ニジュウニ 頭領
「ハクアちゃん!」
物陰から覗き込んだ僕が見た光景は、複数名の男達に取り囲まれたニナとオリガだった。ニナがハクアの名を呼ぶが、当のハクアは少し離れた場所で人相が一段と悪そうな男性に手首を掴まれている。
「いや、いや!」
ハクアが必死に抵抗するも、ズルズルと引き摺られて集合住宅の入り口の中へと消えていく。
「妖精族が二匹、こりゃあ一生遊べる金が手に入りそうだぁ」
サークル状に取り囲んだ男の内の一人がニヤニヤとイヤらしい笑みを浮かべながらそう言うと、他の盗賊達もそれぞれ笑い声を上げた。
「貴様ら……!」
オリガが引き抜いていた剣を再度構え直して男達を睨み付けた。僕と初めて会った時よりも一層に顔を顰めて、殺気を放っている。
どうする。どうすればあの二人を助けられるだろうか。今ポケットに入っている銃は、さっき下らない試し撃ちをしたせいで装填されている弾丸数は三発しか残されていない。
たった三発で十人は居る盗賊達とどうやって対抗出来るだろうか。
「ああ、くそっ!」
冷静に思考しているが故に僕は自分自身へ悪態を吐いた。こんな時に考えてばかりいるから僕は僕が嫌いなんだ。
物陰から飛び出して男達に向けて銃口を向けると、「ニナ、オリガ!」と二人の名を呼んだ。
「カズヤさん!」
ニナが驚いた様子でこちらに気が付く。男達も僕の方に視線を移す。
「その二人から離れろ!」
「何だ、このガキ」
男の一人が銃を構えている僕に怖気付く事もなく近寄りながら僕の顔を値踏みするかの様に見てくる。
「普通の人間のガキじゃねーか。こんなの大した売り物にはならなさそうだなぁ」
僕の事すら売り物としてカウントしようとしている事に驚くが、銃を下ろす訳にはいかない。少し手が震えているのは初めて握る銃に慣れていないからだ。決して怖いからじゃない。決して。
「ち、近付くな」
「ビビってんのかあ? 言っとくけど、そんなプルプル震えてちゃあ全然怖くねぇんだよな」
遂に男の胸に銃口が触れる程に距離が縮まる。引き金に指を引っ掛けるが、寸前で撃ち切れないでいるのは、何故だ。
「はっ、ただのクソガキ——」
「カズヤさん!」
男の言葉を遮ってニナが声を張り上げた。それにハッと解放された気分で銃を下ろした僕はニナの方へと目を向ける。
彼女は凛とした表情で、首に掛けた飾りを握ったまま、僕を見つめていた。
「ここはニナとオリガちゃんに任せて、カズヤさんはハクアちゃんを!」
「……でも」
「行け!」
ここで二人を見捨てて走り出す勇気がない僕に、踏み切れない僕に捲し立てる様にしてオリガが叫ぶ。背中越しではあったものの、それでも彼女の気迫は凄まじく、僕に言った。
「早く、行け!」
「……っ、分かった!」
「あ、おい!」
「ルート・イルマ・パクテリオ」
僕がこの場から離れようとした矢先、追い掛けようとした男を拘束したのはまるで水の様に競り上がった地面だった。
「くそっ、魔法か!」
グルグル巻きにされた男が悔しそうにそう吐き捨てるのを皮切りに、ニナとオリガを囲っていた男達が二人へ襲い掛かる。
しかし僕は戻る訳にはいかない。ニナとオリガに頼まれたのだ。だから僕は立ち止まって、振り返る事をしない。そうすればきっと、彼女らに怒られてしまうから。
