ニジュウイチ 遭遇

「大丈夫なのですよ」

 建物の影に隠れて、周囲を見ていたニナが後方に居た僕とオリガ、そしてハクアにその顔を向けると声を潜めて手招きをする。まず初めにオリガが、素早い動きでニナの元へと足音も立てずに走り寄った。

「よし、行こうハクア」

「やだ」

 僕がハクアの手首を掴んでオリガを見倣って進もうとしたが、ハクアは首を振って頑なに動こうとしない。彼女の方を見てみると、ハクアは座り込んでおり、への字に曲げた口と不満そうな瞳をこちらに向けていた。

「疲れた」

「ええ……」

 実に子供らしいその台詞に僕は張っていた肩の力抜ける。ニナもオリガも、見た目や口調とは裏腹にとても大人びた雰囲気を漂わせていた。彼女らの実年齢は僕よりも上だとは聞いているのだが、それを分かっていたとしても慣れない感じがあった。だからハクアのこの年相応な態度がとても新鮮に思える。

「おんぶして」

「おんぶって……」

 年相応ではあるが、張り詰めた状況にはそぐわないハクアの言動に僕はふう、と溜め息を吐いた。仕方ない。これ以上この子の機嫌が悪いままではいつまで経ってもここから動けない。

「ほら、早く」

「わあい!」

「ぐえ」

 諦めた僕がハクアに背中を向けると腰を屈めた。人懐っこい性格で接しやすいのは良い事だが、それでも容赦なく跳び乗る彼女の体重を直に感じて前方に倒れそうになるのをすんでのところで踏みとどまる。

 僕の左右の腕の下から出てきたハクアの細い脚を脇で固定し、立ち上がった反動で身体を僅かに持ち上げて体勢を整えた。女の子をおんぶするなんてイベントは少なくとも今までのカズヤは体験していなかったからこそ、どんな気持ちになるのかと思っていたのだが、なるほど特に感想は出てこない。

「よし、行くぞ」

「れっつごー」

 場違いに明るい声を出されては調子が狂いかねないが、僕は「しー」と人差し指で静かにする様ハクアに求める。流石の彼女もそれを察してくれたのか、やや大げさに口元を両手で押さえた。

 近くに男達が居ないことを再度確認した僕は、ハクアを背中に抱えたままニナとオリガが待つ前方の家屋に走り出す。

「何やってるんだ、貴様」

「いや、まあ」

 彼女らに駆け寄った僕をオリガが少し冷たい目線を向けて言う。そんな目で見られても正直反応に困った僕は、「はは」と言葉を濁して周囲を注意深く見回しているニナの肩を叩いた。

「ニナ、どうだ」

「一応今のところは大丈夫そうなのですよ」

 良かった。僕は一先ず安心して長く息を吐く。ハクアの体重はそれ程重くはないのだが、全身包帯をしているせいで身体の柔らかさを直に感じてしまい、少女趣味はない僕ですら、流石にこうも密着していると意識させられてしまう。

「ハクア、『大地の裂け目』はここからあとどのくらいなんだ?」

「んーとねぇ」

 背中の上で身体を左右に揺らしながらハクアがしばらく考え込む。腰を屈めて膝立ちになっている今の状態でその動きはやめてほしかったが、それを指摘して機嫌を損なわれてしまっても困るし、僕は自分の平衡感覚を信じて彼女の返答を待った。

「あっち!」

 ピ、とハクアが右手方向に指を差す。大まかな方角ではあったが、どっちに『大地の裂け目』があるか分かっただけでも良い収穫だ。その言葉に僕はニナとオリガに無言で頷き、目的地まで急ぐべく足を踏み出そうとした時だった。

「見つけたぜぇ」

「っ……!」

 見つかった。

 屈強そうな大男が一人、背後から突如現れて僕らを見て笑う。

「妖精族が二匹と……何だその魔物は? 角ってことは、鬼族か?」

 僕には全く触れず、大男が言った。

 二匹。こいつは、ニナとオリガを二匹と表現した。確かにそう言い表した。魔物を下に見た、まるで家畜でも見ているかのような、値踏みでもしているみたいに男がジロジロとニナ、オリガ、ハクアを見つめている。

