サンジュウイチ 魔女

 夜中、僕はあまりに身体が重すぎる為に目が覚めてしまった。金縛りにででも掛かったのかと思っていたのだが、仰向けになった僕の上にはハクアがのしかかって眠っていた。

「重い……」

 呟くものの、ハクアは「んん」と居心地悪そうに唸るだけで起きてくる気配はない。居心地が悪いのなら降りて寝れば良いのに、とは思いつつも言う相手が居ない。持ち上げていた頭を再度床に置くと、視線だけを動かして横を垣間見る。

 そこで眠っているのは、昨日怪我を負った竜が変身した裸の少女だ。彼女も僕同様仰向けになっており、胸を上下に動かしながら安らかに眠っている。良かった。どうやら、魘される程今は傷の痛みがない様だ。

 安心した僕は天井を仰ぐ。仰いで、僕はどうしようもない焦燥感に駆られた。対峙した二人の魔法使いの内一方がまだ生きている事を、僕は思い出したのだ。ニナによる魔法で今は動きを封じてはいるけれど、やはり気掛かりだ。

 仲間が居たり、何か想定外の方策を行使して魔法を使い、脱出していたら、果たして暢気に横になっている場合だろうか。そこまで考えて、僕は上で眠るハクアの脇の下に手を入れ、彼女が目を覚さない様細心の注意を払ってその小さな身体を持ち上げる。寝起きという事もあってか、身体が重くて怠いが、何とかハクアを僕が横たわっていた所に置くと、音を立てずに膝を伸ばした。

 心臓の動悸がやけに遅く感じるのは気のせいだろうか。ともかく、僕はテントの隅に丁寧に置いてあった銃に視線を落とした。あれで人を殺すという行為によって背負わされる罪悪感で、思考が鈍くなっていく。はっきり言って気乗りしない。しかしあれを使わずしてどうやって魔法使いと戦えば良いのか、僕にはその方法が全く思い浮かばない。

 だから仕方がない。そう仕方ないんだ。

「……使わなくちゃ、いけないんだ」

 言い聞かせながら僕は銃を手にする。ズッシリとその重さが右手を通じて身体全体に響く。まるで僕の手に収まった事を、その銃は喜んでいるみたいで気持ちが悪かった。

 そして僕はテントを出る。あの縛られた魔法使いを殺す為に、僕は重い足取りで竜を見つけたあの場所へと向かったのだった。



「——なっ」

 何だこれは。そう言い掛けて、けれどその言葉は僕の口から出る事は最後まで無かった。別に誰かに邪魔をされた訳ではない。ただ驚いたのだ。開いた口が塞がらない状態で、僕は声を出す事すら忘れてしまっていた。

 銃を手に取り、ラセツが壊した狭い壁だった空間を抜けた先へ行き、そして驚愕したのだ。最初に目に飛び込んだのは、カズヤの死体だ。拘束した魔法使いが発動した氷魔法とやらで作られた氷の氷柱に対して、前々回のカズヤを盾にする事で攻撃を防いだ。そのカズヤの死体。次いで前回のカズヤに視線が入ったが、こちらは地面から生えた氷の槍で死んでいる。それは良い、どうでも良い。

 問題なのは拘束した魔法使いの男なのだ。僕はその男を殺す為に怠い身体を懸命に鞭打ち歩いて来たのだ。それなのに。

 それなのに男は、死んでいた。苦痛に歪めた顔を浮かべて、頭から血を流したまま死んでいるのだ。試しに男のこめかみに指を二本触れてみるが、脈は無い。つまり、見せかけでも見かけ騙しでもない。昨日までは生きていたはずの男が紛れもなく死亡しているのだ。

 そんな事あり得るだろうか。いや有り得ない。一日程度の断食で人が死ぬ事はない。ならば自害でもしたのだろうか。しかし、口元から下の殆どを土で覆われた状態で、一体どうやって自殺が出来ようか。舌でも噛み切ったのか? 口元から出血している様にも見えないし、もしも舌を切ったのなら外側の土にも何らかの痕跡があってもおかしくないはずだ。

 だから僕は、この男は自ら死んだのではなく、誰かによって殺されたのではないかという可能性に当たった。頭からの出血が、落石によるものだとしたらと考えて周囲を見回すが、それらしき岩は転がっていない。落石ではないのなら、やはり人為的なものかもしれない。ラセツやニナ、オリガの内誰かだろうか。いや、ニナは少なくと自分の魔法で封じたから大丈夫と発言していた事を鑑みて、彼女がわざわざ戻って殺すなんて難儀な事をするとは思えない。オリガも恐らくは同じ考えだろう。なら、ラセツか?