「はっ、はっ、はっ」
廃墟となった集合住宅の中へと入る。一階を見渡すが、隔てられていたであろう壁が吹っ飛んでいる為か、部屋の分かれ目が見当たらない。
「ここじゃない……!」
崩れた石段を登り始めて二階へと向かう。ボロボロになっていて、走りにくいことこの上ないが、建設技術にいちいち文句は言ってられない。
やや転がり込む様にして二階へ到達し、三六〇度視界を広げるが、ハクアの姿も影も見つかる気配がない。
「いやああ!」
「……! ハクア!」
ふと聞こえたハクアの叫び声に僕も彼女の名を呼ぶ。もちろん返事などないが、それでも関係ない。僕は痛む脇腹を押さえて乳酸の溜まった足を必死に動かして上を目指す。
ハクアを助ける。魔物をただの売り物としか考えていない様な人間が許せない。
何が何でも、どんな事をしても、ハクアを助ける。
僕は階段を登っていく。遂に辿り着いた先で、光が広がっていた。天井がないその場所で僕が見たのは、首を絞められている、ハクアだった。
「おら、大人しくしろ! 大人しくしなきゃ鑑定出来ないじゃねぇかよ!」
「いや、いや!」
はは、と邪悪に笑う男がハクアの首を絞めている。もう片方の手でもがき足掻くハクアの額に生えている角を触り、撫でる。
まるで商品を扱うみたいに。
「へぇ、すげぇな。鬼族は、少なくともオレが見た鬼族はでっかくて青い皮膚だったはずなのに、角以外は人間そのものか」
「その子から手を放せ!」
「ああ?」
僕は奥歯を噛み締めて、反動的にポケットから銃を取り出すとそれを構える。男はゆっくりと、あくまでもハクアの首を絞めながら振り返った。腕に彫られた刺青と人相の悪さが、その三白眼が僕を睨む。
「てめぇは、魔物どもと一緒に居た人間の——」
「その子から手を放せって言ってるんだよ……!」
「へぇ」
無精髭から見せるやや黄ばんだ歯を見せながら男は笑った。笑いながらも男の手がハクアから放れる事はない。
苦しんでいるハクアを尻目に、男は口を開いた。
「オレらは他の盗賊団と交渉する気はねぇぜ。この魔物はオレらのモンだ」
どうやらこいつも僕を盗賊団と思い込んでいるらしい。どうでも良い。今はとにかく、こいつからハクアを取り返さなければ。
「その銃、どこで手に入れた」
「……アンタの仲間から奪った」
「奪った? はは、奪った、ねぇ。そりゃ凄いな」
仲間を倒した事を信じていないのか、頭領らしき男は余裕のある笑みで僕の全身を見る。
「その銃、正確には弾丸だが……ともかくその銃は特別製でなぁ。オレらみたいに魔法を使う資格がない人間にとっては最高の代物なんだよ」
「代物?」
男に語り掛けながらも、僕は銃を下ろしたりはしない。それでも男はいけしゃあしゃあと話し続ける。
「弾丸に魔力を込める事で、魔法使いの防護魔法を砕くくらいには役に立つ。ま、ベレニアス王国は『砕剣の聖騎士団』以外が武器を持つ事を禁じているから、それは違法に製造されたモンだけどな」
ベレニアス王国。確か、この世界にあるたった一つの人間が住む国の名前だったはずだ。しかし、『砕剣の聖騎士団』とやらは知らない。騎士団、と言うからにはまあ、国を守る為の組織なのだろう。
守る? 一体何から?
