サンジュウニ 泥人形

「なん、で……」

 思わず僕は胸に手を当てる。

 ……ある。いや、空いていない。きちんと僕の心臓はあるべき場所に収まっているし、動いてもいる。けれと、魔女が持っているそれは、どう見ても僕の心臓にしか思えない。

「これは、最初のアナタから奪った物よぉ」

 まるで僕の疑問に答えるかの様に、魔女が皮肉めいた笑みを浮かべて持っていた心臓を掲げた。

「不思議ねぇ。どうして心臓が動いているのかしらぁ? 例えば——」

 と、魔女は言った。ゆったりとした口調で、身体に纏わり付く様な言い草で僕に言った。子供が自慢話をするかの様に——もしかすると、この女はわざわざ僕と会話をする為に『大地の裂け目』まで降り立ったというのだろうか。誰にも聞かれたくないから、生きていた魔法使いの男を殺したのだろうか。

 それはあり得る。まあ、魔女と出会って五分も経たぬ内に殺されている僕ではあるけれど、コイツはどうにも気紛れと言うより、自分勝手と言う表現が似合う。自分勝手に人を殺し、自分勝手に講釈を垂れる。まるで未成年の如き振る舞いだ。

「私があの時、心臓を抉りながら使った魔法によって、アナタの記憶、情報が心臓そのものに記録された——とかね」

「……そんなの」

 あり得ない、と言い掛けてしかし、僕はその否定の言葉を呑み込んだ。僕の持つ常識が、この世界では非常識ですらあるからだ。既に僕はここに来るまでの間、物理法則を嘲笑うかの如きありとあらゆる魔法を目にしてきたし、記憶してきた。

 人間の記憶を電子機器に保存する研究は僕が居た世界でも行われていた。ともなれば……いや。

「そんなの、あり得ない。心臓に記録する機能なんかないし、そもそもどうして動いていられるんだ。それも魔法か?」

 どうして僕はこんな下らない、墓穴を掘る様な会話を続けているのだろう。頭がじんわりと鈍くなっていくのを感じながら、自分自身に嫌悪感を抱きながら喋る。まるで、僕の意識とは全く別に口だけが生きているみたいだ。

「この心臓は、いえ、アナタのオリジナルは」

 オリジナル、と言う表現に僕は魔女を睨み付けた。まるで僕がレプリカとでも言わんばかりの言い草に腹が立ってしまう。今すぐにででも、ポケットの中の銃を取り出そうか。

「っ!? が、あああああ!!」

 しかし、手を伸ばすよりも先に突然全身に衝撃が走った。主に心臓の部分が、握られているみたいな痛みを伴う。身体が熱くなり、筋肉が麻痺を起こして呼吸すらまともに出来ない。

 何だこれは? 僕は踠き呻き、転がりながら少しでもその痛みを和らげようとするが、いつまでもどこまでも苦しみは治らない。瞼の痙攣とともに涙がボロボロと溢れ出てくる、そんな視界の定まらない状態で、ふと魔女が目に映る。

「——あらぁ? 凄く痛そうだけれど、どうしたのかしらぁ?」

 笑っている。右手で握っている心臓が、今にも潰れんばかりに歪んでいるのを、確かに垣間見る。それでも何とか鼓動を打ち続ける心臓を魔女がウットリとした表情で眺めながら、なおも込めている力を緩めずに口を開く。

「やっぱりこの心臓とアナタの痛覚はリンクしているみたいねぇ。あまり下手な動きをしては駄目じゃあない。忘れないで頂戴——アナタの命は私が握っているのだと言う事を」

 言葉通りにねぇ。と魔女がせせら笑う。高らかに笑う。壁を何度も反響しながら、くぐもった音で僕の耳に入ってくる。

 ふ、と身体の痛みが引いてくるのを感じた。それでもまだ後遺症故か、片目の瞼が上手く持ち上がらないし、口から出る涎を止めようとも腕が動かない。

 命を握られている。

 僕は嫌と言う程にそれを理解してしまう。よもや銃を撃とうとした事を察知されたからと言って、ここまでの仕打ちがあるだろうか。しかし、むしろこれは魔女なりの優しさなのかもしれないと考えて、すぐにそれを僕は否定した。

 優しさではなく、憐みだ。自分よりも下の生物を見て嘲笑っているのだ、この女は。

「話の続きをしましょお。この心臓は、魔力が無い代わりに、周囲にある魔力を吸収する力を持っているのよ。だから、アナタが死ぬ度にこの心臓は魔力を自分の物にして、カズヤという少年の記録を再現している」

「——っ」

 未だ半身不随になった僕の身体を、魔女が指を一振りするだけで空中に浮かばせると自身の方へと引き寄せる。突き出した心臓の目の前で止まり、それを介して魔女の声が聞こえてくる。