「あら、まさか来るとは思わなかったわぁ」

 下らない犯人探しを一人で悶々と思考していた時、背後から声が聞こえた。その声には、嫌というほど記憶に染み付いている。妖艶で、絡み付く様な少し低い声だ。女性的でありつつ、まるで蛇にででも巻き付かれているのではないかと錯覚する程の、目眩がするその声音に、僕は心当たりがあった。

 ゆっくりと振り返った。出来る事なら、この振り返るだけの時間で声の主がどこかへ行ってしまわないかとすら願った。願いながら、本当に長い時間掛けて僕は背後のその人物に目を向ける。

「……お前、は、魔女……!」

 間違いない。何故ここに、魔女が居るんだ。相変わらず身体にピッタリと張り付くライダースーツの様な服の上にマントを羽織っただけの、謎の服装をしている。長くウェーブの掛かった銀色の髪を揺らめかせ、飲み込まれそうな深紅の瞳で、何を考えているのか全く想像も付かない表情で僕を見ている。

 魔女。僕とマコトとヒヨリをこの世界へ召喚した張本人。そして、一番最初に僕を殺した張本人が今、悠然と僕の目の前に立っていた。

 魔女は口角を上げた。恐らくは笑っているのだろう。魔性の笑みを浮かべて、心底面白そうに僕に言った。

「初めまして」

 まるで初めて会ったかの様に、そう言った。



「……お前が僕を殺したんだろ。覚えてないとは言わせないぞ」

「そうねぇ。確かに、少し前にこの世界に召喚してしまった男の子をを一人、殺したわぁ」

 魔女がせせら笑いながら言う。喋る度に、何か催眠効果のある薬でも吐いているのかと思わせる程、この女の声は鬱陶しい。

 いや、今それに腹を立てている場合ではない。魔女が居るんだ。目の前で無防備に佇んでいる魔女が。僕はなるたけバレない様にゆっくりとポケットに向けて手を伸ばした。確か、銃には弾があと一発は入っているはずだ。しかし撃ったところで果たしてあの魔女を殺せるのだろうか。そもそも、僕の力は魔女の死と直結しているのか? 魔女が死んだら僕も死ぬ、なんて事態が起こり得るかもしれない。

「……っ」

 考えるまでもない。

 ポケットの入り口に指先が触れた瞬間、僕は素早くその中に手を突っ込み、銃を取り出すと魔女に狙いを定めて引き金を引いた。

 ガキィン……と、余韻を残して魔女に当たる直前で金属音を奏でながら弾丸は弾かれる。

「あらあらぁ、随分と殺気立ってるじゃなあい? そんなに私が憎くて仕方ないのねぇ」

 クスクスと魔女が笑った。よく笑う女だ。出来れば今すぐ走り寄って至近距離で引き金を引きたいのだが、装填されている弾は尽きてしまっている。それに、——ニナの魔力が込もった弾丸を除き——、ただの魔法使いにすら届かなかった弾が魔女に当たるとは到底思えない。分かってはいた事だが、物は試しだ。

「……お前がこの男を殺したのか」

「ええ、そうよぉ? 魔力なんて些末にしか持ち合わせていない癖に、我が物顔で魔法を使っているのが気に入らないのよぉ」

 とんでもない殺人理由だ。魔力を与えたのは自分のはずなのに、それだけで殺してしまえる程に子供じみているのは、やはり魔女だからこそなのだろう。

 銃を下ろした僕は魔女を睨む。別に殺そうとしていた後ろの魔法使いを先に殺されてしまったからではない。ただ、どうしても魔女という存在を眼前にして、気を持たなければ震えてしまいそうだったのだ。