僕の疑問に答える様にして、男は言った。
「魔物や魔獣から守る為にあるんだよ、『砕剣の聖騎士団』は」
「……何だよそれ。まるで、まるで魔物が人間の敵みたいじゃ——」
「敵ぃ? 面白ぇ事言うじゃんかよ」
はは、と男は笑った。笑って吐き捨てた。そしてハクアの首を絞めていた手を緩め、彼女の青くて綺麗な髪を乱雑に鷲掴みにすると自分の方へと引き寄せる。
「魔物は商品だぜ? 人間未満の存在を、敵って言う訳ねぇだろ?」
「……たい、痛い……!」
「ハクア! っ!」
疲れ切ったハクアが身を捩る。慌てて僕は彼女の元へ駆け寄ろうとするが、男がどこからともなく取り出したナイフの切っ先をハクアの首に突き付ける。
「おっと、動くなよぉ?」
「おま、えぇ!」
「だから動くなって」
「あうっ……!」
僕が銃の引き金に指を掛けると、男は躊躇する事なく撫でる様にしてナイフを動かす。ハクアの白い皮膚から赤い液体が滲み出る。
「あーあ、あんまし商品を傷付けたくはないんだけどなあ。ま、こんくらいの軽傷なら大して値段には響かねぇだろ」
甲高い、歓喜のあまり故の煩わしい笑い声を上げて男は僕に視線を向けた。
「ほら、銃を地面に置け。殺されたくねぇんだろ? ハハ」
「くっ……」
どうする。どうすればこの状況を打開出来る。
僕は考えた。考えに考えた。深く思考する。ハクアを助ける為に何をするべきか。少なくともこの男は、魔物を商品として扱っている。ならば、ナイフを向けていても本当に殺す気はないはずだ。首に付いた傷への「値段」という単語から、それを裏付けている。
あれはあくまでも僕への脅しの為の手段でしかない。殺す手段にはならないのなら……。
そして。
「……分かった」
僕は銃を手放した。カシャン、と地面に落ちた銃を見て、男は満足げに「よし」と言うと立ち上がる。立ち上がってそのまま嫌がるハクアを引き摺りながら階段へと向かう。あくまでもハクアの首にナイフを突き付けながら、いつでも彼女を殺せると暗示しながら。
けれど、それが僕の目的だった。階段の近くまで引き寄せる為の、目的。
「じゃ、あばよクソガ——!?」
男が階段を降りようとしたその瞬間、僕は男に向かって全力で走り、男に体当たりした。男を巻き込んで、僕は下のフロアへ転がり落ち、脆くなった壁を突き破って地上へと落下した。
「あがっ……!」
男を下敷きにして、地面へ落ちた僕ですら身体に強い衝撃が走った。だからきっと男もただ事では済まないはずだ。
「んの、クソガキがぁ!」
ドス、と肩に痛みが駆け巡る。右腕が痺れる感覚を味わう時間もなく、今度は僕の身体が吹っ飛ばされる。
「ぐぁ」
「はぁ、はぁ……よくも、やってくれるじゃねぇかよ」
支柱に背中をぶつけた僕は右肩を押さえると、ぬるりとした感触が左手に伝わる。男を見ると、肩で息をしながらナイフを構えた。ナイフには赤い血で濡れている。
なるほど、どうやら刺されたみたいだ。まあ、そうでもなければ落下して肩がこんなにピンポイントで出血するはずもない。
「てめぇは商品にゃあ入ってない」
だから、と男は言葉を区切った。息を吸い込んでいるらしい。鼻の穴を膨らませ、特大の憎悪を僕に向けて言い放つ。
「だからぶっ殺してやるよ! クソガキがぁ!」
「……そう、か」
不思議だ。こんなにも殺気立った相手を前にして、それでも平常心でいられるのは何故だろう。
いや、決まっている。
死ぬのが怖くないからだ。僕にとって、死は意味を持たない。意義もない。
だから、殺してくれるのならそうしてもらいたいものだ。僕は背後の支柱に身体を押し付ける様にしてズルズルと立ち上がる。良かった。全身打撲で済んでいて、無事ではないのは右肩だけのようだ。骨折はしているかもしれないが、そんなのは無事の範疇でしかない。
「何笑ってんだよクソガキぃ……!」
僕は笑っているらしかった。
男に指摘されて初めて僕は自分が笑っている事に気が付いた。だからわざと、笑みを貼り付けたまま、僕は男を見据えた。この男は魔法が使えないらしい。もし使えたのなら、とっくにそうしているし「オレらみたいに魔法を使う資格がない」とまで言っていたのだから。そして、持っているのはただの一本のナイフ。
僕は右肩から左手を放すと、ポケットに収まっている紙を握る。荒野と化したこの世界の地面において、僕が再生するのはそれ程苦ではない。この、エレオノーラから貰った紙さえあれば。
「頼むよ」
「ああ?」
僕は呟いた。聞こえているとは思ってもみなかったが、男の耳には入っていたらしい。眉をぴくぴくと動かしながら睨んでくる男に、僕は言った。
「頼むよ、僕を、僕を——」
——殺してくれ。
そして僕は、幾つかにちぎった紙を地面に捨てながら、そう言った。
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