き返してしまう。どんな気持ちがあるのか、彼女の真意を問い質す為にこの大書庫へ来たはずなのに、マコトは聞き返してしまったのだ。

 何と馬鹿馬鹿しいだろう。

「妄想から、幻想から、魔女を————母を解放して欲しいんです」

 切実な願いを、想いをローランは打ち明けた。長らく誰にも話す機会の無かったであろうその資格者に向けて、ローランは言う。

「父がそんな事を望んでいないのだと、貴方の力を持ってして母に思い知らせて欲しいんです」

「……」

「貴方を育てたのは、私の私利私欲です。巻き込まれこの世界へと来た貴方を、さらにその渦中に招くのを承知の上での頼みです……どうか、どうか母を……」

「俺は————」

 答えなど決まりきっている。

 真意を聞こうとも、マコトの導き出した決意は変わらないだろう。例え巻き込まれた形であったとしても、不変の決意なのだから。

 だからマコトは答えようとした。高い高い位置に居るローランに、マコトは自身の想いを打ち明けようとしたその瞬間————。

 大書庫の中でも響く轟音がベレニアス王国を襲った。城を、街を、そして国を物理的に揺るがした地鳴りにマコトだけでなく、ローランとヒヨリもまた血相を変えて外へ出る。

 モクモクと煙を上げている方向は、先日までセツナと雌雄を決したあの闘技場だった。

「防護魔法が……砕かれている……!?」

 ローランが呟く。その言葉でマコトはようやく空を仰ぎ見る。変わらず晴々とした薄暗い上空が顔を覗かせていたけれど、ベレニアス王国を覆う程の巨大な防護魔法のそれが消えている事をマコトも認識した。

「……っ」

「あ、ちょっとマコト!」

 ヒヨリの制止を振り切って闘技場まで走り出すマコト。嫌な予感だけが心の中に渦巻いていく。ローランが常時発動している防護魔法を砕く程の人物など、マコトにはたった一人しか思い浮かばなかった。



「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」

 息切れをしたのは何年振りだろうか。百メートル走を一時間以上全力で行っても疲れなかった身体が鉛の様に重く、足が磁石みたく地面に引っ付いている。それでも到着したマコトが見たのは、抉れた闘技場と、土煙の中から現れた艶かしいあの笑い声だった。

「もう良いでしょう? 何百年と待ったのだから、その魔力を——ねぇ、私に頂戴」

「……魔女!」

 やたらと肌に張り付く服の上に羽織ったマントを翻し、空中で浮遊する人物——魔女をマコトは見上げながらも睨み付けた。

 銀色の髪をたなびかせ、深い紅の瞳がこちらを飲み込まんばかりにマコトを見つめている。

 魔女は成長した彼を見て満足そうに、そして恍惚とした笑みを浮かべて口を開いた。

「闘技大会の、差し詰め頂上決戦をしましょう——マコト君」

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