サンジュウナナ 開戦
「カズヤさん!」
ナハトは叫んだ。あまりにも一瞬の出来事で、理解が追い付かないとは言え、突如として目の前から消えたカズヤが吹っ飛ばされた事くらいは分かった。だから遥か遠方に飛んだ彼にナハトは叫ぶ事が出来たのだ。
しかし。
「おっとォ、動かないで下さいねェ」
「——!?」
ねっとりとした、男の声が聞こえてナハトはその方へと一気に顔を向ける。全身黒いマントで身を覆った男が、こちらに手を翳しながら笑っている。その翳した手ですら、黒い手袋を身に付けている事から、この男が素肌を晒しているのはせいぜい顔の下半分だけだ。
それでもゾクリ、と身の毛もよだつ寒気がナハトを襲った。
「貴様——!」
オリガが剣を引き抜き躊躇せずにそれを振り下ろすが、激しい金属音が鳴り響き男の身体まで届きはしなかった。それが防護魔法による物である事くらい、オリガにも分かってはいた。しかし、『大地の裂け目』の奥底で斬りつけた魔法使いの防護魔法は砕いたはずなのだ。だからこそ、絶対的にこの剣が人間のそれを破れないだなんて思いもしなかった。
「なっ……!」
「ハハ、ワタクシの防護魔法をそんな鈍で突破出来るとでもォ?」
男はニヤリとイヤラしく笑いオリガの顔に近付き舐め回す様に見つめる。バ、と素早くオリガはニナとナハトの前に立ち二人を庇う形に切り替えると、剣を構えたまま男を睨む。
そんな彼女の気迫にも動じる事なく、男は相変わらず三人をジロジロと見つめる——ニナの耳を、あるいはその背中に生えた羽を。
「——妖精族が二匹と、もう一匹は、人間にそっくりですがァ……なるほど、魔力がやや異系だ。つまり、魔物が三匹、釣れた訳ですねェ」
男は不気味に笑い声を上げて心底愉快そうにする。彼女らの姿形から人間でないのは一目瞭然ではある。しかし、それはニナとオリガに限られる事だろう。にも関わらず、竜の姿をしていないナハトを『魔物』と断定付けられる程魔力の違いを汲み取れるこの男が、只者ではないと三人は息を呑んだ。
「動くな」
だがそれは——カズヤにも、おおよそ察しが付いていた事だった。
そしてそれは、彼にとって大した問題でない事もまた知っていた。
「おやァ? アナタ、さっき蹴り殺したはずなんですがねェ」
復活した僕が立っていたのは、男の真後ろに位置していた。恐らくはニナが持っていた紙を偶然そこに落としたからであろう。むしろこれは好都合で、僕は銃を持っている振りをして、男に指を突き付けたのだ。
まあ、こうやって脅している体をかましているのに、相も変わらず卑しく笑うこの男にはこれがあまり有効打にはなっていない様だ。
「動くな」
僕は再度、男に忠告をする。黒いマント越しに背中へ指を押し付けながらも、前方に居たニナに目配せをした。
「……っ」
僕の意図を読んでくれたのかは定かではないけれど、彼女の表情は僅かに固まる。銃は前のカズヤのポケットに入れたままだ。だからこうやって指で代用しているのだが、いつまでもこの脅しが効くはずもないし、そもそも効いていない可能性だって大いにある。素手で魔法使いに勝てるとさすがに思ってはいないのだから、やはりあの銃は必要になってくる。
そうなると、『妖精族の森』で散々僕の力について手伝ってくれたニナなら、僕の考えている事が分かっているはずだ。
「やれやれ、防護魔法の内側から現れるなんて、アナタ一体どんな魔法を使ったんですかァ?」
「……」
内側、と表現している辺り、どうやらここは男を覆う防護魔法の内部に居るらしい。確かに、そうでもなければこうやって男の背中に触れるなんて出来はしないのだろうが……何故そんな事を男はわざわざ明かしたのだろうか。
いや、単純に僕の思考が及ばないところで、この男は狂気に満ちているだけだ。この状況で余裕そうに笑みを浮かべているのが動かぬ証拠。
ふう、と僕は息を密かに吐き、現状を整理する。男が立っているのは僕とニナ、オリガ、ナハトの間だ。彼女らは数メートルの距離を取っていて、男にとっては魔法でも使わない限りその場で三人に危害を加える事は不可能のはず。そして僕の位置は、前回のカズヤが十数メートル離れている。しかし、それは僕の真後ろからだ。
つまり、ニナが僕の意図を綺麗にまとめ汲んでいるのなら、この状況は非常に好ましいと言える。
「——土魔法」
「ルート・イルマ」
男が口を開く。それは『大地の裂け目』で対峙したあの二人の魔法使いの詠唱とよく似ていた。そしてそれと同時にオリガの後ろでニナも詠唱——祈り唱え始めた。
「『漠搦一糸』」
「ドゥモルクス!」
翳した男の手が——黒い手袋に覆われているにも関わらず、強い光を放ちニナ、オリガ、ナハトの周囲で地面が迫り上がり、たちまち三人をすっぽりと覆ってしまう。
だがそれは、僕と男にも同じ様な現象が起きた。ズズ、と引き摺る様にして素早く蠢く地面が一人でに天へ天へと昇り、やがて大きな楕円体——例えるならラグビーボールが横向きにめり込んだ様な形——として僕と男を囲む。
否、閉じ込める。