 ふざけるな。そう叫びたい気持ちを抑えて、僕は眼球だけを動かして辺りを見渡した。目の前に立っている大男以外の仲間が僕らの存在に気付いている様子はない。逃げるか? 一斉に走り抜ければ、あるいは逃げ切る事が可能かもしれない。

「で、てめえは何だ?」

 この状況を脱するべく思案を巡らせていた僕の存在をようやく、まるで今視界に入りでもしたかの様な振る舞いで男が僕に向かって話し掛けてきた。

「てめえ、俺らとは違う盗賊団の奴か? にしてはガキ過ぎる気がするが」

 違う盗賊団という言い方から察するに、どうやらあの集団は盗賊団らしい。まあ、そんな下らない情報に何の価値もありはしないのだが。こんな下らない情報すら頭に入れてしまうのだから、本当に僕は自分が嫌いになりそうだ。

 まあ良い。とにかく、ここから抜け出さなくては。オリガは腰に帯びていた剣の柄に手を掛け、敵意を剥き出しにこそしているものの、「交戦は最終手段」という僕の言葉を尊重してくれているみたいだ。ニナは、初めて見た人間に戸惑っているのか、怯えているのか、オリガの後ろから顔を覗かせている。

「悪いな。どこの所属かは知らねえが、それは俺達が見つけた獲物だ。分け前が欲しいってんなら、お頭と交渉でもしてみるんだな」

「……獲物、だと?」

 何だその言い草は。こいつらは魔物を獲物として、ニナやオリガとハクアを「狩ろう」としているのか。ふざけてる。だが、エレオノーラの言っていた通りかもしれない。彼女の話していた過去を、信用していなかった訳ではないが、こうも現実を見せられると落胆せざるを得ない。

 どうやら人間は、どうしようもなく魔物を見下しているらしい。

「ニナ、オリガ、ハクア」

 僕はおぶっていたハクアをそっと下すと、後ろに居た三人には視線を向けず、あくまでも大男を睨み付けたまま口を開けた。

「先に、逃げろ」

「で、でも……」

「早く! 今すぐに!」

 僕の言葉にニナが食い下がろうとするが、オリガはハクアとニナの腕を掴むと走り出した。その際、何かを言っていた様な気もするが、そんなの後で気になったら聞き直せば良いし、今はそんな事は重要ではない。

「あっ、おい! 何で逃がしちまうんだよ。まさか、俺達に獲物は渡したくないってか?」

 どうやらこの男は、まだ僕のことを別の盗賊団に所属している人間だと思っているらしい。それをいちいち否定するのも馬鹿らしいから、僕は黙ったまま立ち上がる。名残惜しそうに僕の方をちらちらと心配そうに見るニナと目が合う。

 何か言いたげな彼女に、僕は無言で頷くと、再び男の方を見た。特に思惑があった訳ではないが、彼女なりの解釈をしたのか、決心したとでも言いたげに真剣な面持ちになると前を向き走り続けた。

「おい、耳が聞こえない訳じゃ――」

「だから嫌だったんだよ」

「あん?」

 交戦は最終手段だったはずなのに。

 だから嫌だったんだ。もしも今の僕が死んだら、次のカズヤが一体どんな行動に出るのか、分かったもんじゃあない。だが、ニナ達が今この場に居ないのは好都合だ。

 僕はポケットに手を突っ込んだ。そこにあるのは数枚の紙切れだ。エレオノーラから貰った大切な紙。僕はポケットの中で小さく破り、ぎゅっ、と握りしめた。

「ちっ、もう良い。めんどくせぇから獲物は、てめえをぶっ殺してから捕まえるわ」

 男が僕に近付くにつれ、その巨体が段々と現実味を帯びてくる。二メートルくらいの身長だろうか。現実世界でも見たことのないその大きさは圧巻と言わざるを得ない。だが、不思議と圧倒はされていない。