 心臓を抉られた箇所はまだ痛い。その痛みに耐え続けて僕はここにいる。

「この力……僕の力は、魔女、お前が意図して発動させた魔法なのか」

 敢えて僕は自分の力の詳細を語らずに訊いた。まずは魔女が、僕の力について知っているかどうかの鎌をかけたつもりだった。

「私が発動させた、についてはそうね、首を縦に振っても良いけれど、意図的ではないわねぇ」

 大して僕の話術は喰らっていないみたいだった。恐らくどこかで見ていたのかもしれない。

「意図的じゃない? じゃあ、偶然魔法が発動して、僕は、僕はこんな力を……」

 手に入れたのか、と言いそうになって口をつぐんだ。欲しくて手に入れたのではない。なりたくてこうなったのではない。だから手に入れた、という表現はやけに引っ掛かる。

 魔女は徐に足を上げる。右足を地面で踏み締めて、左足を上げる。歩いているのだと気付くのに少し遅れてしまったのは、魔女が歩く姿を想像出来なかったからだ。こいつは何だか、いつも地面を浮遊しているか瞬間移動でもしていそうだから。

「そう、意図的じゃあない。だって殺す気で殺したんだものぉ。魔力が無い人間なんて存在しないはずなのに、アナタだけが例外として現存していた。だから、心臓を抉り取って殺した」

 魔女は僕の目の前まで迫っていた。腕を伸ばせば、僕の心臓に届いてしまいかねないくらいに近く、迫っている。けれど僕は動こうとはしなかった。何故なら、死んでも問題がないからだ。例え殺されようとも、今の僕が死んでしまおうとも、次のカズヤは生まれる。

 甘い息を吐きながら、耳に響く声音で魔女は続けた。

「さっき、私が魔法を発動させた、とは言ったけれど、正確にはそれは嘘なの。私はあくまで、発動させる為の魔法を無意識に使ってしまった」

「発動、って、僕の力の事か」

 防護魔法とやらが、ただの人間に漏れずこの女にも張られているのなら、もう僕はその内側に居る事になる。けれど銃を撃とうという気にはならなかった。どうせ、別の魔法で塞がれるに決まっている。弾丸如きでは死なないという絶対的な自信の下で魔女も僕の前に立っているのだろうから、なおさらその気は滅入る。

「そう、アナタは魔力を持たない代わりに、魔力を吸収する力を持っていた。私が魔法をアナタ自身に放つ事で、アナタは魔力を吸収して魔法を発動させたのよぉ」

「……仮に、仮にそれが本当だとして、僕は詠唱も魔法陣も使っていない。それに、僕は魔法を使ったという自覚すらない。お前がどんな原理で魔法を使っているのかは知らないけれど、少なくとも僕は魔法を使おうと思いながら死んではいない」

 あり得ない、と僕は遠回しに言った。エレオノーラにも言われていたが、僕には魔力が無い。魔力が無い人間が魔法を使えるはずもないのだと、僕は聞いている。もしも使えたとして、ならば一体何によって魔法が発動されているのだ。

 僕には思い付かない。思い付かないのなら、魔女の言っている事は信用に値しない。僕を殺した奴を信用するはずもない。

「それは——」

 三日月の様に、魔女が口角を歪ませた。まるで僕がそう反論する事を想定していたみたいに、まるでこれまでの会話が予定調和故の、思い通りに話が進んだが故の満足げな笑みを浮かべた。

 魔女の腕が上がり、人差し指を僕の腹部に軽く触る。それを払い除けようかとも思ったが、上手く身体が動かない。魔女の指が少しずつ差す方を上げていく。ヘソの部分から鳩尾、そして心臓の方へと。

「それは、アナタの心臓そのものよ」

「何を……何を言ってるんだ」

 ようやく身体が動いた。バッ、と手を払い除け、再び僕は魔女を睨む。目の前に居たはずの魔女は既に最初遭遇した時と同じ距離に立っている。ほら、やっぱり瞬間移動をしている。

「まるで心臓だけが僕が生まれる事を望んでいるみたいじゃないか……! 僕の意思や意識に関係なく、心臓そのものが魔法を発動させるなんて、あり得ない!」

 思わず叫んでしまう。暗くて冷たい『大地の裂け目』では声がよく響く。魔女は至って笑みを顔に貼り付けたまま、口を開いた。

「じゃあ、これを一体、アナタはどうやって説明するのかしらぁ?」

 スウ、と魔女は左手を上げた。暗くてハッキリとは見えないが、それは確かに動いている。ドクン、ドクン、と一定の周期で、とてもリズム良く動き続けている。まるで、僕の動悸に合わせているみたいに。いや、その動きに、僕の動悸が合わせている様にすら、感じてしまう。

「————え」

 魔女が左手に乗せていた物。

 それは、僕の心臓だった。

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