「水と土で出来た人形に、この心臓が持つ記録を上書きした存在。それが、アナタなのよぉ」

「……ふざ、けるなっ」

 心臓の向こう側でニヤニヤと笑う魔女を睨み付けながら、僕は叫んだ。叫んだもりではあったけれど、その声はひどく掠れていて、今にも消え入りそうなものだった。

「アハハハハ! アナタは今まで、ここに来るまで、この心臓の持ち主の様に振る舞っていただけでしかない!」

「黙れ……!」

「感情があると勘違いしている泥人形なのよ、アナタはぁ! まるで感情があるみたいに振る舞って、装っているだけの!」

「違う! 僕は、僕は——」

 人間だ。そう、言い切れなかった。だっておおよそこの力を持っている僕を、果たして誰が人間だと断言出来ようか。僕ですら、自分が何なのか分からないというのに。

 そしてその沈黙に魔女がすかさず疑問を呈する。

「僕は、何かしらぁ? ねぇ、何なのか教えてちょうだぁい!」

 あははは、あはははは。

 魔女の笑い声が延々と響き渡る。何度も何度も何度も、僕を嘲笑しながら、岩を弾きながら、空中でふわふわと浮いている僕に、魔女が笑い続ける。

 何も言えない。言い返せない。だって、僕はずっと先送りにしていたのだから。自分の正体について、現実逃避をし続けてきたのだから、当然の罰なのだろう。この力の原理を知ったところで、そんなの僕がなんたる所以かの証拠にはならない。

「アナタは、人間の様に振る舞い続ける、哀れな人形なのよぉ」

 だらり、と肩の力が抜ける。もう、銃を引き抜く気力さえ起きない。早くこの時間が過ぎれば良い、と僕は全てに対して悲観的になっていた。笑い疲れ、そして飽きて僕を放って消えてくれるまで、ただ待とうと思った。

 奥歯を噛み締めて、ただ魔女の煩わしい笑い声だけを聞き続けていた僕の耳に、ふと別の声が入る。

「——その人から、離れて下さい」

 最初はラセツかと思った。しかし、ラセツにしては妙に声が高いし、口調が違う。だからオリガかとも思ったが、彼女程低い物でもない。ニナ程幼くも無いし、ハクアだとも考え辛かった。

「あらぁ? 邪魔するつもりかしらぁ?」

 魔女が頭だけを動かして、声のする方へと向いた事からも、どうやら僕の幻聴でない事は確かな様だ。心臓と魔女の頭で、声の主の姿が良く見えない。けれど、顔を動かそうとする気さえ今の僕には起き得ない。

「その人は、私を助けてくれました。まだ、お礼を言えていないので、その人を放して下さい。」

 魔女と知っていながら、臆する事なく言うその人物の姿がようやく僕の視界の隅に映った。そしてそれが信じられなくて、「き、みは……」と思わず呻きながら呟いてしまう。

 長く白い髪と、魔女とは違う澄んだ美しい赤の瞳でこちらを見るその少女は、間違いない。見紛う事なく、あの白い竜が変身した少女そのものだ。

 恥ずかしがる様子すらないままに、白い肌を晒け出しながら、魔女を見つめている彼女の唇が動く。

「我らが祖先、フュリアス・ジーナドラコに対しても、貴女はそうするのでしょうか」

「……」

 魔女が黙る。明らかに不機嫌そうに目を細め、はあ、と溜め息を吐くと上げていた人差し指を下ろす。その瞬間、僕を持ち上げていた魔法の効力が失われたのか、僕は地面に落とされる。

「魔物が何故生きていられるか、よぉく感謝すると良いわ。フュリアスにねぇ」

 魔女の身体が浮く。僕は手を伸ばし、その手に持っていた心臓を奪い返そうとするが、届くはずもない。決して遠くはないはずの心臓が、今の僕には天と地程の距離に感じられる。痙攣する身体を懸命に動かす僕を一目見やった魔女が口角を持ち上げて、持っていた心臓を僕に見える様わざと高く掲げる。

「これを返して欲しいのなら、私の家に来ると良いわぁ。何度だって、殺してあげる」

 それじゃあね、と言い残し魔女は飛翔し『大地の裂け目』から消えた。ラセツが降りても数分は掛かった崖を、触りもせずに飛んで越えた魔女の姿は小さな点になってもなお、僕は腕を伸ばしていた。

「大丈夫ですか!」

 けれど、やっぱり届かない。項垂れる僕の側まで、竜少女が近付いて来るのがわかる。どうしてこの少女は、自分が酷い目に遭ったはずなのに、誰かを思い遣るのだろう。

 こんな僕を。

 こんな、泥人形を。

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