 袖から覗かせた腕は僕の太もも程はありそうなぐらい太く、筋肉質だ。

 ああ。こんな腕を振るって、殴られでもしたら一溜まりもないだろうな。

 男がワイシャツの襟を掴み、軽々と僕を持ち上げ、空いていたもう片方の腕を振り上げて、拳を作る。

 息がしづらく、霞む意識の中で僕は握っていた紙切れの一片をそっと、勘付かれない様に地面に落とした。

 殺されよう。それで、今の僕は終わる。この男を倒すのは、僕の役目じゃない。そんなの、次のカズヤがやってくれる。

 まるで他人事の様に……いや、まるでではないか。まあ、どうでも良いか。

 そして、男の拳が振り下ろされる。僕の顔面目掛けて飛んでくる。



 端的に、結論から言えば僕は死ななかった。別に奇跡的に回避したという意味ではない。男の拳は僕の顔面を直撃したのだから、本当に一溜まりもなかったのだ。

 しかし、一溜まりもないだけで、僕が死ぬ事はなかった。

「ぐ……ああ……っ!」

 鼻の頭から真正面に受けた僕の顔は、比喩表現ではなくひしゃげてしまう。あまりの痛みに思わず僕は鼻を押さえてみるが、完全に潰れてしまっている。

 一発殴られただけで死ぬとは流石に思ってはいなかったものの、鼻が凹んだ感覚を生きたまま味わうとは想定していなかった。

「うう、ああ!」

 呻き声を上げる度に、痙攣した口から血がだらだらと垂れてくる。

「ははっ、クソガキが調子に乗ってるから痛い目に遭うんだ——よっ!」

「ガハ……っ」

 男の声が近付いたと思ったら、今度は視界の端から突如現れた足のつま先が僕の脇腹を蹴る。暴力がまさかここまで痛いなんて思いもよらなかった。痛い。痛い。痛い。サッカーボールの如き華麗なバウンドを連ねて僕は再び倒れる。

 止まらない口内出血を止めるよりも、口で息をする事に集中しながら、みっともない姿のまま、僕は潰れかけた目で地面を見つめる。

 見つめて反省した。認識が甘かったのだ、と。

 妖精族の森でニナに協力をしてもらう事で、ありとあらゆる魔法による死を繰り返す事で、僕はてっきり慣れているものだとばかり思っていた。次のカズヤにだって今の僕が味わっている苦痛を体感するだろう。顔が潰れていなくとも、肋骨を粉々にされていなくとも、今そうなっている僕の様に痛むだろう。

 だがそれは死を前提とした痛みだ。今の状況ではない。今まで僕はそういえば、一瞬の痛みばかりを味わってきた。圧殺、焼殺、斬首……痛かったり苦しかったりはしたが、それでもそれらはほんの一瞬の出来事でしかなかった。

 死なない程度に痛いのが、まさかこんなに辛かっただなんて。死んでしまえば元通りの身体も、死なない状態で苦しませられたら、そりゃあ辛い。

 だから認識が甘かった。僕は殺される様に立ち回らなければいけないんだ、これからは。

「チッ、手間掛けさせやがって」

 男が唾を吐き、それは曲線を描いて僕の頬に命中した。命中したが、特に感覚はない。

 駄目だ、と僕は遠ざかろうとする、ニナ達が向かった方へ踵を返した男へ這いずった。幸い、下半身はまだ元気だ。腕も別に折られていない。

 立てるし、走れる。視界が少し悪くて、口の中が鉄臭くて、頭がぼうっとするだけだ。身体を起こそうと、立ち上がろうと試みる。産まれたての子鹿みたいに震えながら四つん這いになり、少しずつ、確実にゆっくりと二足で地面を踏む。