そう閉じ込めたのだ。
銃を持って死んだカズヤと共に。
「全く、面倒な事をしてくれたもんですねェ」
男は心底呆れた風に肩を竦めると、そのまま振り返った。いくら指先で銃を模しているだけの見かけ騙しの脅しであったとしても、いきなり臆面もなく振り返る人物をさすがに僕は予想出来なかった。
「なっ——」
男に遠ざかろうと、反射的に間合いを取るべく後ろへ下がろうとしたがしかし、僕の背中に見えない壁が当たる。そう『防護魔法』により、僕は閉じ込められていたのだ。
だからこの判断は、あまりにも間違いに溢れていた。いくらこの男が、目の前で不気味に佇んでいる男が、底知れぬ力を持っていたとしても、やはりこの時の僕は飛び退かずにむしろ飛び付くべきであった。
飛び付き、あるいは殴り掛かる。
それが瞬時に出来なかったのは、僕が密かに死を恐れていたからなのかもしれない。前回のカズヤが抱いた「生きたい」という想いに、よもや釣られてしまったのだとしたら、何と滑稽な事だろうか。
そうこう考えている内に、男の手のひらが僕の口を覆う様にして顔の下半分を掴む。そして。
「炎魔法『灼炙断絶』」
「——がっ、っ……!?」
男の詠唱の直後、僕の口の中に炎が流し込まれ、身体の内側が燃えた。舌が炙れる音が口内を刺激し、眼球の水分が一気に弾け飛び、喉を通って肺と胃に熱い炎が注ぎ込まれる。
「あ゛っがああぁ!!」
熱い熱い熱い熱い熱い!
踠きながら僕は男の腕に手を伸ばそうとするが、重くて上手く動かない。いや、本当に僕の腕が伸びているのかすら分からない——視界の自由が一気に奪われている上、突然の熱気と炎により錯乱した僕の脳が的確な判断が出来ているとは思えなかった——けれど、それでも伸ばす事に注力した。
しかし、パッと男の手の力が緩むと、僕の身体は支えを失ってそのまま膝から崩れ落ち、なかった。
——バギン!
と、明らかに骨を砕く音がして、男が僕の腹部に蹴りを入れたのだ。内部から肉が焼けた僕の身体は予想以上に脆くなり、男のつま先が柔くなった肉を掻き分ける。
「っ……!」
もはや叫ぶ事すらままならない。
痛覚などとっくに麻痺している僕の身体は、今まで出られなかった『防護魔法』の内側からあっさりと飛び出して転がる。穴の空いた腹部から臓器をばら撒きながら、僕は地面をバウンドした。
「ワタクシを閉じ込めるのは、判断としては的確ではありましたが、適切だとは言えませんねェ」
アッハッハ、と男が仰々しく笑い声を上げながら言った。たった今、一人殺したにも関わらず、それがさも当然の、自然の摂理でもかの様に。
「外に居た魔物三匹がワタクシと戦っていれば、あるいは分かりませんでしたがァ……アナタが戦っても、勝ち目などある訳がない。だって、アナタからは魔力を一切として感じないのだから」
魔力を感じない。
それは魔女も同様に言っていた。まあ魔女は「利用価値がない不穏因子」の意で、男は「自分と戦う相手に相応しくない」という真意での言葉ではあるだろう。
だがそれでも、男にとって魔力を持たないカズヤが心底不思議らしく、両手を広げてまるで劇でも演じているみたいに口を開く。
「どうやら、『魔物の味方をする人間の少年が居る』という証言は、少し正しくないみたいですが……ねェ?」
と、男はフードを取りようやく視点をカズヤの方へと向けた。痩せこけた顔と三白眼、黒と白が混じった髪の毛と、僅かに見える首筋の刺青らしき物。
不気味にそして不敵に笑み、眼前に広がる光景に全く動じる事なく、男は、三人目の僕に向かって語り掛ける。
「アナタ、一体何者なんですかァ?」
「……それは、こっちのセリフだ」
お前こそ誰だ、と僕は訊く。この土で形成されたドームの中に閉じ込めて、一人目の僕の傍らで生まれ返った僕はゆっくりと立ち上がる——地面に落ちていた銃を取り上げながら。二人目の僕は丁度中間辺りに居るが、みるも無惨な姿で死んでいる。原型が正直ほとんどないと言っても良いだろう。焼け焦げた肉の匂いが数メートル離れた位置に立っていても漂ってくるのだから、相当に気分が悪い。
「あァ、申し遅れました」
男は深々と腰を曲げる。相変わらず神経を逆撫でする声音だが、別に名乗られても仕様がないのだけれどとにかくこの男の好きに喋らせる事にした。
僕も落ち着きたいのだ。
死んでまた生まれる。この一連の流れに慣れるだなんてとんでもない。
「ワタクシ、ベレニアス王国『砕剣の聖騎士団』魔法部隊副隊長を務めさせて頂いております——マグナ・レガメイル、と申します。」
「マグナ・レガメイル……」
そう、名乗った。
『大地の裂け目』の奥底で、竜の姿をしたナハトに初めて会った時、魔法使いの二人組が話していた会話の内容を、僕は思い出す。
——さすが『マグナ様』だ
と。
そしてこの瞬間、僕は目の前で口角を歪ませている男を殺そうと再三誓う。
何度僕が死のうともこの男だけは殺す、と。
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