 既に男の興味は僕にはなかった。しかし好都合だ。悲鳴を上げる身体に鞭を打って走る。男との距離はそうない。すぐに追い付いたし、僕は男の腰にしがみ付く事も出来た。

「なっ、てめぇ!」

 流石に顔と腹に一発ずつ受けた相手が自分の腰に纏わり付くとは思ってもいなかった様だ。僅かに声を上擦らせて驚いた男は、すぐさま行動を切り替えた。

 ゴス、と鈍い音がしたと同時に背中に激痛が駆け巡る。男が何をしたのか一瞬理解出来なかったらが、恐らくは肘を容赦なく振り下ろしたのだろう。

「う、ぐっ……行かせない!」

 それでも放す訳にはいかない。僕が両腕を伸ばしきったところで、男の太い胴体を完全に掴めはしない。出来るなら左右の五本指を交差させてガッチリとしがみつきたかった。

「このっ、うぜってぇんだよ!」

 男が振り向きざまにポケットから何かを取り出すと、僕の頭頂部にそれを突き付けた。それが何かは分からなかったが、順調に僕の思い通りに事が進んでいるのだけは分かった。

 ズドン! 重い音が響く。それと同時に僕の頭が異物感溢れてくる。どうやら弾丸を撃ち込まれたらしい。

「あ……が……」

 らしい、と言うのは確証がないからではない。小さな嗚咽を漏らしながら倒れる僕には既に意識など途絶している。

 しかし僕は男が拳銃らしき物で僕を撃ち抜いている現場を見ている。そう、見ているのだ。僕が殺される惨状を僕自身が見つめている。地面に落ちた紙は男の真後ろにあった、だからたった今生まれた僕は男の背中側に居る。

 ズルズルと男の腰を掴んでいた直前のカズヤを眺めていた僕は、次いで男に視線を向けた。心底苛ついていた様で、男は肩で息をしている。

「……」

「なっ!?」

 僕は無言で男の服を掴み、自分の方へ引き寄せる。不意を突かれた男は僅かに重心を失い、後ろ向きで倒れた。

「てめぇ、一体……あがっ!」

 背中から地面に伏した男が目を見開いて僕を見つめる中、男に跨った僕は男の顔を殴り返した。何度も何度も何度も殴る。抵抗しようとする前に、目だろうが鼻だろうが口だろうが関係なく殴り続けた。男の大きな手が僕のワイシャツの袖を掴んでもなお、殴った。

「……ふう」

 一息吐いてみたが、別に疲れてはいなかった。ようやく殴る手を止めると、拳が痛む事に気が付いた。手の甲に視線を移してみて、血が付着している。僕自身の出血と、男の血が混ざり合っていて、凄く気持ちが悪かった。

 男は顔の原型を僅かに留めた状態で意識を失っている。まあ、所詮高校生程度の僕がいくら殴ったところでせいぜい気絶させるのがやっとだ。それに、今回みたく不意打ちでなければ膂力差において圧倒的に敗北を喫していただろう。

「運が良かったなぁ、本当に」

 男の隣で同じ様にぐちゃぐちゃになった顔を見せながら死んでいるカズヤのすぐそばで座りながらしみじみとそう呟いた。

「ん、これは?」

 カズヤの足元に拳銃が落ちているのに気が付き、それを手に取った。拳銃といっても現代的なそれではなく、どことなく中世を彷彿とさせる物だ。持ち手の部分が滑らかな曲線を描いていて、何だかアンティークぽさも感じられる。

 仕組みがよく分からないが、ガチャガチャ弄っているとシリンダーらしき所がズレて装填部分が見える。目を凝らして見ると、どうやら弾丸は五つらしい。試しに下向きにして振っていると、四発の弾丸が地面に落ちる。

「撃鉄起こせばもう撃てるのかな」

 別に誰も居ないのに僕はそう言うと、撃鉄を起こして引き金を引いてみる。

 ズドン。

「へえ、凄いな」

 これは良い物を手に入れた。手に入れたから思わず笑ってしまった。口元を歪めて、地面に出来た弾丸による窪みを眺めながら笑った。

「はは、ははは……っ」

 慌てて口を押さえる。何やってるんだ僕は。何回も死んで、何回も生まれて、なのに僕はどうしてこんな自分が分裂してしまったみたいな感覚に陥っているんだ。

「ハクアちゃん!」

 遠くでニナの叫び声が聞こえてハッとする。声のする方向に目を向けてみるが、集合住宅らしき廃墟が邪魔をしていてよく分からない。

 こんな事をしている場合じゃない。僕は紙が入っている左側のポケットとは反対の場所に銃をねじ込みその場を後にして走り出す。

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